5. 心の扉
僕はまた、夢の中へ落ちていく。
美桜が産まれてから、レグルノーラはどんどんおかしくなっていった。
ドレグ・ルゴラが手を下すまでもなく、各地で争いが起きる。負の感情はどんどん溢れて湖を黒く、黒く染めていく。
彼は自らの力を高めるために、湖へ向かうことを決意したらしい。
『私自身が黒い水を直接取り込めば、もっと恐ろしい存在になれる』
あくまでも彼は、世界を救おうと。
間違ってる。間違ってるけど……僕も、今、同じことをしようとしているんだと思う。
・・・・・
朝起きて、何も壊していないことを確認して、僕はホッと胸を撫で下ろした。
制御装置がちゃんと効いてる上に、リサの魔法のお陰でもある。
けど、相変わらず起きたら半竜のまま。
「人間の姿、忘れそう」
ガラスに映る自分の姿を見て、凄く嫌な気持ちになった。
何もしてなくても、僕の姿は恐ろしくて。良くもまぁ、みんな平然としていられるなって思ってしまう。
自分の姿を見るのが怖くて、帆船には鏡は置けなかった。
「気持ち悪い。早く消えろよ」
言葉にすると益々苦しくなって、僕はベッドの上で頭を抱えた。
人間の姿を思い出せ。怖がらせたらダメなんだよ。協力、して貰うんだから。
*
朝食にと、食パンを何斤か、それと何人前か分からないくらいのソーセージやら温野菜やらが運び込まれて、僕はそれをむしゃむしゃと食った。リサはいつも通り一歩引いて僕を見てて、ウォルターは僕に餌付けするように、一個一個食べ物を渡してくる。
食ってる間は大人しいのを知っていて、ウォルターはやたらと食い物を用意した。僕はスープを追加で具現化させて、一緒に喉に流し込んだ。
「何とか寝れたみたいですね」
「うん。久々に……ゆっくり寝た気がする」
どうにかこうにか、人間の姿に戻れたのは良かった。意識してないと、直ぐに竜化するのは良くない。竜になると理性が飛びやすくなるんだから、僕はもっと気を付けなきゃならないんだ。
「昨晩から関係機関と協議を進めていたのですが、追加で協力者が必要だと思いまして。それと、出来る限り短期間で聖魔法を使えるようにするには、やはり相当な荒療治が必要なのではないかと思うのですよ」
ウォルターは勿体ぶったような言い方をした。
「それはつまり、どういうこと?」
「貴殿を、強制浄化するのが一番ではないかと」
僕の手から、ポロリとパンが落ちた。
「きょ、強制浄化?! あの、雷斗がやられたヤツだよね?!」
「そうです。イザベラがライトに施した、あの魔法です」
三年前、雷斗は黒い水に冒されておかしくなった。あの時イザベラが施した強制浄化の魔法は、とんでもないくらい強烈な聖魔法だった。
「あ、あんなのやられたら、僕、ヤバいんじゃないの?! だって大聖堂に入っただけでもおかしくなったのに」
「ええ、だからです。タイガは闇に冒され過ぎている。生半可な方法では、聖魔法を使えるようにはなりません。まずはタイガ自身を清め、聖魔法を使える土台を作らねばならないという話になりました」
「い、言いたいことは凄く、分かるけど」
膝に落としたパンを拾い上げて口に詰め、牛乳を具現化させて一気に流し込んだ。
ぷはっと短く息を吐いてから、
「僕が暴れたら、どうするつもり? 教会の施設も街も全部吹っ飛ぶかも」
思ったことを口にした。
多分、凄まじい量の聖魔法を浴びせられたとして、僕は無意識に抵抗する。無意識下で放たれる力を、僕は制御出来ない。九本分の暗黒魔法を吸い込んだ僕の力は、僕自身が同行出来るレベルじゃなくなってきてるんだ。その辺、どう考えてそんなことをしようとしてるのか、僕にはサッパリ……。
「ですから、短期間で全部終わらせる必要があると思ったのです。長時間は無理でも、集中的に抑えることは出来るのではないかと。ニグ・ドラコ産の竜石を大量に提供して貰えることになりましたから、無駄にしないように一度に行いたいのです」
「一気にって、ウォルターとイザベラで僕を抑えるの?」
と、ウォルターの目を見て、僕はウッと喉を詰まらせた。
思いがけない人物が、その中に見えたから。
「……アナベルを呼んだのか」
ウォルターの口の端がクイッと上がった。
「当然です。今、世界の中で貴殿と渡り合えるのはアナベル様しかいらっしゃいません。あの方の力をお借りして、私とイザベラで、貴殿の心の扉をこじ開けます」
「――――ッ!!!!」
僕は思わずベッドから飛び退き、ガラスの壁に背を付けた。
ベッドテーブルから幾つかパンが床に転げた。スープが飛び散って、ベッドの端がびちゃっと濡れた。
「嫌だ!!!! 僕は誰にも心を開かない!!!!」
ぶわっと、僕の身体の中から黒いものが大量に噴き出した。
「た、大河君落ち着いて!!」
リサが慌てて吸収魔法を強くする。
「お……落ち着ける訳ねぇだろ!! ぼ……僕の心の中を見ようとしてる? そんなのダメだ!! 絶対に、絶対に嫌だあっ!!!!」
胸が……ぐるぐるする。視界が淀んで、全部黒くなって。
どんどん染み出た黒いものが、もやになって、それからうねうねと動き出して……。
ガラス張りの部屋いっぱいに黒いものが充満していく。
ウォルターとリサがもやを払って、それでも間に合わないくらい、どんどんどんどん黒くなってって。
「誰にも、僕の心の中を覗かせたりしない。僕は人類の敵で、白い竜で、人間が食べ物にしか見えない化け物なんだよ……。近付くな。僕を人間と同一視するな。お願いだから、僕の領域に入ってこないで!!」
「タイガ、落ち着きましょう。私達は何もそこまで」
「うるせぇっ!! これから僕が何をしようとしているのか、探ろうとしてるんだろ。止めようとしたって無駄だ。僕がやらなきゃ、世界が壊れるんだよ。僕が、僕がそのために何をしようと勝手だろ?!」
だ、ダメだ。
興奮すると竜になる。竜になると見境なく襲いたくなる。
落ち着け。落ち着けよ僕。
「大河君を責めてるわけじゃない。君が聖魔法を使えるようにするため、皆必死で」
「黙れリサ。弁明なんて知らない。僕を止めたいんだろ。みんなしてさぁ」
鱗が浮き出て、口が裂けて、骨格が。
畜生、落ち着け、落ち着け……!!
「人間の話なんか信用出来るか。誰も僕を理解出来ない。誰も僕を救えない。この孤独をどうやって理解させたら良い?! どうやったら僕は救われるんだ。なぁ……!!」
ムクムクと身体が膨れ上がって、どんどん竜に近付いて。
止めなきゃ。僕が、僕自身を止めないと。
興奮して心と体が分離していく。
嫌だ。助けて。僕は竜になんか。
「リサ、魔法、もうちょっと強くなりませんか」
「頑張ってるんですけど……!!」
止まらない。どんどん僕の中から黒いものが溢れていく。
白い鱗の隙間が、どんどん黒くなっていく。けれど鱗自体は白いままで。
「タイガ、何がそんなに怖いのです。誰も貴殿を責めてはいないのですよ」
ウォルターは平気な振りをして、僕を必死に宥めてくる。恐怖の色を追い出して、僕に警戒させないように。
「僕がやろうとしていることを知れば、みんな僕を止めるはずだ。けれど止めたら、世界が終わる」
「大丈夫です、終わりません。終わらせません」
「根拠もないのに、適当に言うな!!」
「貴殿を、ひとりにはしません。皆で立ち向かおうとしてはいけませんか? その、恐ろしい運命に」
怖いはずなのに、竜化しかけた僕の懐に、ウォルターはにじり寄ってくる。
一歩、一歩、近付く度に僕は腰を引いた。
魔法を使う人間独特の、甘い臭いが鼻腔を突く。
もう結構巨大化してる。天井に背中の羽が付きそうだ。よだれが垂れて、リサとウォルターの悲痛な顔が見えて。
僕の理性よ、持ってくれ。誰一人傷付けるな。お願いだから、これ以上、僕の意識よ飛ばないで――……!!
「――浄化魔法を、発動します!!」
澄んだ女性の声が、不意に聞こえた。
部屋の扉が開いている。
澄み切ったような空気と、聖なる魔法の毒気が部屋中に広がっていく。
「イザベラ!! 急いでお願いします。タイガが中毒症の症状を……!!」
「司祭、リサ! 部屋の隅へお下がりください!!」
キラキラと輝く銀の粒子は、闇属性の僕には毒でしかない。
それが一変に部屋の中に広がって、僕はウッと身構えた。
「こんなに黒いものを吐き出して。辛かったでしょう、タイガ」
イザベラは何も知らないクセに。
僕の心をこじ開けようとしているクセに。
「やめろ……。あんたに僕の何が分かるんだ……!!」
聖なる光がトゲのように僕の身体に突き刺さる。硬い鱗を突き抜けて、それは僕の中にどんどん浸透していった。
「分かりませんよ、あなたの心の中なんて、誰も。けれど、辛かっただろうと言うことだけは分かります。あなたが一人で全てを抱え、全部一人でどうにかしようと思っていることだけは、しっかりと伝わってくるのです。私達は、邪魔などしません。ただ、あなたの心が少しでも軽くなれば良いと思っているのです」
「知ったような口を利くな!! 僕の気持ちなんて……、誰にも……」
身体の中から、黒いものがどんどん抜けて、次第に身体が小さくなっていることに気付く。
竜化が、解け始めた。
「泣きたいのを、我慢しているのでしょう。本当はいろんな人に、本当の気持ちを伝えたいのでは。あなたが本当に二つの世界の未来を考え、見つめ、選んだ道なら、誰も止めません。あなたの心が少しでも軽くなれば、それで十分。お話相手に、なろうと思うのです。いけませんか……?」
全身が、震えていた。急激に竜化が解けて、それから、部屋中に広がっていた真っ黒いもやが晴れて、僕の心も――少しだけ、晴れた。
大きく肩で息をしていた。
自分の意思で竜化を解いたわけじゃなかったから、服の具現化が間に合ってない。破れたままの服が、あちこち中途半端で。
「本当に……止めない? 僕が何を選んでも、否定しない?」
涙でぐちゃぐちゃな顔をイザベラに向けると、彼女は優しく微笑んで、懐から出したハンカチで僕の顔を拭った。
「あなたは優しい。皆が傷付くような選択をするとは、とても思えませんもの」
僕は、肩を震わせた。
「そう、言って貰えると、嬉しい」
部屋の中はもう、ぐちゃぐちゃだった。
僕の心も、身体も、全部ぐちゃぐちゃで、救いの手が差し伸べられてるのだとしたら、その手を取ってみたいなと、素直に思った。
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