【35】誰かの夢

1. 儀式

 レグルノーラを全部見渡せる空の上――アナベルとシバが見守る中、僕は大地を支える竜石の岩盤に向け、魔力を注いだ。最初は少しずつ、次第に量を増やしていく。

 岩盤が相当な厚みであることは知っている。あいつの記憶で、大地を真横から見た。

 この世界のことわりを全部変えるくらいの魔法を発動させるには、恐らく大地に眠る竜石の力を全部借りる必要がある。


 竜石は魔法を注ぎ始めると、徐々に光り出す性質があった。

 リサもそうだった。

 地下にあった神殿でも、確か、魔力に反応して竜石が光った。

 いつだったかに訪れた美しい雌竜のいた洞穴、あそこの竜石も騒がしく光り出しているだろうか。


「石柱のあったところが、光っている……!!」


 根気強く魔力を注ぎ続けると、次第に大地に穿った穴から眩い緑色の光が漏れ始めた。

 シバは興奮して、大きな声を出した。

 都市部に光る六つの点、森の中にも等間隔に六カ所、光っている場所が見える。

 更に力を注ぎ続けると、やがてそれらの点から緑色に輝く光の柱が真っ直ぐと天に向かって伸び始めた。


「綺麗……」


 アナベルがポツリと呟いた。

 彼女の言うように、それはとても美しかった。

 オレンジ色に染まった空と、沈みゆく夕陽の色、そして石柱の跡から伸びる光の柱。森の濃い緑色の中からも、すっくと伸びる光の柱はよく見えて、幻想的な光景を作り出していた。


「私達は、こんなに綺麗なところにいたんだね……。塔の中から見ていた景色と、ここから見える景色は全然違う。何もかも見ていたようで、本当は何も見えてなかった。この世界のことは勿論、こうして近くに居る人の心さえ、見ているようで何も見えてなかった」


 柔らかく吹く風に髪をなびかせ、アナベルは静かに言った。

 シバはグルッと周囲を見渡しながら「そうだな」と相槌を打った。


「だけどそれを、諍いの理由にしてはいけない。互いを理解し、譲歩し合うことでしか、私達は分かり合えない。誰かが拒めば終わりなんだ」


 沈みかけた夕陽に照らされ、街に長く影が伸びる。

 少しずつ、街が夜の姿に変わっていく時間だ。

 皓々と輝く光の柱は、地上にいる人間達や森の竜達の目にもしっかりと見えているに違いない。僕らが上から見ているものを、地上からは見上げるようにして眺めている。


 濃紺から明るいオレンジ色へと変わっていくグラデーションの空には、薄い雲が広がっていて、雲には太陽の光が影を付けている。透き通る空に無造作に散らした、絵の具のような雲たちは、それだけで僕たちの胸を突く。

 雲の隙間から見える星々は、この平面世界の中でどんな役割を果たしているのか分からないが、少なくとも今の僕らにとってはとても重要で、とても意味のあるものに思えた。


「光の柱の頂点を繋いで魔法陣を作る。そうしたら、アナベル、後は頼む」


 僕はそう言って、最後にありったけの魔力を使う。

 点と点が繋がる。

 点同士が引き寄せ合うように光の線で繋がっていく。

 二つの三角形を上下逆さまにして重ねたダビデの星と、その星の頂点を繋げて描かれた巨大な円。そしてその外側――レグルノーラの大地を支える竜石の岩盤が光り、砂漠の外側からはみ出して見える光が、魔法陣を形作る外周の円を描き出している。


「来澄の、魔法陣だ」


 シバが言った。

 僕はこくりと頷いて、ゆっくりと立ち上がった。


「それじゃあ、私が文字を刻むよ。タイガもシバも、私が考えた言葉を刻むので異論はないよね」


 アナベルが言うので、僕らは深く頷いた。


「通常の魔法陣同様、全ての文字を書き終えたら発動するよう、しっかりと魔力を注いでね」


 魔法陣の真ん中に歩を進め、アナベルは両手を胸の前で手を組んだ。

 僕とシバはアナベルの邪魔にならないよう、少し距離を取って、それから彼女がどんな文字を刻むのか、二人で見守った。


 胸の前で組んだ手を、彼女は高く掲げ、天に祈るようにして魔力を高めていく。

 僕とシバは足元に広がる魔法陣に向けて魔力を注ぎ込み、発動を待った。



《レグルノーラの大地を創りし

 偉大なる創造の神レグルよ》



 外円と内円の間に刻まれていくのは、魔法陣と同じ緑色に光る文字。

 アナベルは神に捧げるため、敢えて古代レグル文字で呪文を刻み始めた。

 ニグ・ドラコの森の広がる北側から時計回りに、彼女は文字を刻む。文字は一角一角、ノートに書き起こすみたいに丁寧に丁寧に、綴られていく。



《我ら世界を構成する三つは

 今ここに集結し

 世界の均衡を誓う》



 空に突如現れた巨大な魔法陣と、そこに刻まれていく文字。

 巨大すぎてその全景は誰の視界にも収まらないだろう。



《種族や世界の隔たりなく

 救いを求める者達の来訪を拒まない大聖堂のように

 この世界が誰かの救いになることを願う》



 そしてアナベルも、わざとらしく多くの文字を割いて、呪文を書き込んでいく。

 例えば空を見上げてこの文字の一部を読み取れたとしても、彼女が言わんとしている言葉の意味は直ぐには伝わらないだろう。

 僕らから読み取れるように書かれた文字は、つまり地上からは反転して見える。

 普通の人間が読み取ることも難しい古代レグル文字を、しかも裏っ側から読んだら、意味さえ全く伝わらない可能性もある。

 それを、彼女は狙ってやっているのかも知れない。


 僕とシバは何も言わずに、彼女の刻む文字を読む。

 彼女の祈りと誓いの言葉は、僕らの中に深く深く染み込んでいく。



《平和は

 決して誰かの犠牲の上で

 成り立つものであってはならない

 犠牲によって生まれた歪みは

 やがて世界を混沌へと導いてしまう》



《魔女は愛することを許されるべきで

 白い竜は平穏を知るべきで

 救世主は帰る場所があるべきである

 犠牲を前提に得られるものなど何一つないのだと

 私達は結論づける》



《互いの立場を尊重し傾聴し

 手を取り合い補い合うことで

 不完全な私達は

 より良い未来を創っていくことが出来るのだと信じている》



《神よ

 慈悲深き神よ

 我々は平和を誓う

 願わくば

 この儀式ののち全てのしがらみが消え去りますように》



 ――しがらみが。

 僕はハッとしてアナベルを見た。

 彼女は僅かに笑っている。


 全ての文字が埋まり、魔法陣が目映い光を放ち始める。


「きゃあっ!! 眩しいッ!!!!」

「う、うわっ!! なんだ、この光――?!」


 目が眩む、どころじゃなかった。

 全ての色が消え、存在が消えてしまいそうなくらい目映い光が空全体を包み込んでいく。


「大河! アナベル! どこだ?! 無事なのか?!」


 魔法陣から吹き出す激しい光と風に僕らは吹っ飛ばされた。

 ヤバい、何も見えない。

 見えないどころか、身体の感覚が。


「何も……見え…………」


 何もかも散り散りになる。

 白い竜の身体が分解されて、光に溶けていく。

 僕だけじゃない、シバの気配もアナベルの気配も、消えて……どこかに…………

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