6. 解決策

 様々な方面から取り入れた知識を総合し、解決策を練る。

 勉強机の上に大量のメモとノートを並べ、彼は一人唸っていた。

 来澄凌としてリアレイトに干渉している間は、自由に思考出来る。レグルの身体のままでは、凌とゼン、そしてレグルの意識が混在して考えが纏まりにくいからだ。


『救世主は……やっぱり、芝山が適任だろうな。他に見つかれば良いけど、多分無理。問題は、人間の寿命と活動限界。確か、普通の人間は徐々に干渉能力を失う。全部揃うまで長くかかり過ぎると、芝山がジジイになる。それじゃ意味がない』


 鉛筆で、“芝山”の字をぐるぐる囲む。“何歳までならOK?”と、書き添えて、彼は手を止めた。


『あとは……俺。ゼンを切り離すのはもう、無理だ。そういう同化の仕方じゃない。蝶の蛹の中みたいに二つが溶けて再構築されたのを、分離なんて出来るわけがないんだ。次の……白い竜を用意した方が良いのは間違いないんだけど』


 ノートの真ん中に“俺”“美桜”、二つの名前を線で繋ぎ、中央から下に線を引く。“新たな白い竜”――自分で書いた文字に、彼はじっと目を落とした。


『美桜に……産ませる』


 次の白い竜は、美桜に産ませるしかない。仮に美桜以外の誰かを孕ませるとして、また美幸の時と同じことが起きる。何も知らない無実の女性に、地獄を味わわせるなんて、出来るわけがない。


『あぁ……、ダメだ。ゼンは美桜の父親なんだから、倫理的にダメじゃん。……クソッ! 好きな女を抱くのも難しいなんて。地獄過ぎるだろ……』


 ぐちゃぐちゃと鉛筆で文字を消す。

 幾度となく同じ問題にぶち当たって、彼はすっかり辟易していた。


『どうにか、探さなきゃ。最小限のリスクで、全部きっちり揃える方法。早くしないと、間に合わなくなる……』











 結論が出ないまま、非情にも時は進んでいく。

 自分の正体を周囲に隠したまま、彼は進学の道を選び、大学生活へと身を投じていた。


『来澄、よくやってるじゃん。レグル様に全部呑まれて直ぐにいなくなるかと思ったのに』


 親友の哲弥は頻繁に家を訪れた。


『まぁね。俺が俺であるうちにやれること、全部やっておきたいからさ。芝山みたいにあっちもこっちも上手くやれたら良いんだけど、あいにく相当な不器用なんだよね、俺』

『知ってる。――そういえば、この前美桜と会ったんだけど、全然付き合ってる気がしないってぼやいてたぞ。大事にしろよ』

『大事に……してるつもりだけど』


 嘘だった。

 最近は忙しさを理由に、まともに顔を合わせていない。


『美桜は君と一緒になりたいみたいだけど、君はそうでもないんだな』

『んなことねぇよ』

『……来澄、もっと真面目に向き合ってやれよ。神様稼業が忙しいのは仕方ないにしても、放置されたんじゃ彼女も堪ったもんじゃないだろう? 大体、君みたいな偏屈を好きになってくれるだけでも有り難い訳なんだからさ』

『だよな……』


 歯切れの悪い返事しか出来なかった。











『仮に、芝山を救世主にするにしても、動機が足りないんだよな。動機が』


 数年間乗り回した砂漠の帆船は、先の戦いで粉々に砕け散った。乗組員達と別れを告げ、今は一人の干渉者として塔や市民部隊に出入りしているらしい。


『守るものもねぇ、目的もねぇヤツには、救世主は無理だ』


 もう何年も堂々巡りが続いている。


『ゼンが凶暴になった理由も頷けるぜ。世界を恐怖に陥れれば、救おうとするヤツが必ず現れるからな。やっぱり……それしかないか。けど、意味無く壊すなんて、とても……』


 同じ言葉を何度もノートに書いては消し、書いては消しを繰り返す。


『急がなくちゃならないのに。……クソッ』


 彼は悔しそうに、頭を両手で掻きむしった。











 いつまで経っても進展しない関係は、互いをギスギスさせていく。

 大学生活が折り返しを過ぎた頃、彼は久々にリアレイトで美桜と会った。


『凌は私のこと……嫌い?』

『はァ?』


 雰囲気の良い喫茶店、彼女はテーブルの向かい側から彼を睨み付けた。


『好きだよ。言わせんな』


 彼は美桜から目をそらしてコーヒーを口に含んだ。


『こっちに居られる時間、前より短くなってるんでしょ?』

『うん……まぁ』

『だったら急がなくちゃ。私は凌と一緒が良いの。レグル様じゃなくて、凌が良い。あと何年こっちに居られる? 凌は焦らないの?』

『焦らないわけ……、ないだろ』

『じゃあどうして私を避けるの? レグルノーラでは目も合わせてくれないじゃない』

『れ、レグルは……俺だけど、俺じゃないから……』


 なんと言い訳すれば納得して貰えるのか。

 彼女はギラギラした目で彼を睨んだまま。


『まさかゼンに遠慮してる? 私が彼の血を引いてるから』

『気にするだろ』

『……気にしなくて良いって言ったら?』


 美桜の言葉に、彼は耳を疑った。


『リアレイトに居る間は、気にしなくて良いでしょ。向こうでは……気にしちゃうかも知れないけど』


 少し恥ずかしそうに顔を赤らめ、美桜は肩をすぼめた。











 ――気にし過ぎていたのは、自分だけか。

 ゼンと美桜の関係を思えばこそ、どこかで必死に距離を取った方がいいのかと。

 いつの間にか同棲の話が進んでいて、彼女との時間が急速に増えていった。

 美桜と同じ部屋で暮らすようになったら、益々自分だけの時間が減る。約束のことを考える余裕もなくなってしまう。秘密を書き散らしたノートも早急に処分しなければならなくなった。


『……どうする、俺。何にも進展してないのに』


 自分の荷物を段ボールに詰めながら、開いたままのノートに目を落とした。

 “次の白い竜”の字が、幾度となく鉛筆で囲まれている。


『このまま美桜と結婚して子どもが生まれたら……、次の白い竜は簡単に用意出来る。俺にとっても願ったり叶ったりなんだけど……、倫理的にアウトだろ。良いのか、それで。美桜が良くても、暗澹たる未来しか見えないんだけど』


 そうして生まれた子どもが二つの世界に災厄を呼ぶのは明白だった。

 美桜と同じように、禁忌の子となる。

 生まれる前から悲惨な運命を背負うと決まっている。


『俺はいずれ俺じゃなくなる。リアレイトに干渉出来なくなる。美桜一人に背負わせるなんて、絶対無理だろうし。……てか、人間の姿で生まれるのか? 白い竜? ……どうなるんだ。やっぱり、やめた方が』


 いざ現実味が帯びてくると、彼は急に怖くなった。

 けれど、立ち止まる訳にはいかなかった。


『いや、ダメだ。やらなきゃ。どうにかして産まれてくる子を唯一の……』


 そこまで言って彼ははたと動きを止めた。

 何かが一気に彼の中を駆け巡った。






『芝山に、俺の子を守らせりゃ良いんだ』






 彼は荷造りをやめ、大慌てでノートに走り書きを始めた。


『俺はどうせ居なくなる。芝山に子どもを預けて、育てて貰おう。守る者が出来たら、芝山はきっと救世主になれる。美桜は……あいつも白い竜だ。俺が殺す。他の誰にも殺させない。手を汚すのは俺だ。俺が悪者になれば良いんだ。俺の子が、俺を悪者だと信じるように仕向ければいい。ぶっ殺しても罪悪感が一切なくなるくらい凶悪な――破壊竜になる。ゼンには怒られるけど、他に方法がない。俺を殺せるのは多分次の白い竜だけだ。破壊竜に身をやつしたレグルを殺すって名目なら、世間は俺の子に味方する。芝山も俺を止めようと戦ってくれるはずだ。俺が無事に殺されれば、白い竜と救世主は揃う。それで……!!』

 

 彼は酷く興奮していた。

 禁忌を犯すなら、一つだろうが二つだろうが一緒だと思い始めた。


『もうちょい詰める必要はあるけど、これならどうにかなりそうだ。俺を神の化身だと信じて疑わない連中は、神が怒ったとでも思うだろうし、俺の存在を疑問視する連中はドレグ・ルゴラの復活だと思うかも知れない。けど……多分、誰も俺が、救世主だった来澄凌が初代塔の魔女との約束を守るためだけに凶行に及んでいるとは思わない』


 手が震える。

 これを確実に実行するとして、まだ存在すらしていない我が子が男でなかったらなんて考えるべきじゃない。男が生まれるまでどうにか踏ん張るしかないんだ。


『成功させる。絶対に。芝山と俺の子、まだ見ぬ塔の魔女で約束を果たして貰う。これ以上悲しみの連鎖を続けないためには、きっとそれしか方法がない。……狂えば良いんだ。あの綺麗な顔で存分に狂えば良い。あの狂った世界レグルノーラを救うために、俺は、破壊竜になる……!!』


 思いつくまま書き殴ってから、彼はノートを手に取り、黒い炎で焼き尽くした。塵も残さぬそれは、暗黒魔法。ノートの文字を、絶対に忘れぬよう記憶に焼き付けたのだ。


『演じ切ってやる。狂った神の化身レグルと、レグルの中のドレグ・ルゴラに振り回される救世主を、完璧に……!!』


 心の中から黒いものが溢れていくのを心地よく感じながら、彼は笑った。

 彼はもう、救世主の顔はしていなかった。

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