6. 試されてる

 竜化の直後は麻酔が効いてるみたいに頭がぼうっとする。吐き気も強い。なのに、部屋の中にイザベラが入ってきたことで甘い臭いが増した。よだれと胃液が交互に出て、鋭い爪で掻き毟り過ぎた胸に血が滲んだ。


「だいぶ……苦しんでいるようですね」


 悲哀の色を見せるイザベラに、僕はこくりと頷き返した。


「落ち着くまでの時間が……、どんどん長く、なってて。耐える、……から、待ってて」


 深呼吸しながら服や靴を具現化させて、僕はすっかり芝山大河の姿になる。……なるって言い方が、もうダメだ。戻る、だろ。

 急いで血の跡を消したけど、後から後から血は滲んで、紺色のTシャツを濃く染めた。

 リサを包んでいた赤い光も、僕が落ち着くに従って消えていき、何とか元の状態に戻ったようだ。


「……ごめん。本当にごめん。興奮すると訳がわかんなくなって。おお襲わないよう、我慢した。本当に、ごめん……!!」


 部屋の隅にしゃがんで頭を抱え込んで、僕は必死に謝った。

 憐れみの色が広がっている。前を見てなくても、色は染み出して見えてくるからよく分かる。みんな、僕のことを可哀想なヤツだって思ってる。


「ごまかしたところで貴殿には全部見えてしまう。――言葉を選ばず、直接的に表現した私が悪いのです。辛い思いをさせてしまいましたね」


 ウォルターが僕の前に屈んで優しく語りかけてきた。

 僕は未だ、顔を上げたくなかった。


「タイガが隠し事をしているのは知っています。それを直接教えてくださいなんて言いません。そんなことより、貴殿の中にある闇を……どうにかしなければ。このままでは精神が崩壊してしまう。まるで貴殿は、リョウゼンの動きをなぞっているように見えます」

「あいつの……?」

「自分を制御出来ず取り乱した彼を、私は見てしまいました。その姿と貴殿がピッタリ重なって……とても、苦しくなるのです」


 フンッと僕は鼻で笑う。


「ウォルターは苦しくならなくて良いよ。苦しむのは僕と凌だけで良い」

「まだそんなことを」

「実際、そうなんだ。試されてるんだよ。世界が壊れるか、変わるのか」

「誰に」

「古代神レグルに」


 ウォルターとイザベラはあからさまに警戒の色を出した。


「それは、リョウゼンのことでは、なく?」

「この世界を創った本物の古代神レグルだよ。創造主……なんでしょ。そいつが試してるんだ。ゼンの時は失敗した。あいつはドレグ・ルゴラの称号を破壊竜の代名詞にしてしまった。次は僕だ。次こそは……成功させるんだ。世界を救う。この狂った世界のことわりを全部変えて、全てのしがらみを消してやる」

「な、何を仰って……」


 戸惑うウォルターの顔が見たくて、僕はチラリと顔を上げた。

 案の定狐につままれたような顔をして僕を見ている。


「アナベルは、僕の話を理解してくれた。僕が何をしようとしているのか、アナベルには聞いた?」

「いいえ」

「この先のことは、彼女に一任した。僕から喋ることは何もないよ」

「……そうですか」


 ウォルターとそこまで話したところで、地下室に誰かが入ってきた気配がした。

 二人。

 一人はアナベル。もう一人は……。


「シバ」


 僕はのっそりと立ち上がり、ガラスの向こうのシバを睨んだ。

 不安そうな表情を浮かべて階段を降りてくるアナベルの直ぐ後ろに、長い金髪の優男がいた。

 ガラス張りの部屋のドアがカチャッと開いて、二人の強い魔力と共に、強烈な甘い臭いが僕の唾液腺を刺激した。

 シバに視線を向けたままよだれを啜ると、手前のアナベルがビクッと肩を揺らすのが見えた。


「何しに来たの」


 シバは僕に心を読まれても構わないとばかりに、睨み返してきた。


「アナベル様の護衛だ。そしてもしもの時、私がお前を止める」

「人間風情が何言ってんだよ。弱いクセに!」

「タイガ、やめましょう。……全く、直ぐにそうやって悪ぶって」


 シバと僕の間に、ウォルターが割って入った。

 ギリギリと奥歯を噛んで、僕は口を噤んだ。


「確かに、闇が濃くなっている。力を制御し切れていないのか」


 シバはグルっと室内を見渡し、短く息をついた。

 ガラス張りの部屋は、散乱した食い物と備品でめちゃくちゃだった。ベッドの上から布団は落っこちてるし、こぼしたスープも床まで垂れている。

 いかにもたった今まで暴れてたのは直ぐに見て取れたはずだ。


「ウォルター司祭、話は聞きました。私も協力しますよ」


 シバが言うと、ウォルターはホッとしたように明るい色を出した。


「助かります。アナベル様も、危険なところ、わざわざおいで頂きありがとうございます」

「タイガのためですもの。危険なんて思いません。寧ろ……お役に立てるなら喜んで」


 アナベルもにこやかに返している。


「タイガ、この前はごめんなさい。あんなに……苦しんでいるなんて知らなくて」

「あの時僕はアナベルに、塔の上で祈ってろって言ったんだ。なのに、危険を冒して森まで来たり、教会にやって来たり……。迷惑なんだよ。君に危険が及んだら、僕がローラを殺した意味がなくなる。お願いだから、塔の魔女は塔の上にいてくれよ……!! あとは僕が、僕が何とかするんだからさ……!!」

「落ち着きましょう、タイガ。やっと元の姿に戻ったんですから、冷静に」


 ウォルターの細い腕が僕を止める。

 ハッとして、僕は一歩後ろに引いた。軽く興奮しただけなのに、また、鱗が。


「ご、ごめん。冷静に、冷静にだよね。……どうやって、冷静になんか」


『心の扉をこじ開ける』と言われてから先、何かが、おかしい。

 怖い。

 否定しないってイザベラも言ってたのに。

 何もかも知られるのが怖くて怖くて堪らなくて、僕を否定するヤツらが全部敵に見えて。違う。敵じゃない。頭では分かってるはずなのに、身体が勝手に興奮して、拒絶反応を見せている。


「恐らく、ですけれど」


 イザベラが少し離れたところから、遠慮がちに声を掛けてきた。


「このままの精神状態では、あと三本分の暗黒魔法には耐えられないでしょう。だけど今なら、間に合います。とても良い頃合いだと思います」

「私も同意します」


 と、ウォルター。


「タイガもリョウゼンも一人で抱え込み過ぎたのです。少し……辛くなるかも知れませんし、知られたくないことを曝け出すことになる可能性も大いにあるでしょう。それでも、やらないことには先に進めないのではないかと」

「私もそう思う」


 少し緊張したような色を出して、アナベルは語気を強くした。


「タイガは決して悪い竜じゃない。みんなのために必死なのに、タイガだけが苦しんで、怖がられて。そういうの、良くない。誰も……タイガのこと、悪く言わないから。私は、タイガと一緒に未来を迎えたい……!!」


 夕焼け空みたいな綺麗な瞳。

 邪気のない澄み切った色が、アナベルの周囲に漂っている。


「僕に、未来はないよ。アナベルは知ってるクセに。あの日僕が言ったこと、理解してなかったの?」

「覚えてる。だから」

「だから……僕に絶望しないで欲しくて、そんなうわべだけの言葉を使ったんだね」

「違っ」

「大河、どういう意味だ」


 シバが口を挟む。僕は目を逸らしてギリリと歯を噛んだ。


「……アナベルに聞いて。僕がしたいことは全部彼女に話した。僕の理解者はアナベルだけだから。僕らのこと、この世界のこと、塔の魔女が全部話すべきだって思うなら、そうすればいい」


 無責任に、僕は全ての判断をアナベルに丸投げした。

 僕はもう、思考回路が働かなくなってきてて、何を言われても否定としか受け止められなくなってきてる。

 アナベルには否応なしに視線が集まった。

 居心地悪そうに、アナベルは辺りをキョロキョロと見回した。

 ガラスの壁に貼られた大量の付箋はそのまま、飛び散ったり崩れたりしたものが散乱した床、汚れたベッド。彼女はそれらを見つめては、困惑の色を浮かべている。


「込み入った話は後でなさってください。さて、早速始めたいところですが、この惨状、どういたしましょうか……」


 ウォルターがそこまで言ったところで、僕は「自分でやるよ、それくらい」と小さく言った。

 右手を前に出し、サッと窓を拭くように手をスライドさせる。……と、散らばったもの達が逆再生するようにあるべき所へと戻って行く。


「精度が上がってる」


 とシバ。


「当たり前じゃん。神に準ずる力を無理矢理与えられてるんだから」

「神に準ずる力?」

「で、どうするの? 雷斗の時みたいに椅子に座るとか?」


 シバの問いには答えずに、僕はみんなに目配せした。


「ベッドに寝そべって頂きましょうか。あとは私とイザベラ、アナベル様がどうにかします。リサは吸収魔法、シバは万が一の場合、お願いします。部屋の外にもこれから続々神教騎士が参ります。制御装置は出力最大にお願いしますね、ビビ」

『聞こえてる。任せて』


 ウォルターの声に反応して、スピーカーからビビの声が振ってきた。

 相変わらず、僕の動きは全部監視されてて、記録されてるってことらしい。

 凄く……嫌な気持ちではあるけれど、他に方法もない。従うしかない、諦めるしか。

 僕はゆっくりとベッドの上に乗って、足を放り投げた。

 天井を仰ぎ見て、大きく息をつく。

 みんなが僕を見下ろしてる。色んな感情を抱きながら。

 何もかも知られたら……僕はきっと軽蔑される。いよいよ誰も、僕の味方をしなくなるかも知れない。


「緊張しなくても大丈夫。タイガは目をつむって、ゆっくり、深呼吸してくださいね。それでは、始めましょう。イザベラ、アナベル様。全力で、お願い致します」


 ウォルターの柔らかな声に従って、僕は目を閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る