12. 復活

 十二本の杭は、大河が力に呑まれないようにするための苦肉の策だった。

 杭に満たされた暗黒魔法は、大河の力を段階的に引き出していく。そして、大河以外の生物に反応し、魔物に変える。

 やたらと杭に触れて欲しくなかった。杭は大河のために用意したもので、他の誰にも近付いて欲しくなかった。だからわざと、そういう魔法を掛けた。

 白い竜の力は決して邪悪ではないはずなのだが――竜化は興奮を伴い、大河を凶暴化させる。徐々に力に慣れさせて、暴走の可能性を小さくしてやりたかった。


 反動である程度眠り続けたとして、目が覚めたあとレグルノーラ中を駆け巡って杭を全部壊すにはそれ相応の時間がかかるはずだ。

 五年はかからないだろうと思う。

 大河の潜在能力の大きさを考えると、恐らく数年は目覚めない。その分を加味したとしても、全てを終えて彼に辿り着くまで三年以上はかかるのではないかと予想した。

 せめて十六、七。その頃になれば体格は大人に近付く。

 きっと、彼を殺せるくらい強くなっているはずだ。


 ――荘厳な大聖堂の祭壇前。久方ぶりに息子を見て、彼はそんなことを考えていた。

 息子は凌にも美桜にも彼にも似ていた。まっすぐに彼を見る目と赤茶のくせっ毛は美桜と同じだった。まるで彼に罪の重さを突き付けてくるかのように、大河は怒りと憤りを向けてくる。

 泣きたいのを我慢した。

 本当は、謝りたかった。

 こんな悲惨な運命しか与えられなかったことを。


『大河、お前は長い眠りに就くだろう。目が覚めたら、世界が違って見えるはずだ。私を本気で倒さなければと、今まで以上に思うはず』


 困惑する大河に、彼は努めて淡々と、感情を押し殺しながら話しているつもりだった。


『何度も言う。白い竜である私を倒せるのは、同じ白い竜であるお前だけ。この言葉の意味をよく考えろ。私は何者か、お前は何者か。次に会うのは、お前が私を倒すときだと、そう、信じている』

『レグル、お前……』


 大河が何かに気が付いた。

 彼は知らない振りをして、大河の顔を押さえつけ、力の解放の準備を始めた。


『本当のことを言えよ、凌!! 悪ぶってないで、本当のことを!!』

『――真実は、大河、お前が探し当てろ』


 やるべきことは全てやった。

 あとは大河の心と、芝山の意思に懸かっている。

 約束ののち、二つの世界を壊すのか、守るのか、分断させるのか、繋げ続けるのか。

 選ぶのは大河、お前だ。

 どうか、今度こそ約束を――……。





















 透き通るような血色の瞳が、僕を直視した。

 彼の目線から逃れることを許されないまま、僕は記憶の渦からどうにか生還していた。

 自分の額を無理矢理僕の額にくっ付けて、彼は僕の顔を両手で挟んでいる。凄まじい力て押さえ付けられ、僕は一切の身動きが取れなかった。


「う……ググ……」


 流れ込んできた記憶があまりに鮮烈で、僕の頭はぐちゃぐちゃだった。

 何かが僕の中で蠢き始める感覚に、吐き気を催した。

 歯を食い縛って必死に耐える。

 たとえようのない感情の波が僕に押し寄せて、不自然に頬が引き攣った。

 神殿地下、薄暗闇の中、目を潤ませた白い髪の男がずっと泣きそうな目で僕を見ていた。


「大河、俺を殺せ。俺は待った。お前は自分の心を壊してまで、必死にここまで辿り着いた。……表で芝山が待ってる。俺を殺して唯一の白い竜となって、この不条理な世界を変えてくれ」


 当然、殺すつもりだった。

 けれどこれは、想定した未来じゃなかった。

 手が震えた。震える手で、僕は彼の腕を引き剥がそうとした。けれど手首に触れるのが精一杯で、それ以上どうにも出来なかった。


「ぼ……僕が、タイガだとして……どうして僕に、過去を見せた。殺して欲しいなら、勝手に死ねば良かったんだ。僕を巻き込むな。僕は……無防備な竜を殺すような卑怯者には、なりたくない……!!」


 怒りと共に力を爆発させると、彼は僕の頭部から手を離し――そのまま僕を、ギュッと抱き締めた。


「やめろ!! 何すんだ?!」

「――死ぬ前に、大河を抱き締めたいと凌が言った。私には、こんなことくらいしかしてやれない。千年の孤独を生きた私を、凌は赦した。哲弥に伝えて欲しい。凌は最期まで世界を救いたがっていたと」

「放せ!! ……っくしょうめがっ!!」


 僕を抱き締める彼の力がどんどん強くなっていく。

 足を踏ん張り必死に抵抗しようとしても、彼は僕をなかなか放そうとしなかった。


「大河、あとは頼む」


 何らかの魔法を、彼は僕に。


「意味が、分かんねぇ!! クソッ!! 頭がっ、割れ…………」


 ――ドンッと、全身が内側から強く揺さぶられた。

 押し込めていた何かが彼の魔法によって刺激され、大きくなっていくのが分かる。


「ぐぁっ!! あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁ…………」


 僕の形が変わってゆく。

 ダメだ、竜になれば理性が飛ぶ。この状態でさえ、自分が誰だか分からなくなってるのに。

 頭を抑えて身体を左右に大きく揺らすと、彼は手を離し、安心したように静かに笑った。

 地下空間がガタガタと激しく揺れ始めた。

 僕の身体の奥底から、最後の最後まで押し込めていた何かが這い出してくる。


「や、やめろ……出て、くるなあっ……!!」


 動悸が止まらない。変な汗と汁がだらだらと零れ落ちて、僕の足元を濡らしていく。

 身体はどんどんデカくなった。

 手足も、皮膚も、骨格も、僕の人格さえどんどん変えていってしまう。

 肥大化した竜の身体は、やがて地下空間を壊し始めた。床がバキバキと割れて、深く沈んだ。天井が崩れだした。壁も、彫刻も、何もかもが崩れていく。


「がああぁあぁあぁぁ…………ッ!!!!」


 丸めた背中が天井を突き破った。

 更に肥大化を続ける身体が、竜石で出来た神殿内部のあらゆるものを壊していく。

 狭い空間に挟まれて身動きが取れなくなった僕の懐に、蹲る白い髪の男が見える。



 ――殺さなきゃ。

 こいつを、今すぐ殺さなきゃ。



 頭がぐらんぐらんした。

 もっと優先して考えるべきことがたくさんあるはずなのに、何故かしらその言葉が僕の頭を占拠した。

 崩れる神殿に張り巡らされていた結界は、既に効果がなくなっている。

 危険を承知で地下に侵入し始める人間共の気配を近くに感じる。


「死゙ぃ゛……ね゙ぇ゙……」


 捻り出すように零したそれは、もう僕の知る僕の声ではなかった。

 鱗に覆われた白い竜の手で、僕は白い髪の男を鷲掴みにした。






 ――ぐちゃり。






 彼は一切の抵抗をしなかった。

 白い竜になった僕は彼を噛み砕き、咀嚼し、ゴクリとしっかり飲み込んだ。

 今まで生きてきた中で、一番美味くて、刺激的な味がした。

 興奮が……止まらなかった。

 満たされたような気分だった。とうとう僕がレグルノーラで唯一の白い竜になれたという感動に酔いしれていた。

 天井を突き破り、白い竜の巨体は一気に地面を割って地上に這い出した。


「し、白い竜……!!」

「逃げろ!! ドレグ・ルゴラが復活した……!!!!」


 逃げずに待機していた人間共が、ギャアギャアと騒ぎ立てた。

 僕の身体は更に巨大化していった。

 メキメキと木々が倒れた。僕の口からはずっと炎が漏れていて、それが瓦礫や木に引火する。鳥が、竜が、動物達が、恐れをなして逃げていく。


「グオオオォォォ…………!!!!」


 空に向かって、僕は力の限り咆哮した。

 その叫びは森全体を震わせた。

 眼下に広がるこの森に生きる全てのものを、僕は恐怖に陥れていた。


「ドレグ・ルゴラ……? 私の知るドレグ・ルゴラとは形が……」


 誰かの声が疑問を呈した。


「シバもそう思う? オレも」

「ノエルも同じ意見か。気配はあの日のドレグ・ルゴラによく似ている。けれどこれはあいつじゃない。恐らくは……」

「タイガか。じゃあレグルは? 神殿内部に居たはずのレグルはどうなった……?!」


 人間共は結界や防御力増強の魔法で身を守り、徐々に僕を攻撃し始めた。

 たいした魔法じゃない。魔法は全部鱗に当たって弾け、全く僕には到達しない。


「分からない。分からないが……アレは大河で、レグルは……来澄は、やられてしまったんだと思う。白い竜の口元が、血で汚れている。喰ったのかも知れない。……分からない」


 逃げ惑う人間共に炎を浴びせ、手当たり次第掴まえては口に放った。

 そう――白い竜は人間を喰う。竜さえ喰ってしまう。

 遂にレグルノーラで唯一の白い竜になった僕は、本能の赴くままに破壊行動を始めた。


「多分、大河はドレグ・ルゴラになった。この世界を全部壊そうとしている可能性がある。私が……止めるしかない」


 聞いたことのある誰かの声が自分を鼓舞するようにそう言うのが、僅かに僕の耳に届いていた。

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