5. 記憶の渦





















『……? …………ょう? 凌ってば!』


 誰かに肩を揺すられて、それで目が覚めた。

 目の前にいたのは制服姿の女の子で、僕自身も制服を着ている。高校生……なのだと思う。確か、どこかの私立高校の制服。彼女はバッグを肩に引っかけ、呆れたように机の向こう側でハァとため息をついていた。


『今、意識が飛びかかってたでしょう? 無理するから』

『気のせいだって。美桜は心配し過ぎなんだよ。大丈夫大丈夫。ちょっと疲れが出ただけで。ほら、今は何ともない。実体化出来てるじゃん』

『やめてもいいんだよ、こんなこと。無理に二重生活なんて送らなくても』

『そういうわけにはいかないよ。俺が頑張れば良いだけなんだから。それにさ、父さんと母さんには迷惑掛けたくないんだ。ギリギリまで続けるよ』


 放課後の教室。

 緩いウェーブのかかった赤茶色の長い髪が、目の前で揺れている。

 美桜……どこかで聞いた名前。彼女はどうやら凌という男に声を掛けていて、僕はその人の目線で記憶を見ている。


『無理に、この世界で生きているように見せる必要なんてないと思う』

『無理じゃない。大丈夫だから』

『芝山君の真似してるんでしょ? 彼、帆船の乗組員達に干渉者だってバレないように、断続的に干渉し続けてたって話、聞いたわよ?』

『あ……バレた? 芝山、すげぇよな。こんな生活、何年も続けてるなんて。しかもどっちも全然手を抜かない。俺よりあいつの方が救世主に向いてると思う』


 他に誰も居ないのをいいことに、二人にしか通じない話をする。

 オレンジ色の光がじんわりと教室を染めている。


『意識がなくなるまで……どのくらいかかるかな。ジジイになるまで頑張れたら良いのに』


 ため息をつく。

 美桜が顔を歪めているのが見えて、胸がぎゅうっとする。











 白い鱗で覆われた角張った手をガラス窓に引っつけて、僕は外を見ている。窓に映るのは……あいつだ。美しく整った顔をした、もう一人の、白い髪の男。

 思い詰めたような顔をして見つめる先には、レグルノーラの街がある。


『何が……正解だった? ゼン。このままだと、三つともなくなる。約束どころか、世界の均衡は崩れていく一方だ』


 そこは確か、白い塔のてっぺんにある部屋の一角。都市と森、砂漠がいっぺんに見える場所。


『俺が……、全部悪い。ゼンの事情も知らずに、記憶をちょっと垣間見ただけで全部知った気になって、勝手に可哀想だ、同化して、ずっと一緒に居てやるなんて……!! これが救世主なんて、笑わせる……。何も、救えてないじゃないか……!!』


 彼はグリグリとガラス窓に額を擦りつけた。

 腹の中が煮えくり返りそうなくらい複雑な感情が入り交じって、うっかりすると何かを壊してしまいそうな衝動に駆られる。けれど彼はそれをグッと呑み込んで、ただただ……耐えていた。


『時間は巻き戻らない。俺はレグルとして生きていくしかなくなった。この姿と地位を利用して……俺が全部、やり直すしかない。世界を構成する三つを、全部揃えるしか』


 震える声で、自分に言い聞かせるように彼は言う。


『ディアナが死んだら、塔の魔女は自然と引き継がれる。問題は……白い竜と救世主だ。キースのあと、俺が救世主になるまで三百年はかかったはずだ。また……待つのか? それじゃダメだ。待てない。俺が俺であるうちに、全部どうにかしなくちゃならない。どんな手を使ってでも、俺と同じように、絶対的な正義を振りかざしてレグルノーラに骨を埋めるくらいの覚悟のある干渉者を……どうにか、用意しないと……!!』











 白い半竜レグルの姿をしている時は、随分神々しく見えるらしい。誰も……寄り付こうとしない。

 実際、彼の姿は美しいと思う。同じ白い竜なのに、僕とは全然違う。

 だから、心の内で彼が恐ろしいことを考えていても、誰一人気付かない。


『レグル様は今日も凛々しくあらせられるわ』

『本当に素敵』

『あまりの神々しさに見惚れてしまうな……』


 塔の役人達は挙って彼を褒め称える。

 彼はそれさえ利用した。


『書庫に篭って本を漁りたい。資料室にも出入りしたいのだ。この世界のことを、もっと知らなくては』


 本当は、過去のことが知りたかった。

 ディアナが塔の魔女を退いたことで、その系譜が一旦途切れていることなど、誰一人気付いていない。引退したディアナ本人は、塔には出入り出来ない身分となってしまった。新しい塔の魔女ローラには、約束の話は通じない。

 何かしら、約束についての手がかりが残されていないか知りたかった。


『流石はレグル様。勉強家なのですね。どうぞ塔の中はご自由にご覧くださいませ』


 堅物の役人も、レグルの話はよく聞いて便宜をはかってくれる。


『ありがとう。恩に着るよ』


 とにかく知識が必要だった。

 約束を果たすためのシナリオを、組まなければならなかった。











 今、レグルと呼ばれている姿が実は、ドレグ・ルゴラと呼ばれていた白い竜が人化した姿と同じだったなんて、人間達は気付きもしないだろう。

 神々しいと皆が称えるのは、救世主だった凌がその身を挺してドレグ・ルゴラを封じたと信じられているからだ。

 ――違う、逆だ。

 黒髪碧眼だったかつての救世主の皮を脱いで、あいつは凌を自分の中に取り込んだんだ。


『私自身の見た目は何ら昔と変わらないのに、何故人々は手のひらを返したように態度を変えるのだ』


 彼にはそれが、理解出来なかった。


『白髪赤目の私を、人間共は散々気味悪がっていたのに』


 家畜以下の扱いを受けていた時も、賞金稼ぎに扮していた時も、旅人に扮していた時も、彼は白髪赤目で白い肌を晒していた。汚れた服や年季の入ったマントのせいだったかも知れない。……にしても、合点が行かなかった。

 あの頃は寧ろ人間の姿をしていて、今は半竜の姿を晒している。人間の感覚で言うならば後者の方が圧倒的に恐ろしいはずなのに。


『――教会の連中には、どう見えるのだろう』


 ふと、彼の頭の中にそんな疑問が過ぎった。











 古代神レグルを祀る大聖堂サンクトゥス・レグルドムスには神聖な空気が漂っていた。聖魔法で満たされた静謐な空間に、彼は圧倒された。

 教会は大聖堂を広く一般に公開していて、何人たりとも拒まないのだという話は以前から知っていた。それもあって彼は、自分と同じ姿の像を祀るという大聖堂にどうしても来てみたかったのだ。


 幸い、初めて訪れた大聖堂にひと気はなかった。

 荘厳な神殿の、祭壇へと続く絨毯をゆっくりと歩いて行く。神話や伝説をモチーフにした壁画が天井にまで目一杯描かれている。辺りをキョロキョロと見回しながら歩みを進め、遂に祭壇の雄神の像を目の前にした時、彼は息を呑んだ。


 美しい……彫刻だった。

 まるで今の自分をそのまま写したような、だのに何故こんなにも美しく、心を揺さぶるのだろうか。

 柵を乗り越え、彼は自分と瓜二つのその像に思わず手を伸ばした。


『――何をしているのですか、不敬な……!』


 大聖堂に、若い男の声が響いた。

 彼は思わず肩を揺らし、けれど構わず像に手を触れた。丁寧に、鱗も一枚一枚綺麗に削ってある。広げた竜の羽も、柔らかくくねった尾も、本当に自分とそっくりで。

 怒りを散らした誰かが寄ってきても、彼は像を触るのをやめなかった。


『これは、私か……?』


 彼は振り返り、声の主にそう問いかけた。


『古代神レグル……!』


 修道僧の少年の口から漏れたのは、想定通りの呼び名で。

 彼は柵を越え、少年にグイッと迫った。


『やはり、お前も私をそう呼ぶのか』

『ご、ごめんなさい。思わず』

『……思わず呼んでしまう。つまり、そう見える。視覚からの情報で、そう判断してしまう。人間は結局、そういう生き物なのだな』


 クククッと寂しげに笑い、彼は少年から身体を離した。


『私は古代神レグルなどではないよ。皆、そう呼ぶがね』

『じゃあ、誰? 名前は?』

『名前など、ない。私は救世主だった“凌”と、凌が“ゼン”と名付けた白い竜が合わさって出来た者。塔の人間共が勝手に私を“レグル”と呼ぶ、それだけの存在』

『だ、だったら、二つの名前を合わせて、“リョウゼン”は? それなら私も、あなたを名前で呼べる』











 公務の合間に、彼は大聖堂へと足繁く通うようになる。

 修道僧のウォルターは、よく話を聞いてくれた。そして、彼の欲する知識をくれた。

 例えば幼子に聞かせる昔話、司教の説教、経典の話。大聖堂に描かれた絵の、一つ一つについての解説。

 彼自身の、誰にも言えぬ心の内を少しだけ明かすと、ウォルターは曇りのない目で彼の話に聞き入り、誠心誠意答えてくれる。


『今日もいい話が聞けた。ありがとう』


 大聖堂を去る時、なるべく彼はウォルターに感謝の意を伝えるようにしていた。

 そうすることが良好な関係を維持するのに大切なのだと、知っていたからだ。


『いいえ、こちらこそ楽しい時間でした。またいらしてくださいね、リョウゼン』


 ウォルターはニッコリと微笑み、彼を見送る。

 彼もウォルターに微笑み返す。

 いずれ、この優しい少年を裏切るのだと、心の中で呟きながら。

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