3. ニグ・ドラコの森へ

 朝目が覚めて、あの出来事が夢で、もうどうにもならない昔の話なのだと認識出来なかったら、僕は一体どうなっていたか。

 全身汗だくだったし、半竜になっていたし、肥大化が始まっていた。だいぶうなされたらしく、船室のあちこちで物が壊れたり崩れたりしていたが、船が沈むような壊し方をしていなかったのは幸いだった。


「浄化して貰った後だったから、どうにかなったんだ……。順番が逆だったら、全部壊してた」


 しばらくベッドの上で蹲って呼吸を整え、人間の姿に戻ってから壊したものを元に戻した。

 最悪の、夢だった。

 見たくないものを見続けるのは正直しんどいんだけど、――今日のは特に、辛かった。


「支離滅裂だ。何だあれ。凌は……救世主に担ぎ上げられたってこと? それもこれも、あいつのせいってことかよ……!!」


 美幸と美桜が命を狙われることになったのも、美幸が死ぬことになったのも、凌が救世主として目覚めるきっかけを作ったのも、全部。

 けど、僕にあいつを責める権利はない。僕だって、自分の目的を遂行するためだけにローラを食って、ディアナに自殺を迫ったんだ。


「クソッ! 血は争えない。僕は……やっぱりあいつと同じだ」


 長い長く垂れた白い髪をグシャッと掴んで、僕は声を殺して泣いていた。






 *






 レグルの姿をした凌がレグルノーラ中に十二本の杭を打ってから、もうすぐ三年半。一本壊し始めたら次の杭を三十日以内に壊すとかいうルールだったが、僕はなるべく大急ぎで壊していこうと最初から決めていた。

 三ヶ月弱で十一本壊した。有り得ないスピードだと色んな人達にめちゃくちゃ怒られたけど、のんびり構えていたらいつまでも終わらないし。こんな地獄を延々と味わい続けるのも、周囲に迷惑をかけ続けるのも嫌だった。


「最後はニグ・ドラコの森にある杭。ここまで、どう向かうかな……」


 シバの置いていった地図を見て、僕は唸った。

 帆船の食堂に、人化した守護竜三体と僕。

 エルーレは普段下半身水竜の姿なんだけれど、船では邪魔だろうと下半身も人間の女性の足になっていた。今まで男所帯だったのに、美しいエルーレの足がちょいちょい目に入って僕は何度かドキリとした。足を組むと、スリットの入った長めのスカートから美麗な太ももが殆ど見えるのだ。

 正直、リサがいなくて助かった。彼女がいたら、そういう趣味なんだとネチネチ言われ続けるところだった。

 山盛りのポテトフライを何皿か具現化させて、それを摘まみながら作戦を練る。ルベールとフラウはすっかり僕の出すジャンクフードを気に入っているようだったが、エルーレは恐る恐る摘まんでは味を確かめていた。


「一度水に浸かった船を砂漠に戻すのは気が引けるし、かと言って地図にある川も、僕の知ってる川とは違う気がする。第一、どこが源流でどこまで流れてるのか全然分からない」

「川は、エルーレの森を源流にして、湖に向かって流れているのです」


 ペロリと塩の付いた指を舐め取って、エルーレが言った。


「水を司る水竜エルーレの統べる森にある、二つの源泉。そこから無限に湧いてくる水が、森を通り、都市を通り、砂漠を横切って湖へと零れ落ちていくのです。大地の縁から砂ではなく水が落ちてくるところがあれば、そこが河口。河口から川を辿れば森への近道となりますわ」

「へぇ……面白い仕組み」


 地図上には明確に塔を中心に四つの地区を分ける線が引いてある。森にも線が延長して書かれている。

 どうやら守護竜達が自由に移動出来るのは、自分達の名前を冠した地区の中だけらしかった。

 だからルベールはフラウの守っていた杭まで僕を連れて行けなかった。次のエルーレの杭の所に行った時も、砂漠側から森に入った。エルーレが十本目と十一本目の杭、両方に飛んでくれたのは、杭の位置が彼女の管轄する森にあったからだ。

 つまり、ニグ・ドラコの森にある杭には、僕が自力で辿り着かなければならないわけで。


「この地図が正確だとしたら、ニグ・ドラコの森とエルーレの森の境を川が流れてる。エルーレがこの船をこの川まで飛ばすのは可能?」

「ええ、勿論。私の領域であるならば、可能ですわ」

「じゃあ、お願いしようかな。川を辿って森まで行って、後は歩いて行く。竜の姿で森に入るわけにもいかないし。第一……ニグ・ドラコの森は白い竜の生まれ育った森だからね。あいつが何を見たのか、僕も直接見てみたい」


 地図にはザックリと杭の推定場所が記載してあった。

 ニグ・ドラコの森の真ん中、深い森の中に印が付いている。そこから南南東の辺りに、“グロリア・グレイの洞穴”とある。聞いた時のある名前。気になる。ここにも行く必要がある。

 そして古代神教会の神殿の場所もしっかりと書き込まれていた。多分、凌の……レグルの居るところ。僕の、最終目的地。


「全部終わるまで、僕の心が持てば良いけど」


 夢の内容を頭の片隅で思い出しながら、僕はため息をついた。

 ここから先、再生されてゆく記憶には見知った人間が多く出てくるはずだから。父さんも……出てくるはずだ。帆船を譲り受けた経緯や、あいつとの関係まで全部、僕は見てしまうことになる。


「しんどいならやめるか、神の子よ」


 ルベールが半笑いで返してくる。


「いや、やるよ。最後までやる。あいつが始めた地獄は、僕が終わらせる。……絶対に」


 僕は硬く手を握って、地図を睨み付けた。






 *






 エルーレの魔法で、船は無事大地に戻った。

 レグルノーラには東西に流れる大きな川が二本ある。北側を流れるヴェール川と、南側を流れるガヌ川。僕ら帆船は帆を広げ、ヴェール川を流れに逆らって進んでいく。

 川幅も水深も申し分なく、航行は順調だった。砂漠地帯を抜け、森へ向かう。水は抵抗が少ないから、砂地を進むよりもスピードが出せたのも良かった。澄んだ水が飛沫を上げて進んでいく。湖を浄化したせいか、砂漠独特の生臭さは消えていた。

 魔物が襲ってこないように結界魔法を船全体にかけて、あとは自動運転でニグ・ドラコの森の直ぐそばまで進んだ。

 二日後に船を下り、そこからは徒歩に切り替える。船は置きっぱなしにするわけにはいかないから、ちゃんと片付けた。具現化魔法で作られたものは術者によって解体出来るのだ。

 惜しくはないのかとフラウにも聞かれたけれど、多分もう二度と乗らないと答えるに留めた。






 *






 僕らは深い森をズンズン進んだ。

 ニグ・ドラコの森は他の地区の森に比べ、魔法エネルギーが濃いのだという話を、どこかで聞いた。竜は空気中に漂う魔法エネルギーを吸収している。足りないところは肉を食って補う。魔法エネルギーが濃いところで育った竜は人語を操ったり魔法を使えたりすると……あいつの記憶だったかで、確か。


「こんなにちんたら歩いていては時間が掛かる。やはり竜化して飛んだ方が良いのではないか」


 せっかちなルベールは言ったけれど、僕は首を横に振った。


「ダメだって言ったろ。それに人間の姿の方が何かと都合が良いんだ。気配も消せるし、小回りも利く」


 簡素な防具を身につけて、武器も持たずに森の中を歩いた。人化した守護竜が三体もくっついて歩いていなければ、僕は森に迷い込んだ駆け出しの冒険者に見えたかも知れない。

 途中歩き疲れるとテントを張って休憩した。具現化させた飯を頬張って、それからちょっと仮眠を取ったりして、のんびりのんびり旅をする。

 聖魔法で浄化して貰って、どうにか杭二本分の暗黒魔法も抑え込んで、今は精神も安定してる。こうやって森の中を歩くのも、恐らくこれが最後なのだと思う。だからなるべくこの静かな時間を満喫したい。そう思うと、ルベールやフラウに馬鹿にされるのも気にならなかった。

 森には小動物がたくさん居た。僕らが気になるのか、ちょろちょろと子リスが僕らの進行方向を塞いできたり、警戒しながらも鹿が近付いてきたりして、僕はその度に食いたくなるのを我慢した。


 ニグ・ドラコの森はとても静かで……とても、気持ちの良いところだと僕は思った。

 他の森より遙かに背の高い木々が天まで真っ直ぐ伸びていて、僕らはその下を抜けるように歩いて行く。あれらの木々は巨大な竜の身体をも外界から隠してくれる。

 木々の間から落ちてくる陽射しが優しかった。柔らかい風がそよいで、葉の擦れる小さな音が心地よく響いてくる。小鳥のさえずりが遠くで聞こえ、足元からは虫の声もした。

 レグルノーラは明確に季節が無いと聞いていたけれど、ここは初夏から夏みたいな感じで、森の中を歩くには気温も湿度も丁度良い感じ。

 地面は丈の短い草や苔で覆われていて、たくさん歩いても足に負担が掛からない。

 僕は歩きながら、守護竜達と他愛のない話をした。


「石像だった頃の記憶って、あるの?」

「勿論。レグル様は我々に日々語りかけてくださった。とてもお優しい声で」


 ルベールはうっとりと思い出を語った。


「無機物に魂を宿す魔法の場合、生成された魔法生物の性格は術者に影響される。つまりな、神の子よ。我が輩らが慈悲深いのはひとえにレグル様が慈悲深いからに他ならない。レグル様に最大限に感謝せよ」


 フラウが上から目線で言うのがおかしくて、僕ははいはいと笑って返した。


「レグルが優しいのは知ってるよ。あいつは優しくて、とてつもなく残酷なんだ」

「そんなにレグル様は残酷かしら」

「あいつは残酷だよ、エルーレ。いにしえの約束を叶えるために、色んなものを犠牲にした。僕にとんでもない試練を与えて、ありとあらゆるものを奪ったんだ」

「だけど、試練の他にも様々なものをお与えくださったでしょう?」

「どうかな。何を与えられたのかは、まだ、分からないよ。奪われたものは見えるのに、与えられたものは見えてない。見えるのは、もうちょっと先になってから……かな」


 僕は静かに笑った。

 エルーレは何も言わなかった。

 僕らは森の中を歩き続けた。

 森はどんどん深くなった。

 記憶の中にある懐かしい森が、静かに僕らを迎え入れていた。

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