7. レグルと竜石の娘

 悠久の時を、彼女は懺悔と共に過ごした。

 追体験ではあるけれど、僕も同じように長い時を過ごしてきたから、彼女の気持ちは何となく分かっているつもり。


「今更どうにもならぬ。我に出来ることも、何一つ残されてはおらぬ」


 グロリア・グレイの横顔はとても寂しげで、僕の胸はぎゅうっと締め付けられていく。


「難しいね……、立場の違う者同士が分かり合うのは。ほんの少しのすれ違いが何もかも変えてしまったなんて……辛過ぎるよ」

「その言葉を、千年前に彼奴の口から聞いていたならな」


 洞穴内を、グレイと連れ立って二人で歩く。ぼんやりと光る竜石のお陰で、地下とは思えないくらい明るくて、まるで夜景の中にいるみたい。

 見せたいものがあると彼女が言うので、僕は快く誘いに乗った。そうそう来れる場所でもないし、断る理由もなかった。バーチは付いて来たがったが、守護竜達に預けた。行先は、普段誰にも見せない場所だとかで……バーチには内緒らしいのだ。


「妙な感じがする。うぬは神の子で、彼奴ではないはずなのに」

「それ、僕も。僕の知るグレイは小さくて可愛い女の子で、こんなに綺麗なおねえさんじゃなかった。でも、全然変わらない。あの日のままのグレイと話してるみたいなんだよね」


 記憶が見えること、あいつの記憶を全部見てることは、グレイには早々に伝えた。僕の言動は明らかにおかしかったろうから、その弁明も兼ねて。けれど彼女は最初からそれを知っていたみたいに、僕の杞憂を笑い飛ばした。とても……嬉しかった。

 一方で彼女には、真の姿は巨大な黒い地竜で相当に凶悪で暴力的なのだと告白された。けど、僕の方がデカいだろうし凶暴だろうから、そんなのは全然弊害にならないと思った。二人揃えば白と黒だねと言ったら、グレイは苦々しく笑っていた。

 実際に生きてきた年月も立場も全然違うのに、アナベルとはまた違う不思議なものを感じて、グレイとは自然に意気投合した。


「汝はレグルよりも、あの日の彼奴に似ておるわ。我が共に過ごしていたのは、丁度汝と同じくらいの歳の頃だったのでな」

「そんな似てる?」

「似ておる。相当に。汝の方が随分お喋りではあるがな」


 竜石の岩盤を削ってつくられた宮殿の更に奥、長い長い通路の先に、分厚い竜石製の扉があった。

 扉には竜の顔と幾何学模様、古代文字が刻まれている。

 ――“神に赦された者だけが真実を知り世界を救うだろう。世界は常に罪に縛られ、革命を拒む。全てを知った上で神に挑み、新たなる世界を創造せよ”

 何を言わんとしているのか何となく分かる。つまりこれは……。


「どうしても、神の子に伝えねばならぬと思っていたのでな。機会があって良かった」


 重い扉を魔法で開けると、グレイは僕を部屋の中へと案内した。

 随分長い間誰も入っていないんだろう。空気が違う。ほんの少しの埃っぽさとカビ臭さが鼻を掠め、そして竜石の壁が僕の来訪に気付いてにわかに光を帯び始めるのに、背筋が震えた。

 通された部屋には、作業台のような広めのテーブルが一つ。竜石の塊が、大小ゴロゴロ足元に転がっている。石を削ったような跡、砕いたような跡。竜石の加工場だろうか。

 僕は作業台の手前まで進んで、落ちていた竜石の欠片を手に取った。虹色に淡く光る石。ほんの少し力を込めると、僕の魔力に反応してサラサラと砂のように砕けてしまう不思議な石。


「竜が化石になるまで、一体どれくらいの時間が必要なのか、我には分からぬ。……が、この石が世界を如何様にもしてきたのは事実なのじゃ。竜の力を封じ、人々の暮らしを豊かにし、力を与え、或いは奪う。長い時を生きてきた竜が、最後の最後にこの世界に齎した希望とも言うべき力を、竜石は持っておる」


 扉を閉じ、僕とグレイのふたりきり。

 静かな空間に、グレイの声はよく響いた。


「特にこの、ニグ・ドラコの森と人間共が称する一帯から採れる竜石は、純度が高くての。じゃからレグルも、ここの石で汝の力をどうにか出来ぬか試行錯誤しておった。ここはその……作業場じゃ」

「そうか。じゃあここでリサは」

「“竜石の娘”と……彼奴は呼んでおった。バーチの両親が快くレグルの手助けを買って出てくれてな。それだって、偶々洞穴に迷い込んだバーチを彼奴らが助けに来て、レグルと知り合ったのがきっかけだった。レグルは相当早い段階からここに出入りして、ああでもないこうでもないとやっていたようじゃ。我は場所を提供したに過ぎぬ」


 グレイの目の中に、竜石片手に思い悩むレグルの横顔が見えた。バーチの両親らしきつがいの竜と、幼い頃のバーチの姿もある。


「石をあの大きさで削り出すにも時間を要したが、命を吹き込むのには……更に時間を掛けていた。土塊つちくれから魔物を作り出すのと同じではいけない、神の子の力となり支えとなるような存在でなければと」

「流石だね。ちゃんと……そう、なってるよ。僕はリサに随分助けられた。彼女がいなかったら、僕はここに辿り着けてない」

「本来ならば、レグルの授けた知恵や記憶を駆使して汝を支えるようになるはずじゃったと聞いておる。予定外の事態が起きて、万全ではない状態で汝と出会うことになったようじゃが」


「記憶がないって言ってた。確か凌は……頼んだヤツがしくじったとか言ってたような」

「都市部へ向かった時に、市民部隊の襲撃を受けた。都市部では中途半端な人化は通用しないと、バーチの親達には伝えたのだが……無理を、してしまったようでな。バーチはそれで親を失った。流石の我も申し訳なく感じて、面倒を見てやっているというわけだ」


 ずっと引っかかっていたことが、急に線で繋がれる。

 記憶喪失のリサ、竜石の娘、やたらとグレイに気を遣うバーチ……。


「そうか。バーチは僕のせいで親を亡くしたんだね」

「汝のせいではない」

「いいや、僕のせいだよ。レグルは僕のためにリサを作った。僕が化け物になる未来が見えたからそうせざるを得なかった。リサを都市部に連れてくためにバーチの親が死んだ。何もかも、僕のせいだ」


 グレイの記憶の中で、リサが微笑んでいる。僕の知るリサとは少し違って、もっと神秘的で、もっと……大人しそうで。


「僕のせいだから、全部僕が終わらせなくちゃ。あいつが始めた地獄も、何もかも」


 小さなため息と共に吐き出した台詞にグレイは目を潤ませて――急に僕に抱きついた。強く立てた彼女の指が、僕の腕の皮膚に刺さって血が滲む。


「グレイ……どうしたの」

「汝が、ひとりで背負うべき業ではない」


 抱擁と言うより締め付けに近いくらいの抱きつき方に、僕の骨はギシギシ言った。彼女の震えが伝ってきて、僕は思わず彼女を抱き返した。


「――救ってやって欲しい。彼奴を、今度こそ」


 彼女は、僕の中にあの日のあいつを見ていた。


「うん。そろそろ……解放してあげなくちゃね」


 しばらく僕らは抱き合った。

 僕らの間に、言葉は要らなかった。






 *






 グロリア・グレイはとても美しく、儚げな竜だと思う。


「汝だけだ、そんな訳の分からぬことを言うのは。こう見えて、ドレグ・ルゴラの次に恐ろしいと言われておるのだぞ?」


 宮殿に戻り、帰り支度をする僕に、グレイは言った。


「ドレグ・ルゴラの次は僕だから、その次だよ。あ……でも、僕があいつを倒して次のドレグ・ルゴラになるんだから、やっぱり二番目かもね」

「また適当なことを」


 グレイは僕の白い髪に執着し、何度も髪を撫でてきた。好きだったんだろう、それくらい。あの、名前のない可哀想な竜が。


「次は、日の光の下で会いたいな。会えれば……だけど」

「我はこのまま地の底で朽ちるつもりじゃが、神の子は我を洞穴から引き摺り出すつもりか? 強力な呪いなのだぞ? それこそ、日の光で鱗が爛れるくらいには」


 竜達はグレイの罪を重く見て、強力な呪いをかけた。千年も続く呪い……それくらい、竜達の尊厳は踏みにじられたってこと。

 気高い竜は、知性のある人間という存在を尊重し、決して傷付けないと神に誓った。それをあの白い竜は容易く破り、破壊の限りを尽くす悪竜になってしまった。

 同じ森で、その正体を知らずに長い時間をあいつと過ごした竜には……重い罰が下ったんだ。多分、凌と同化していたという金色竜もそう。グレイは……あいつが闇に堕ちるきっかけを作ったから、更に重い罰。


「グレイの地獄も、僕が絶対に終わらせるよ。君はもう、赦されても良いはずだから」


 さようならとは言わなかった。


「絶対に、また会おうね」


 グレイとバーチに別れを告げ、僕は守護竜達と洞穴を後にした。

 ここから北へ向かうと最後の杭があるはずだ。

 あいつの記憶を辿りながら、僕はまた歩き始めた。

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