4. 受け止める

 白い半竜姿に合わせた戦闘服から、普段着に着替えた。

 フード付きのちょっと大きめのミリタリージャケットみたいのが好きで、単色のTシャツの上にサッと羽織る。あとはジーパンと、底の分厚い革のショートブーツ。髪の毛を緩く一つ結びにして、肩にひょいっと引っかけると、さっきよりは随分増しな格好になる。


「外に行く前に聞いとくけど、大河君、今も相手の心、見えてたりする?」


 リサは緩めのジャケットで、下は長い足の目立つショートパンツで。ヒールが高めのブーツを履いているけれど、それでも僕より僅かに小さい。

 長い髪が視界に揺れて、可愛いなと見惚れながら「見えてるよ」と言うと、リサは少し難しそうな顔をして僕を見上げた。


「知っていると思うけど、君のせいでたくさんの人間が死んだんだ。殺してた記憶とか……ある?」

「あるよ。僕はその時、僕だけど僕じゃなかった。白い竜の部分だけ前に出して、僕の部分は全部頭の奥に引っ込めたんだ」

 

「そう、その……君が君の部分を消してた時にね、いっぱい、人が死んだ。誰が死んで、誰が生き残ったかなんて聞いても分かんないと思う。君が寝ている間に私も一通り、いろんな人から話を聞いたんだけど、多過ぎて把握しきれなかった。君は未だ、この世界では化け物扱いなの。それは理解……してるよね」

「してる、大丈夫」


 僕は相当に頭がおかしかった。

 自分の凶暴性が信じられないくらい、僕は無造作に人間を殺していた。あの時はもう、儀式のこと以外一切考えられなくなっていて、邪魔をするヤツは全部殺さなくちゃならないっていう強迫観念に駆られていた。

 善とか悪とか、そういうんじゃなくて、視界に入った蠅を叩くような……要するに、無感情だった。


「あいつの時もそうだったみたいだけど……自分達に危害を与えてきた存在を、人間は簡単に信じないよ。これまでもそうだったように、僕のことを攻撃してくるヤツ、批判してくるヤツもたくさんいるだろうし。でも、いいんだ、それで。正常な反応だ」

「大河君……」

 

「僕はどんな攻撃だって受け止める。殺したかったら殺しに来れば良い。そこで相手の怒りとか苦しみとか、全部受け止めてやれば良い。僕は白い竜で、簡単には死なない。しがらみは消えた……とか言ってたけど、まぁ、それでも簡単には死なないと思う。だから心配しないで。力で捩じ伏せるようなことはしないよ。僕も、静かに生きたい」


 僕の言葉に、リサは苦しげに頷いていた。






 *






 地下を出て、ひとまず大聖堂サンクトゥス・レグルドムスへ向かう。

 儀式からは既に数日が経過していて、街はそれなりに落ち着きを取り戻しつつあった。

 けれどまだ、神の子である僕の存在を否定し拒絶する連中が朝からデモを行っているとかで、教会の連中からは外に出ない方がいい、もう少し落ち着いてからの方がと諭された。


 森の一部は焼かれ、人もたくさん死んだ。僕が爆破したヘリやエアバイクの残骸が街に降り注いで、そこでも何人か死んだり、怪我をしたりしたらしい。

 塔の展望台で僕が惨殺を繰り返していた映像もそうだけど、実際全て落ち着いてから塔の中を捜索した市民部隊からの報告、遺体の損傷具合、血と肉で染まった塔内部の映像なんかが報道されると、各地で僕を糾弾する声が上がったそうだ。

 教会の敷地はかなり広いのに、それでも何かに怒り、憤るような声と色が敷地周辺に留まっているのが分かる。


「大河君、聖職者用の通用口から入ろう?」

「いや、正面からで良いよ」


 リサの厚意を丁重に断り、僕は広い庭を抜けて大聖堂の正面へと向かっていく。リサは不安の色を漂わせながら付いてくる。

 人垣が見えてくると、同時に感情の色も一気に吹き出した。僕から彼らが見えているということは、彼らからも僕が見えている。白い髪の男なんてそうそういないだろうし、過去の映像で面は割れていたから、逃げても隠れても無駄だった。


「化け物め!!」

「神を騙るな!!」

「うちの人を返して!! 人でなし!!」


 大聖堂の入り口付近に集結したデモ隊は益々ヒートアップして、看板や横断幕を高く掲げて声を荒らげた。怒声に萎縮して、リサは僕のジャケットの裾を一生懸命引っ張っている。気にするな、大丈夫だと、僕はその手を払いのける。

 表情一つ変えないで僕がズンズンと彼らに近付いていくと、彼らは一瞬ギョッとして、それでも怯まず声を上げ続けた。


「人間の振りしてのうのうと生き続ける気か?! 貴様の正体は全世界に知れ渡っている!! 恥を知れ!!」


 僕は、立ち止まった。

 声の主は男性だった。僕より少し年上の男性の写真を胸に抱いている。

 僕の視線に気が付くと、男性はビクッと肩を揺らして一歩後退った。


「死んで詫びることが出来たなら、どんなに簡単だっただろう。……ごめんなさい。自分が恐ろしい生き物だってことくらい、よく分かってる。糾弾は甘んじて受け入れるよ。否定のしようがない。だけど、どうか……大聖堂の周辺で騒ぎを起こすのだけはやめて欲しい。ここは祈りの場で、神聖な場所だから」


 周囲にいたデモ隊の連中も、何故かピタリと押し黙った。

 息を呑んで、僕と男性と、それから周囲の反応を見比べて、困ったような顔をしているのが見える。


「静かにしてくれてありがとう。これからお祈りをするところなんだ。もし良かったら、一緒に……あ、これは無理強いじゃなくて、もし良かったら、だけど」


 当然のように困惑されて、僕はふぅと息を漏らした。

 僕は軽く彼らに頭を下げてから、大聖堂の入り口に向かった。






 *






「アレじゃ大河君が持たないよ。ああいうのがずっと続く。君が心を壊したら、私……」


 大聖堂の中は声がやたらと響くのに、リサは身振り手振りで必死に僕に訴えかけてくる。

 僕はなるべく小さな声で、「大丈夫だよ」と何度か言った。

 会衆席に伸びる絨毯をズンズン歩いて行くと、誰かが祭壇の手前の席で静かに祈りを捧げている。夜空みたいな色をした長い髪をした白いドレスの女の子だ。

 僕は彼女の一列後ろの席に座って、そのまま両手を組んで目を閉じ、神に祈りを捧げた。

 リサも諦めたように僕の隣に座って、そのまま祈りの時間に入る。


 沈黙が続く。

 静謐な空気と雰囲気、そして隅々まで満たされた聖魔法に心が洗われていく。


 砂漠で魔物を殺しまくった直後は闇の力に満たされて、この空間に留まり続けることすら難しかったのに、今は全然何ともない。それこそ塔の上であんな虐殺を繰り返したクセに、僕は完全なる闇に支配されることなく、こうやって祈ることを赦されている。


 初代塔の魔女に神が下した天啓は、それほどまでにこの世界にとって重要で、……だからあの場で必死に儀式の成功だけを願い、まるで単なる殺戮機械のように邪魔な人間を排除し続けた僕は赦されているんだろうか。

 本当のところは分からない。

 凌と同じ声をしたあいつが何を考えて、何を期待して、何を赦しているのかなんて、誰にも。


「タイガ、目が覚めたんだね」


 ふいに声を掛けられて顔を上げる。

 アナベルが前の席から半分身体を捻って、僕に笑顔を向けた。


「うん。さっき、やっとね。アナベルはどんな感じだった?」

「私? 私は次の朝にはもう、動けてたよ。本部の中庭で倒れてるところを、ウォルター司祭に助けて貰ったの」

「そうか。シバは? どうなったか知ってる?」

「知らない。レグルノーラにはもう、居ないかも知れない」

「しがらみが消えたから?」

「どうかな。リアレイトに行けば分かるかも知れないけれど」


 アナベルが教会に飛ばされたのは、元々彼女が聖職者だからだろうか。僕は塔のそば、白い竜としてずっと塔の魔女との約束に縛られていたから、あそこに居て。だとしたらシバがリアレイトに飛ばされていてもおかしくない。


「塔は、解体することになったから」


 アナベルが急にとんでもないことを言い出して、僕はガタッと立ち上がった。


「約束は果たしたから、もう塔は不要だもの。惨劇の舞台になったことも原因の一つだけど、塔中心の政治体制がそもそも変だって話は、随分前から出ていたみたい。タイガが壊しまくったから、修復にも膨大な費用がかかるんだって。だったらいっそのこと、体制も建物も全部作り直した方がいいよって、私、言ったの。選挙でもなんでもやって、みんなが納得する政治体制を確立した方がいいって」


 落ち着こうとリサに腕を擦られて、僕は頷きながらゆっくりと会衆席に座り直した。


「そう……だよな。約束の話はもう終わったんだし、塔がなくったってこの世界は成り立つんだ」

「そういうこと。私が死んでも、私の目玉は飛ばないし、次の魔女に選ばれる女の子もいない。大切な人を目の前で殺されて、それでも世界のために生きなさいなんて言われることがもうなくなったのだとしたら、それでいいと思う」


 ディアナの計らいもあってか、偶然なのか、アナベルは孤児だったこともあって縁者の惨殺は免れたけれど、そこまでして守らなければならなかった塔の魔女という存在は、この世界にとっては凄く重要だったんだ。


「それに、しがらみから解放されたのだから、私も好きに生きたいなって。タイガもそうでしょう?」


 ニコッと優しく向けられるアナベルの視線に、僕はそうだねと小さく笑った。


「しがらみはなくなっても、僕がこの世界を壊そうとしたのは本当だし、恐ろしい存在なのは変わらない。しばらくは、これからどうやってこの世界に受け入れて貰えるか、探るのに徹するよ」

「そっか……。タイガには、そっちの問題があるもんね……」

「そういうこと。さっさと自爆しとけばこんなことにはならなかったんだけど、あいつ、自爆はダメだって」

「――ダメに決まってるじゃない!!」


 と、今度はリサが声を荒らげた。


「自爆はダメだよ。君がどうして苦しむの。君は生きるべきだと思う。こんな……魔法生物に言われたところで釈然としないかも知れないけれど、白い竜の血を引いたことが罪になるなんて信じたくない。君は優しい。レグルノーラのためなら、誰かを助けるためなら、自分が苦しむことも傷付くことも厭わない。そんな君が救われないなんて、絶対にダメだから……!!」


 立ち上がって大声を張って。

 僕とアナベルは目を丸くした。

 なんなら、さっき僕の誘いに乗って会衆席の後ろの方で肩身狭そうに祈り始めたデモ隊の何人かも、ビックリしてリサに目線を向けている。


「ありがとう、リサ。大丈夫、自爆なんかしないから。生きるよ。背中を押してくれる人が、居るんだから」


 リサは目を潤ませ、そのままわんわんと泣き始めた。

 なかなか泣き止まないリサを見て、アナベルが僕に耳打ちした。


「ほら、出番出番」

「言われなくても」


 僕は立ち上がって、リサをギュッと抱き締めた。

 リサが泣き止むまで、誰も僕らを邪魔しなかった。

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