8. 遙か上空

 血と肉片に塗れ興奮状態の覚めやらぬ僕は、小柄な彼の肩を借りて死体の山を脱した。この期に及んで「血だらけでアナベルの前に行くのは嫌だ」と拒むと、彼は得意の水魔法で僕の身体をすっかりと綺麗にした。

 仕事の日だったんだろうか、袖まくりしたワイシャツとスラックスに茶色の革靴。一通り仕事を終わらせて駆けつけた、そんなふうに僕には見えた。


「理性は飛んでない。よく持たせたな」

「当然だ。約束を……果たすためだけに、耐えたんだ」


 彼は僕を責めなかった。

 同胞が無惨に殺されまくっていたのに、悲しむでもない、怒るでもない、淡々とその場を後にした。

 もし仮に僕を責めていたら、何もかも台無しになったかも知れなかった。それを彼は知っていて、敢えて何も言わなかったのだと思う。


「日が暮れる前に終わらせよう。行くぞ」


 彼はいつにも増して頼もしそうに見えた。

 いつにも……?

 そんなはずはない。タイガの記憶はどこにもないのに、彼の顔や仕草、好きなもの、嫌いなもの、全部覚えてる。

 どういうことだ。

 

 また……頭がガンガンする。僕は白い竜で、それ以上でもそれ以下でもない。タイガのことは知らない。全部終わったら消える。僕はこの世界に必要じゃない。余計なことを考えるな、今は儀式のことだけ。

 頭をブンブン振る。

 僕は彼に引き摺られるようにして、最上階への階段に向かっていった。






 *






 厳重に掛けた結界魔法を解除して、塔の魔女アナベルの待つ部屋へ。ノックはしたが返事はない。

 どうにか呼吸を整えて部屋に入り、周囲を見回す。アナベルはいないようだ。

 少しずつ気持ちが落ち着いてきて、僕はようやく彼の肩から手を離した。


「多分、奥の部屋だ」


 チラッとリサの寝ているソファの方に目をやる。彼女は未だ目を覚まさない。まるで目覚めることを拒んでるみたいに、深い眠りに落ちたままだ。


「リサは大丈夫なのか」

「大丈夫だと思いたいけど。シバが変な戦い方をさせたせいだろ」

「いや、あれはリサの提案だ。絶対に壊れないから、自分の力を使って欲しいと」

「……止めろよ、そういう時は」

「彼女の力がなかったら、お前は未だ暴走していたはずだ」


 ぐうの音も出ない。

 彼の肩を借りたままぶつくさと話していると、――カチャリ、と音がして、奥の部屋のドアが開いた。


「タイガ……?」


 ドアの隙間からアナベルが恐る恐るこちらを覗いている。


「遅くなった。すまない。早急に、儀式の準備を」


 言葉少なに用件だけ伝える彼を、アナベルは困惑した表情で見つめている。


「あ、あの。えっと……」

「そいつ、シバだ」


 記憶にある優顔のシバと目の前の疲れた中年男を頭の中で見比べて、アナベルは疑問符を大量に浮かべている。


「シ……バ? でも全然姿が」


 シバはばつが悪そうに肩を落として、アナベルの方にゆっくりと近付いていく。

 半開きのドアをしっかりと開けて、それからアナベルの前に跪くと、胸に手を当て敬礼した。


「生身のままでは変身術は使えないため、このような姿で申し訳ない。かつての救世主、来澄凌の意志を継いで、私が新たな救世主として儀式に参加することを、どうかお許し頂きたい」

「お、お許しって、言われても……! た、確かにあなたからはシバと同じような気配はするけれど」

 

「塔周辺に強固な結界魔法を張り巡らした。私がもっと早くに到着していれば、大河はこんな暴挙に出なかった。全て私の責任だ。私が全てを捨てるのに躊躇したから、このような惨劇を齎した。私は大河の父で、監督責任がある。大河の罪は、私の罪だ。そのような立場で救世主を名乗るなど、許されないのは分かっている。レグルノーラ全土を守る塔の魔女アナベル、あなたの許しを得てから、私は儀式に参加したい」


 金髪のシバとは全く違う、冗談すら通じなさそうな雰囲気に、アナベルは圧倒されていた。僕とシバを交互に見て妙にオロオロしている。


「えっと、あの、顔を、顔を上げてください。私も……タイガの立場とか、気持ちとか、全然考えてなかった。彼は白い竜で、彼の正義は私達人間のそれとは違う、だからどうしようもないことなんだって。や……闇の力を感じないから、タイガはきっと、やむを得なくてそうしてるんじゃないかって、やっと分かってきたところだったの。どう考えても、私達人間が悪い。タイガを勝手に悪だと決めつけるから、タイガは殺すしかなくなってしまう。そういう……壁を、もし儀式を通じて変えられるのなら、変えたいの。ち、力を、貸してくれますか、――シバ」

「勿論」

 

 シバは深く深く、頭を下げた。






 *






 昔々、僕が別の白い竜だった頃の話。

 誰にも受け入れられず、理解されず、孤独な時間を過ごしていた僕に、一人の魔女が優しく接してくれた。神に天命を受けたという彼女は、この地獄のような苦しみから逃れる術を神から伝え聞いていた。



――『彷徨える白い竜を導くよう、白い塔を建てよと、神のお導きがあったのです』


――『神は私に告げました。世界を構成する三つ。唯一の白い竜、強大な力を持つ魔女、そして異界からやってくる、悪魔を祓う者。世界が混沌へと向かい始める前に、それらを集めよと。道標として、世界の中心に塔を建てよとのことでした。その三つが力を合わせたときに、世界は均衡を保つと神は仰いました』



 既に世界は混沌としてきている。

 三つを揃えるために、白い竜は藻掻き苦しみ続けた。

 愛を知らず、壊すことしか知らない白い竜は、それでも必死に三つを揃えようと。


 白い竜は神の化身だと誰かが言った。

 破壊と再生を司る神の化身は、この世界を創り上げた神と同じ姿をしているのだと。


 もうすぐ、全てが終わる。

 全部終わったら、僕は消える。

 きっともう、この世界に僕は必要ない。

 神の化身、白い竜としての役目が終わればもう、危険な力を持った僕を、世界は必要としないだろうから。






 *






 傾いた日が、地平線の直ぐそばまで落ちている。

 僕らは塔の遙か上空にいて、夕陽に照らされたレグルノーラの大地を上から眺めていた。

 少し冷たくなった風が頬を撫でる。白い竜の羽と尾、そして長い髪が風に揺れ、パタパタと音を立てた。

 こんな高いところからこの世界を見下ろすなんていつ振りだろうと記憶を探ろうとするが、何かがそれを阻害して、また頭がぐらぐらと揺れる。


「このくらい高いところに来れば、誰にも邪魔されないし、全部、見渡せると思うの」


 アナベルは見えない床を空に張って、眼下に広がるレグルノーラの大地を指し示した。

 白い塔を中心にして街が広がり、その周囲を囲うように森が、更に森を囲うように砂漠がどこまでも広がっている。ここまで高いところにやって来ても、砂漠の果ては見えない。大地の外側に湖が広がることを、長い間レグルノーラの人間も、竜も、誰も知らなかった。


「レグル様が打ったという杭の跡を繋いで、魔法陣を作れば良いのよね」

「それは僕がやる」

「タイガが?」

「魔法陣は、地下の竜石の力も借りて発動させる必要がある。巨大な魔法陣を存分に発動させるには相当の魔力が必要になる。この中で一番魔力があるのは僕だ。僕がやる」


 もし仮に、半狂乱の状態でここにたどり着いていたなら、きっと僕はやらなかった。

 幸いと言うべきか、壊れずにここに来たからには、力を使いたい。――何せ僕はこれが終われば用済みだ。

 見えない床をトントンと歩いて、僕は地上を見渡した。

 とても、綺麗な景色だった。

 巨大な竜の屍の上に築かれたのだと言われても、信じてしまうくらい綺麗な。


「お前に振り回されて、あっちこっち行かされたのを思い出す」


 シバの眼鏡には太陽が反射していて、表情を窺い知ることは出来ない。

 彼の短い髪が風になびくのを横目に、僕はゆっくりと息を吐いた。


「最初は聖ディアナ魔法学校だったな。昔の養成所跡地だ。古代神教会の敷地も、こう見ると結構広い。大聖堂は塔の次に存在感がある。流石だな」


 白い塔の直ぐそばにある建物群を、シバは指差しているようだ。


「私は都市部とキャンプ、砂漠を旅したぐらいだったが、まさか森の中まで連れ回されるとは思わなかった。喋れる竜達は賢くて、人懐っこくて、生態は違えど、共存し合えない存在ではないと思った。そんな中、白い竜だけが森を追われ、人間からも疎まれてしまった。――お前はそれも全部、見たんだな。見て、これが最適解だと信じて、今ここに立っている」


 見えない床に片膝を付き、僕は右手を下に向けた。


「終わらせよう、僕らで」


 頭の中で杭の一つ一つの場所を思い描き、そこに大きく開いた穴の底の奥深く、巨大な竜石の岩盤に白い竜の力を注ぎ込むようイメージする。

 レグルノーラで魔法を発動させるのにもっとも必要なのは想像力。具体的なイメージさえしっかりしていれば、ある程度の魔法は発動させられる。

 そして次に必要なのが、意思。思いの強さだ。


 絶対に、成功させる。

 何が何でも成功させて、この理不尽な地獄を、僕らの手で、終わらせる――……!!

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