2. 帆船の長

 理想の姿に変化へんげ出来るようになると、哲弥は自らをシバと名乗り出した。彼の苗字・芝山からそう名付けたらしい。

 鏡を覗いては姿を微調整し、相当な拘りを持って、より完璧な帆船の船長シバを作り上げていく。


『この姿で“ボク”はないよね。“私”かな、一人称は』


 シバの姿になると、哲弥は全くの別人になれた感動で普段より気持ちも大きくなるらしかった。

 容姿は人生を変える。

 白い髪の男の姿を捨てた彼には、それが痛い程よく分かった。


『いっぱしの大人に見える。その姿に相応しいよう、魔法や武器をもっと上手く扱えるようになった方がいいだろう』


 彼が何の気なしにアドバイスすると、シバは目を輝かせた。


『キースの言う通りだ。見た目だけじゃない、力も理想に近付けないと。強くなって砂漠を駆け巡る方が楽しいに決まってる』


 それまでもずっと、地道な努力を重ねていたシバだが、より一層の訓練を自ら行うようになった。

 彼は努力家だ。素晴らしい力を秘めているだけでなく、それを自分の力で伸ばすことが出来る。

 凌とは全く違うタイプの干渉者。

 シバはきっと強くなる。いずれ、凌にも匹敵する程に。











 魔物除けの結界をしていても、行く先々で魔物に遭遇するのが砂漠の帆船の常だった。

 次から次へと現れる魔物達を倒していくうちに、シバは少しずつ強くなっていく。

 戦いが終わるとシバは船長室へと籠もり、一心不乱に何かを書き連ねる。


『今の……魔物の特徴と攻略法を、忘れないうちに』


 船長室には多くの本が置いてある。元々の船の持ち主から引き継がれたものと、彼がシバのために取り寄せたもの。シバは独学でレグル文字を解読し、本を読めるようになっていた。


『熱心だな』


 彼が言うと、シバはペンを動かしながら、こくりと頷いた。


『勉強は得意なんだ。こうやって文を綴るのも。――本当は、ここで書いたものをリアレイトで再分析したいんだけどね』

『物質を転移させる魔法を使えば良かろう?』

『……それが、やってみたんだけど、上手くいかなかった。ボクにはその魔法、向いてないのかも。だからリアレイトに戻ったら、同じ内容の文章をもう一回書き直すんだ。そうでもしないと、せっかくの情報、忘れちゃうだろ』


 到底頭のおかしなヤツにしか思えないことを、シバはサラッと言って退ける。


『努力もしないで強くなれるわけがないと思うから。言い換えればさ、努力さえしたら強くなれるんだとしたら、ボクは努力を怠らないよ。……あ、しまった。私、だった。キャラブレしないようにするのが、一番大変なんだよね』


 ハハハと笑いながらも、シバは書くのをやめなかった。











 シバは勉強家だ。

 レグル文字を早々に習得すると、合間を見て船長室の本を読み漁る。本の種類は様々で、歴史や文化、地理、政治、魔法学、料理のレシピ、魔物についての本、戦術……選り好みせず何でも読んだ。

 苦手な本は特にないと言う。

 子ども向けの本から専門誌、情報の曖昧な素人の本や古文書まで何でも読む。


『読書で知識量を増やして、自分に足りない部分を補うんだ』


 その情熱がどこから来るのか、彼には分からない。少なくとも、何かを守るだとか救うだとか、或いは壊す、殺す――そういう世界線にシバは居ない。

 純粋に強くなりたくて、冒険したくて堪らないのだ。


『そんなに熱心に勉強して、何かやりたいことでも?』


 彼が尋ねると、シバは本から目を離さずに頬を緩めた。


『世界の果てに、行ってみたい』

『世界の……果て?』

『レグルノーラの全景は、誰にも分からないんだろう? だったら私が解き明かす。それが、砂漠の帆船のおさシバの願いなんだ。この世界が丸いのか平らなのか、それとも全く思いもよらぬ形をしているのか。リアレイトとはどう繋がっているのかも、しっかり解き明かしたい。何故干渉する時は落ちていく感覚なのか、二つの世界の狭間にあるという湖の正体だとか……そういうのを』


 溢れんばかりの情熱に、彼は目を丸くした。


『それは素晴らしい。いつか叶うと良いな』

『絶対に叶えるよ。そのためにも、今やれることを精一杯やらなきゃね』











 干渉能力の高さというのは、異世界での滞在時間の長さで測られる。

 大抵の干渉者は一度に数十分。元の世界では数秒に満たない時間の干渉が限度らしい。

 しかしシバは違った。一回あたりの干渉時間は短いものの、一定間隔で休息を入れながら、断続的にレグルノーラに干渉してくる。誰に教わったわけでもなく、シバ自身が生み出した技だった。


『勿体ないよ。こんなに面白い世界があるのに、時間制限があるなんて』


 少しでも長くレグルノーラで冒険したい。

 それが、シバの願い。


『大人になるにつれて干渉能力が消えていくのだとしたら、今を楽しまないと。平凡なだけの人生は嫌なんだ。芝山哲弥とシバ、二つの人生をいったり来たりしているこの面白さは誰にも分からない。普通だとか常識だとか、そんなものに縛られて窮屈な人生を送るのは嫌だからね』

『どちらかが疎かになったりはしないか?』

『大丈夫。これでも向こうじゃ学年上位をキープしてる。要領が良いんだ、私は』


 甲板から砂漠を眺めながら、シバはニッと口角を上げた。











 曇天の下、砂漠はどこまでも続く。

 時折、遠くで砂嵐が見えて、その度に巻き込まれまいと船の進路を変える。時空を歪ませる砂嵐は通称“時空嵐”と呼ばれ、砂漠を航行する船乗り達を悩ませていた。


『時空嵐は砂漠を広げるという話を聞いたことがある。森の一部をゴッソリと持っていくこともあるらしい。時空嵐には絶対に近付くなよ、シバ』

『当然だ。せっかくの船が壊れたら困るからね』


 時空嵐は森と砂漠の境目に多く出現するというから、厄介だ。

 旅を続けるにも、定期的に食料や備品の調達のために都市部へと戻る必要がある。するとどうしても、時空嵐の発生しやすい危険地帯へと船を近付けることがある。

 結界魔法などでは防ぎきれない、大規模な嵐らしいと噂に聞く。それこそ、砂漠を航行する船の幾つかは、時空嵐に巻き込まれて行方知れずなのだと、街で小耳に挟んだこともあった。

 砂を掻き分ける音に交じって、何かの声が聞こえたのはそんなとき。


『人間の……声だ』


 船長室から飛び出すと、シバは甲板に出て外をグルッと見渡した。すると、船の後方で何かが動くのが見える。

 シバは慌てて魔法を解いて船を止め、船から飛び降りて声の正体を確かめた。


『助けて、助けてくれ――ッ!!』


 声の主に駆け寄っていくシバを、彼は船尾で見守った。

 複数人の男達が、よろよろと重い足を引きずりながら帆船に向かって走ってくるのが見える。みすぼらしい格好をした、がたいの良い男達だ。


『大丈夫か。どうした、こんなところで』


 シバが尋ねると、男達はおんおんと泣き声を上げながら、シバに縋り付いてくる。


『良かった……!! もう、ダメかと。時空嵐にやられたんだ。船で……砂漠の魔物を狩って、肉を市場に卸す仕事をしていたんだが、気が付くと嵐の中に』

『じ、時空嵐に?!』

『食べ物も飲み物もねぇんだ。助けてくれ、後生だ……!!』


 男達は二十代から五十代。とても綺麗とは言い難いような格好をしている。脱水症状なのか、唇は割れていたし、皮膚もカサカサだった。


『水も食料もある。私の船に乗れ』

『ほ、本当か?! 恩に着る!!』

『ありがとう、旦那!!』

『砂漠に救世主とはこのことだ……!!』


 男達に絶賛され、良い気分にでもなったのだろうか。シバは彼らを快く船に連れ込み、もてなした。


『良いのか、シバ。君だけの船ではなくなる』


 彼が尋ねると、シバは笑った。


『これも縁だし。船がなくなって困ってるって話だから、一緒に旅するのも悪くないと思ってるよ』


 ――そうやってシバは、時空嵐に巻き込まれ、砂漠へと放り投げられた人々を助けては、仲間にしていった。

 シバはお人好しで、頼りがいがあって、堂々としている。しかも博識で、強いのだ。

 全てはシバの理想通りに。哲弥の類い希なる想像力と信念が、理想のシバ像を作り上げていく。


『何もかも、キースのお陰だ』


 彼の真の目的を知らないシバは、彼に素直に感謝する。


『私に魔法を教え、変身術を教えて、帆船を譲ってくれたから、こうして素晴らしい旅が出来るんだ。感謝しているよ』

『それは良かった。私も君に関わったことで、様々なものを得た。とても良い経験だった』


 シバと旅したのは、数ヶ月。

 濃厚で、実りある日々。

 多くの船員達に囲まれ、シバは理想通りの帆船のおさになっていった。

 このまま放置していても、シバはきっともっと生長していくだろうと、彼は思う。

 食料調達のため都市部へと戻ったのを機に、彼はシバと別れた。


『また、いつか会おう。それまで君がずっと帆船のおさであってくれたら嬉しい』

『また会おう、キース。私もそう願う』


 最後に硬く手を握り合った。

 それぞれの思いが全く別の方向に向かっていたなど、恐らくシバは最後まで気付かなかったはずだ。

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