12. 真の姿
抉れた肉を塞ぎ、止血して皮膚を超高速で再生していく。魔力を攻撃じゃなくて怪我の修復に充てなければならないくらい、僕の身体はボロボロだった。
特に足と尾はもう……全然、感覚がない。人魚に喰われて、ふくらはぎから下には殆ど肉が付いてなかった。考えないようにしないと痛みで発狂しそうなのに、治すために意識を集中させる必要があって、酷く……気持ち悪かった。
「これが……水竜エルーレ――水の監視者」
限界を超えつつある僕の前に、巨大な水竜となったエルーレがいて、本当はもっと冷静に、もっとしっかり身構えたいのに……羽を広げて空を飛び続けるのがやっとの状態。
普通の人間なら、もう死んでる。
シルエットが変わるくらい人魚に齧られまくった。腕だって……硬い角を避けて、二の腕まで肉が削げた。身体中からボタボタと、血が流れて湖に落ちていく。損傷箇所を確認するのが怖過ぎて、現実を直視出来てない。
それでも僕はあの竜を……どうにかして、倒さないと。
「酷い有様ね。神の子、あなたはなんて無謀なのでしょう」
エルーレは姿を変えてもなお美しいままだ。艶のある青い鱗には光が反射して煌めいて見えているし、左右対称に生えた角や背中の曲線に沿って滑らかに動く背鰭は、整然としていて見る者を圧倒する。
それに比べて僕の白い鱗は血だらけで、人魚に喰われてあちこち禿げかかっていた。損傷箇所が多過ぎて、修復が間に合ってない。レグルと同じ姿をしていたはずなのに、見る影もないくらい何もかもボロボロで、凄く……みすぼらしい。
「奇遇だね、エルーレ。僕も同じことを考えてた。……けど、あいにく僕は、こんなふうにしか戦えないんだ」
口から出るのは強がったような言葉ばかりで。本当はもう、地面に降りて一人で立つのも難しいなんて……言わなくてもエルーレにはバレてると思う。
「そのような状態で、守護竜最大の巨体を誇るわたくしと、どう戦うつもりかしら。このままでは、わたくしがあなたを倒してしまいますわ」
水中に隠れた部分がどれだけ大きいのか、ひと目には分からない。けれど確かにエルーレは巨大で、かなり……強そうに見える。
圧倒的な体格差に背筋が凍った。
彼女に対抗する方法は……、恐らく一つしか残されていない。
「殺されたら……困る。そうなる前に、君を殺さないとね」
震えた僕の声に、エルーレはコバルトブルー色の目を細め、口角をクイッと上げた。
「うふふ。最後の最後まで楽しませて頂戴ね……神の子!!」
水竜エルーレの巨大な口が、ガバッと開く。
何もかも呑み込んでしまいそうな程巨大な口の中心に、光が見える。魔法だ。凝縮させた魔力を、口から放射しようと……。
僕はハッとして位置関係を確かめた。
彼女の視線の先、僕の真後ろにレグルノーラの大地がある。
つまり、僕が攻撃を弾くか止めるかしない限り、攻撃は確実にレグルノーラに当たるってこと……?!
「クソッ! 容赦なしか……!!」
魔力はエルーレの口の中でどんどん渦を巻くように凝縮されていく。多分もう、半竜姿の僕には止められないだろうってのは、肌で分かる。
高い波が立ち、嵐のように風が吹き荒び、びょうびょうとおぞましい音を立てていた。風圧に負けて、彼女の口の中に吸い込まれそうになる。
「竜に……なるしかない」
身体が震えた。
レグルと……戦う前に、僕は僕じゃなくなるかも。
あいつと、話したかったんだ。
どんな気持ちで僕のこと、シバに預けたのか。
僕を、どんな気持ちで待ってたのか。
聞きたかった。
だけどそんなことで竜化を躊躇してたら、全部水の泡になる。
「お願い……!! 最後まで、僕でいさせて」
口の中で呟いて、目を閉じ、深く息を吐く。
多分、全部の力を解放しないとエルーレの攻撃は止められない。そのくらい……巨大な魔法を、彼女は放つ。
負けられない。負ける訳にはいかない。絶対に……!!
「――だァァアァァアア…………ッ!!!!」
自分自身を奮い立たせるように、僕は叫んだ。
ドンッと身体が数回震えて肥大化が始まり、骨格がどんどん、人間から竜のそれへと変わっていく。身体が熱くなる。口から漏れる炎の量がみるみる増して、血が沸き立ち、興奮が抑えきれなくなっていく。
元の身体の何倍、何十倍、何百倍と肥大化していく過程で、人魚に喰われた手足は修復を早めすっかり全て元に戻っていた。
もう……何の遠慮も要らないはずだ。
ここは湖で、僕はエルーレの攻撃を止めるために竜になる。
何かが踏み潰されるかもとか、誰かを殺してしまうかもとか、そういう……枷なんか気にせずに、本来の姿になればいいだけで――!!
ブォォオッ……!!
巨大な白い竜と化した僕の、大きく広げた羽が空気を孕む。
多分これが、僕本来の姿。
巨大な水竜と化したエルーレに匹敵する程の巨体で、全身が白くゴツゴツした岩のような鱗で覆われている。鋭い爪と牙、肩から腕、そして背中から尾の先にかけてぎっしりと生えた角は、その一つ一つが巨大な矢尻のようで。
「待っていましたわ……」
エルーレが、魔法を放つ。
僕目掛けて、最上級の水魔法が放たれる……!!
「これこそが、わたくしが切望した、神の子の真のお姿……!!」
長い首を持ち上げ、僕は大きく息を吸い込み――炎と共に吐き出した!!
水と炎が二体の竜の間でぶつかり合い、せめぎ合う。
湖の澄んだ水を吸い上げながら、エルーレの攻撃は激しさを増し、僕の炎を掻き消そうとする。僕も負けてはいられないと、身体の奥底から熾烈な炎を噴射し続けた。
普段は凪いでいる水面が激しく揺らぎ、ザブンザブンと大きく飛沫をあげている。
晴天だった空には雲が渦を巻き、雷鳴が轟き始めた。
エルーレの魔法と僕の炎はほぼ互角、どちらの魔力が先に尽きるかで勝負が決まる。
キリがない、どうにか打開策をと思っていたところに、エルーレが勝負を仕掛けてくる。
彼女の両手の中で凝縮されていく別属性の魔法、それが彼女の放つ水魔法の周囲をぐるぐると螺旋状に伝い、僕目掛けて放たれる――!!
「……ッ!!!!」
聖魔法を混ぜ込んだ水の渦が、僕の炎を消しに来る。
均衡を保っていた魔法のバランスが崩れ、エルーレの魔法が僕の炎より勝り始めていた。
属性を――掛け合わせると強くなるのは知ってる。それこそ雷斗がやっていたヤツだ。
「負けぇ……る、かぁああぁっ!!!」
聖魔法には闇魔法で!!
僕は闇の力を高め、炎と共にエルーレに向かって吐き出した。
「ぐぁああぁあぁああぁあああ…………ッ!!!」
闇魔法を取り込んだ炎は、更に温度を上げてエルーレの水魔法をどんどん蒸気に変えていく。
全部燃やし尽くせ、蒸発させろ、何もかも壊してしまえ――………ッ!!!!
炎と闇、赤と黒、渦巻く二つの力がエルーレの魔法を押し退けていく。エルーレの顔が歪み、僕はそれでも力を弱めない。一瞬でも怯んだら負ける。僕が彼女を焼き尽くすつもりで、際限なく炎を放ち続けるんだ……!!
闇魔法の出力を上げるに従い、僕の頭は酷く興奮していった。罪悪感が消え、凶悪さが増し、破壊欲が強くなっていく。
闇に堕ちる前兆だ。
理性にブレーキを掛けた状態で、レグルと戦えるとは思わない。けれど、ぶっ壊れるのは未だ早い。
持て、僕の理性。
「エルーレぇぇ!!!! 壊ァ……れェ、ろぉおぉぉぉ――……ッ!!!!」
彼女の元まで炎の魔法が届き、水魔法が途切れた瞬間――僕は、彼女の眼前にギュンと迫って首元に手を当て、ゼロ距離で爆撃を放った。
劈くような悲鳴と、破裂音……!!
途端に彼女の巨体は光の泡となって空に消え、頭部のあったところにフッと水竜の石像が現れる。
「エルーレ!!」
石像が、落下していく。
「ヤバいっ!!」
僕は急いで腕を突き出し、落ちてくる石像をどうにか受け止めようとした。が、巨大すぎる身体では微細なコントロールが出来なくて、石像が腕に当たり、手のひらに当たり落ちていくのをどうしても掴まえられなくて。
「……ちっくしょぉっ!!」
急いで巨大化を解いて、半竜の姿に戻る、戻ろうとする。だのに今度は巨大になり過ぎて、戻るのに時間がかかった。そうしている間にも、石像は湖に向かってどんどんどんどん落ちていく。
湖に落ちる前に。
身体を縮めろ、急下降してエルーレの像を、僕の……手に…………!!!!
石像から目を離さぬよう、瞬きもせずに睨み続けた。上昇気流に逆らうように、僕は水面へ超高速で向かっていく。
「あと、少しッ!!」
伸ばした手が、像に当たる。弾き、また届いて、また弾いて。水面ギリギリでキャッチした彼女の像を両手で抱え、僕はそのまま急上昇する。
腕の中のエルーレの像を確認すると、首の辺りに亀裂が入り、一部が砕けているのが見えた。
「ご、ごめん、エルーレ……」
目的を果たしたのに、心は空虚なままで。
エルーレの像を抱いて、ごめんなんて言いながら、本当は微塵もそんなことを思ってない自分に気が付いて。
「あと三体」
淡々と呟く自分の言葉が、どこか遠くの誰かの言葉に聞こえるくらいには、僕は壊れかけているのだと思う。
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