5. 爪痕

 古代レグル神像は僅かに左に傾いていた。

 祭壇の四隅にあった守護竜像は空っぽのままだ。

 ステンドグラスから注ぐ七色の光が像の消えた台座を静かに照らしていた。


 アナベルの話を、少し聞く。


「塔の魔女に強大な力を授けて天啓を下したのは、あくまで白い竜を助けるためだったって話を、光の中で聞いたんだ」

「どういうこと?」

 

「あの声が言うには、神の化身として地上に産み落としたはずの白い竜は、どうしても世界に馴染めなかった。味方がね……少なかった。彼は純粋で、だけど愛を知らない。せっかく知性の高い竜が多い森に生まれたのに、竜達はすっかり白い竜を拒んでしまった。拒まれるの、辛いよね。誰も認めてくれなくて、暴れて、森を追い出されて、生きていくために人間の姿をするようになった。どうしたらこの竜を救えるのかって、神様は考えたらしいの」


 参拝客がいなくなったのを見計らい、僕らは大聖堂に留まって互いの情報を交換する。

 僕は誰だか知れない声に生きろと言われた話をして、アナベルはそれに応えるように同じ時間に見ていた夢の話をした。

 夢では……ないのかも知れない。

 あの時、僕とアナベル、シバ、それぞれに声は語りかけていた。

 世界を構成する三つ――妙な使命を持たされた僕らは、それぞれ別の話を聞いていたらしい。


「孤独が白い竜を破壊に向かわせると知ったから、話し相手として塔の魔女を据えたらしいんだよね。でも、本当にじっくり話を聞いてあげたのは、初代くらいだった。怖かったんだよ。白い竜は未知の存在で、人間も竜も何でも食べる。そんな恐ろしい存在と懇意になるなんて、難しかったんだろうなって……。ディアナ様は、比較的話を聞いてあげた方だと思う」


「まぁ……そうだよね。怖いものには近付かない。その方がいいに決まってる」

「私は君のこと、怖くないよ? とても、興味がある」

「あ、アナベル様!! ちょっとやめてください。大河君の相手は私が……!!」


 何故かしらリサが顔を真っ赤にして会話に割って入ってくる。

 僕はあははと軽く笑ったが、リサは真剣だった。


「大丈夫大丈夫、リサの邪魔なんかしないから。塔の魔女なんていう肩書きはなくなってしまったけれど、これからも協力はさせて欲しい。私に出来ること、少しでもあったら嬉しい」


 アナベルはそう言って手を差し伸べてくれる。


「ありがとう。そう言って貰えると嬉しい」


 僕らは固い握手を交わした。

 少しだけ、心が軽くなったような気がした。






 *






 ウォルターがオリエ修道院に居るというので、僕とリサはそちらに向かうことにした。


「市民部隊の兵士と神教騎士が何人も亡くなったの。ニグ・ドラコ地区のリオー修道院にいた聖職者達も、焼け出されてオリエ修道院に集まってる。遺体の回収が出来た兵士や騎士から埋葬していて……未だ行方不明者が何十人かいるって聞いてる」


 アナベルは分かりやすく目をそらした。


「多分、僕が喰ったか、潰したか、焼いたんだと思う。行ったら迷惑かな」

「そんなことないよ。司祭はずっとタイガのことを心配してた。出来る限り寄り添っていたつもりでも、神の如き力の前では無力だと嘆いてらっしゃった。タイガが行って、全部終わったこと、教えてあげたら良いと思う」


 そうだねと口では言って、だけど心臓に鋭いナイフを何本も突き立てられたような気持ちになった。

 化け物風情が今更のように謝ったところで、怒りの矛先が向けられるのは分かっていたこと。

 生きるってのはそういうことだ。

 苦しくて辛くて逃げ出したくなる。だけど……逃げて、何もかも壊したら、新たな地獄が始まってしまう。それは、嫌だなって。


 大聖堂から出て、僕はバサッと竜の羽を広げた。


「ど、どうしたの大河君。また半竜の姿に戻って……」


 羽だけ広げるつもりが、上半身の角や長い尾まで全部元に戻してしまったけれど、まぁ、これはこれで仕方ない。

 陽射しの降り注ぐ空を仰ぎ見て、僕は数回羽ばたいた。


「飛んでく。空から現状を確認しながら行こうと思う」

「やめた方がいいんじゃない? 君は未だ」

「自分でやったこと、見ておきたい。塔の中も、取り壊される前に見に行く」

「だけど」

「逃げたくないんだ。自分が白い竜の化け物だって事実から逃げたら、それこそ負けなんだと思う。全部受け止める。暴走しそうになったら、リサが止めてくれるんだろ? ……しないけどさ」


 駆け寄ってきたリサの手を取って、そのまま両腕でひょいと横に抱きかかえた。ひゃあっと小さな声を出し、リサが僕の首に両手を回す。


「掴まってて」


 膝を曲げ、バタバタと思いっきり羽を動かして、魔法の力を乗せて飛び上がる。フワッと浮いた身体は、そのまま高く高く上がっていく。


「た、大河君ッ!! 怖いッ!!」

「ちゃんと掴まって。速度、上げるよ」


 両腕でリサを抱えたまま、僕は空に飛び立った。

 風を切る。次第に僕らは大聖堂の高さを超え、更に高い場所へと突き進んだ。林のように連なるビルの間を抜け、住宅街の上を飛んだ。


 塔の周辺のビル街には、確かに飛散した機体の大きな残骸が未だ残されていて、壁や窓ガラスがあっちこっち破れていた。

 住宅街まで来るとそうした被害はなくなったけれど、ニグ・ドラコ地方の森は未だ火が燻って煙が上がっていたし、住宅街の付近には戦車や砲台が放置されたままだった。火を消すために出動した消防車や能力者達が、川から水を汲み上げて消火活動に勤しんでいる。

 恐らく直ぐにでも手助けすれば火は簡単に消えるだろうし、残骸も片付くだろう。

 だけど僕が現場に行くことで起こりうる混乱は、更なる災害を招きかねない。


「大丈夫? 大河君」


 腕の中でリサが言う。


「何が?」

「平気だよ。心配してくれてありがとう」


 髪が風にそよいだ。

 見たくない現実がたくさん目に入った。

 デモ隊は大聖堂だけじゃなくて、あちこちで声を上げていた。各地の教会や修道院にも人が押し寄せていて、本当は僕の相手なんかしている場合じゃないんだって事実を突きつけてくる。


 暴徒と化した人達を、市民部隊や神教騎士団が止めている現場もあちこちで目撃した。

 間違いなく僕のせいだった。


 涙で頬が濡れた。濡れたところからどんどん乾いた。

 リサは僕の肩に顔を埋めて泣かないでと呪文のように唱えている。


 飛んで飛んで、農地の広がる広い土地が見えてくると、もうそこはオリエ修道院のある農村部だった。

 徐々に高度を下げ、修道院の敷地の前に広がる大きな庭に向けて滑空する。

 数人、僕らに気が付いて、慌てて場所を空けてくれる。

 ふわりと一旦地上の直ぐ近くで止まり、それからゆっくりとリサを降ろした。


「神の子……!!」


 教会や兵舎から何人もの聖職者が駆け出してくる。

 気のせいでなければ、いつだったか雷斗と一緒に訪れた時、世話になった人達だと思う。


「もうお身体は大丈夫なのですか?」

「司祭は騎士団の詰所におります」


 怖がられるかもと思っていたのに、彼らは案外すんなりと僕を受け入れてくれる。

 僕は竜のあれこれを引っ込めて破れた服を修復し、「分かった」と彼らについて行く。

 リサも首を傾げながら、僕と一緒に案内されるまま騎士団の詰所へと向かった。

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