第7部 《古代神の化身》編

【33】神殿へ

1. 予備

 自分の身体が自分のものではないような感覚――なんて言っても、誰も信じないだろうと思う。確かに自分で動いてはいるんだけど、そこに僕の意思はない。何か別のものが僕を動かしているような……そんな気持ち悪さ。

 転移魔法で森に戻って、僕は最後の杭に手を伸ばしていた。

 竜石製の真っ黒な杭は、森の木々に守られるようにして立っている。夕暮れの日差しを浴びて、綺麗に磨かれたような杭の表面はキラキラと輝いて見えた。そこに映し出された僕の姿は……元がどんなだったか思い出せないくらいに、恐ろしい。


「これで、お終いだ」


 僕でない誰かが、僕の声でそう言った。……いや、僕が言ったのかも知れない。

 長かった。

 杭は全部で十二本。レグルノーラ中を駆け巡って、どうにかここまで辿り着いたんだ。

 こんなふうになるなんて、前の僕には想像もつかなかったはずだ。何も知らずに過ごしていた、前の僕には。


「全部……壊してやる」


 僕は炎を吐き出しながら、そう呟いていた。

 杭に両手を当てて、目一杯魔力を注ぎ込む。ピキピキと音を立てながら、巨大な杭の全体に大きく亀裂が走っていく。バリバリと音を立てて杭が崩れて行くのを、僕は無防備に見上げていた。

 逃げようともせず、驚きもせず、僕は突っ立ったまま杭の欠片を受け止める。

 真正面から全身に突き刺さる杭の欠片は、全て僕の中に吸い込まれた。

 十二回目の暗黒魔法が、僕の心と魔力を、黒く、黒く染めていく。


「全部、僕が」


 その後のことは、覚えていない。

 視界が一気に暗転して、力が全部抜けて、ドサリと地面にぶっ倒れて……それから……多分、気を失った。

 力を使い過ぎて、指一本動かすのも、しんどかった。











      ・・・・・











 自分ではない、別の何かになりたいと願うのは、生きる者のさがなのかも知れない。

 彼が人間になりたかったように、芝山哲弥という少年も自分ではない何かになりたいと強く願っていたようだ。


『変身術を習いたい?』

『そう。冴えないボクじゃなくて、カッコよくて、誰もが見惚れるボクになりたい』


 初めこそ警戒したものの、哲弥は徐々に彼に懐いていく。彼のことを、異世界の親切なお兄さんとでも思っていたのかも知れない。何の警戒感もなく、哲弥は自ら彼に近付いてきた。


『構わないが……変身と言っても、姿形を変えられるのは、自分が住んでいるのとは別の世界にいる時に限る。それでも……?』


 カフェテラスで小さなテーブルに向き合って座り、二人で雑談するのが日課。飲み物や軽食を頼んで、互いのことを少しずつ話している間に、哲弥は自分の欲望を口に出すようになっていた。

 素直な……少年だ。

 これからどう利用されるのかも知らぬまま、干渉者キースが正義の人だと信じて頼ってくる。


『変わりたいんだ。せっかくこんな力を手に入れたんだし、カッコよくなって大冒険がしたい。リアレイトのボクは世を忍ぶ仮の姿で、本当はこっちが……みたいな感じでさ!!』

『なるほど、それは面白そうだ。力になってやってもいい』

『ほ、ほんと?!』


 予想以上に喜ぶ哲弥に、彼は心の中でほくそ笑んだ。


『勿論だとも。私にも、干渉を手伝ってくれた恩人が居た。彼はもう亡くなってしまったが、その恩を巡り巡ってこうして君に返すのだ。君はそれを、冒険を通じて様々な人々に返すといい』


 心にもないことを、彼は言う。

 それで哲弥が喜ぶならば、嘘など幾らでも。











 哲弥はとても筋が良かった。

 魔法の使い方を教えると直ぐに使えるようになっていたし、身体を動かすのも案外得意らしかった。リアレイトではそうでもないと話していたが、想像力が高いため、イメージを即座に具現化出来るのも一因ではないかと考えられる。


『大抵は、一度見れば覚えられるんだ』


 地頭も良い。

 凌という救世主候補と先に出会っていなければ、哲弥を候補にしていたのではないかと彼は思う。――ただ、哲弥には世界を救うための動機がない。凌に比べて、救世主たる器になるには足りないものが多すぎるのだ。


『哲弥、君は本当に素晴らしい才能の持ち主だ。……どうだ、砂漠へ行ってみないか。帆船を持っているんだ。それ相応の魔力がなければ操れないのだが、もし君が操れるようなら、くれてやってもいい』

『ええっ?! いいの?!』


 ……例えば、何かの不備があって、凌が救世主になり得なかった場合の予備として、囲っておくのはどうだろうか。

 凌は間違いなく救世主になるだろうが、もし仮に、想定した異常の何かが起きて凌を失ってしまった場合の予備。

 動機はこれから作れば良いのだ。白い竜は倒さなければならない恐ろしい存在だと、徐々に刷り込ませれば良い。そうして機が熟したら、予備として使えるかも知れない。哲弥は……そういう存在として、囲い込むのが正解に違いない。


『物は試しだ。行ってみるか』


 彼が薄く微笑むと、哲弥は満面の笑みを浮かべ、全身で喜びを表現していた。











 ルベール地区の端っこから森の抜け道を通って砂漠へと向かう。強い魔物除けを各所にばら蒔いているらしく、魔物も竜も近付かないのだと、いつだったか砂漠のガイドに聞いたことがある。

 彼は哲弥を連れて森を抜けた。

 この森がレグルノーラにとってどんな場所なのか、砂漠とは何かを説きながら。


『ボクの知る異世界とは全然違う、かなり特殊な世界構造だと思うんですよ、レグルノーラって。考えれば考える程意味が分からない』

『そういう探究心があるならば、君は向いているかも知れないな。帆船の船長に』


 前向きで好奇心が強く、物怖じしない。間違いなく哲弥には冒険者の気質がある。

 砂漠に残る数隻の帆船が係留されている所まで歩いて行くと、男がひとり、待っている。

 彼が手を振ると、男は待っていましたとばかりに手を振り返してきた。


『船の管理を任せている男だ』


 人間ではない。泥人形から作った、人型の魔法生物。

 彼は哲弥を管理人に紹介し、船内を案内した。

 管理の行き届いた船内は、百年以上前の船にもかかわらずとても清潔で、整然としていた。


『船長室に、舵輪がある。魔力を込めて動かしてみてくれないか』


 甲板から船長室へと入り、舵輪を握る。窓ガラス越しに見えるのは、海原ではなく、どこまでも広がる砂漠だ。

 哲弥は恐る恐る舵輪を握り、彼の言葉に従って魔力を高めた。


『う……動け……!!』


 通常は、複数人の能力者や魔法使いを雇って魔力を注ぎ続けるのだと聞いている。

 彼自身は当然ひとりの力だけで船を幾らでも動かせるが、駆け出しの干渉者である哲弥には難しいかも知れない。哲弥の実力を確認するために、無理難題を引っかけたつもりだったのだが……。

 ――ズズ……ズズズズ…………。

 振動のあと、船はゆっくりと前に動き出した。


『で、出来てるよ、キース!! 動いた!!』


 僅かだが、確かに船は動いた。まだ、干渉能力が発現して間もない哲弥が、船を動かしてしまった。


『お、驚いたな。初めてでこれならば……訓練すれば直ぐに船を走らせることが出来るかも知れない』

『じゃ、じゃあ……』

『約束は約束だ。船はくれてやる。君の好きにするが良い』

『やったっ!! ありがとう、キース!!』


 哲弥は大はしゃぎだった。

 これほどまでに力のある干渉者ならば、やはり予備としてキープしておくべきだと、彼が思っているとも知らずに。











 哲弥が帆船を操れるようになるまで、ひと月もかからなかった。

 一日に何度も干渉してきては、魔法の練習をしたり、操舵の練習をしたりと余念がない。

 変身術をマスターするために、相当なイメージトレーニングも積んでいるという。


『どうせなら、自分が一番カッコいいと思う姿になりたいと思って。背は高い方がいいし、ファンタジーな世界で冒険するんだから、西洋人顔が良いな。それにイケメンって言ったら金髪だろ? ……で、大航海時代風の衣装が良いと思って、図書館で本を借りてコピーして、イメージを膨らませてたんだ。この世界の魔法は想像力が大きく影響してるって聞いたから、とにかくしっかりイメージ固めた方がいいと思ったんだよ』


 哲弥はいつも楽しそうだ。

 普段の彼は真面目で大人しく、人嫌いなのだと言うが、そんな感じは一切しない。

 もうひとつの世界に干渉するという行為自体に、哲弥は大きな意味を見いだしているように見えた。

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