4. グロリアの使い
もう、千年くらい前の話じゃないかと思う。確か、神殿が作られたのと同時期だったから、多分それくらい前のこと。
一匹の白い竜が、ニグ・ドラコの森のどこかで生まれた。
どこの誰が産み落としたかも分からない卵から孵って、瀕死のところをグラントという老竜に助けられる。それからしばらくの間、白い竜はニグ・ドラコの森を彷徨い、ひっそりと生きていた。
「この辺、見覚えがある」
木や草の種類を確かめて僕が言うと、ルベールがへぇと感心したような声を出した。
「かの竜の記憶か」
「うん。確か……人間の肉が食いたくて、あちこち彷徨ってた時に。ここから南の方に、木こり達が木を切り出しに来てたんだ。その時……ガブッと。一人やられると、人間達は心配になって数人連れだって探しに来る。そいつらもガブッと食べた」
「美味かった?」
「どうだったかな。魔法も帯びてない、硬い肉の人間が多かった。それでも、貪るように食べてたんだから、多分美味かったんだと思う。同じところでばかり待ち伏せていると、人間は次第に警戒し出す。だから場所を変え、時間を変えて襲ったんだ」
あの時、一体どれだけの人間を襲っていたのかは覚えていない。
けど、人間にも竜にも噂されるくらい襲いまくった。
「教会へ向かうと聞いて多少は心配したが、誰も襲わずに帰ってきたところを見ると、だいぶ落ち着いてきたのではないか。今も、記憶の話をしている割には落ち着いている」
今度はフラウが僕を見て目を細めた。
「そうだね。六本目、七本目くらいが一番キツかった。拒絶反応だったのかも。白い竜に対して、凄く……嫌なイメージしかなかったし。自分が自分じゃなくなってくのが、怖くて仕方なかった」
「今は違う?」
「慣れたのかな。どんなに足掻いても、鱗の色は変えられないって分かったから。擬態は出来るだろうけど、それってあくまで擬態だからさ。今はこうして人間の姿で森を歩いてるけど、中身が白い半竜だって事実は、変えたくても変えられないんだ。それに……」
「それに?」
「僕とあいつは同じだけど、違うんだ。あいつの行動を全部理解しているようで納得してないのは、多分僕があいつと同じにはならないってどこかで確信してるからだ」
「面白い言い方をする」
「愛された記憶があるから、踏みとどまっているのかも。つまり、凌の……レグルの目論見は成功してる」
「流石はレグル様というわけか。御前で平伏すが良い」
「あはは。そうする」
何時間となく歩き続けて、少しずつ日が傾いてくると、次第に周囲に現れる生き物の種類が変わってくる。小動物はなりを潜め、今度は夜行性の動物や魔物が動き出す。
開けたところにテントを張り、朝方まで休むことにした。
睡眠が必要なのは僕だけで、守護竜達は元々石像だから、身体を休める程度で良いらしい。火を焚いて鍋を食ったり肉を焼いたり、ちょっとだけキャンプっぽさを演出して楽しんで、それからテントで寝袋に包まって寝た。火の番は、ルベールとフラウが買って出てくれた。
エルーレにも専用のテントを張って休んで貰った。彼女は女性だから特別に気を遣う。ご機嫌を取っておくのも必要だってことくらい、僕も知ってる。
宵闇に紛れた何かが僕らの様子を伺うような気配はずっとしていた。
僕らは突然森に入り込んだ変なヤツらだから、仕方ない。
けれど襲って来ないのは、多分彼らの本能が僕の恐ろしさを感じ取っているからなんだと思う。
いざとなったら僕は何でも食うだろうし、殺すだろう。グッと力を抑え込んでいるつもりなのに、そういうのは野生の勘で分かるのかも。
フクロウかミミズクか……鳥の声が遠くで聞こえる中、僕はゆっくり休むことにした。
眠ったら、また悲惨な記憶の続きを見てしまう。それは嫌だ。嫌だけど……僕にはどうすることも出来なかった。
・・・・・
美幸が死の間際に書き換えた魔法陣は中途半端に発動して、彼が想定していた被害を半分以下に留めた。
禁忌の子の存在は一時的にレグルノーラからは忘れ去られたが、永久的なものではなかった。
大地を焼き尽くす勢いで魔力を込めたにもかかわらず、森と都市の一部が削れたに過ぎなかったのも、彼を怒らせた。
『想定外だ。想定外だったが、見つけたぞ救世主――!! どんな手を使ってでも、私は貴様を救世主に仕立て上げてやる!!!!』
感情を爆発させた彼は、白い竜へと姿を変え、街を焼いた。
焼くだけ焼いて壊すだけ壊しまくって、人々に恐怖を植え付けたのち、彼は砂漠の向こうへと飛び立っていった。
再び、時空の狭間とも呼ばれる砂漠の彼方へ。
……そこで、あの男を救世主に仕立て上げるための準備をする。
『時間は十分にある。リアレイトに干渉し、じわじわと追い詰めるのも悪くない』
彼は
『絶対に逃さない。全ては約束を果たすために――……!!』
・・・・・
穴だらけになったテントから朝の陽射しが入り込み、眩しさで目が覚めた。
人間の姿で丸まって寝ていたはずなのに、寝ている間に白い半竜になっていて、寝袋もテントも原形を留めてなかった。人間の姿に戻りながら手足に引っかかった布きれを払い落として、ハァと息をつく。
周囲を見回し、被害がないか確認して胸を撫で下ろした。
「毎度毎度目覚める度に大変だな」
具現化させていたキャンプ用品を消し終わった頃、ルベールは僕にそう話し掛けてきた。
「まぁね。帆船にいた頃より少しはマシになってると思うけど」
「聖魔法を会得して、多少は落ち着いたか」
「多分ね。……それより、それ、誰?」
ルベールの背後に、変なのがいる。
樺色の鱗をした……竜の子。
恐怖と好奇心の色が漂うが、好奇心の方が随分強い。チラリと見えた瞳は丸くクリクリしていて、その奥に――黒い鱗をしたメスの半竜が浮かんで見えた。憂いのある表情をした、美しい半竜だ。エルーレとはまた違う、独特な気配が彼女を覆って……。
「……グロリア・グレイ?」
ふと頭の中に飛び込んできたワードを呟くと、樺色の幼竜はヒャッと変な声を出した。
「残念ながら、
とルベール。
「分かってるよ。こいつ、グロリア・グレイの関係者か何か?」
「さあな。貴様が寝たのを見計らい、そろそろと近付いてきたのだ。危害を加えるような様子もないから放っておいたのだが」
前のめりになってルベールの後ろに隠れるそいつの顔を見ようとすると、恥ずかしいのか怖いのか、シュッと隠れてしまう。
「取って食ったりしないよ。僕に興味があるの?」
ルベールの前にしゃがんで、後ろの幼竜に手を伸ばす。……と、恐る恐る顔を出したのは、随分赤っぽい肌をした人間の子ども。
「神の子……?」
僕より少し年下くらいのひょろっとした子どもに見えた。オレンジ色の髪、肌に浮かぶ樺色の鱗、簡素で飾り気のない服の男の子。人間に
「そう、神の子。僕は大河。君は?」
「……バーチ。ね、ねぇ! どうして分かったの? ぼくがグロリア様の使いだって」
目をキラキラさせたバーチは、好奇心の黄色を多く漂わせ、ルベールの影からニュッと半身を出した。
「バーチの中に、黒髪で金色の目をした綺麗なメスの半竜が見えた。僕を……連れて来い? 用があるのはグロリア・グレイの方か」
「そう! 凄い……!! 全部見えてる!! 人化魔法も完璧、ぼくの頭も覗ける。か、神の子だ!! 本物!!」
喜んでいる割に、なかなかルベールの後ろから出てこないバーチが何だかとっても可愛くて、僕は思わずニヤけてしまう。
「僕も丁度、グロリア・グレイに会いたいと思ってたところ。僕の知ってる誰かと似てるみたいだし、塔の魔女とも関係ありそうだし。連れてってくれる?」
「良いよ! 連れてってあげる!!」
「ありがとう。よろしくね」
僕が再度伸ばした手に、バーチのちょっと小さめの手がちょんと乗る。軽く握ってやるとバーチは檸檬色の目を益々輝かせて大いに喜んでいた。
焚き火はとうに消えていて、焦げ臭さが少しだけ空気の中に残っている。
僕とバーチのやりとりを、フラウは太い木に寄りかかってニヤニヤと見ていたし、エルーレも草地で寛いで目を細めていた。
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