選ばれなかった道…。

宇佐美真里

選ばれなかった道…。

目の前の道は二手に分かれていた。男は立ち止まり考える。


「何方の道を行くべきだろうか」


不思議だ。先程も男は今と同じ様に、二手に分かれていた道で選択を迫られた。男は其の時、迷うことなく右手に真っ直ぐ続いて行く道を選んだのだ。一切迷うこともなく。同じ様に選べばいいだけだ。右か左か。難しいことはないはずだ。だが、男は迷っていた。


「何方の道を行くべきだろうか」


特に迷う理由があるわけでもない。だが、決め手に欠け、なかなか選ぶことが出来ない。

『人は毎日三万五千回以上の意思決定をする』

何処かで其んな話を目か耳にしたことがあったな…と男は記憶を辿る。驚くべきことだが、実際に人は"選択の生物"だと云うことだ。

"選択の生物"が今、目の前にある二手に分かれた小道の前で、選択しあぐねている。


「後悔しない様に道を選びなさい」

男は、其う言われて育って来た。繰り返し言われて来た。

だが、其んなことは可能なのだろうか?

男の祖父は、かつて軒先にある揺り椅子で、まだ幼かった男を抱きながら何度となく口にした話があった。男はことある毎に、其の話を思い出すのだ。



   Two roads diverged in yellow wood,

   And sorry I could not travel both

   

   I shall be telling this with a sigh

   Somewhere ages and ages hence;

   Two roads diverged in a wood, and I ...

   I took the one less traveled by,

   And that has made all the difference.

   

   黄色い森の中で、道が二つに分かれていた

   残念ながら、両方の道を進むことは出来ない

   

   此の先、私は溜息交じりに語り続けるつもりだ。

   今から何年、何十年先になっても言い続けるつもりだ。

   ずっと昔、森の中で道が二手に分かれており、私は…

   私は、踏みならされていない道を選んだ。

   そして其れが、決定的な違いを生んだ。

 

   『行かなかった道』ロバート・フロスト(1916年) ※一部抜粋



祖父は「後悔している」とは、男の知る限り、一度も言ったことはなかった。もし仮に、その言葉を耳にしたとしたら、男はやり切れなかったことだろう。其れは自分の存在を否定されることに繋がるのだ。だがしかし、果たして本当に祖父に後悔はなかったのだろうか。何度も溜息交じりに聞かされた話で、祖父は何を感じ、何のために男に繰り返し語ったのか。後悔か?満足か?男は分からないままに成長し、祖父はこの世を去った。


「お悩みの、様だね…」

ゆっくりと、くぐもった声がした。

男は辺りを見回す。声はすれども姿は見えない。右に左に首を遣り、上下前後にも巡らすと、男の背中越し、上方にある樹の枝の辺りにモゾ…モゾ…と動きがあった。注視すると、枝に張り付いていた何かが剥がれる様に分離し、顔らしき物が此方へと向いた。ゆっくりと…ゆっくりとではあったが、其の動きで、其れが四肢を持つ生物であることが、ようやく男にも分かった。脚よりも腕の方が長い四肢。其の長い腕の先には長い爪。其れはナマケモノだった。


「お悩みの………様だね…」

ゆっくりとナマケモノは繰り返した。

「あぁ…。右か左か…何方の道を行くべきか」

男はナマケモノに答えた。


「選択肢は…二つ、右か左か…其れだけ………なのかね?」

ゆっくりと…ゆっくりと一語一語、"噛みしめる"のとは程遠く、間延びするかの様にゆっくりと、ナマケモノが訊いた。


「其れだけとは、どう云うことだい?」

男は驚いて、二手に分かれる目前の道に目を遣りながら訊き返す。

「右か左か…其れだけではないと言うのかい?」


「君たちは…すぐに選択を…したがるね?選択を…"しない"………と云う選択肢は…ないのかね?」

「はぁ?言っている意味が、よく分からないのだけれど…」

男は樹の枝のナマケモノを見上げた。ナマケモノは、先程男が其の存在に気付いて以降、自らの姿勢を寸分も変えていない…。


「前進すること…其れが"是"………とされているけれど…其処に留まること、若しくは戻ること………は果たして"非"………なのかね?ただ…ただ、其処に在る…居る。其れは選択肢としては………有り得ないことなのかね?」

「考えたこともない。人は前進して行く物だろう…」

「其うして…君たちは………"後悔"…とやらも…するわけだろう?私は………前進も、後退も………ほとんど動かない代わりに、其の"後悔"とやらを………したこともない」


「前進することこそ、生きている"証"ではないのかいっ?!」

虚を突かれたあまり、男は声を荒げた。


「ご覧の通り、此うして私は………前進せずとも生きている…。一生は………続いて行くものさ。何時までも…其れが………何時か終わるまでね…」


ナマケモノはゆっくりと…しかし、しっかりと続けた。


「続いて行くけれど………進み続ける必要は………ないのでは………ないかね?進みたく…なったら、其の時初めて………歩みを…再開すれば…いい。其れが………前なのか…後ろなのか………右なのか…左なのか…。何れを選んだにせよ………一生とは…続いていくもの………。其うではない…かね?」


小さな目を何度かパチ………パチ………と、ゆっくり瞬きさせながら、ナマケモノは言った。


「今日は疲れた…。喋り過ぎてしまったよ…。もう…一週間分を喋ってしまった気がするよ………。………。では、僕は…眠ることにするよ。じっくりと………考えて…みるがいい…。留まって居ても…誰も…君を………急かしたりなど…しないはずさ…。おやすみ………」


其う言うとナマケモノは、ゆっくりと目を閉じて、動かなくなった。


男は、樹の枝と同化した様に動かなくなったナマケモノを、しばらくの間、見上げていたが、やがて「よし…」と小さく…、だが強い意志を含ませて呟くと、おもむろに自らの背中へと振り返り"来た道"を強い足取りで歩き出した。


其の姿を、片目だけ薄っすらと開けて、ナマケモノは見ていた…。


男の後ろには"行かなかった道"が続いていた…。



-了-

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