39.5/銀星の恋



「いや、だからね、」

 大きな寝台の上に全裸で胡座あぐらをかいて腕を組み、恨めしげな顔をしている三人目の小さな妻の頭を、皇帝リュセイはがしがしと荒く撫で回した。

「俺はまだショウハを抱く気はないって、前話したはずだけどなぁ?」

 なめらかな祖国の言葉で諭されて、第二皇妃ショウハは益々不満そうになった。

「私は陛下の妻だぞ!」

「そうだな、でもまだ子どもだろ」

「もう十四になる! 月のものだってある! 子を産める体だ!」

「そんなこと言ってるうちは、まだ子どもなの」

 全くもう、と溜め息をつきながら床に脱ぎ散らかされている衣を拾い、寝台の上に上がってショウハの体に掛ける。

「今日のところはここで寝ていいけど、こういうのはあと……そうだな、四、五年してからにしなさい。わかった?」

「へーかのばか!」

 クォンシュの言葉で喚くと、ショウハは渋々衣を着て布団に潜り込んだ。やっていることは大胆極まりないが、これもまた自分を想ってくれてのこと――リュセイは苦笑しながら、その隣に横になる。

 と、

「私の母は十六で私を産んだぞ。姉様を産んだときは十四だ」

 ショウハがぴったりとくっついてきた。言葉はヴェセンのものに戻っている。

「ふぅん、早かったんだなぁ」

 合わせてやった方がいいと判断し、ヴェセンの言葉で返しながら、首の下に腕を通して、頭を抱き寄せる。夜の空のような深い青色の髪はするすると手触りがよく、ほんのり甘い香油の香りがする。

「ヴェセンは戦士の国だから、そうやって早く子孫を残しておく文化があるんだろうな。でもクォンシュはそうじゃない。結婚できるのは十三からではあるけど」

「どうして結婚できるのに、子を作らない?」

「大昔にできた法だからなぁ。昔は、家と家を繋いで、続いていかせるために必要なものだった。でも、だんだん時代が進んで、知識や技術も進化して。子どもを作って産むということがものすごく体に負担がかかるって、わかってきたんだな。若すぎても、歳いきすぎてもよくない。それが教えられて、広がって、今はみんな何となく、様子見ながら、子を作る時期を決めてる」

「私は体が丈夫だぞ」

「知ってるよ。法は法、若くて健康なら大丈夫だろうって、子どもに手を出す奴もいる。……でも、いつも元気でも、全く危険がないとは限らない」

 声色に僅かに感じたかげりに、ショウハはリュセイの顔を覗き込んだ。

「何か、あったのか?」

「ファーリと、ノユがさ。今はそう見えないけど。難産で、どっちも危なかったんだよ」

 ごく身近な者の名に、返す言葉を失う。皇后はクォンシュの言葉を教えてくれるし、皇子は歳が近く一緒に宮廷内を駆けずり回る遊び相手、どちらもショウハとは親しい。

「ノユは生まれたときすごく小さかったし、ファーリは出血がひどくてな。二人とも、何日も、意識がなくて。あのときは気が気じゃなかったなー。仕事が手に付かないどころじゃない、こっちまで眠れなくなっちゃって、両方大丈夫ってわかってからもなかなか不安が消えなくて、何日かしてからようやく眠れて。逆にファーリに心配されちゃったっけ。……俺が、二十、三……だったかな、ノユが生まれたの。ファーリは十八か。ファーリも、別に体が弱かったわけじゃない。海越えて嫁がせるのに、病弱な子を選ぶわけにもいかないからな。クォンシュに来たのが十五のときで、子どもはもうちょっとしてから、って二人で話し合って決めて、でもできたと思ったらこれで」

 ショウハの体が、そっと引き寄せられた。抱き締める腕に、少しずつ力が入っていく。

「命懸けの、ことなんだよ」


 ショウハは知っている。

 この男は、国を治める者として、最善の道を選ぼうとする。

 この大きな国を守り、保っていくために、「自分のできること」をする。


 そのうちのひとつが、婚姻による国交だ。


 皇后を、東の海の向こうにある大国ビツィニアから。

 第一皇妃を、元はクォンシュの領地だったが独立してできたという隣国デアーシュから。

 第二皇妃を、大陸北方を牛耳る強者の国ヴェセンから。

 第三皇妃を、足元の地盤を固めるために自国から。


 そうしてめとった妻たちを、国の代表として大切に扱っていきたいのだと、彼は言っていた。

 よほどのことがない限り帰してやることができないからと。

 国主の家庭が不安定では、民を安心させることができないからと。


 彼は彼なりに、妻たち全員を愛している。


「陛下。怖いのか?」

 倍以上歳上の夫の頭を撫でながらショウハが訊くと、

「うん。ちょっと」

 正直な言葉。

「ノユとファーリだけじゃなくてさ。俺、三人目の子なんだ。上に兄上が二人いたんだって。でも生まれてすぐ死んじゃって、母親も体ガタガタになっちゃってさ。元々仲よかったわけじゃないみたいだけど、そういうこともあって、父親と険悪になっちゃって……無理させたくない。死んでほしくない。ファーリにもショウハにもシウルにも」

「ハンジュどのは?」

「ハンジュは……嫁さんだけど嫁さんじゃないから」

 それがどういうことなのかはショウハにはよくわからなかったが、何か事情があるのだろう。何せ婚姻とはいっても、国と国とのことだ。

「そうか」

「うん。だからさ、ショウハの気持ちはすごく嬉しいから、もうちょっと、待って」


 もうちょっと、とはいっても、それは何年も先のことだろう。


 このひとは、ちゃんと妻として見てくれるのだろうか?


 少し、もどかしい気持ちで、ショウハはリュセイの顔を見た。


「それまでずっと、陛下は私を愛してくれるか? 妻だぞ?」

「その先も、ずっと、ずーっと、ショウハは俺の可愛い嫁さんだよ」

「でも一番はシウルなのだろう?」


「ショウハ」


 こつ、と、額同士がぶつかる。


「余と寝るのならばこの場で他の女の名を出すものではない」


 これまで何度も同じ寝台で寝たし、抱擁もした。

 今と同じように、顔が近くなることもあった。


 それなのに、何故か、顔が熱くなるのを感じたショウハは、


「はい」


 小さく返答するしかなかった。






 皇帝リュセイが寵愛していたのは誰か、というのは、長く議論されている。


 皇后ファーリとの仲は良好で、夫婦の揃いのものが複数存在する中にはビツィニアの織物でこしらえた衣類がいくつもあり、行幸も必ず皇后を連れていたという。ファーリの故郷のビツィニアにも、とても大事にされていてありがたいという旨が書かれた書簡が残されている。


 第三皇妃シウルとは、幼い頃から付き合いがあり恋仲であったことは有名だ。皇妃として迎えた後も彼女が直属剣士隊の一員であることを認め、「我が美しき剣」と呼んでいたという記録が散見されている。


 第二皇妃ショウハが最も愛されていた、ともいわれている。

 妃の中で一番歳が若く、とても美しい容貌をしていたことを考えればそれはもっともなのだが、ショウハを娶った五年後に婚姻に関する法が改定され、子に恵まれたのはその後であることが、幼くして皇妃となったショウハに対するけじめであったのではないか、という説を唱える者も少なくはない。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

辺境夫婦善哉-ひきこもり雪獅子公と陽気な嫁様- 半井幸矢 @nakyukya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ