8. 哲弥とキース
再生される記憶は、いよいよ現代へと近づいていく。
美桜と凌が接触するまでには相当時間が掛かると踏んで、彼はじっくりと策を練っていた。
黒い湖と都市部を彼が自在に行き来していたことなど、多分誰も知らないはずだ。
千年以上あちこち転々としていた彼にとって、行ったことのない場所がそもそも稀で、レグルノーラの全てが彼の庭だった。
『五人衆が消え、美幸が死んで、美桜の存在が曖昧になった。ディアナが威厳を取り戻し、魔法で禁忌の子の存在がうやむやになった今、私に対する警戒も随分と薄まっている。動くなら今だ。早めに動き、計画通りにリョウが救世主となったなら……残るは、私の次の、白い竜――……』
彼は“干渉者キース”と名乗り、レグルノーラのあちこちに出没していた。殺気も竜の気配も全て隠し、まるで初めから普通の人間の干渉者だったように社会へと紛れ込んでいた。
砂漠の帆船を手に入れ、船のオーナー兼船長としてあちこち巡ったりもした。
人の良さそうなキースの顔は、彼にとって都合が良かった。人間達に警戒させることもなく、懐へと飛び込んで行ける。人間は、笑顔を向けられれば基本警戒しないことを、彼は経験則で知っているのだ。
一方で彼はリアレイトでの情報収集にも余念がなかった。
美幸の住んでいた町に大量の半竜人を送り込み、人間の振りをさせたり、人間に憑依させたりして美桜の行動を監視した。
救世主となるべき少年・凌と美桜が接触するまでじっとなりを潜め、社会の一部となって美桜の日常に紛れていく。
数多の目で監視されるリアレイトの町を、彼は半竜人の目を通して全て把握した。
正体を隠し、人間になり切って生きるのは苦ではなかった。
もう何百年もそうしてきた。
彼にとって、それは息をするのと同じで……。
・・・・・
眠る度に記憶の再生は進んでいく。
以前程ではないけれど起床時に殺気を強くする僕を、守護竜達は何度か取り押さえた。
「神の子、今のは夢だ。過去の記憶だ。貴様の記憶ではない」
フラウに怒鳴られ、ルベールに炎で焼かれ、エルーレに水責めされてやっと落ち着いて。
「ごめん、またやった……。どうして、抑え込めないんだ……」
失態を晒せば晒す程、自己肯定感が低くなる。闇に堕ちないよう、必死に食い止めてはいるつもりなのに。これから僕自身がどうなっていくのか分からない不安と、再生されていく記憶の不条理さが僕を極限まで苦しめていく。
加えてニグ・ドラコの森の、初めてなのに懐かしい景色が僕を追い込んだ。
人間の姿に化けた幼竜達と正体を隠して遊んでいた大樹の下、グレイに食事風景を覗かれた沢、人骨を隠していた岩陰。懲罰会議の名目で成竜達に囲まれたのは、背の高い木々に囲まれた広場のような所で……グラントが僕を見つけたあと、成竜達に酷い言葉を浴びせられた場所だった。
「僕の……記憶じゃないのに」
何度も立ち止まり、記憶と照らし合わせて泣いたり叫んだりした。
「どうしてこんなに苦しくて、どうしてこんなに悲しいんだよ……!!」
感情と一緒に力が暴走してしまわないよう、僕は必死に力を抑え込んだ。竜にならないよう、自分が自分でなくなってしまわないよう、何度も何度も自分自身に言い聞かせて。
「逃げるという選択肢もある。竜化して飛びながら森を抜ければ、妙な記憶は見ずに済む。このままでは、貴様の精神が持たん」
背中を擦るルベールの手を、僕は思い切り払い除けた。
「ダメだ。逃げちゃダメなんだ……。逃げたら、あいつを肯定も否定も出来なくなる。あいつの闇を全部知らない限り、僕は同じことを繰り返すかも知れない。もう二度と繰り返さないよう、何もかも知りたいんだ……! ここまで来て逃げ出したら、意味がないんだよ……!!」
そんなのはただの言い訳で、単に僕に逃げる勇気がないからかも知れないけれど。
僕以外の誰があいつの苦しみを理解出来る……?
唯一無二で爪弾きにされ続けた哀れな竜が、自分だけの正義を貫きながら堕ちて行くのを、僕は目の当たりにしてる。その中で垣間見たあいつなりの優しさみたいなものが嘘だなんて思いたくない。
生まれながらにして悪竜だったなんてことは決してなかったんだ。グレイの証言を聞いて確信した。否定の連続、拒絶の連続があいつを狂わせたんだ。
僕だって、自己否定を繰り返して責められ追い立てられて狂いそうになった。いや、狂った。
記憶の波に晒されただけでもこれなのに、実際に体験していたら?
みんながみんな僕の敵で、理解も手助けもしてくれなかったら?
破壊と再生、バランスよく発揮すべき力なのに、あいつは破壊にだけ特化していた。僕は……あいつの全てを知った上で、あいつとは違う白い竜になりたいんだ。
・・・・・
――再び、記憶の中にいる。
雑踏の中で妙に目立つ、異質な少年の姿。
彼の視線は自然と少年に吸い寄せられた。
キョロキョロと周囲を見渡し、まるで迷子のように動き回るのは、なりたての干渉者特有の行動だ。美幸も同じ動きをしていた。リアレイトから突然飛ばされ、意識が混乱しているらしい。
干渉者など、珍しくもない。それでもやたらと彼の興味をひいたのは、その少年が美桜と同じ学校へ通っていることを、半竜人の視界から送り込まれる映像で知っていたからだ。
『目立ちはしないが、あの少年は確かにあの空間にいたはずだ』
特筆すべき特徴と言えば、丸い眼鏡。頭の良さそうな少年だ。綺麗に切りそろえた前髪の下から、意志の強そうな眉と目が覗いている。
『美桜とは接点が少なそうではあるが……、使えるかも知れない』
美幸の時と同じように、彼は雑踏を抜け、少年のそばまで歩いて行く。辺りを警戒しながらフラフラとする少年の肩に手を付き、彼は優しく声を掛けた。
『大丈夫か、君』
少年は驚き、バッと振り返る。
『だだだ、大丈夫です。な、何ですかあなたは』
『君、干渉者だろう? 安心しなさい。私もこの世界の干渉者だ。異世界にやって来て随分困っているらしい。私で良ければ力になろう』
『か、干渉者……?』
分かりやすく少年は動揺していた。だがここで拒絶されては困る。彼は慎重に、少年の警戒を解いていった。
『異世界に干渉する力を持つ者を干渉者という。ここは異世界レグルノーラ。君の住んでいるリアレイトから遠く離れた世界。君は特別な力に目覚め、ここに居る。私自身も何度かリアレイトに干渉したことがあるのだ。初めの頃は文化や文明レベルの違いに戸惑い、どう力を使っていったら良いのかとても困った覚えがある。困っている時は誰かに助けて貰うのが良いというのは、どの世界でも共通だと思うが……?』
少年はしばらく思案し、それからこくりと頷いた。
『……確かに、困っています。教室で授業を受けていたはずなのに、気が付いたらこんなところにいて。あなたが何を言っているのか、ボクには全く意味が分からないけど、多分そう言うところに迷い込んでしまったってことなんですよね? もし、色々教えて貰えるなら助かります。ぼ、ボク、芝山哲弥です。あなたは?』
背の小さな哲弥は、遠慮がちに視線を上に向けてきた。
彼はニッと口角を上げ、目を細めて哲弥に笑いかける。
『私はキース。これから長い付き合いになるだろう。仲良くしようではないか』
差し伸べた手を、哲弥は握り返した。
・・・・・
頭が、重い。
とうとう夢に若かった頃の父さんが出てきた。
「シバがどうのとうなされていたぞ。父親が恋しくなったか」
起きがけの僕を、ルベールがからかった。
森の中、仮眠を取るため木陰で横になっていた僕は、眠い目を擦りながら竜化を解いてゆっくりと起き上がった。
「んなわけないだろ。――父さんとあいつの過去が、見えたから」
幻滅されるかも知れない、嫌われるかも知れないと、父さんは僕に過去を見られるのをとても怖がっていた。あの様子だと、かなり親密になっていくはずだ。あいつは最初から父さんを騙すつもりで近付いていたんだから、仕方のないことだったかも知れないけれど。
「可哀想って気持ちが、今度は憎しみに変わってきてる。確かにあいつ、最初は可哀想だった。けれどもう、感情移入は無理なんだ。思考回路がぶっ飛んでて、同情も出来やしない。ただただ、実体験みたいに頭の中で再生され続ける記憶を見てる感じがする。興味のない映画を延々見せられてるような」
なるほどなと、ルベールが頷いた。
エルーレは少し頬を緩めて僕を見ていた。
「そういう感情が大切なのだと思いますわ」
「そういう感情?」
「神の子とかの竜は別物。ずっと同じような気持ちでいる方が不自然なのです。レグル様は単にあなたに試練を与えているだけではありませんのよ? あなたとかの竜は同じようで全く違うのです。それを心に刻んで欲しい。そう……仰りたいのだと思いますわ」
いけ好かないレグルの綺麗な顔が頭に浮かんで、僕はフンッと鼻を鳴らした。
「そんな面倒くさいことしなくても、僕は僕だよ。分かってる」
「分かっているならば、記憶に負けて混乱などしないはずだが」
とフラウ。
砂漠で混乱して暴れまくったことを思い出すと、何も言い返せなくなるのは悲しいところ。
「僕にはどうすることも出来ないのに、僕が全部やったみたいに思えたから。けど……違うんだよね。何となく、分かってきた。凄く、時間は掛かったけど」
「理解出来たのならば良いではないか。成長したな、神の子よ」
「うん。ありがとう、ルベール」
「けれどまだ、試練は続きますわよ」
「エルーレは厳しいな。勿論、気は抜かないよ」
「では……、先を急ごう。ニグ・ドラコの森に入ってから、随分回り道をしている」
「だね。フラウの言う通り、寄り道ばっかり。――行こうか」
竜化して飛べば何十分で到着してしまうような道のりを、僕は何度も立ち止まりながら進んでいた。
それしか方法を知らないみたいに。
わざとらしくのんびりと。
視界の先、高くそびえる木々の奥に黒い柱が見えているのは知っていた。
もうすぐ最後の杭、地竜ニグ・ドラコの守る杭へと辿り着く。
そこでどんな試練を与えられるのか、その時の僕には知る由もなかった。
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