3. 塔のてっぺん
恐ろしい言葉を口にした。
言葉には力がある。喋ったら現実になる。僕はもう、引き返せない。
冷徹で凶悪でなければならないのに、胸が苦しくなって、身体が火照った。
「二択……なのか」
ようやくシバが捻り出したのは、短い言葉。
「二択だ。全部捨てるのが無理だと言うなら、僕は今からリサを壊して再び白い竜になる。数日あればこんな小さな世界……、全部、壊せる」
僕はリサの胸に顔を埋めたまま肩を震わせた。
「ど……どうしてそんなに極端なんだ。他に道は」
「道はない。救う必要のない世界は壊すしかない。気が遠くなるくらい昔からずっとずっと、白い竜はそのためだけに生きてたんだ。こんなにボロボロになるまで頑張っても無駄なら……、あとは、跡形もなく壊すしか方法がないじゃないか」
シバは僕が全く道理の通らないことを言い出したと思っているに違いない。
――残念ながら、僕の中ではこれが真理で、これが正解だった。
しばしの静寂。
シバの荒れた息遣い。何度も何かを言いかけ、飲み込んで。右に行ったり左に行ったり、同じ場所をぐるぐるしたり。……相当、困り果てているらしい。
「も、もし……私が拒絶して、それによってお前がレグルノーラを壊したら……そのあとは」
「リアレイトに侵攻する」
シバはピタリと動きを止めた。
「僕は世界を破滅させようとする破壊竜として、ありとあらゆる武器と兵器に晒されるだろうと思う。――それで、構わないよ。どのみち僕は、生きていてはいけない存在なんだし。もう……レグルノーラには、僕を倒す方法は存在しなくなった。リアレイトの兵器でも死なないなら、向こうの世界も全部壊すしかないかも知れない」
「た、大河! それは」
「何もかも壊したくて、仕方ないんだ……。約束が果たせないなら、全部……壊す」
リサを一層強く抱いた。小さな亀裂音が彼女の内側から聞こえてきて、慌てて少しだけ力を抜いた。
彼女はまだ起きない。
「リアレイトには怜依奈もいる。雷斗や薫子、お前を助けようと奮闘する芳野社長も」
「誰だよ、それ」
「……!!」
「タイガの知り合い? ……残念だけど、そういうの、通用しないから」
ゆっくり顔を上げると、シバは燃え盛る森を背景に、困惑と混乱で表情を歪めていた。
苦しそうだ。
汗塗れだし、息をするのも辛そうに見える。
僕の黒い眼球に光る赤い目を見て、シバは昂る感情を抑えきれずに、ウワッと前に倒れ込んだ。
「す、捨てる……!! 捨てるしかない。私の全てを捨てる!! だから……!! だからお願いだ、大河!! リアレイトには、リアレイトには侵攻しないでくれ……!!」
地面に膝を突き、両手と頭を土に擦り付けて、シバは僕に懇願した。
肩と声が情けないくらいにガタガタ震えてる。
そういう謝り方をする文化がリアレイトにあるのは、何となく覚えてる。確か、力の及ばない相手に最大級に誠意を表すとかいう。
「だったら言葉だけじゃなくてさ、ちゃんと全部捨てて来いよ。お前の大事なもの全部捨てて、二度とリアレイトに戻らない覚悟で塔に来い」
「……塔に?」
「儀式は塔のてっぺんで行う必要があるらしい。先に行ってる。別れに準備が必要だろうから、猶予をやる。明日の日没までに来なかったら、全部壊す」
呆けた顔で僕を見上げるシバは、凄く情けなくて……弱そうだ。
絶対的な力の差を、多分感じ取っているのだと思う。
僕はリサを横に抱いたまま、おもむろに立ち上がった。壊れないよう慎重に持ち上げたのに、ひび割れた皮膚がポロポロと崩れていく。
「や、約束を果たしたら――壊すのをやめるのか?」
去ろうとする僕を、シバが呼び止めた。
僕は彼の目を見て、静かに言った。
「約束を果たしたら、消える。この世界に、僕は必要ない」
シバは泣いていた。
僕はそんなシバを無視して、リサを抱えたまま転移魔法で塔に飛んだ。
*
塔の魔女はレグルノーラを見渡せる塔のてっぺんに住んでいて、世の中を全部見渡して、強大な魔力で人々を魔物や白い竜の脅威から守っているらしい。
アナベルは突如現れた僕に驚きを感じつつも、決して拒ばみはしなかった。
「タイガ……?」
返事はしない。
壊れかけのリサをゆっくりと絨毯の上に寝かせてから、僕は立ち上がってアナベルの方を見る。恐怖で怯えた色が彼女の周りを支配していて、それだけで苦しくなる。
「シバが来るまで待たせて欲しい。もうすぐ儀式の条件が揃う」
「きゅ、救世主はリョウという人ではないの?」
僕は首を横に振る。
「違った。あいつは救世主じゃなかった。分離は不可能だった。だから予定を変更して、予備に切り替えた。シバには救世主になって貰う。この世界を救うために、リアレイトと決別させてるところなんだ。もう一匹の白い竜は僕が喰ったから、これで全部揃う」
アナベルの強い魔力に、僕の頭はクラクラした。
よだれが急に溢れてきて、息が荒くなり、炎が口から漏れ出した。
直ぐにでも襲いかかりたくなるのを耐えるのが精一杯。うっかり何かが起きたら直ぐにでも暴れてしまいそうな……破裂寸前の風船みたいな気分だった。
僕からは、おぞましい程強い竜の気配がしているはずだ。
感度の良い人間達は慌てふためき、世界中大騒ぎになっているかも知れない。白い竜が塔の魔女を人質に取ったとでも思うかも知れない。……それでも、良いと思った。
「シバには、明日の日没までに戻れと言った。来なかったら全部壊す。何もかも壊して、この世界を終わらせる」
「そんな……!!」
アナベルは分かりやすく驚き、数歩後退った。
幸い塔の魔女の部屋には、他に誰もいない時間だった。読み物をしていたアナベルが落としたと思われる本が、床に転がっている。
尾をくねらせながら屈み込み、本を拾って差し出すと、彼女は困惑の表情で僕を見上げた。
「タイガ……だよね」
本を胸に当て、アナベルは目を潤ませる。
「世界を救いたいんじゃなかったの……? どうして、壊すなんて」
「約束が果たせたら、壊さずに済むかも知れない。シバが到着次第、儀式を始めたい。確か、呪文を考えて欲しいと頼んだはずだ」
「だ、大丈夫。もう決めてある。――ね、ねぇ、タイガ、一体どうしたの? まるで別人……」
そこまで言って、アナベルはハッと息を呑んだ。
「タイガじゃ……なくなった? タイガは消えたの? 違うよね? 姿は変わっても、君は君のままで」
「リサが砕けそうなんだ。シバが戻るまで修復する」
アナベルを無視して、僕は床に寝かせたリサに視線を落とした。
するとアナベルもようやくリサの存在に気が付いて、慌てたようにリサのそばに駆け寄ってきた。
「り、リサ!! どうしてこんなことに?!」
「僕の力を吸い過ぎた。砕けたら直せなくなる」
「そ、そしたら……ソファに! タイガが出してくれたソファに寝かせて」
「ダメだ。動かしたら砕ける。ここで直す。直したらソファに動かす」
伸ばした手を拒まれると、アナベルはまたビクッと身体を揺らした。
僕は即座にアナベルからリサに視線をずらして片膝を折り、リサのそばに屈み込んだ。
さっきより崩れてる。周囲に細かい竜石の欠片。絶対に壊してはならないのに、僕は、なんてことを。
鱗だらけの手で、僕は彼女の髪を撫でた。綺麗な金髪なのに、触れるとチリチリと崩れだした。
「崩壊が始まってるのか。ダメだ、リサ。困る」
僕の力を制御するためだけに作られた、竜石の娘。
初代塔の魔女と同じ容姿、同じ名前の彼女は、竜石から作られたくせに人間と同じように笑い、悩み、泣いて、年を取る。そういうふうに――あいつが作った。もしかしたら、作ったヤツが死んだから、魔法が薄れてきたのかも知れない。
「ごめん。君がいなければ自分の力も制御出来ないくせに」
リサの真上に覆い被さると、僕の長い白髪に竜石の細かい欠片が絡みついた。
ずっと……頼り切りだった。最初に出会った時から。
――最初? いつだ。思い出せない。
あれは、夕暮れの。……どこだ。
何か大切な物がたくさんあったはずなのに、全部どこかにしまい込んで、どこかに置き去りにした。もう、元に戻す必要はないと思って、二度と取り出せないところに押し込んだんだ。
「好きだ、リサ」
どこから引っ張り出したのか分からない台詞が、不意に僕の口から零れ落ちた。
僕はアナベルが見ているのも構わずに、リサに覆い被さるようにして、ゆっくりとキスをした。
僕の中の知らない誰かが、頭の中でずっと、リサの名を呼び続けていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます