2. 勇気を振り絞って

 誰にだって得手不得手はある。難しいことは得意な人に頼ればいいという考えには共感出来る。……けど、シバは嫌だ。

 第一、なんて声を掛けるの? お願い、助けて、なんて口が裂けても言いたくない。


「いい加減諦めてシバに会いに行ったらどうだ」


 山盛りのカットフルーツを無心で口に運び続ける僕を見て、ルベールは鼻で笑った。

 リンゴとかパインとかメロンとか、手前からどんどん口に入れては、数回の咀嚼でどんどん胃に流し込んでいく。味がどうのっていうより、混乱し過ぎてさっぱりしたものが食べたい気持ちで、必要以上に具現化させてしまったのだ。それを知ってて、ルベールとフラウも同じテーブルについてフォークを持った手を伸ばしてきた。守護竜がパクパクフルーツを食べてるなんて、かなりシュールなんだけど、ここでしか見られない貴重な光景だと思う。


「シバに会うなんて……僕のメンタルが、持たない」

「ほぅ。魔物を千体殺せと伝えたときよりか?」


 フラウは口元を隠す布を器用に避けながら、澄ました顔で食っていた。布なんか外せばいいのになんて、どうでもいい事を考えながら、僕はふぅと息を吐いた。


「そっちの方がマシだったかも。……だって、ひとりでやれば良かったから。他の人、巻き込むの……嫌だ。どうしようかな……。湖まで行くのは勿論、浄化魔法なんてやったこともないし、やれる自信もない。助けて欲しいけど、僕を見たら、みんな……怖がるだろうな……」

「今に始まったことではなかろう」

「……まぁ、そうなんだけど」


 フォークに刺したリンゴを手元でクルクルと回していると、「他に問題が?」とルベールが聞いてきた。僕はリンゴを口にぽんと入れて、シャリシャリ齧った。


「人間が……たくさんいるところに行くの、怖いんだ。食い物に見えたらどうしようかなって……」

「制御は難しいと?」

「わ……からない。努力はするけど……暗黒魔法を浴び過ぎて、僕は前よりずっとずっと凶悪になってるわけで。そんなヤツが人間の群れの中に飛び込むのって……危険じゃない?」

「危険だろうな」

「だ、だよね。僕ってば、神の子なんて大層な肩書き持ってるクセに、ただの化け物なんだもん。笑っちゃう。――全然、笑い事じゃないんだけど、笑うしかないじゃん」


 ハハと乾いた笑い。


「人間の姿で会いにゆくのならば、怖がられることもあるまい?」


 ルベールに言われて、僕は首を横に振った。


「残念だけど、僕が白い竜になること、レグルノーラ中の人間が知ってるんだ。それに、僕のおぞましい姿も全部知られてる。僕を見ただけで人間達は震え上がるはずだ。……恐怖は、あいつの力になる。それを避けるために人間との接触を避けてるのに、会いに行ったら意味ないじゃん」


 フォークの柄に、うっすらと白い髪の男が映っている。赤い目まで映り込んだのを見て、僕はフォークをギュッと握り潰した。紙製のストローみたいにぐしゃぐしゃになったフォークを、僕はゴロンとテーブルの上に転がした。






 *






 しばらく、悩んだ。

 自分の属性を考えれば、湖の浄化は不可能だと思う。

 船は――真っ直ぐ外側へ向けて走らせれば、湖に着くかも知れない。シバが行った時どれくらいの速度で何日かかったのかは知らないけれど、理屈から言うなら、いずれ湖に辿り着く。船は自動操縦にして速度を上げておけばどうにかなるかも知れない。もしかしたらシバの手助けなんか要らないかも。

 優先させるべきは、聖なる魔法の方だ。

 先に、教会に向かうしかない。

 どうにかして聖魔法を会得しなければ、杭を壊す権利すら与えられないんだから。






 *






 悩みに悩んで、エルーレと会った翌日の朝、僕はルベールとフラウに宣言した。


「教会に行く。しばらく戻らないと思う」


 青ざめてる上に大量の汗をかいていた僕を見て、ふたりは訝しげな視線を向けてきた。


「……ひとりで大丈夫か」

「付いて行こうか」


 同時に言われるくらいには、僕はヤバそうに見えるらしい。


「あ、いや。大丈夫……だよ。ぼぼぼ僕を、誰だと思ってんの? 平気だって」


 弁明した割に、顔が引き攣ってるのも知ってる。全身震えが止まらなくて、喉もカラカラだった。


「怖がられるのが嫌なのか」


 ルベールの問いに口を歪ませるのが精一杯で。


「が、我慢するよ。それくらい。ゆ、勇気……振り絞って、行ってくる。僕が戻るまで、船を砂蟲サンドワームから守っててよ。壊されると、戻って来れなくなるから」

「承知した。私とフラウで船は守ろう。シバにも宜しくと伝えてくれ」

「……なんでシバに会う前提なんだよ」


 知らないうちに、ルベールとフラウはシバと懇意になっていた。ふたりともレグルに命を吹き込まれた守護竜の石像のくせに、保護者がふたり増えたみたいになってるの、なんかおかしい気がするんだけど。

 

「し、心配なんて要らないから。聖魔法でもなんでも、扱えるようになって来てやるよ」


 過去一虚勢を張った。

 そのくらい、今の僕にとってしんどいミッションだった。

 甲板に出て、空を見上げた。雲ひとつない青空で、だけど空気は妙に湿っていて生臭い。

 この生臭さの原因は、湖の黒い水にある……というのは知ってる。前にリアレイトから湖に飛び込んだ時、纏わりつくような気持ち悪さと酷い臭いがした。しかもあの水を僕は飲んだ。間違って口にしたら、それだけで中毒症状が出るはずなのに、僕は全然平気で――闇の力が満たされたような水さえ平気だったなんて、もしかしたら僕は最初から。

 流れ落ちる汗を親指の腹で拭き取って、僕は大きく深呼吸した。

 それからギュッと拳を握り、ルベールとフラウの方を見る。

 憎たらしいヤツらだと思ってたけど、なんか愛着が湧いてくるの、あいつが寄越したからかな……なんて。


「行ってくる」


 目を閉じ、転移したい場所を思い描く。

 古代神教会の……大聖堂。大聖堂は誰の参拝も拒まないと聞いた。だからレグルも大聖堂を選び――若き日のウォルターと何度も会った。

 整然と並んだ会衆席、入り口から古代神の像まで真っ直ぐ伸びる絨毯。美しい装飾が施された大きな柱と、宗教画が描かれた壁。像の真上には大きなドーム状の天井があって、ステンドグラスから射し込む七色の光が白い像の上に落ちていた。

 古代神像を守る四つの柱にはそれぞれの方角と魔法属性を示す四体の守護竜の象があった。そいつらのうち二体が、僕の目の前に半竜の姿でいるのは変な感じ。今もあの空間は、消えた守護竜像の隙間を空けたままなんだろうか。

 あれから……三年半くらい経った。僕の誕生日は過ぎたんだろうか。だとしたら僕は十七で、凌が救世主になったのと同じ歳。

 あいつは救世主で、僕は白い竜。皮肉だ。あんまりにも皮肉で、悲しくなる――……。






「――キャアアアアアッ!!!!」






 女性の悲鳴で目を開ける。

 大聖堂、会衆席の椅子、絨毯。ざわめく複数人の声、白い法衣のシスター達。

 転移は成功した。大聖堂の真ん中、古代神像まであと数メートルの場所に僕は無事転移して……お祈り中のシスター達を驚かせた。


「急に現れて!」

「か、神の子!!」


 心臓がバクバクした。怖がらせた。そんなつもりなかったのに。


「ご、ごめんなさい! い、いきなり現れてごめん!! ど、どうしてもお願いしたいことがあって」


 まだ若いシスター達は、僕を見て怖がっていた。壁側に逃れたり、会衆席の椅子に隠れてたり、大混乱だ。マズい。怖がらせちゃダメなのに、僕の正体を知ってる彼女らは、一様に化け物を見たみたいに。

 化け物。

 ――嘘だろ。

 伸ばした手が、もう竜化してる。袖が破れて硬く白い鱗と角の生えたゴツい腕が露わになって。

 それだけじゃない。意に反して抑え込んでいたはずの力が溢れ出してきて、身体が内側から竜になろうと肥大化し始めていた。

 黒いもやが、僕の中から煙みたいに吹き出して、立ち上っているのが見える。大聖堂の……聖なる力に僕の闇の力が反応してるんだ! これは、回避のしようが。


「ち、違う。襲いに、来たんじゃなくて!!」


 身体が膨れ上がり、服が裂け、人間の姿が失われていく。

 シスター達の悲鳴がより一層大きくなって、開け放たれた扉から神父や神教騎士達が雪崩れ込んで来て。


「神の子!! 貴様聖なる大聖堂でよくも!!!!」

「違う!! 話を、話を聞いて!!!!」


 攻撃しない意思を示そうと両手を挙げると、逆に襲いかかる準備をしてるポーズに見えたのか、益々悲鳴は大きくなった。

 彼らの目線から、僕のおぞましい姿が跳ね返って見えてくる。

 白い化け物。口が裂け、牙を剥き、息を荒くしてギョロギョロした目で辺りを見回して――。


「て、敵意はない。襲うつもりも。恐ろしい、白い竜で、ごめんなさい……!!!!」


 ガラガラになった声で、どうにか人間の言葉を捻り出した。

 羽は広げないようにしたし、尻尾も怒らせないよう床に垂らして。巨大化した身体で一歩でも踏み出せば何かを壊す、それを避けたくてどうにか前屈みで、だけど言葉と一緒に炎が漏れる。意図せず、漏れてしまう。

 男達は攻撃態勢に入っていた。けど、この神聖な大聖堂で戦闘なんて絶対に許されないわけで。

 どうしたらいい? 僕の声は、人間の言葉で届いてる? 早く人間の姿に戻らなくちゃ……!!



「――大河君!!!!」



 声の方へ顔を向けると、大聖堂の入り口付近で胸の辺りを赤く光らせた金髪の女が目に入る。


「リサ……」


 頼りたくない、頼らないって決めてたのに。

 僕は腰を引いて身構えた。


「やっぱり、私が居ないとダメね。勝手に飛び出して、全然大丈夫じゃないのに大丈夫だって嘘ついて。今、戻してあげるから」


 大聖堂の中は、リサの一言で急に静まりかえった。

 聖職者達は皆、リサの動きを見守っている。

 彼女の足音が、静かに僕に近付いてくる。


「何度も……竜になったでしょ。このところ、ずっとずっと、大河君の竜の力を感じてた。その度に会いに行こうか迷って。でも迷惑がられてるの知ってたから、……我慢した。暴走してるわけじゃない、強くなるために戦って竜になってる時は、止めないよ。でも、今みたいに意図せず竜になるような時は頼ってよ。私、そのために存在してるんだから」

「た、頼んで、ない。ちょ、ちょっと落ち着けば、直ぐ、人間に」

「戻れてないじゃない。……ほら、直ぐに戻してあげるから、動かないで」


 リサは僕の直下までやって来て、僕の腹の辺りに手を当てた。

 全身真っ赤な光に包まれた彼女は、そのまま凄まじい勢いで僕の力を吸い取った。

 あっという間に僕は人間の姿に戻って――……、ペちんと、ほっぺに強烈な一打が入った。


「強がってて何の意味があるの。君は自分だけでどうにかするつもりだったの? その、強すぎて制御しきれない力を」


 頬を擦った。

 顔を上げると、怒りで表情を歪ませたリサの顔。僕は目をそらし、「うるさい」と言った。


「だ、大聖堂に来る前まではどうにかなってたんだよ。ここは……聖なる力が強すぎて、暴走したっていうか。ほら、また鱗が出てきてる。本性を暴かれるような感じで、意図せず竜化したみたいで。か、完全な闇の存在なら、打ち勝てたのかも知れないけど、僕、中途半端だからさ」

「完全な闇になるつもり?」

「違う。逆」

「聖魔法、使えるようになりたくて」

「どういうこと?」

「湖を……浄化したい。誰か僕に、浄化の魔法、教えてくれないかなって頼みに来たんだ」

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