11. 真意

 干渉能力を発現させた雷斗を神の子と勘違いした者達が騒ぎを起こした。――神の子騒動の本質はその程度のものだった。

 騒ぎは直ぐに沈静化し、何事もなく終わりを迎える……はずだった。

 雷斗と大河が同じ町に住んでいたことを、勿論彼は知っていた。だが、学区も違う。哲弥と怜依奈が必死に雷斗の住む地区を避けていたこともあり、接触の機会は殆どなかった。

 ……恐らくは、雷斗を追ってリアレイトにやってきたレグルノーラの干渉者の誰かが、きっと見つけてしまったのだ。雷斗とは別の、正に神の子であるだろうと推測される程強い気配を。


『完成を急がなければ……』


 哲弥の結界魔法が大河の行動範囲の殆どに張り巡らされていることもあって、これまで大河本人までレグルノーラの干渉者達が辿り着くことはなかったのだが、例えば哲弥が予測したのとは別の場所に大河が立ち寄るなどした場合、その独特の気配から位置が特定されてしまう恐れがあった。

 魔力も竜の力も封印しているはずなのに、それでも大河は紛れもなく神の子特有の竜とも人間ともつかぬ気配を漂わせていた。そのことに……本人も、共に暮らす哲弥も気付いていない。

 彼は作業の手を止めずに、ただ一心不乱に竜石を彫り進めた。

 それはやがて人の形になり、美しい少女の姿になっていった。


『凄い……!! 本物の人間みたいだ』


 樺色の鱗をした雄竜と紅樺色の鱗をした雌竜が、作業をする彼の手元を覗き込む。

 作業台の上、竜石を彫って作られた少女の像は、松明に照らされ様々な色に煌めいていた。


『これから、人間になるんだ。このは』


 彼は言いながら少女像の顔をゆっくりと撫でた。

 長く孤独な作業をそばで見守り続けていたグロリア・グレイは、ようやく完成にこぎつけたことを、共に喜んだ。


『命を、吹き込むのか。……うぬの神の如き力で』

『元々白い竜に……かつてドレグ・ルゴラと呼ばれていた竜に備わっていた力。救世主との同化によって引き出されたものではない』

『彼奴も最初から邪悪な訳ではなかったからな。我々森の竜達がかの竜を追い詰め、邪悪にしたのだろう。――やはり、あの恥ずかしがり屋の白い竜は、本当に神の化身だったのかも知れぬな』


 どうなのだと、グレイは彼に目配せした。

 彼は何も言わなかった。

 少女像の頭を撫で、腕を擦って、彼はゆっくりと呪文を唱えた。もう誰も知ることがなくなった古い言葉で。

 濃い緑色と銀色の光の粒が、少女の像を優しく包み込んでゆく。単なる彫刻に過ぎなかった竜石の少女像に命が吹き込まれていくのを、彼は静かに見守った。

 長く伸びた柔らかな髪は黄金色で、肌は白く透き通るようだった。生気が宿り、血が通う。そうして竜石の像は、シンプルな白のワンピースを身に付けた美しい少女へと姿を変えたのだ。


『……リサ、起きて。君の名はリサだ』


 彼が名を呼ぶと、リサは長いまつげをピクリと動かし、そうっと目を開けた。

 翠色の目に光が入る。柔らかで清楚な唇が小さく動く。


『創造主様……』


 ずっとずっと長い間、彼の心の中にいた少女と同じ顔をしたリサは、彼を見上げて静かに口角を上げた。

 彼はそっとリサの手を取り、彼女の手の甲に自分の頬を当てて言うのだった。


『リサ。私の代わりに大河を助けてやってくれ。そしてどうか、君と同じ顔をした塔の魔女の願いを、一緒に叶えてやって欲しい』


 竜石の娘リサは、彼によって与えられた知識と魔力を駆使して、大河の力を抑え込むという使命を持たされた。見た目は普通の人間と変わらないが、竜石と同じ性質を持つ。竜の力を溜め込んだり、或いは放出したり出来るのだ。


『息子が竜石を持ち運べないならば、命を吹き込んでそばに仕えさせると。なるほど、考えたものだな』


 グロリア・グレイは感心したように何度も頷いた。


『塔の魔女は記憶を引き継ぐという。ディアナの所へ向かわせれば、自ずと私の言いたいことが伝わるのではないかと思う』











 以降、グレイの元に彼が訪れることはなかった。











 やがて、リサは大河と出会う。

 多少の想定外を繰り返しながらも、彼の描いたシナリオ通りに事は運んでいく。

 彼が掛けた魔法は徐々に効果を失い、代わりに大河の力はどんどん大きくなっていった。

 周回遅れながらもリサと合流したことで、大河はレグルノーラの存在を知り、自らの運命を知った。

 それは真実ではなくて、あくまで彼が息子のために用意したシナリオだったことを世界は知らない。


『大河……強くなれ、大河。強くなって、私を倒しに来い。唯一の白い竜として、約束を果たすために――』


 彼はずっと、ニグ・ドラコの森の奥深くにある神殿の地下から大河を見守り続けた。











 大河が湖を通ってレグルノーラに本体ごと飛び込んで来てから先は、完全なる悪を演じることに徹した。

 心が抉られても、抱き締めたいくらい愛おしくなっても、必死に悪を演じ――復活の兆しを見せるドレグ・ルゴラを人間達に印象づけた。


『苦しくないか、凌』

『大丈夫、我慢出来るさ。ゼンの苦しみに比べればこんなもの』


 彼は泥人形を使い、黒くなった湖の水を用いて黒い水中毒症を蔓延させた。闇の魔法で人間の心を惑わし、魔物を都市部に放った。

 ドレグ・ルゴラは凶悪で狡猾な破壊竜でなければならなかった。

 人々の暮らしを脅かし、恐怖を植え付けなければならなかった。

 大河が彼の危険さを痛感する度に、彼は歓喜した。

 憎んで欲しかった。

 その大き過ぎる罪ごと、完膚なきまでに叩き潰されたかった。











 十年間、大河は哲弥の元でかなり大切に育てられたようだ。

 哲弥の教育は行き届いていて、しっかり善悪の区別が付き、常識的で、利己的な少年に育っていた。

 ――しかし、戸惑い悩みながらも、大河は決して同じ白い竜であるドレグ・ルゴラを憎んではくれなかった。


『良くない兆候だ』


 大河にとって、彼は絶対に倒さなければならない敵であらねばならないのに。

 同様に、哲弥もまだ彼を信じている。

 このままでは、何も変わらない。


『……大河が能動的に動き回り、私を確実に殺しにくる方法を考えなければ。そうして、芝山にも世界を救わねばという強い意志を持ってもらわなければならない。――作戦を変えるか。遠回しはもうやめだ。直接私が大河に恐怖を与えるほかない。その上で封じていた大河の力を解放すれば、或いは……』


 白い竜の力は強大で、きっと今の大河には耐えられない。封じていてもなお、大河の魔力と気配は増大していくばかりだった。

 本来の力を目覚めさせれば、白い竜としての使命に気が付き、大河は彼を殺しにくるかも知れない。しかし、十三歳の未熟な身体には負担が大き過ぎる。あと何年か、大河の身体が力に追い付くまで……成長を待ちたい気持ちもあった。


『凌の意識が持っている間に終わらせたい。あと五年……大河が十八になるまでならどうだろう。そのくらい大きくなれば、白い竜の力に耐えられるようになっているだろうか』


 彼は必死に思いを巡らせた。

 どうにかして自分に殺意を向けさせたい。

 何の躊躇いもなく、苦しみも後悔もなく、大河が唯一の白い竜となるために。











 その夜、大聖堂付近に大河の気配を感じ、彼は久方ぶりに礼拝に向かった。

 古代神レグルは広い心の持ち主で、自分の存在と罪に押し潰されそうな彼さえ温かく迎え入れてくれる。

 深夜の大聖堂にひと気はない。彼は一歩一歩踏みしめるように、祭壇の前まで歩いて行った。

 祭壇には自分と同じ姿をした雄神の像が建っている。


『今からこの世界を壊す準備を始めることを、どうかお許しください』


 彼は神の像に両手を伸ばし、許しを請うた。

 答えなど聞こえてくるはずもない。

 彼はそれでも、古代神の像に語り続けた。


『大河の力と記憶を解放すれば、必ず反動が来る。凌は半月以上、芝山は三日。大河はもっと長いはず。目が覚めたあと強制的に私を倒したくなるよう、道筋を作りたい。そうして遅くとも大河が十八になるかならないかの時までには、全てを終わらせたい』


 彼の声は静かな大聖堂によく響いた。


『恐らくもう、誤魔化しは通じない。本気でこの世界を壊そうとしなければ、大河も芝山も目覚めない。この世界の贄はどうか……私で、最後にして欲しい』


 心を無にして、彼は祈った。

 

『大河の力は段階的に解放されるべきだ。一度に解放したら、恐らく私にも止められない。 私の真意は見えないようにしなければならない。大河こそが破壊竜になるかも知れない竜なのだということも、人間達に知られる訳にはいかないのだ。ドレグ・ルゴラと呼ばれた私こそが真に恐ろしく、凶暴で、全ての罪を被るべきだ。大河を破壊竜にしてはならない。ドレグ・ルゴラの称号は、悪しきものであってはいけない……』


 古代神像を取り囲むように配置された四体の守護竜の像に、彼はゆっくりと目を向けた。

 古代神レグルと共に慕われてきた守護竜達は、彼の独白を静かに見守っている。


『芝山、お前が大河を止めろ。少しずつ解放されていく力で、大河が狂ってしまわないよう、必死に止めてくれ。そうして大河が私を殺したあとで、どうにか……約束を』


 教会敷地内の建物の中で、大河が動き始めたのを、彼は感じとっていた。

 彼は、独白をやめた。

 遠くで竜のような人間のような気配が揺らぐのを感じながら、彼は古代神像に最後の祈りを捧げた。

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