9. シナリオ通りに

 朝と晩、大河に毎日魔法を掛けるようになってから、極端に干渉出来る時間が減ったことに、彼は気付いていた。

 大河の力は想定していたよりも強く、弱い魔法だと効果がない。魔法と一緒に約束も欠かさずするようにした。リアレイトでは竜にはならないという約束だ。


『養子の話、進めるからな』

『そうだね。――凌の時間も、どんどん減ってるみたいだし。私一人じゃどうにもならないもの』


 美桜は反対しなかった。

 ここ数ヶ月で様々なことが立て続けに起きて、頭の整理が追いついていない様子だった。

 レグルノーラでは神の子の存在を巡って連日暴動が起きていた。教会側も慌ただしく動き、神教騎士団が神の子狩りに本格的に乗り出すという噂話さえ流れている。

 干渉さえしなければレグルノーラでの危険は回避出来るが、向こう側にも干渉者がいると知らされ、大河の存在を隠し続けるのに必死だった。


『何もかも、変な方向に進んでく。どうなるのかな、私達……』


 大河を愛おしそうに抱き締める美桜を、彼は静かに見つめていた。











 ――全ては、シナリオ通りに。

 哲弥に守らせるため、大河を養子に出すことになった。

 レグルの身体の中で、ドレグ・ルゴラが優位にあると周囲に思い込ませた。

 いずれレグル自身がドレグ・ルゴラに呑まれ、再び破壊竜として世界を壊すかも知れないという恐怖を植え付けることにも成功した。

 神の子はドレグ・ルゴラに対して有効な対抗手段であると周囲に刷り込んだ。

 ……これで、ドレグ・ルゴラの血を引く白い竜である神の子を、何人たりともおいそれと殺せなくなる。

 全ての悪意は彼に向く。

 約束を果たすためなら、悪魔に魂だって売る。

 真の平和はきっと、約束を果たしたその先にあるのだと……信じて。











『幽閉……? 何で来澄が!!』

『危険だからだよ』


 干渉出来る時間が極端に短くなり、彼は遂に仕事を辞めた。大河とすんなり離れられるように、足繁く芝山家に通い、大河を哲弥と怜依奈に会わせる日々。

 美桜と怜依奈が話をしている間に、彼は哲弥と今後のことを話し込む。


『危険なわけないだろ。神の化身だぞ?』

『ドレグ・ルゴラでもある。俺が封じているからどうにかなってはいるけれど、ゼンの凶悪さは知られてるからな。怖いんだよ、何が起きるか分かんねぇ、未知の殺戮兵器みたいに見えるのかも』


 嘘をつく度チクチクと胸が痛むのを悟られないように、彼は哲弥にそう話した。


『養子縁組の手続きが終わるまで、幽閉を待って貰ってる。それまでの間に、大河をどうするか考えないと。……多分、普通の魔法じゃもう封じられない状態なんだよ、大河の力は』


 庭で楽しく駆け回る大河と、その相手をする美桜と怜依奈の姿を窓越しに眺めながら、リビングで男二人、難しい顔をする。


『あいつは白い竜なんだ。竜の子だけど……人間だ。人間として、育ててやってくれないか』

『まさか。竜に変化へんげするのか?』

『リアレイトでは竜になるなと教えた。大河は賢い。話をすればちゃんと分かる。けれど未だ三つだ。これからもっと強くなっていくはずだ』

『そんな状態で私達に大河を預ける気か? 無責任にも程が』


『俺が、大河の力を封じる。本人が自分の正体と力を受け止められるくらい大きくなるまでずっと効果が続くような、超強力な魔法を掛けることになる。魔法や竜の力どころか、記憶も封じてしまうことになるはずだ。芝山には、何もかも忘れて真っさらになった大河と――最初から親子だったみたいに、接して欲しいんだ』


 哲弥は頭を抱えて黙りこくった。

 彼は淡々と、なるべく感情を乗せずに話を続けた。


『幽閉されたら、もうお前とも会えなくなる。お前が大河の父親として、大河を守れ。そして俺がもし、ドレグ・ルゴラとして復活するようなことがあったら……、俺を倒せるのは恐らく、俺と同じ白い竜である大河だけだ。そうなってしまったら、情けとか容赦とか、そんなものは一切考えずに、大河と一緒に躊躇なく――俺を殺せ。……いいな』


 哲弥は納得しなかった。

 絶対に嫌だと、何度も頭を横に振っていた。











 養子縁組が成立し、力と記憶を封じた大河を芝山家へと引渡した。

 これまで使ったことのないくらい強力な魔法を使ったせいで、リアレイトで自らの身体を具現化出来る時間が極端に短くなる。一時間程度の干渉で、息が切れる。

 封印魔法は完璧ではない。大河の成長と共に徐々に封印が解けてしまうはずだ。

 大河は、増大する力を制御するのに苦しむだろう。身に余る力を持ち、暴走させてしまえば、彼を殺す前に大河が破壊竜になる。それだけは避けたかった。

 封印が効いている間に、対処方法を練らないと。


『ねぇ、凌。話があるんだけど』


 美桜が思い詰めたような顔で彼に声を掛けたのは、そんな時だった。


『とっても大事な話。誰にも聞かれたくない。……レグルノーラが良いかな。ひと気のない場所で、うっかりでも誰かに話を聞かれるようなことがないような所』


 生気を失った美桜の視線に、彼は全てを悟った。


『……分かった。湖はどうだ? あそこに行ったことのあるやつは限られてる。あんなところ、好き好んで行くやつは居ないだろうし』

『良いね。そうしよう』

『少しだけ……時間をくれないか。うちの親と最後の別れ、しておきたい。……我が儘で、ごめん』

『うん。ちゃんとお別れ……、してきてね』


 美桜とはもう、視線が合わなくなっていた。












 レグルノーラとリアレイトの間にあるという湖。かつて魔法で浄化したはずの湖は、既に真っ黒く汚れている。

 生臭さと生温さの漂う湖の上に見えない床を張って、美桜は彼を待っていた。


『本当にここで良かったのか?』

『あなたが誰だか分からないから……提案に乗ったの』


 傾いた日が薄く広がる雲を橙色に染めるなか、美桜の目は虚ろだった。

 大河が居なくなって以降、美桜は抜け殻のようになって、一日の殆どをぼうっと過ごしていた。

 少し前までレグルノーラに干渉して敵対勢力を排除したり、塔でローラと情報交換をしたりと、まるで寂しさを紛らわすように動き回っていたのに。


『養子に出すって言われた時に、気付けば良かった。ううん、もっと前から気付いていればこんなことにはならなかった。……あなたは、誰? 凌を返して』


 彼は普段通りレグルの姿でそこにいた。

 白い髪をなびかせ、真っ赤な目で無表情に美桜を見つめていたが、きっと彼女の欲するものはそれではないと思って、彼はゆっくりと姿を――凌に変えた。


『俺はここに居る。ずっとお前のそばに』


 疑われていたのは知っていた。

 それでも全部ドレグ・ルゴラの、ゼンの仕業だとしらばっくれていた。

 ずっと好きだった彼女を裏切るようなことばかり続けて、彼女を精神的に追い詰めた。終いにはたった一人の息子まで奪ってしまった。

 全ては約束を果たすためだとここで彼女に伝えたところで、どれだけ理解して貰えるだろう。


『これ以上凌のフリをするのはやめて!! 凌はそんな冷たい顔はしなかった。……どうして同化なんかしちゃったの? お願い、凌を返して……!!!!』


 泣き叫ぶ美桜を見ても、彼は表情を変えなかった。

 悲しませるのを知っていて、わざと彼女に全部隠した。

 どのみち、次の白い竜を産ませるために生かされていたのだと知ったら、彼女はもっと傷付くだろう。

 可哀想に。白い竜に生まれたばっかりに、美桜は悲しい運命を辿ることになった。


『凌は俺だ。ずっとお前を見ていた。好きだ。愛してる』


 どんな言葉を並べても彼女はもう、彼の言葉は信じないだろう。

 感情の籠もらない愛の言葉を彼女は拒み、怒り狂った。


『ローラに聞いたわ。白い竜を倒せるのは、白い竜だけなんでしょ……? 私も白い竜だよ……? 大河にやらせるわけにはいかないじゃない。大河を巻き込むわけにはいかないじゃない。幽閉なんて……許さない。古代神教会があなたを幽閉する前に、私が……あなたを殺せば良いのよね? そうしたら大河はあなたと戦わなくて済む』


『美桜、無駄だ。お前に俺は殺せない』

『芝山君に大河を預けるのを了承したのはね、私に何かあっても、芝山君と怜依奈が大河を守ってくれるなら大丈夫って思ったからよ』

『美桜、無駄な戦いはしたくない。やめろ』


 嵐が吹き荒れ、波が立った。

 美桜は白く巨大な竜となって、彼の前に立ち塞がった。


『美桜、ごめん。愛してるんだ、本当に』


 彼女を殺すことは、随分前から決まっていた。

 約束の条件を満たすためには、そうするしかなかったのだ。

 普通の幸せを望んでいたことも、彼女との日々も思い出も、何もかもが本当だったのに、自ら全部壊す道を選んでしまった。


 一瞬で終わらせようと思った。

 せめて、苦しむのは一瞬の方がいい。


 彼は彼女をも上回る巨大な白い竜となって、彼女の喉を思い切り食い千切った。

 断末魔の悲鳴が、湖の上に響き渡った。

 白い鱗がどんどん赤く染まってゆくのも構わずに、事切れた彼女の肉を、彼は無心で貪り喰った。

 絶対にこの罪を忘れないと……胸に深く、深く刻み込むように。

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