13. 僕じゃなくなる

 荒れていた湖は次第に静けさを取り戻していく。

 風が止み、水面が空を映し出す。

 空中に浮かぶ僕の姿も、湖はくっきりと捉えていた。


「化け物……」


 真下からのアングルだと、尚更そう思えるのかも知れない。僕はみんなにこういうふうに見えているんだと思うと、心の底から何か恐ろしい物が吹き出してしまいそうになる。

 白い半竜の姿に戻っても、鱗のゴツゴツさは変わらない。耳まで裂けた口から覗く鋭い牙と、頭部に長く伸びた複数の角、真っ黒な眼球に光る赤い目は、以前より僕を凶悪に見せている。

 ボロボロの服も、今のフォルムに合わせたデザインに変えた。羽が動きやすいよう、肩甲骨の辺りを大きく開けたり、肩から肘までびっしり連なる角を避けるよう、肩の出た袖にしたり。やたらと筋肉質になってる足に合うよう、ズボンはゆとりのあるヤツにした。

 僕には……レグルみたいな白い服は似合わないと思うから、全身黒で統一して。

 白い鱗に白い羽、白く長い髪――……要素は殆どレグルと同じなのに、これが神の子だなんて、笑わせる。


「急がないと、あいつの所に辿り着く前に、僕じゃなくなるかも知れないな……」


 見た目もそうだけど、心も。

 ――難しい。僕のままでいるってことが、こんなにも。


「最初から人間じゃないんだし。今更、後悔するなよ」


 エルーレの像を小脇に抱えたまま、僕はギュッと拳を握った。


「戻らなくちゃ」


 転移魔法で森へ飛ぶ。

 無感情に全部壊して、早く次へ進まないと。






 *






 行きたいところにピンポイントで戻るには、その場所の明確なイメージか、そこに居るだろう誰かの明確な気配が必要になる。

 僕は守護竜達の気配と色を思い描き、瞬時に飛んだ。

 砂漠の真ん中で、彼らは僕を待っていた。

 小脇に抱えていたエルーレの像をボトリと砂地に落とすと、彼らは僕に気が付いて、ほぅと感嘆の声を上げた。

 僕はゆらゆらと幽霊みたいにつっ立って、ゆっくりと彼らに視線を向けた。


「壊そうと思えば、壊せる。次は……どいつにしようか」


 竜化直後で興奮がなかなか収まらなかった。

 全身で息をする。

 口からはずっと炎が漏れ出していた。

 頭がやたらと冴えていて、なのに身体はズッシリ重くて、病気のあとみたいな倦怠感に襲われていた。


「急に見た目が変わったな、神の子よ。エルーレとの戦いで、何かあったのか?」


 赤い髪を逆立て、ルベールが挑発的な態度でズンズンと僕の方に歩いてくる。

 僕はチラッと目を向けて、無理矢理口角を上げた。


「どうだろう。闇魔法を使ったからかな」

「随分と殺気が強く出ている。今までなら多少の迷いがあったように思うが」


 無気力にルベールの動きを目で追いながら、僕はぼんやりと思考を巡らせる。

 ルベールの火力は僕より弱い。それに、竜化しても僕よりずっと小さかった。

 さっき剣を交えて思ったけれど、そんなに思う程には強くないんだ、ルベールは。確かに普通の人間や竜よりは強いのかも知れないけど、今の僕に比べたら。

 ――壊せる。

 思った瞬間にはもう、僕は右腕だけを巨大化させてルベールをグチャッと握り潰していた。

 ルベールの身体が光の粒に変わり、火竜の石像が現れ、ボトンと砂地に落下する。石像の腕から胸に掛けて真横に真っ直ぐ亀裂が入り、パキッと上下半分に分かれたのを、僕は腕を元に戻しながら無心で見つめている。


「弱いな」


 自分が何を壊したのか、考えるのはやめた方がいい。

 砂漠で千体の魔物を殺しまくった時にもそう思った。やらなければならないことをやっているだけだと思い込んだ方が、気が楽だ。命を奪っているだとか、恐ろしいことをしているとか、そういう感情は一切要らないんだ。


「ちゃんと警戒しろよ。力試しをするんじゃなかったのか?」


 目の前でルベールの石像が壊れても、フラウとニグ・ドラコは眉ひとつ動かさない。

 彼らは僕に壊されるのを待っている。だから、目の前で仲間が壊されても何も感じない。そもそも仲間という概念もないのかも知れない。ただの……石像なのだから。


「随分、躊躇なく壊すようになったものだな」


 今度はフラウが前に出る。

 僕は何も言わずに、彼の言動を注視した。


「まさかエルーレもその勢いで倒したとか?」

「……いや。彼女は強かったし、僕を追い詰めるのが上手かった。ルベールは弱かった。そして多分、フラウ――君も、弱い」


 そう話している間に、フラウはズンと僕の真ん前に迫っていた。

 僕より背の高いフラウは、口元を布で隠したまま、高圧的に僕を見下してくる。


「我が輩が弱いかどうか、やってみなければ分からないではないか」

「やらなくても分かるよ。弱いでしょ」


 感情はどこか遠くに置き去りにしなくちゃならなかった。

 フラウの与える試練に苦しんだこと、容赦なく僕を追い詰めたことなんて、思い出すべきでもなければ、気にとめるべきでもない。

 目の前に居るのは、単なる喋る石像だ。

 壊せ、壊すんだ。早く壊して、最後の杭に向かわなければ。


「我が輩はまだ、全部の力を出し切」


 ――ドゴッと鈍い音が辺りに響いた。

 台詞が全部終わる前に、僕はフラウの懐に入り込んで、彼の腹部目掛けて一気に拳を突き上げていた。


「悪いけど、時間、ないんだ」


 ウッと息を詰まらせ、フラウの身体が宙に浮く。

 一瞬の隙。

 僕はそのまま彼の頭に手をやって――相当の魔力を込めて、思い切り砂地に……叩き落とした。

 グギッと首の折れる音。フラウの身体が光の粒に変わり、首の折れた風竜の像がボトンと砂地に転がった。

 壊れた。

 あと、一体。

 大きく息を吐く。カッカと身体が妙に火照った。

 三体も壊したのに、……虚しさがヤバい。全然、達成感がない。気持ち悪いくらい、色んな感情がグルグルして、何て表現したら良いのか――心が、どんどん壊れていく音が聞こえてくるような。


「……最初から、こうすれば良かった」


 足元に転がる三体の石像をぼんやりと眺めながら、僕はボソッと、そう零していた。

 どうしょうもないくらい……訳の分からない感情の波がどんどん押し寄せる。

 さっきの竜化以降、僕は変だ。

 だんだん、僕じゃなくなってくのが分かる。

 こんな……こんな悲惨なことを躊躇なくやってしまうなんて、どうにかしてるとしか思えないのに、それを簡単にやってのけるなんて。


「随分と乱暴な壊し方だ」


 手出しもせずに、じっと僕の様子を覗っていたニグ・ドラコは、改めてそう言って僕の心を逆撫でる。

 僕はおもむろにニグ・ドラコの方を見て、小さく息を零した。


「僕が……壊れる前に、壊さなくちゃって思ったんだ。君のことも、早く、壊さないと」


 胸が、痛い。

 どうして痛いのか、どうしたら収まるのか、全然分からない。

 自分の中から黒いものが止めどなく吹き出していくのが見えていた。聖魔法も会得したのに、結局、闇の力の方が強いなんて。


「早く……壊さないと……」


 ダメだ。興奮……してきてる。

 魔力を使い過ぎて空腹感もヤバくて、自分を……制御出来なくなってきている。

 視野が、物凄く……狭い。周囲のものが、どんどん見えなくなっていく。意識が……飛んでしまいそうになる。


「早く……壊さないと、僕はもう時期、僕じゃ……なくなる」


 肩を震わせて、炎と共に荒く息を吐いて。

 水面に映った自分の恐ろしい姿を思い出して、絶望して。

 リミッターを外して白い竜になって、そしたらもう人間には戻れなくなるって頭では……分かってたのに。

 全身から吹き出す魔力を、僕はもう、自分の意思では操れなくなっていた。僕の意識から切り離された闇の力が、僕自身を包み込んで僕の心を切り刻んでいく。


「――嫌だぁっ!! クソッ!! 僕は、僕の、ままで……!!!!」


 自分の意思とは無関係に、僕はニグ・ドラコに向かって駆け出していた。

 筋肉の鎧を纏ったような彼に、僕は何度も拳を打ち付けた。ニグ・ドラコは闇の魔法を乗せた僕の拳を全て受け止め、弾いてくる。僕は一旦距離を取り、それから今度は闇と火の混じった魔法を何度も彼に打ち込んだ。

 ニグ・ドラコは岩壁を生成して魔法を弾き、かと思うと巨体とは思えぬ早さで僕の死角へと回り込んで、激しい打撃をぶつけてきた。僕はそれを受け止めつつ、カウンターで殴り、蹴り返す。

 僕の意思じゃない。身体が勝手に動いていて、僕はそれを内側から観察してる。

 攻撃の合間に激しい炎を吐くのも、数種類の属性魔法を同時に放つのも、全部無意識で。


 砂漠の真ん中で、良かったと心底思う。

 そうじゃなかったら、きっと何もかも巻き込んで、全部壊してしまうと思う。


 興奮して、魔法をぶっ放して、殴りつけるのが楽しくなって、僕はゲラゲラ笑っていた。

 笑って、叫んで、地形が変わる程魔法をぶっ放って――気が付いた時には、僕はニグ・ドラコの腹の上に跨がって、ありったけの闇の魔法を纏った拳を高く掲げていた。


「ぶっ壊してやらぁ!!!!」


 ――ズドンッと彼の腹部に拳を強く打ち付ける。

 ドガッと鈍い音がしてニグ・ドラコの腹に大きな穴が開くと、そのまま彼の身体は光に包まれ、地竜の像へと姿を戻した。ゴトリと砂地に転がった石像の腹部に、何かで穿ったような穴が開いているのを、僕はぼんやり見つめている。

 パキッと、どこかで何かが弾けたような音が、耳に響いた。


「杭を……壊さないと」


 消えてしまいそうな意識の隅っこで、僕はそう呟いて、それから直ぐに、森へ飛んだのだと思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る