8. 大河

 自分の子の性別が男だと知って、彼は心底安堵した。これで白い髪の男が用意出来ると思ったからだ。

 けれど生まれてみると、髪は赤茶で目は青みがかった灰色。美桜と……同じだった。

 肩透かしを食らった。欲しいのは、白髪赤目の男子。当てが外れた。今のところ、竜らしき気配も殆どしない。若干は……普通の人間と違うものを感じるが。


『レグルに似るのかと思ったのに』


 産院の病室、赤子を抱く美桜の隣で、彼は何気なくそう零した。


『潜性なんじゃないの、アルビノって』

『なるほど。そういうことか。……ってか、ちゃんと人間の姿で産まれてくるんだな』

『私も半竜だけど、竜になったの高校に入ってからだったし。大体、自分に竜の血が流れてるの知ったの、凌と会ってからじゃない』

『そっか。そんなもんか』

『うん。そんなもんよ』


 産まれたばかりの我が子は確かに可愛くて、彼は何度も頭を撫でた。柔らかい皮膚と髪。無垢な寝顔に、自然と頬が緩む。


『名前、決まった?』

『“大河”。――二つの世界の色んな想いがさ、次第に集まって大きな川の流れになって、こいつの人生を彩ってくれたら。大きな川の河口付近には大抵大きな町があるだろ。川の恵みが土を肥やすんだよ。そういうふうにさ、人生が豊かでありますように……って』

『良いね、大河。君の名前、大河だって』


 美桜は見たことがないくらい綺麗な顔をして、小さな大河の頬にキスをした。


『大河が大きくなるまで、一緒に居られたら良いのにね』

『そうだな。頑張んなくちゃな』


 絶対に続かない幸せだと知っていて、二人は小さくため息をついた。











 大河が普通の子どもではないと気が付いたのは、生後一年以上経ってからだった。


『凌! ちょっと来て!』


 出勤前、バタバタと身支度をしていた彼を、美桜が呼んだ。

 普段とは違う声色に、嫌な予感がした。大急ぎでリビングダイニングへと向かうと、美桜が真っ青な顔でこちらを見ている。


『急いで。大河が!』

『大河がどうしたって』


 美桜の後ろから小さな大河を覗き込む。

 ダイニングテーブルの小さな椅子に腰掛けた大河の手に……白い鱗が浮かんでいる。


『……竜化が始まってる』


 手には鋭い爪が生え、髪の毛も一部が白く変わっていた。


『嘘だろ。美桜は確か高校の時にって……』

『そ、そうなの。それにあの時は、確かドレグ・ルゴラに変な魔法を掛けられて覚醒したはず』

『美桜、何かした?』

『してないよ。朝の忙しい時間にするわけない。離乳食あげてたくらいで』


 いつも通りの無垢な顔で、大河は彼を見上げている。

 違うのは見た目だけではなくて、……力も。強い竜の気配がする。


『竜の血が、濃すぎたのか』

『そうかも』

『美桜、戻す方法、分かるか?』

『た、多分。落ち着かせれば良いはず』


 椅子から抱き上げ、美桜はギュッと大河を抱いた。

 しばらくすると竜化は収まり、いつもの大河に戻ってゆく。

 彼はそれを、呆然と見つめるしか出来なかった。











 成長するに従い、大河は普通ではなくなっていった。

 興奮すると、竜化する。肌の一部、髪の毛の変化が顕著で、時には背中に羽らしきものが隆起したり、牙が生えたりすることもあった。


『言葉もまともに喋れねぇうちからこれはやべぇな……。外で変化へんげしなきゃ良いけど』

『そうなんだよね……。この前、公園で泣かれた時にはゾッとしたもん。お外に出る時は帽子と長袖欠かせないの、可哀想。夏だと特に厳しいかも』


 竜化が早く解けるように、美桜は様々な方法を模索していた。しかしそれも、毎回成功するとは限らない。家の中では、泣き疲れて落ち着いたら人間に戻っている……ということがままあった。


『凌の力でどうにかならない? 神様みたいな力、持ってるんでしょ?』

『……直ぐにどうこうは難しいけど、ちょっと……考えてみるよ』


 大河は間違いなく白い竜だった。

 ただ……儀式に必要な白い髪の男なのかは不明のまま。

 髪の毛の変化は常に確認しているが、目の色の変化はまだ確認していない。美桜にも訊ねたが、赤目になるようなことはなかったという。

 ハッキリ分かるまでは何とも言えないが……準備は進めておいた方が良さそうだ。











 信じられないことが次々に起きた。

 与えた覚えのないものを、大河が握っていることがあった。


『こんなおもちゃ、買った覚えないけど』


 付けっぱなしのテレビを見ると、同じおもちゃが画面に映っている。


『こいつ、具現化魔法も使えるのか』

『そうなの。だからおちおちテレビも付けておけなくて。雑誌やチラシを見て具現化させたこともあるんだよ。どうしよう、善悪の区別も付かないうちからこんなこと』

『……だよな』


 凄まじい力……という程のものは感じないが、明らかに普通ではないと分かる。

 救世主と破壊竜、相反する二つの血を引いた大河には、恐らく未知の力が宿っているのだろうとは思っていたが、それにしても想定外だった。


『力……封じるしかないかも知れないな。今のところは竜化と具現化魔法だけ?』

『今のところはね。魔法をひょいひょい使い始めたら、マズいかも』

『だな。――毎日朝晩、大河に封印魔法を掛けてみるか。大河の身体に負担掛けない程度の魔法なら……』











 レグルノーラに大河が現れたのは、それから程なくした晴れた日のこと。

 白い竜の尾に何かが抱きついてきて、慌てて視線を落とすと、大河がいたのだ。


『大河。お前干渉も出来るのか』


 小さな大河を尾で巻き取って引き寄せる。

 リアレイトとは全く違う見た目をしているのに、大河は彼を父だと分かっていて、キャッキャと嬉しそうに声を上げた。


『私より、強くなるのだろうな』


 彼は右腕で大河を抱き直して、ゆっくりと窓の方へと足を向けた。

 そこは、レグルノーラを全て見渡せる塔の最上階。レグルに宛がわれた執務室は、一面窓ガラスの開放的な空間で、彼はそこからレグルノーラの街を見下ろすのが好きだった。


『大河も見るか』


 ガラスの向こうに広がる街を、二人で見る。

 眼下に広がる都市、森、砂漠。

 どのビルよりも高い位置にある塔の一室からは、遠くの景色が良く見えた。


『あ! みて! りょう、みて!』


 視線の先に、市民部隊の翼竜が数匹飛ぶのが見えた。

 定期的に竜騎兵達が翼竜の背に乗り、空から警邏しているのだ。

 翼竜の飛ぶ美しい姿を間近で見られるとあって、階下にある展望台には観光客も多く訪れるという。竜騎兵が観光客に向かって手を振るのも、見所の一つ。

 銀ジャケットの竜騎兵の一人が、彼と大河に気が付いて大きく手を振ってきた。大河は酷く興奮し、腕の中で必死に手を振り返している。


『きもちよさそう』


 たどたどしく大河は言う。


『気持ちいいさ。大河も竜になって飛んだら、きっと気持ちいい』

『あのね、りょう。ぼくも、りゅうになるよ』


 大河はつぶらな瞳を彼に向けてくる。


『竜に?』

『うん。みてみて!』


 えいっと大河は両手を突き上げて、彼の腕の中で少し踏ん張った。

 次第に大河の髪は白くなり、鱗が浮き出て角が生えた。身体の形が、どんどん変わっていく。青みがかっていた目は、まるでルビーのように赤く変わり、光を宿し始めた。


『う……ううぅ……』


 目を閉じ更に踏ん張ると、今度は羽が生え、尾が生えた。

 腕の中に居たのは小さな小さな……白い竜だった。


『ほら! りゅうだ! ぼく、りゅうだ!』


 白い幼竜は、彼の腕をスルリと抜けて床に降り、執務机の周りを駆け回った。


『大河、落ち着きなさい』

『りょうとおんなじ! おんなじ!』


 白い竜のまま、大河はあちこち跳ねて歩いた。

 興奮して、どんどん楽しくなって……バタバタと小さな羽を動かし、少しだけ宙に浮く。

 いつか――幼かった時分、他の幼竜達と同じように森中を駆け回れたらと思っていたことを、彼は唐突に思い出した。全てを否定されてきた悲しい白い竜の記憶――……。


『大河、そろそろ人間に戻りなさい』


 飛び回る白い幼竜をひょいと掴まえて、彼は言った。


『私とお前だけの秘密だ、竜になれるのは。いいな』

『いいよ。ゆびきりげんまんしよ』


 彼の言葉を素直に聞き入れて、大河はサッと人間の姿に戻った。

 大河を床にゆっくり降ろして、彼は息子と目線を合わせる。

 二人で小指を絡めた。

 それからギュッと、息子を抱き締めた。

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