2. みんなと幸せに
これは、誰かの夢なのだと思う。
美しく光り輝く鱗で覆われた巨大な竜が一匹、暗闇の中を飛んでいる。
竜は途轍もなく大きな力を持っていて、だけれど決して、誰かを傷付けたり悲しませたりするのは好きじゃなかった。
大き過ぎる力を持った竜は疎まれて、棲む場所を追われてしまう。
お前なぞが棲み着いてしまえば、他の竜や人間が棲めなくなる。邪魔だ、消えろとどやされて、泣く泣く棲んでいたところを追われたのだ。
争いは好きではないと言ったのに、誰もその竜の言葉を信じない。
一歩動けば森が潰れ、もう一歩動けばたくさんの竜や人間が死んだからだ。
語りかけようとすれば口から炎が漏れ出して、火を消そうとすると嵐が巻き起こった。
竜には居場所がなかった。
本当は誰かと一緒に過ごしたくて、仲良くしたくて堪らないのに、巨大すぎる竜は他の竜達を怖がらせるばかり。
悲しいな、他と違うばっかりに、どうして辛いことばかり起きるのだろう。
もっと小さな身体ならば、皆と一緒に笑えただろうか。
皆と一緒に過ごせただろうか。
竜は身体を丸めて蹲り、そのまま何年も何年も、真っ暗闇で孤独に過ごした。
何年も何年も。
気が……遠くなる程。
竜の身体はやがて巨大な石になった。
石は次第に土や岩に覆われて、大地になった。
大地には草が生えて森が茂った。
――深い深い森の中、地面がボコッと隆起して、そこから竜の羽を生やした美しい男が現れる。
その森は丁度、丸まった巨大な竜の心臓があった場所だった。
竜でもない、人間でもない美しい彼は、白く長い髪をなびかせて、何色にも染まらないキラキラした鱗に覆われている。
小さくなれば、皆と一緒に笑えるだろうか。
皆と一緒に過ごせるだろうか。
叶うならば、他と違う自分のような竜であってもみんなと幸せに暮らせる世界を創りたい。
喜びも悲しみも分かち合い、静かに過ごせる世界を――……。
それが、この世界の始まりなのだとしたら、どうして僕らは苦しんだ。
たくさんの命を奪って、たくさんの
お前の目論見は成功したのか。
なぁ……、創造主たる古代神レグル…………!!!!
『――ようやく、ここまで辿り着いてくれた。ありがとう』
真っ白な光の中、全ての感覚が消えた空間で、誰かが僕に声を掛ける。
身体自体がどこかに消えてしまったから、上下左右の感覚すらないはずなんだけど、それでも僕は声の主を捜している感覚に陥る。
誰だか分からない、とても聞き覚えのある、懐かしい声だった。
『誰かに似ている? 仕方ないね。私は直接心に話し掛けている。君は私の声を、記憶の中にある誰かの声に変換して認知している。君はその声の主を大切に想っていて、だから私の声をその人のものだと認識してしまう。大切なものがあるのは良いことだ。だから君はまだ、君のままでいられるんだ』
声の主を……大切に。
大切にしていたのに、僕は喰った。ガブッとひと思いに喰って、後はバリバリ音を立てて全部喰った。それでも、声は覚えてる。あいつの想いも、全部。
『君は必死に、約束を果たそうとした。無理難題を解決するのに必死だった。三つを揃えて欲しかったのはね、本当はこんな悲惨な結末を想定していたからじゃない。仲良く……して欲しかった』
仲良く?
みんな白い竜を怖がるのに?
こんな恐ろしい力を持たされて、自分で居続けることが苦しくて堪らなかったのに?
『そう。違う種族同士でも、違う世界に住んでいても、或いは有り余る力を持っていても、非力であっても――……この世界では分け隔てなく、手を取り合って仲良くして欲しかった。自分と違うものを理解し、認め合うのには時間がかかる。途方もない時間と、途方もない努力が必要になる。君はそれを、白い竜の記憶を見て知ったはずだ』
どこかで誰かが足を止め、耳を傾けなければならなかった。
否定もせず、拒みもせず、じっくりと話を続ける時間が必要だった。
そうなるまであいつは……、千年以上の時間を要した。
『君には相手の心が見える。他の者にはそれが出来ない。だけれど気付いていただろうか、君はここしばらく相手の心を覗いていない。覗くまでもなく相手の気持ちが分かったからだ。だから苦しんだ。苦しんで、破壊竜にはならないと誓ったんだ』
だけど僕は、自分を制御しきれずにたくさん殺してたくさん喰った。
無理だ。
僕はあの世界には不要だし、元の世界でも生きていけない。
もう約束は果たしたんだから、お前の力で僕を消せるなら、消して欲しい……!!
『嫌だね』
いたずらっぽく言うそいつを、身体があるなら殴りたかった。
あいにく殴るための腕も、そいつの身体もどこにもない。
ギリギリと、存在すらしないのに奥歯を鳴らそうとする僕を、そいつはゲラゲラと笑い飛ばした。
『誰かが面白いことを言っていたね。育った環境や境遇の違いによって、白い竜の未来が変わるのかどうか。私は未だこの先が見てみたい。大き過ぎる力を持ってなお、人間や竜との共存を探ろうとしていた君と、君を支えてくれる人間達や竜達が、この後どんな未来を紡いでいくのか知りたいんだ』
ふ、ふざけるなよ!!
僕はこれ以上、誰も傷付けたくなくて。
『ほら、君はそうやって常に周囲を気遣う。そして周囲もそれを知っている。分かり合うことが共存の第一歩だと君達はきちんと理解している。無理に周囲を怖がらせる必要はない。君は嫌われ者じゃないんだから』
勝手なこと言うなよ……。
僕は恐ろしい力を持っている、巨大で醜悪な白い竜なんだ。
人間も竜も餌にしか見えない僕と共存したい生き物なんて、存在するはずないってのに。
『――そう、それなんだけどね』
そいつは何かを探るように、少し間を開けた。
しばしの沈黙ののち、声は少し明るいトーンで、妙なことを言い始めた。
『君の存在を消さないで欲しいと、今、二つの存在に懇願されている』
……はぁ?
ど、どういう……。
『塔の魔女と救世主、彼らにも別のところで同じような話をしている。彼らは君とは立場が違うから、きっと違うことを話すだろうと思って聞いているのだけど、どうにも君を助けて欲しいと、そういう話から一歩も進まない。君が自分を消して欲しいと思う一方で、彼らは君を助けて欲しいと言う。どちらも想いは同じなんだ。誰かが不幸になる未来は望んでいない。君は自分の存在を呪い、自分を消したいと思っている。だが他の二人は、君を解放して欲しい、どうにか助けてやって欲しいと言ってくる。どんなに恐ろしい力を持っていたとしても、君は求められている。どうしてだと思う……?』
ど、どうしてって。
それはアナベルとシバが変なヤツだから。
『君がいつも、誰かのために必死に戦っているからだよ。私利私欲に塗れず、ただ自分以外の誰かの幸せのために、誰かを助けるために必死で戦い続ける姿を見ていたからだ。塔の魔女の考えた呪文。いや、アレは呪文じゃない。この世界を創った私への嘆願書。君を助けて欲しいと必死に訴えかけている。共存の準備と覚悟は出来ていると、訴えていたんだよ』
それでも僕はたくさんの罪を犯した。
またおかしくなって、誰かを傷付けてしまうかも知れない。
そうなる前に僕は消えるべきだ。今からでも自爆するつもりで。
『自爆なんてさせないよ。絶対に』
だったら自分の身体を自分で食い千切る。
刃物も砲弾も効かないけど、鱗を剥ぎ取って肉を食い千切れば。
『そんなことはさせない。君は、生きるんだ。仕舞い込んだ記憶を引き摺り出して、今度は誰かのためじゃない、自分のために生きて貰う』
じ、自分の、ために……?
そんなの、許されるわけがない。
自分のことなんてどうでもいいんだ。僕がいなくなった方がみんなが幸せになれるなら、そうするのが一番良いと思ってる。
僕の存在を許して、それで僕が生き延びても、誰かが苦しむなら死んだ方が……!!
『みんなが、じゃなくて、大河も幸せになりなさいって、誰かに言われなかった?』
僕はウッと息を呑んだ。
身体もないのにウッと息を呑んで、一歩後退った。
『みんなの中には、君も含まれる。私には残念ながら時間を巻き戻したり、誰かを生き返らせたりする力はないけれど、君が力を抑え込む手助けくらいは出来るから。――前の白い竜が、君のために竜石で作った少女を贈ってくれただろう? 彼女を元に戻してあげる』
り、リサを……?
『君が白い竜である事実を変えることは出来ない。せめて君が自分で力を極限まで抑え込むことくらいは出来るようにしてあげよう。傷付けるつもりのない相手を傷付ける苦しみは、私が一番分かっているつもりなんだ。誰も信じてくれない、誰も助けてくれない、逃げるしかなかった過去を、君がこの先、みんなと共存していくことで書き換えてくれたら嬉しい』
勝手に決めるな!
僕が生きたいなんて、幸せになりたいなんて、そんなこと、勝手に。
『スシが食べたいんじゃなかったっけ? あと、恋もしてみたいって』
そ、それは……!!
『もう、自分に嘘をつかなくていいんだよ。君はしがらみから解放される。君だけじゃない、塔の魔女も救世主も、きっともう、レグルノーラには必要なくなるんだ。君が消えるのはもうちょっと先だよ、大河』
ちょ、ちょっと待て、レグル!!
声が一緒でややこしいんだよ。
お前、どっちだ。
古代神なのか、それとも白い竜と同化したあいつなのか。
『どっちでもいいんだよ、そんなこと。それよりほら、早く行かなくちゃ。君を待ってる人達がいる』
どっちでもいい訳ないだろ?!
おい、教えろ……!!
『君が笑って過ごせる未来、私はずっと、見守っているよ。だから、行け!! 大河――……!!!!』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます