7. 危険な竜

 アナベルはもう、僕を殺人鬼としか認識しなくなった。何十人となく殺したのに、殺したこと自体を悪いことだとは認識していないことが、彼女の理解の範疇を超えた。


「タイガならば殺さなかったとでも思っているのか……? 僕がタイガであることを忘れたから、簡単に人間を殺してしまうとでも……?」


 一面の窓からレグルノーラの美しい大地が見渡せる部屋の中央で、アナベルは泣き崩れ、怯えていた。

 視界を埋め尽くす程多く飛んでいたヘリコプターやエアバイクがみんな消えると、何事もなかったようないつもの空が視界に広がった。


「タイガを……返して」


 ぐずりながら、アナベルが言う。


「タイガだったら、別の方法を探ったはずだよ? 君はどうして、こんなに簡単に命を奪うの?!」


 おぞましい白い半竜の言葉なんて聞く耳も持たないみたいに、アナベルは僕を睨みつけ、怒りの言葉を向けてきた。

 こうなるのが嫌だったから全部ひとりで片付けようとしたのに、完全に……しくじった。


「僕がタイガでも、同じことは起きた。タイガの心がこの残酷な現実に向き合えないから、どこかに消えたんだ。それじゃ、ダメか」


 納得なんか、してくれそうになかった。


「一人にして」


 アナベルは僕を拒んだ。

 僕は彼女の立場を尊重して、ずっと気遣ってきたのに。


「……ごめん」


 僕は部屋を出た。

 お互い、冷静になる必要があった。






 *






 ――人間は、懲りない。

 たとえそこに大量の屍があろうと、近付けば死ぬことが決定づけられていようと、不可能などないに違いない、必ず道はあると信じて立ち向かってくる。


 ヘリとエアバイクを撃ち落として以降、桟橋からの侵入を試みて、次から次へと無謀な人間共が塔に向かって飛んでくる。

 ある者はエアバイクにロケット砲を括り付け、ある者はヘリコプターに数人の能力者や魔法使いを乗せ、それを制止する市民部隊の竜騎兵共々、塔周辺に押し寄せるようになってしまった。

 一定の距離まで近付いて来たヤツは全部魔法で撃ち落とした。爆風で幾度となく塔が揺れた。

 逃げるヤツは追わなかった。


 転移魔法や別フロアの桟橋から塔に侵入してきたヤツらも、僕は次々に殺しまくった。

 魔法で動きを止め、頭を吹っ飛ばす。

 僕の術中から逃れて襲いかかってくる人間も偶にいたが、そういうヤツらも物理攻撃で大抵一分以内には死ぬ。僕の尾は凶器だったし、腕力もまともじゃなかった。本気を出すまでもなく、人間共は次々死んだ。


 地上から繋がるエレベーターを全部落としたからか、塔の内側にある非常階段経由で展望台に上ってこようとするヤツらも、いるにはいた。

 天に向かって伸びる塔の非常階段は、普通の人間が足で上るには躊躇する高さなのに、ヤツらは何の使命感を持ってか、ずんずん上ってくる。

 大抵は途中で諦めて引き返すか落下した。ある程度まで上ったヤツらは魔法で撃ち落とした。


 死体の転がる展望台には人間の血と肉の臭いが充満し、僕をどんどん興奮させた。

 眠るのを拒み、喰うのを拒み、ただひたすらに人間を殺しまくった。

 理性が崩壊しているのなら、僕は間違いなく巨大な白い竜となり、手当たり次第肉を貪り喰っただろう。炎を吐き、何もかもぶっ壊していたはずだ。

 けれど僕は半竜の姿を保ち、巨大化もせず、人間の血肉に目もくれず、塔に近付く人間共を排除し続けている。

 混乱を避けたくて、自分の姿を白日の下に晒さないよう、頑なに展望台に留まり続けた。

 無駄な殺生はしたくなかった。

 殺さなくても良いならそうしたかった。


 ――それでも、僕は危険な竜だと言うのか。


  約束を、初代塔の魔女リサとの約束を果たしたいだけなのに。

 何が悪いのか、何故責められる必要があるのか、僕には一切、理解が出来ない……!!


 何百年となく積み上げてきたこの感情を、ここまでの道程を、何の事情も知らない、何の役割もしがらみも持たない人間共に否定される謂れはない。


 もしここで諦めたなら、僕が非力な人間共の身勝手な正義に屈したなら、僕はまたあいつみたいに何十年も何百年も、千年も二千年も、地獄のような孤独な時間を過ごし続けることになる。それが嫌で、僕は全てから解放されたくて、それで必死に戦っているだけなのに。


 これは我が儘か? 僕だけの問題か?

 何故こうなった。

 何故他の道を選べなかった。

 ここで僕がこうして血に塗れるのは、決して僕だけの罪じゃないはずだ――……!!!!






「――もういい、お前は十分、頑張った」






 不意に誰かが、後ろからぎゅうっと僕の肩を抱いた。

 最後に放った魔法が目の前に残る一人の頭を魔法でバンッと吹っ飛ばした。血飛沫が飛んだ。白い僕の鱗の上に、鮮烈な赤が上塗りされた。


「すまない。覚悟を決めるのに、時間が掛かりすぎた。何もかも捨てるってことが如何に苦しくて如何に難しいか、私は、知らなかった。こんな地獄の中にお前がいたことを、もっと……深く、考えるべきだった」


 首なしの死体がどさりと床に積み重なった。

 僕は動きを止めて、大きく肩で息をした。

 知らないうちに日が随分傾いていて、死体で埋め尽くされた展望台は柔らかなオレンジ色に染められている。

 僕はだらんと腕を下ろして、溢れる唾液をジュルッと啜った。


「全部……捨てたのか」


 後ろの男に尋ねると、彼は力をギュッと込めて「ああ」と言った。


「円満な別れなんて無理だった。面と向かって『もう二度と会わない』なんて言えるはずがない。幸せを崩すみたいで申し訳なくて、遺書を書くのが精一杯だった。引き継ぎの資料を置いてくるしか出来なかった。お前がタイガであることを辞めた理由がなんとなく分かった。耐えられない、無理だ、こんなこと」


 心地よい声だった。

 もう随分前から僕はこの声を聞いていた。ぶっきらぼうで、だが芯が強くて、何か大きな物を必死に背負っているような……そんな声だ。

 僕の胸を鷲掴みにする手は骨張っていて、左腕には腕時計が見えた。金属製の太いベルトに夕陽が当たって、チラチラと反射する。僕は確か、その腕を近くでよく見ていた。


「お前を引き取る時に、覚悟は決めたはずだった。絶対に守る、絶対に味方で居続ける、絶対に悲しませない、私が救ってやると。――来澄のように、上手くは立ち回れないかも知れない。だが、私にその役目を与えられるのならば、歓迎する。やっと、お前と同じ場所に立てる」


 とても見知った気配だった。

 だが同時に、これまで感じたのとは格段に違う、かなり大きな力を彼が持ったことに気が付いて、僕は身体を震わせた。


「アナベルが待ってる。行くぞ、大河」


 僕の肩を軽く叩いて、彼は僕の顔を下から覗き込んだ。

 如何にも不器用そうな顔をした、眼鏡の男。

 僕より背が小さくて、普段は小難しそうにしている表情を崩して不自然に笑った彼は、僕を怖がるでもなく、透き通った水色を漂わせていた。

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