2. 残酷な選択

 巨体を維持出来なくなった。

 感じたことがないくらい、勢いよく体内から力が吸い出されていくのが分かった。

 相変わらず身体の中心部は煮え滾っていて口からは炎が漏れているのに、シバの氷結魔法に太刀打ち出来なくなっていく。

 目線がどんどん低くなり、足元が大きくぐらついた。

 僕の頭のどこかに掴まっているというリサの悲鳴が耳に響いた。それでも彼女は怯まずに、僕の力を吸い取り続ける。


「ガアァアァァアァ……ッ!!!!」


 捻り出すようにして炎を吐き出しても、もはやシバの魔法には敵わない。

 集中的に身体の前方に吹き付ける氷の嵐は、着実に僕の体温を奪っていた。

 炎を諦め、思いっ切り腕を伸ばしてシバを掴み取ろうとするが、巨体ではスピードが追いつかない。直ぐに逃げられる。

 伸ばしていた腕が、瞬く間に縮んでいくのが見えた。


「ちっくしょぉッ!! シバぁああああああ!!!!」


 シバは僕を殺そうとはしていない。僕の動きを止めることに特化した戦法だ。

 市民部隊のヤツらも、能力者の集団も、僕を直ぐに傷付けようとした。だから抵抗した。火器は僕には効かない。僕自身の属性が炎系だからだ。

 けどシバは、シバとリサはそうじゃなかった。

 殺す必要はない、そう知っているからこそこういう動きをしてきたわけで。やられた、完全に、僕の――。


「きゃああっ!! 大河君ッ!!!!」


 身体が宙に放り投げられた。

 僕の身体は随分縮んで、もうリサが僕の角に掴まっていられるような状態じゃなくなった。

 あんなに巨大だった身体がみるみる縮んで、今はもうその辺の竜と同じ。

 燃え盛る森の中に落ちていく。


「クソがぁぁあぁッ!!!!」


 落下速度が速すぎる。

 身体が凍えて、魔法を放つ余裕がない。

 火の粉が舞い、熱風が吹き荒ぶ森に呑まれていく。


「大河君!! 危ない!!!!」


 ――ドガッ!!

 太い木の枝にぶつかって、姿勢を崩した。


「グアアッ!!」


 空中で半回転。

 僕の身体に必死に掴まるリサの身体が、燃えるような赤色に光っているのが見える。

 巨大だった竜の身体が、人間の数倍程度、倍程度、そして半竜の姿に戻って等倍近くまで縮んでいった。彼女はそうやって縮む僕の身体に、絡みつくようにして抱きついている。


「は……なせッ!! 邪魔だぁあぁっ!!!!」

「やだ!! 放さない!! 大河君のこと、もう絶対に放さないから……!!」


 半竜の姿でも、腕や肩、背中にはぎっしりと鋭い角が生えている。彼女の柔らかい肌が傷付き、血が宙に舞う。

 ダメだ、リサ。

 抱き締めてくる腕を引き剥がそうとして、僕はハッとする。真っ赤に光る彼女の腕に、細かい亀裂が見える。竜石が吸い取れる限界を超えるとどうなるか。

 自分一人の力で抑えきれない力を、リサがこうして吸い取って調整してくれていたからこそ、僕は僕で……。


「――あ゙あ゙ッ!! あ……たま、が……!!」


 頭が割れるような痛みが突然僕を襲った。

 彼女は僕の力を抑えるために存在していて、だから僕の人格は維持出来ていて、もし彼女を失えば僕はまた見境無しに人間や竜を。

 手にも足にも力が入らなくなる。

 もうすぐ地面に叩きつけられてしまう。

 もし彼女が僕より先に落ちて、或いは僕の下敷きになったらどうなるか――。


「間に……あえぇぇ…………ッ!!!!」


 空の上から怒号が響いた。

 シバが全力で放った魔法は、周囲の火を一気に消し飛ばした。その上で僕とリサの身体を緑色の光で包み込み――――、


「大河君!!」


 一層強くリサが僕を抱き締めたのは、地面すれすれのところで。

 地面に叩きつけられる寸前に、シバの魔法で僕らは守られていた。

 急激に縮んだ反動で、痙攣しまともに動かない腕と足。冷気を浴びすぎて震えの止まらないまま、仰向けで身動きの取れなくなった僕は、シバが魔法を解除したのと同時に、ドサッと地面に転がり落ちた。

 リサが、僕を胸の上から抱くようにして一緒に倒れ込んでいる。気絶しているのか、反応がない。僅かだが呼吸している、生きている。

 重い……けど、心地悪い重さじゃなかった。寧ろ、丁度良い重さかな、なんて。


「……大河。落ち着いたか」


 全身に力が入らず、真っ赤に燃える空をぼうっと眺めていた僕の視界を、シバが塞いだ。

 シバも僕と同じだ。やっと立ってる。本当は気を失いそうなくらい疲弊してる。空色が……酷く濁ってる。


「僕は……タイガじゃ、ない。ただの、白い竜だ」


 荒く息をしながら、それでも毅然と言い放った。

 なのにシバは全然動じず、だらだらと零れ落ちる汗を腕で拭いながら、地面に横たわる僕を厳しい顔で見下ろした。


「いいや、お前は大河だ。大河として生きてきた過去を捨てて、単なる白い竜になってしまえば、罪悪感も後悔も不要だとでも思ったか。暴れるだけ暴れて、この世界はめちゃくちゃになった。大量の犠牲者が出た。お前、私が止めに来るのを知っていて暴れたな……? 他の人間や竜じゃダメだった。私が止めに来るのを、お前は待っていた」


 空色が、いつにも増して濃い。

 僕の魔力をリサを通して供給されていたとはいえ、だいぶ魔力の底が上がった感じがする。


「……止められないなら、全部、壊そうかと思ったんだ」

「壊したら儀式が出来なくなる。それでもお前は暴れる必要があった。世界を構成する三つ、白い竜と魔女、……そして救世主、全部揃えるために」


 思わず、頬が綻んだ。

 ニヤけた僕を見て、シバは怒りの色を出した。


「それが……白い竜の思考回路か。元に戻れ、大河。お前は人間だ。私の息子だ。世界が敵に回っても、私はお前を救ってやる」

「はは。誰が……人間? 人間は竜にはならない。人間や竜を喰ったりしない。こんな醜い姿を晒してる僕を、人間と同等に扱うな」


 綺麗な顔をしたシバの目が、一層ギロリと僕を睨んだ。


「私は、お前を醜いとは一度も思ったことはない」

「冗談」

「記憶でもなんでも見ればいい。私はお前を息子だと思って見ている。白い竜? だから何だ。人や竜を喰う? だから何だ。お前が好き好んで喰ってる訳じゃないのは分かってる。苦しみ悩み続ける姿を間近で見ていた。来澄が死んだ今、お前を止められるのは私しかいない」


 魔法で吹き飛ばした煙と火が、また戻ってきていた。

 パチパチと火が弾ける音があちこちから聞こえてくる。


「予備。救世主の予備。……あれは、そういう意味か」


 僕は、何も言わなかった。

 リサを抱きかかえるようにしてゆっくり起き上がるが、彼女は全身だらんとして、全く目を覚ます気配がない。

 よく見るとリサは全身、細かい亀裂だらけだった。あの巨体を支えていた竜の力を、彼女はこのか細い身体で必死に吸い取り続けたんだ。ここまでして、彼女は、僕を。


「救世主はとうに居なくなってた。僕が生まれた時にはもう、あいつは救世主じゃなくなってたんだ」

「そう、来澄が言ったのか」

「まぁ……そういうこと。――で、シバは、どうなんだ」

「どう、とは」

「この世界のために大切な物を捨てる覚悟はあるのか聞いてる。僕は、全部捨てた。タイガが誰だか知らないけど、僕はそいつには戻れない。アナベルは元より何も持たざる者だった。そして……無理矢理塔の魔女の役割を押し付けられた。シバはどう? 全部捨ててこの世界を救う気があるのかどうか」


 腕の中で眠るリサに視線を落とし、僕はシバに尋ねた。

 僕の長く白い髪の下で、彼女の金髪を撫でる。ひび割れた頬や腕を撫で、未だほの赤く光る胸の魔法陣に、そっと手を当てた。


「覚悟はある。だが、未だリアレイトに本体を置いている身では、弁明は難しいだろうと思う」


 気の迷いか、シバの声は少し震えた。


「……じゃあさ、捨てて来てよ」


 僕は、とても残酷な現実をシバに突きつけなければならなかった。

 二つの世界で存分に生きてきたシバには、残酷な選択を、迫らなければならなかった。


「リアレイトにあるもの全部捨てて、……僕と、世界を救ってよ。それが出来ないなら、僕は唯一の白い竜ドレグ・ルゴラとして、この世界を全部壊す」


 冷酷に言い放って、僕はリサの胸に顔を埋めた。

 震えが止まらなかった。

 シバは言葉に詰まったまま、しばらくその場に突っ立っていた。

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