5. 洞穴へ

 僕らはバーチに案内され、森を進んだ。

 天気も良く、気持ちよい風が木々を抜けていく中、のんびりと連れ立って歩いて行く。

 グロリア・グレイの棲む洞穴は、ニグ・ドラコの守る柱よりは手前にあるため、元々向かおうとしていたところでもあった。ただ、方角が少し違う。僕らがテントを張った所から柱は北西に、洞穴は真西にある。少し遠回りにはなるが、期限までは未だ余裕があるから、十分寄れると踏んでいた場所だ。

 バーチは何故かルベールに良く懐いて、フラウにもエルーレにも楽しそうにちょっかいを出す。そして僕にも、偏見なく話し掛けてくる。


「グロリア様が仰ったんだ。同じ白い竜でも、ドレグ・ルゴラは恐ろしいけれど、レグル様はお優しい。そして神の子も、お優しいに違いない。神のような力を正しく使えているならば、奇跡を見せてくれるだろうって。その通りだった。こんなに完璧な人化魔法、見たことがない!!」


 目の前をぴょんぴょん跳ね回りながら嬉しそうに話すバーチは、多分僕の悪行を知らない。無垢というか、無知というか……けど、悪い気はしない。


「元々人間として暮らしてたからね。別にたいしたことじゃないよ」

「に、人間として暮らしてたの?! 白い竜なのに?!」

「そう。僕、自分が竜だって知らなかったから」

「えええっ?! そ、そんなことある?!」


 反応が面白くて、僕は思わず笑ってしまった。

 竜は基本、人間の世界では暮らさない。都市部に暮らすのは人間と契約をしたしもべ竜くらいだと聞いたことがある。


「ところで、僕がこの森に入ること、よく分かったよね。グロリア・グレイって、未来を見るような特性でも持ってるの?」

「違う違う。グロリア様は魔法の鳥を飛ばして世界中を水晶で眺めてるんだ。ルベールの森に神の子がやって来た辺りから、『いずれこの森にも来るかも』ってずっと待ってるみたいだった。凄く会いたがってた。グロリア様は洞穴から出ることを許されていないから」


「許されていない……? どうして?」

「さぁ。詳しくは知らないけど、昔とても悪いことをして、それから罰として竜の卵の番をすることになったんだって聞いてる」

「竜の卵って、あるじを失ったしもべ竜が――っていう、アレ?」

「それ。けど、あんなにお優しいグロリア様が、一体どんな罪を犯したのか、誰も教えてはくれないんだよね……」


 バーチの記憶を探るに、確かにグロリア・グレイは洞穴から一切出ない。半竜の姿で過ごし、暗い洞穴の奥で静かに暮らしてきたようだ。


「で、バーチはどうしてグロリア・グレイのところに?」

「――えっと、実は元々、ぼくの父さんと母さんがグロリア様のお世話をしていて……けど、いつだったか森の外に出てったっきり戻らなくなったんだ。見かねたグロリア様が、ぼくのことを育ててくれて。だからぼく、グロリア様のお役に立ちたくて……」

「そうなんだ。じゃあ、僕が行けばグロリア・グレイは相当喜ぶだろうね」

「うん!」


 申し訳ないくらい、バーチは嬉しそうだった。

 僕は正直、嫌な予感しかしないのに。

 もし仮に、グロリア・グレイというのがあいつの記憶にいた彼女なのだとしたら、きっと僕のことは大嫌いに違いない。金色の目から溢れる涙が忘れられない。多分、あいつが闇に堕ちた分岐点の一つだから、きっと彼女も長い間苦しんだに違いないんだ。


「無理に会いに行こうとしなくても良いのよ」


 深くため息をつく僕に気が付いて、後ろからエルーレが歩を早めて声を掛けてくれた。

 大丈夫だよと僕は笑い返し、そしてまたため息をついた。


「僕の記憶じゃないのはちゃんと分かってる。レグルのことも知ってるなら、グロリア・グレイは過去を清算してるはずだし。僕を呼ぶってことは、彼女が僕自身に用事があるんだと思うから、会いに行くよ。それに、これを逃したら会えなくなるかも知れないしね」


 僕には未来がないから、とは口にしなかった。

 言いたいのをグッと我慢して、僕は無理矢理口角を上げ、平気な振りをした。






 *






 森の中を数日歩く。

 ルベール達には何度も魔法で飛ぶよう急かされたけれど、僕は拒んだ。

 見覚えのあるところで何度か立ち止まり、白い竜の記憶を辿る。ひとつひとつ、罪の重さを確かめるように、僕はあいつの言動を思い出していく。

 千年以上昔のことだから、もう誰も覚えてやいないし、何もかも変わってしまっているはずなのに、罪の重さだけはずっと変わらずに、僕の心を刺してくる。


「止まるな、進め」


 フラウが何度も僕に注意した。


「情緒が不安定になると、直ぐ鱗が浮かぶ。平静を保て。貴様は破壊に身をやつしたあの竜とは別物なのだから」


 森の竜を襲って食いまくっていた岩場の近くで、僕はしばらく動けなくなった。

 苔むした岩に覚えがある。今は当時より苔が濃くなって、蔦がびっしりと這っている。あの岩の後ろに隠れて、僕は竜を背後から襲った。そして、首をガブッと囓って息の根を止め、肉を貪り食ったんだ。

 自分の記憶じゃないのに、血と肉の味が思い出されて、吐きそうになって。

 混乱……しそうになる。


「分かってる。大丈夫。何もかも壊したくなる気持ち、頑張って抑えてる」


 バーチは僕の表情が暗くなると、怖がってルベールの後ろに隠れた。

 普段は抑えている殺気が溢れ出して、周辺から生き物の気配が一気に居なくなるのも、僕を追い詰める一因だった。

 疎外感が僕を追い込んでいく。

 その度に、僕は一人じゃない、大丈夫と何度も自分に言い聞かせた。






 *






「神の子も竜を襲うの?」


 飯時に温かいスープとピザを具現化させて振る舞っていた時、バーチに聞かれる。


「襲いたくて襲うわけじゃないけどね」


 言うとバーチはブルッと震えて、ピザを載っけた紙皿を落としそうになった。


「大丈夫だよ、今は落ち着いてる。バーチのことは襲わないよ。グロリア・グレイのところに連れてって貰えなくなったら困るからね」

「……用がなくなったら襲うかも知れないんだ」

「襲わないよ。誰も傷付けたくない」


 森の中では毎回、焚き火を囲って暖を取りながら食事した。炎は心を落ち着かせてくれるし、魔物除けにもなる。そもそも僕の気配に怯えて竜も魔物も近付いてくることはないんだけど、それでもこういうのに拘っているのは、白い竜としてではなく、一人の人間として森を抜けたいからだ。

 そんな僕にバーチが妙な聞き方をしてくるってことは、抑えているつもりでも殺気をプンプン漂わせてるからなんだろうし。白い竜は竜も人間も何でも食うって話を、どこかで聞いて知ってるからだろうし。


「白い鱗ってだけで、あいつは相当苦労した。僕も同じ。……けど、僕はあいつじゃないから、破壊竜にはならないよ。バーチ、僕のこと怖いんでしょ?」

「そ、そんなこと」

「正直に言って良いよ。君の気持ちは見えてる。嫌われるのも、怖がられるのも慣れてるんだ。それでも僕から離れないのは、グロリア・グレイに頼まれたからだってことも、分かってる。バーチは優しいね。僕に気を遣う必要なんて、ないからね」


 ニコッと笑ってから、僕はピザに齧り付いた。チーズとトマトが多めのピザ。これがどんな食べ物か竜達は知らないだろうけど、僕は彼らの嗜好に関係なく、僕の食べたいものを具現化させて一緒に振る舞う。それを美味しそうに頬張ってくれるのが嬉しくて、僕は毎回、この静かで待ったりした時間を楽しみにしている。


「もっと……神聖な存在だと思ってた」


 バーチは小さな口で、ピザの端っこに齧り付いた。


「神聖な存在? 僕が?」

「神の子は、神と同等の力を持つ存在だって、グロリア様が」

「神聖なんて買い被りすぎだよ。全然そんな感じじゃなかったでしょ?」

「……うん。でも優しい。こ、怖いけどね」


 引きつった顔を見せるバーチに、僕はかける言葉が見つからなかった。






 *






 深い深い森の奥にある洞穴の入口は、生い茂った木々と蔓や蔦に覆われていた。大きな岩が入り口を隠すように両側に鎮座していて、その間を潜るようにしなければ中には入れない仕様らしい。最近出入りしたような足跡は、バーチのものだろうか。周囲の土や草の様子から、訪れる者の少なさがうかがい知れる。

 洞穴が見えてくるとバーチはわかりやすく歩を早めた。こっちこっちと手招きして、僕らを中へと誘導する。


「ここが、グロリア・グレイの洞穴……?」

「そうだよ。こっちおいでよ!」


 戻って来れて安心したのか、バーチは表情を明るくした。

 守護竜達もホッとしたようにバーチを見ていて、僕もそれは同じだった。


「真っ暗いから気を付けてね。実は変なヤツらが来ないように、中は迷路になってて……」

「迷路は困るな。案内して」

「任せてよ!」


 僕らはバーチの後に続き、洞穴の中へと入っていった。

 基本的には一本道。途中幾つか分岐があるが、直ぐに行き止まりになるらしい。

 洞穴の中には冷たい空気が漂っていて、肌に当たると気持ち良かった。天上から垂れ下がった鍾乳石を最初は避けながら進んでいく。途中から徐々に天井が高くなって、そのうち僕らが手を伸ばしても天上に届かないくらいに、空間が広がってゆく。

 洞穴は思いのほか深くて、それこそどこかのダンジョンみたいな感じだった。明かりはない。僕が竜じゃなかったら、夜目も利かず、何も見えないんじゃないかってくらい真っ暗で、少し、薄気味悪い。


「バーチ、ここ、魔物が出たりするの?」

「するよ。大蝙蝠こうもりとか、洞窟蜥蜴とかげとか……。でも、竜は襲わないから大丈夫。奥までかなり遠いんだ。ぼくだけのときは飛んでくんだけど……」


 チラリと、バーチが僕を見る。

 僕を気遣ってずっと遠慮していたバーチに申し訳なくなって、仕方ない、折れることにする。


「良いよ。竜になって飛んでく方が早いんだよね。どうしてもグロリア・グレイに早く僕を会わせたいみたいだし。じゃあ……飛んでく?」

「やったぁ!! 怒られたらどうしようかって思ってたんだ。奥まで行くのに、歩いてったらもっと時間がかかるからさ!」


 洞穴の中に、バーチのキャッキャと喜ぶ声が響いた。


「やれやれ。やっと竜化する気持ちになったか」


 フラウの呆れたような声が聞こえて振り向くと、ルベールもエルーレもホッとしたような顔をしている。


「疲れる訳では無いが、面倒ではあるからな、歩くのは」

「頑固者は困るわね。さぁ、行きましょう、グロリア・グレイが待ってるわ」


 グッと力を入れて、僕は白い羽と尾を出現させる。若干鱗や角も出たけれど、飛ぶのに支障はない。

 バーチも幼竜の姿に戻り、羽を動かして準備していた。


「じゃあ、飛ぶから付いてきて!」


 幼竜のバーチは勢いを付け、洞穴の奥に向かって飛び始めた。

 僕も守護竜達も、バーチの後を追った。

 次第に洞穴の中は暗く、冷たくなっていく。

 深く深く、地の底へ続く穴は、とても静かで、とても……寂しい気配がしていた。

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