6. グロリア・グレイ

 奥へと向かうに連れて洞穴内の温度は下がり、口から白い息が漏れるようになる。手足が冷たくなってきて、ちょっとマズいなと感じ始める。

 竜であるバーチも元々石像の守護竜達も平気そうだったが、僕は凍えそうだった。人間の身体に竜の羽と尾を生やしたくらいの竜化だったからか、体温が低下して感覚が鈍ってきていた。これではマズいと、飛びながら厚手のコートを具現化させて、マフラーと毛糸の帽子、毛糸の手袋、厚底のブーツでどうにか防寒した。


「寒いのか、竜のクセに」


 後ろを飛んでいたはずのルベールがわざわざ隣にやって来て、僕を煽った。


「ベースは人間なの。一緒にしないでよ」

「中途半端なヤツだな」


 呵々と笑われてムッとはしたけど、寒いよりマシだと思った。

 酸素濃度も、奥に行くにつれて若干薄くなって来たような気がする。

 何百メートルあるのか分からないくらい洞穴を進んでいくと、少しずつ周囲の様子が変わっていく。ほんのり……明るい。真っ暗だったはずなのに、僅かに壁の凹凸が見えるようになってきた。気のせいでなければ、壁がじんわり光っている。


「竜石の壁が見えてきた。もう少しだよ」


 バーチが言う。


「竜石の壁? ここ、竜石の岩盤の中か……!!」


 淡い虹色の光を放つ岩盤に囲まれた通路を、僕らは抜けていく。

 竜石は竜の死体から出来た化石だと聞く。竜の力を吸い取るとも。けど、不思議と苦しくもないし、辛くもない。一体、どうして……。

 ――広い、空間に出る。

 足元は石畳のように四角く切り取られた竜石が丁寧に敷き詰められ、整然と並んだ細い柱の上に、魔法の炎が揺らめいて辺りを照らしている。その先に、竜石製の荘厳な宮殿が見えた。


「な、何だこれ……? 本当に、洞穴の中?!」


 竜化を解いて地面に降り立ち、有り得ない光景に目を丸くする僕を、バーチは笑った。

 人化魔法で半竜の姿になったバーチは、薄着のままで僕の周囲をケラケラ笑いながら飛び跳ねている。


「凄いでしょ、ここ! グロリア様がおつくりになったんだよ!!」

「す、凄い。……ねぇ、どうしてこんなに竜石で囲まれてるのに、僕は平気なの? 確か竜石は竜の力を弱らせるはずじゃ……」


「――竜石が竜の力を吸い取るのは、そういう魔法を掛けているからに他ならぬ」


 見知らぬ声が宮殿の方から聞こえ、僕は慌てて顔を向けた。

 美しい……メスの半竜。豊満な胸の谷間を強調させたような黒いドレスに身を包んだ彼女は、黒い羽を広げ、金色の目を光らせて僕を見ている。黒い鱗で覆われた白い肌を見せつけるような露出度の高いドレス。深いスリットの入ったスカートの下からは美しい太ももが丸見えだった。

 腰まで長いストレートの黒髪を揺らし、カツカツと高めのヒールの音を響かせながら、彼女はゆっくりと通路を降りてくる。


「ここの竜石には何の魔法も掛けられておらぬ。だから竜が近付こうと、触れようと、何も起こらぬ。が、ひとたび魔法を掛ければ、一帯の竜石が反応し、我もうぬらも生きてはおられぬだろうな」


 寒さを凌ごうと上から下まですっぽり防寒着な僕と違って、彼女はめちゃくちゃ寒そうな格好をしているのに全然平気そうだ。羽も角も尾もあるから竜に違いないのは頭では分かってるけど、実際の気温と釣り合わない姿に、軽く頭が混乱しそうになる。


うぬが神の子か。レグルと同じ顔をしおって……」


 近くまで来ると、彼女はふぅと長い息を吐き、僕をまじまじと観察しだした。

 フードをすっぽり被って顔の半分をマフラーで隠した僕の顔を覗き込むように見て、口元を歪めている。


「グロリア・グレイ……?」

「如何にも」


 僕より少し背が低い彼女は、顎を突き上げて高圧的にそう答えた。

 無理矢理刺々しく見せているけれど、彼女に漂うのは綺麗な竜胆色。バーチの言うように優しい竜なのだと思う。だから全然怖くなかったのだけれど、初見にもかかわらず平然としている僕が面白くなかったのか、彼女は不満げにフンッと鼻を鳴らした。


「何とも惨たらしい運命の中にある竜よの、汝は。どう……詫びたら良いのか、幼かった我の愚行を、今更ながら悔いる。本当に……残酷なことをした。汝にも、彼奴にも」


 一瞬、グロリア・グレイと目が合った。白い髪をした小さな男の子が見えて、僕は息を呑んだ。


「やっぱり、グレイ……だよね。仲良くしてくれたの、覚えてるよ」


 変な言い方をしたからか、グレイは眉をハの字にした。


「ずっと……気がかりだったんだ。僕の正体を知ってグレイがどれだけ苦しんだか、どれだけ傷付いたか考えると、苦しくて苦しくて。君と……もっと仲良くしたかった。僕が白い竜でなかったら、君とつがいにもなれたと思う。早く言えば良かったんだ。ごめんなさい……! 本当に、ごめんなさい!!」


 アレは僕の記憶ではなかったのだけど。

 グレイの透き通るような金の瞳に吸い込まれ、僕はあの日、泣きながら別れを告げてきた彼女を思い出していた。

 厚手の手袋のままギュッと手を握り、声を震わせて僕は言った。


「何故汝が謝る」


 グレイは僕から目をそらした。


「あの、そ、それは」

「まぁ良い。汝が謝らんでも、レグルが彼奴の代わりじゃと謝ってきたわ。……つくづくそっくりじゃな、汝らは」

「あ……」


 僕はばつが悪くなって、思わず手で口を塞いだ。後ろで守護竜達が苦笑いするのが聞こえて、益々肩身が狭くなる。


「バーチ、ご苦労だった。菓子を用意してある。神の子らも一緒に、お茶でもどうだ」

「やったぁ! グロリア様のお菓子、美味しいんだよ。神の子も一緒に食べよう?」

「う、うん……?」


 何が何だか分からなかったけど、どうやらバーチの言う通り、グレイは僕を待っていたらしい。

 僕は促されるまま、宮殿の方へと足を向けた。






 *






 竜石で出来た宮殿の中は、建物の外よりは暖かかった。めちゃくちゃ暖かいという程でもないけれど、フードと手袋を外しても我慢出来るくらいには暖かい。

 宮殿の中は何もかもが竜石で出来ていた。柱も壁も、椅子もテーブルも、何もかも。カップとソーサーまで竜石製だと言われた時には度肝を抜かれた。どれもこれも、グレイが長い年月を掛けて作り出した代物らしい。


「表向きは、我が美貌で若い雄竜達を誑かした罰ということになっておるがの。真相は汝の知る通り。我がかの竜を追い詰め、破壊竜へと変えた、そういう罪でここに押し込まれた。以来千年以上、我自身は外に出ておらぬ」


 大抵の食べ物は魔法によって取り寄せたり、或いは協力してくれる竜達が外から持ってきてくれたりするらしい。今はバーチがその役目を負っていると聞いた。

 出されたのは、花の香りのするお茶と、タルトみたいなお菓子。手作りらしいと聞いて驚いた。彼女は間違いなく竜だけど、人間と同じようなことを普通にやってのけるのだから、凄いとしか言い様がない。


「ここには気まぐれに竜が来る。暇を持て余してやってくる竜、我に興味を持ち協力を申し出る竜、死に場所を求めて洞穴の更に奥に向かう竜……。人間も偶に迷い込む。……が、我のところまで辿り着く人間は稀でな。彼らの目的は大抵竜石じゃ。余所でも竜石は採れるが、ここの竜石は純度が違う。何せ多くの竜達がここで息絶え、石になったのじゃ。力を欲するだけの愚かな人間を我は大勢追い返した。竜石を守る危険な竜だと恐れられたが、それもこれも、同胞を守るためじゃ」


 出されたお茶を啜りながら、僕はグレイの話を聞く。

 なかなか開放的な格好をしている割に、彼女はとても繊細で誠実なようだ。

 お菓子も美味しい。ほかにもプリンとかクッキーとか色々置いてあって、僕は次々手を伸ばしてパクパク食べた。

 バーチは話を半分以上聞いてなくて、普段はこんなにお菓子出ないんだよなんて言いながら、食べるのに夢中になっているみたいだった。

 ルベールとフラウ、エルーレにもグレイはお茶を出してくれた。彼らも一緒にテーブルについて、のんびりお茶の時間。洞穴の奥でやることじゃないと思うけど、その辺は気にしないでおこうと思う。


「塔の魔女が出入りしてるって……確か、うろ覚えだけど、聞いた気がする」

「ああ、よく来る。死に戻って卵に還った竜が、宮殿の奥で眠っている。しもべ竜を欲する人間が現れると、塔の魔女は卵を貰いに来るのだ。彼らに授けるためにな」

「じゃあ、グレイは歴代の塔の魔女のことを知ってるんだね」

「そうとも」

「白い竜がどんどん忌み嫌われていったのも、知ってたってことだよね」

「知っていた。しかし、どうにも出来ぬ。地の底で、誰かが彼奴を止めてくれるのを待つだけじゃった」


 変身術で人間の子どもに化けた白い竜は、正体を隠して何年も幼竜達と日々を過ごした。

 自分が恐ろしい竜だと知れたら、森には居られなくなると知っていて、決して竜の姿を晒さぬよう、慎重に慎重に過ごしていた。


「君は……白い竜は、恐ろしいと思う? あの、名前のない竜は最初から恐ろしかった? どうかな」


 もしかしたらレグルも同じことを聞いたかも知れない。

 けれど直接彼女の口から聞きたくて、僕は彼女の答えを待った。

 グレイは僕の向かいの席で長い髪を弄り、目に涙を浮かべてこう言った。


「恐ろしかったら何年も共には過ごさなかったろう。アレは純粋で、さみしがり屋で、恥ずかしがり屋だった。我ら竜が、世界が、彼奴を追い詰めた。確かにアレは残酷で、凶暴な竜であったが……、竜とは元来そういう生き物だ。彼奴だけが特別に残酷で凶暴だったとは思わぬ。……ただ、力がな。彼奴の隠し持っていた力が、普通の竜とは比べものにならぬくらい強大だったのだ」


「あいつは力の加減を知らなかったから」

「己が何者かも知らぬ状態で力だけ与えられればそうなる。汝も同じではないか」

「うん。見てたんだっけ? 僕が暴れるとこも」

「相当に凶暴だ。アレでは人間共が寄りつかぬ」

「だよね。そう思ったから何度も逃げたのに、凌のヤツ、何度も僕を引き戻すんだ。あの手この手で、どうにか人間達との距離を縮めようとしてくる。ホント、迷惑だよね」


 ハハハと小さく笑ってお茶を啜ると、グレイはくすりと口角を上げた。


「リョウは彼奴を本気で救おうとしておる。汝も知っておろう?」

「知ってるよ。そのために作られたってことも、勿論」

「彼奴と違い、神の子、汝には敵はおらん。誰も彼も、汝に力を与えるため、奔走しておる」

「うん」

「守護竜像の化身共も、当然、汝のために全てを捧げようとしておるようだ。覚悟は出来ておるな」

「大丈夫。頑張るよ」


 多分、グレイはレグルに何かを聞かされてる。彼女の記憶を探ったら、それは全部分かってしまうんだろうけど――怖くて、やめた。

 何もかも聞いてしまったら、それこそまたおかしくなって、手当り次第壊したくなるかも知れない。それだけは、避けたかった。

 僕とバーチは食べたいだけ存分にお茶とお菓子を味わった。

 それから少しだけ、グレイと昔話をした。

 彼女の初恋があいつだったことを改めて聞かされた。

 何かが違っていたら、僕が生まれることのない、別の未来があったかも知れないと思うと、とてもやるせなかった。

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