5. 地獄のような
そこから先は、地獄のような時間が続いた。
僕が人間を餌としか見ていないと知ると、それだけでアナベルの僕に対する評価が一気に下がった。
嘘じゃない、本当のことだ。だから僕の評価が落ちるのは一向に構わないはずだ。
だけれどそれを口にした瞬間からとんでもないくらい罪悪感が酷くて、……アナベルの顔が、まともに見れていない。
彼女は彼女で、僕に気を遣う。
今は大人しいだけ、自分は塔の魔女だから喰われずに済んでいるのだと知って、今後何が起きるのか想像して胸焼けを起こしている。
何度か席を立ち、居なくなったかと思うとまた戻ってきて。時計をチラチラ見て、やたらとソワソワしていた。
こういうとき、時間の流れは残酷で、普段よりやたらとゆっくり進む。
僕は何も言わないし、彼女も何も言えない。リサは眠ったままで、シバも当然やって来ない。
アナベルは何度か僕に声を掛けようとして失敗していた。
僕が虚空を睨み付けたまま微動だにしないから、凄く怖かったんだろうと思う。
窓のない部屋は閉塞感に包まれた。
息苦しくて、重々しい、最悪の空間。
仕方ない。僕は白い竜で、彼女は塔の魔女だ。
僕は誰にも理解されてはいけない。
僕は殺されるべきだ。
たとえその手段が限られているか、もしくは存在しないにしても、殺した方がいい、消えた方が良いと思わせたい。危険なんだ。生かしておくべきではない。
人間との共存なんて、絶対に成功するわけがない。
あいつは人知れず人間を喰っていた。僕もそうするだろう。
危険だと承知で僕を生かし続ける道を選ぶのだとしたら、僕はそれを全力で止めなければならない。
タイガがどんなヤツかはさておき、僕をタイガと同列に見るのは間違ってる。
――不意に、アナベルのお腹が小さくグゥと鳴った。
時計を見ると、もうかなり遅い時間だった。
彼女は恥ずかしそうに「だ、大丈夫。ごめんなさい、こんな時に」と言ったが、僕は「食べたい時に食べた方がいい」と言った。
「タイガは……ど、どうするの」
「間に合ってる」
一言だけ僕が返すと、彼女はどう言葉を繋げたら良いのか分からなくなったらしく、困ったように肩を竦めた。
塔からはすっかり人間の気配が消えている。残っているのは僕と彼女、リサぐらいなものだろう。とすれば、誰かがいつものように食事の世話をすることもない。当然外は厳戒態勢で、出前を頼むわけにもいかないんだろうなと……そこまで考えて、僕は少しだけ力を抜いた。
「修道女だった頃は、料理を?」
「え? ……うん、少し」
突然変な切り出し方をしたからか、アナベルは酷く驚いている。
怖がらせ過ぎたかも知れない。
僕は背中を丸めて、少しだけアナベルの方に身体を傾けた。
「ここの料理は口に合ってる? 君は塔の魔女だから、だいぶ良いものを口にしてるんだろうね」
「え、あっ、それは……その」
「口に合うかは分からないけど、何か出そうか」
アナベルは反応に困ったらしい。
「お腹が空いてるんだろう? 疲れてるようだから、温かいスープが良いかもしれない。それからパンと、野菜のサラダ。質素な生活をしてきた君には、豪華すぎる料理はかえってストレスだろうから」
「た、タイガ……?」
パチンと指を弾き、ローテーブルの上に料理を具現化させると、アナベルは分かりやすく驚いた。
「手料理じゃなくてごめん」
記憶の中にあったものを再現するだけの魔法だから、厳密に言えば料理ですらない。けれど、立場上身動きの取れない彼女への、些細な気遣いのつもりだった。
「君に倒れられたら困る。食べてくれたら嬉しい」
こんな
アナベルは僕をチラチラ見ながら、恐る恐るスープ皿に手を伸ばした。
スプーンでひとすくい、震える手で口元まで持っていき、一思いにパクッと口に入れて、
「美味しい……」
アナベルはじんわりと頬を綻ばせた。
緊張の糸が解れたのかも知れない。彼女はすっかり警戒を解いて、用意した夕食を全部平らげた。食べるものを食べると、彼女は安堵の色をスノウホワイトに滲ませていた。
「レグルノーラでは見ない食材が混じってた。もしかして、リアレイトの」
「どうかな。覚えている食べ物しか具現化は出来ないから、何とも」
僕がそう言うと、アナベルはニコッと満面の笑みで返してくる。
「……やっぱり君、タイガだよね。心の扉の奥で見た君は、必死に汚れ役を演じようとしていた。本当は一人になりたくなくて、みんなに受け入れて欲しくて仕方ないのに、自分のことを恐ろしい、危険だって決めつけて、周囲と距離を取ろうとしてた。本当はとっても優しいんだよ。さっきのスープみたいに」
目を細めて、僕は口の端を緩めた。
どうやら彼女はどうしても僕をそういうふうに見たいらしい。
反論したところで同じことを繰り返すんだろう。だから僕は、彼女の言葉を否定も肯定もしなかった。
*
日付が変わるころになると、アナベルは椅子に座ったままうとうとしだした。
僕の機嫌を伺いながら話し掛けてきたり、リサを気遣ってくれたりと、多分神経を使い過ぎたのだと思う。普段は規則正しい生活をしているだろう彼女にとって、僕が現れたのは完全にイレギュラーな出来事だったはずだから、仕方ない。
うとうとが次第にぐっすりに変わったのを見計らって、僕は彼女を抱きかかえて寝室まで連れて行く。童話のお姫様が寝ているような豪奢なベッドの上に彼女を寝かせると、僕は再びリサの居るソファのところまで戻って、彼女を見守った。
それから朝まで寝ずの番をする。
事情も知らない人間達が僕を襲撃する可能性は十分にあったから。
ソファに横たわるリサの顔を何度も撫でて、彼女の唇に自分の唇を何度も重ねて、彼女の耳元で「好きだ」と繰り返し呟いた。リサは未だ眠ったままで、僕の声が届いているのかどうかは分からない。それでも、もう言えなくなってしまう言葉なのだと本能で感じていて、感情のまま、彼女に愛の言葉を囁き続けた。
*
明け方が近付くと、にわかに外が騒がしくなってくる。僕は一旦塔の魔女の部屋から出て、階下の展望台に向かった。
観光客が出入りする展望台は、三六〇度見渡せる全面ガラス張りの窓が特徴的な空間だ。
エアバイクが日常的に使われるこの世界では、高所に桟橋を設けてそこを出入り口として利用する文化があるらしく、この塔にも漏れなく随所に桟橋があった。特にここの桟橋には特徴があって、市民部隊の飛竜達が羽を休めに来ることもあるとかで、随分広めの、そして大きめの桟橋がせり出しているのだった。
ここからはレグルノーラ全土が見渡せる。
更に桟橋に出れば、まるで空の上に立っているかのような気分を味わえる。
案の定と言うべきか、つまり桟橋は、僕の寝首を掻かんとする連中が侵入してくるには都合の良い場所だったと言える。
「ば、化け……」
どこに所属するのか分からない人間共が数名、既に展望台に侵入してきていた。
外はやっと白んできたころで、竜が空を飛ぶのに差し支えないギリギリの明るさだった。
薄く広がった雲が白さを見せたばかりの仄暗い空を背景に、無知な闖入者達は僕を見て震え上がった。
「え、映像で見たのと違うぞどうなってるんだ……!!」
「構わん、撃て!!」
そいつらは武器を持っていた。
マシンガンやライフル片手に、僕に向かって銃弾を撃ち込んでくる。当然強固な結界を即座に張り巡らして弾を弾き、無効化するが、そもそも恐怖に震えているのか、ヤツらは悲鳴を上げて泣き叫ぶばかりで弾はまともに当たりもしない。
銃弾の弾ける耳障りな音に僕が苛々したのは言うまでもなく、どうしたらこれが無駄なのか、どうしたら諦めて撤退してくれるのか考えながら、僕は彼らの方にズンズン向かっていった。
彼らはそれでも撃つのをやめなかった。
銃はそれぞれ複数所持、弾が切れたら取り替えるか、別のマガジンを装填して更に追撃してくる。
意味がない。
僕は銃を構える男の一人にズンと迫り、向けられた銃を掴んで――片手で捻り潰した。
「うわぁぁっ!!」
鉄の塊になった銃が足元にボトンと落ちる。今度は別の誰かが僕の背後を狙い、マシンガンをぶっ放った。銃弾は結界に弾かれ、吸収され、全く意味をなさない。
振り返るとそいつは恐ろしさのあまり発狂して、四方八方に銃を乱射し始めた。
「やめろ、犠牲者が出る」
言うのも聞かず引き金を引き続ける男を制止しようと、僕はそいつの真ん前までズンズン迫った。
「来るな! 来るな化け物め!!」
「――うぐっ」
流れ弾が誰かに当たってバタッとぶっ倒れる音、悲鳴、怒号。
「やめろと言った」
誰も僕の声など聞きやしない。
「応戦しろ!! アナベル様をお守りするんだ!!」
それどころか、桟橋から次々に人間が雪崩れ込んできた。
恐怖と怒りの色を滲ませ、力のない人間達が要らぬ勇気を振り絞って僕に襲いかかってくる。
剣を振り、或いは銃で、或いは魔法を伴いながら、人間共は正義の名の下に僕を攻撃し始めた。
戦闘は徐々に激しくなり、壁に被弾して穴が開き、柱が衝撃で激しく揺れた。これ以上戦えば、レグルノーラで一番高いこの塔がバランスを崩してしまうのは時間の問題になる。
暴徒を、止めなければ。
儀式のために築き上げてきたものを、こんなところで台無しにするわけにはいかない。そして、事情の知れない有象無象をアナベルの方に向かわせるわけにはいかなかった。
「邪魔だ……! 消えろ……!!」
我慢ならずに僕は、襲ってくる人間共の頭に手を向けて、ひとつずつ、魔法で弾き飛ばした。
――パンッ!!
破裂音と共に、一人の頭が弾け飛んだ。
「うわあああぁ……ッ!!!!」
バシャッと飛び散る血肉と脳髄に、誰もが恐怖し、動きを止めた。
「逃げろ、やられる!!」
「助けてくれ……!!」
パンッパンッと風船が弾けるような小気味良い音が辺りに響いて、ばったばったと首なしの遺体が床に転がっていく。悲鳴と、血飛沫。未だ生きているヤツがいたら、そいつにも手のひらを向けて頭を弾き飛ばす。
気付けば展望台は血の海だった。
辺り一面美味そうな血の臭いが充満していて、僕は臭いにやられ、自我を失いそうだった。
「……最悪だ。何が、神の子」
一通り殺し終えて外を見ると、空はだいぶ白んでいた。
外には数機のヘリコプターが見えた。
恐らく全世界に中継されていただろう僕の奇行を、誰が世界を救うための動きだと思うだろう。
真っ赤に染まった展望室を見渡しながら、僕はしばらく呆然と、その場に立ち尽くした。
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