9. 最終試験
全ての杭を壊すなんて、途方もないことをやらせるヤバいヤツだと、僕はレグルを――凌を、相当に恨んでいた。僕以外の生き物を化け物に変えてしまう恐ろしい杭は、とても無機質で不気味な存在に思えた。
それがとうとう、最後の一本。
長かったような、そうでもなかったような、変な感覚。
「まさかここに、最後の杭があるなんて」
杭の見えるところに近付くにつれ、僕は妙な既視感に襲われて、頭を何度かブンブンさせた。僕の記憶ではなくて、あいつの記憶、何度も何度も思い出しては後悔を繰り返した場所――そこは、グラントと僕のねぐらだった。
グラントを看取って、そのまま朽ちるまでそばに居たことを思い出すと、腹の中からさっき食べたばかりのものが戻ってきそうになって、僕は慌てて戻ってきたものを無理矢理腹の中に押し込めた。唾液が意思に反して口に溢れ、身体が妙な熱を帯びて頭がフラフラした。
何もかもが始まった場所と言っても過言ではないと思う。それくらい大事な場所で、僕はまた、言いようのない興奮に襲われる。何度か深呼吸し、頭の中を整理する。
「僕の記憶じゃない。耐えろ、大河」
こうやって何度目かも分からないくらい何度も吐いた台詞をまた吐いた。
杭の根元にあった地竜の像がゴゴゴと音を立てて半竜の姿へと変わり、腕組みをして僕の前に立ちはだかった。
ほかの守護竜達より一回り大きな身体をしたニグ・ドラコは、上から下まで全身真っ黒な服に身を包み、黒い羽を広げて僕を睨み付けた。
「待ちくたびれたぞ、神の子よ」
鋭い眼光を向けられ、僕はゴクリと唾を呑んだ。
「待たせたね、ニグ・ドラコ。どうすれば杭を壊せる……? 早く、教えてよ」
守護竜達は僕の敵じゃない。試練を与えるために存在するのだと知っていながら、妙な予感というか、気配というか、今までに感じたことのないような重圧をニグ・ドラコに感じて、少し、声が震えた。
「焦るでない。どんな状況でも冷静な判断が出来ねば、レグル様を倒すなど不可能。神の子よ、貴様の覚悟を見せよ」
プロレスラーみたいな巨体のニグ・ドラコは、僕から目線を逸らさない。
まるで僕の心を覗き見るようにじっと見つめて、表情一つ崩さずにいる。
「覚悟なら、出来てるよ。僕が唯一の白い竜になって、約束を果たすんだ。そのために、同じ白い竜であるレグルを、僕の手で倒さなくちゃ」
あの頃と同じように、ここの森は濃くて、じっとりとしていて……静かだった。
周辺の森より背の高い木々の何層にも重なる葉の隙間から、まるでシャワーみたいに光の粒が降り注いでいて、その間を冷たい風が僕の身体を撫でるように流れていく。
長い時を経ても、森の匂いと空気は変わらなくて、だから知らず知らずのうちに、僕の頭は過去へと引き摺られた。
名前も付けられずにいた僕を、それでもグラントはとても可愛がっていた。ゴツゴツとした鱗、ヒビの入った皮膚、見えているのか見えていないのか、老化ですっかり濁ってしまった眼球。
森で過ごした記憶がどっと湧き出して、自然と涙が溢れていた。
なんで泣くのか分からずに、僕は手の腹で必死に涙を拭いた。
「怖じ気づいたか、神の子よ」
僕の背後でルベールが笑う。
「ち、違う。涙が勝手に」
「ニグ・ドラコは怖そうだからな、仕方あるまい」
「違うでしょ、フラウ。最後の杭の前に来て、感無量で泣いているのよ」
フラウとエルーレが勝手にそんなことを言い出して。
「感受性が高いのは構わないが、それでは先に進めまい。本当に覚悟があるならば、行動で示して貰おう」
ニグ・ドラコがそう言うと、ほかの守護竜達も崩していた表情を引き締めて口を噤んだ。
凄く……嫌な予感がした。
巨大化禁止、魔物を千体倒す、湖の浄化と来て、最後は何だ。これ以上、何が……。
「我ら守護竜を全て倒したら、最後の杭を壊すことを赦そう」
頭の中で、ニグ・ドラコの言葉を理解するのに少し時間がかかった。
ようやく言葉の意味を呑み込んで、すると途端に、どうしたら良いのか分からなくなって、僕は頭を抑えて、フラフラと数歩後退った。
「た、倒す……? ど、どういうこと? る、ルベールも、フラウも、……エルーレも、ニグ・ドラコも、全部、倒す……?」
「そうだ。全て倒せ。致命傷を与えれば、私達は石像に戻り、崩れるだろう。さすれば倒したと見做す」
元々、彼らは大聖堂にあった石像で。レグルが命を与えて、それで……半竜の姿になったり、或いは竜の姿になったりするように。
慌てて、周囲を見回す。
ルベール、フラウ、そしてエルーレ。長い時間を共に過ごしているうちに、みんないつの間にか柔らかい表情になっていて。頼りなくて迷ってばかりの僕の……保護者が一気に増えたみたいで、凄く嬉しくて、心強くて。――なのに。
「傷を付けるのが精一杯だったあの頃よりは強くなっているはずだが?」
ルベールはニッと口角を上げ、ゴリゴリと手を鳴らした。
「腕試しだ、神の子よ。我々を全て倒せるならば、レグル様とも互角に戦えるであろう」
口元を布で隠したまま、フラウは僕を見下すようにそう言い放って。
「全ての属性の力を手に入れたあなたならば、出来るはずだわ。存分に楽しませて頂戴」
満面の笑みを称えて、エルーレは何の迷いもないみたいに。
僕は嫌だと頭を何度も横に振った。
けれど絶対に覆らないと彼らは態度で示してくる。
グシャッと長い白髪を両手で掴んで、両腕で表情を隠して、僕は肩を震わせた。
「……グロリア・グレイが、変なことを言ってたんだ。守護竜達が僕のために、全てを捧げようとしているって話……。こ、こういう……こと? 僕に壊される前提で最初から動いてたの……?」
「当然」
ニグ・ドラコの答えに同意するように、みんなが頷いていて。
膝が……ガクガクする。全身の震えが、止まらなくなる。目が潤んで、だらだらと頬を伝ってきて。
ここ二ヶ月くらい、僕はずっと守護竜達と行動を共にしてきた。
……情が完全に移っている状態で、それでも彼らを倒すことを強要されるなんて。
「こうでもしないと……僕の決心が、揺らぐから……? 追い詰めるだけ追い詰めないと戦おうとしないから……? どうして……どうして僕が、みんなを倒さなくちゃならないの……? 慈悲もへったくれもないじゃん!! あいつは僕をただ追い込みたいだけじゃないのか?! どうして、どうして……!!」
「ならば逃げるか。放っておけば、あと一年半程度で世界は滅びる」
「それは……!!」
ニグ・ドラコは無感情に僕に詰め寄った。
言い返せなかった。
僕が逃げたら全部終わりだと知っていて、そこに逃げるという選択肢はもうないのも知っていて、逃げるなんて出来っこない。
歯を食い縛り、項垂れて、「やるよ」と一言。
「けれど、場所は変えたい。ここでグラントは死んだんだ。安らかに眠っていると思うから、せめて……違うところで戦いたい」
「構わぬ。――フラウよ、砂漠へ転移させて貰えるか」
「良いだろう」
手のひらを上に向け、フラウはスッと手を上げた。
淡い緑色の光が僕らを包んだ。
――転移魔法。
僕らはそのまま魔法に呑まれた。
*
――再び、砂漠へ。
生臭さの消えた砂漠は、それでもやっぱりかなり蒸し暑くて、人間の姿では結構堪えるくらい過酷な環境だった。照りつける陽射しは以前にも増して強い気がしたし、その分気温も僅かに上昇している気がした。喉は急激に渇いたし、汗も尋常じゃないくらいに流れ出た。
これじゃ、いつ干からびてもおかしくない。けど、干からびるよりも先に、僕は彼らを倒さなければならなかった。
「竜化するならすれば良い。その方が力を発揮出来るのだろう?」
表情ひとつ変えずに僕を見下すニグ・ドラコに、僕はどう返事をするべきか悩んだ。
それぞれ方角を示すみたいに四体の守護竜達が僕を囲っている。
殺気なんてどこにもない。
彼らを傷付ける理由が……、全然、見つからない。
「そう……だね。竜になって理性が吹っ飛べば、苦しまなくて済むのかも」
ギュッと握り締めた手は、既に鱗で覆われている。
迷うな、逃げるなと、僕は自分に何度も語りかけた。
心の中にぽっかりと穴が開いたみたいに、気持ちの置き場が分からなくなった。悲しみなのか寂しさなのか、喪失感か、虚無感か。どうたとえるのが正解なのかさっぱり見当の付かない感情が僕を支配していく。
「……だけど、僕は僕のままで戦うよ。逃げない。逃げ道なんてどこにもないのに逃げられるわけがない。何もかも受け止めて、僕が全部救う」
ギリリと奥歯を噛んでギュッと目を瞑り、深く息を吐き出してから、僕は顔を上げ、目を開けた。
僕は、白い半竜になっていた。
レグルみたいに、長く白い髪をなびかせ、白い羽と尾を怒らせた白い半竜。全身にびっしりと生えた鱗も、赤い目も、鋭く伸びた牙も、何もかもあいつと同じになった。
暗黒魔法で満たされた竜石製の杭を壊していく度に、僕はどんどんあいつと同じになっていった。白い竜の記憶も、姿も、力も、何もかも……。
これは言わば、最終試験なんだと思う。
僕がどれだけ残酷になれたか、凶悪になれたか。……そして全てを知った上で、本当に倒すべき相手を躊躇なく倒せるための覚悟と、正義があるのか。
世界に君臨すべき唯一の白い竜に相応しい器なのかどうか、あいつは地の底で僕を試し――……待ってるんだ。
世界が終わり、そして始まるのを。
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