【31】水竜エルーレ

1. 無理難題

 全ての命は等しく祝福されるべきだと宗教家が説いたところで、それが理想に過ぎないことを、人も竜も知っている。

 美桜は“禁忌の子”と呼ばれ、両方の世界で祝福を拒まれた。

 まだ十六の……僕と変わらぬ歳の少女が背負うには重過ぎる荷を、美幸は背負わされてしまった。彼女に安寧の場所はなかった。美桜を育てる覚悟だけが、美幸を支えていた。


『人間とは愚かしい生き物だな。そうは思わないか、美幸』


 美桜が産まれてからも、彼は幾度となくリアレイトの美幸の部屋を訪れていた。幼い美桜の頬を撫で、美幸を抱き締め、愛を伝える。――美幸は、彼の来訪を待ちわび、心の支えにしていたようだ。


『仕方ないよ、キース。人間は弱いから。知らないものは怖い。拒絶する気持ちは否定出来ないと思う』


 学校を辞め、芳野の家に閉じ込められて、育児をする日々。お手伝いさん達は出入りしていたけれど、芳野家の人間は美幸と美桜を拒んで接触すらしようとしなかった。


『分かり合える日が来るといいけど』


 五人衆を始めとする過激派は、禁忌の子を殺すべく、美幸と美桜を血眼で探しているという。干渉自体やめてしまえばレグルノーラで追われることはないのに、美幸は現実逃避の手段としてレグルノーラに干渉し……忌々しい金色竜と行動を共にしていた。

 美幸と美桜を匿ったディアナは塔から孤立していく。

 世間の理解を得るのは難しい。

 争いを避けるのは、もっと。











『塔の魔女として、誤った選択をしたとは思っていない。しかし世間から見れば、私の行動は無責任で愚かなのだろう。……本当のことなど誰に言えようか。次なる唯一の白い竜を作り出すためにリアレイト人の少女を犠牲にした、それを黙認し、意図を汲んだなど……誰も理解しない。ドレグ・ルゴラ、お前は罪深い。そこまでして約束を……』


 塔の最上階、彼はディアナの横に立ち、窓の外に広がるレグルノーラの大地に目をやった。あちこちで暴動が起き、煙が上がっているのが見える。


『救世主は見つかったか? ディアナ』

『……いや』

『この世界に全てを捧げても構わないというくらい強い意志のある干渉者が必要だ。私は引き続き人間共を恐怖に陥れる。救世主の選定を急げ』

『どういう意味だ』

『人々の恐怖や疑念、悲しみが私の力になる。私がより強く、凶悪になればなるほど救世主の出現確率は上がるはずだ。……まだ現れぬのだとしたら、負の感情が足りないのだ。ならば私はもっと恐ろしい存在になる』


 ……ディアナの、真っ青な顔が視界に入った。


『ダメだ、それはダメだ』


 ブンブンと頭を振る彼女を見て、彼は口角を上げる。


『どうして……? 私は、この地獄を終わらせるために、進んで悪役を引き受けると、そう話しているだけなのだぞ……?』











      ・・・・・











 全身が痺れているのは、傷付き過ぎた身体が急ピッチで自己修復しているからか。

 両腕のカウンターはいつの間にか消えていた。ちゃんと終わらした証拠。

 食堂に行って、食べたいものをどんどん具現化させては腹に詰め込んだ。それをルベールとフラウは遠目に見て、ニヤニヤしていた。ムッとしたけど、空腹の方が勝っていて、僕は構わずどんどん食った。

 竜の姿で魔物を大量に食ったはずなのに、空腹感がヤバかった。

 食うだけ食って満足してから、僕は言った。


「フラウが守ってた杭、壊しに行く」


 ふたりは止めなかった。






 *






 転移魔法で森まで飛んで、直ぐに杭を壊した。

 それまでの戦いが酷だったからか、僕は暗黒魔法ぐらいでは動じなくなっていた。身体に欠片が突き刺さる感覚も、入り込んでくる感覚にも随分慣れた。吐きそうになったけど、それだって耐えた。

 暗黒魔法は僕を高揚させ、一層凶悪にした。けれど、だからって暴れずに済んだのは、だいぶ成長したからなのだと思う、思いたい。


「あと三本。次……行こう」


 殺気立ったまま船に戻り、進路を北東に取る。

 エルーレの待つ杭は、ルベールが守っていた杭からフラウ工業地域を挟んだ向こう側に位置していた。レグルノーラを東西に走る二つの川の、南側にある牧草地から程ない森の中、すっくと立った杭の根元に、水竜の像が見えた。

 僕はルベールとフラウを引き連れ、エルーレと対峙した。水竜の像は変化して、長く青い髪を揺らした露草色を纏う、なめらかな青い鱗の半竜になった。


「ルベールとフラウの与えた試練を、無事こなしたという訳ね。神の子……見違えたわね。少しは強くなった、と言うことなのかしら」


 水の監視者と呼ばれる彼女は、一体何を僕に求めるのか。

 身体に押し込めた暗黒魔法が僕の心を蝕もうとしているのを必死に耐えながら、僕は彼女の言葉を待った。

 エルーレは長い尾をくねらせながら、モデルがランウェイを歩くみたいに優雅に僕に近付いた。細くしなやかな手をヒラヒラさせて不敵に笑う彼女は、今まで見てきたどの竜よりも美しく見えた。


「この世界の外側に広がる湖を、全て浄化して見せなさい」


 彼女は僕に、有り得ないくらいハードルの高い難題を持ちかける。


「は、ハァ……? 何、言ってんの? 浄化って、あの、真っ黒いドロドロした湖を、浄化って……」

「ええ、その通り。全ての属性の魔法を操れなければ、レグル様には勝てない。そして何より……あの、黒い湖の水は、あの方の力の源。湖を浄化すれば、力の供給は断たれる。あなたの本気を、わたくしに見せて頂戴」

「それってつまり、聖なる魔法を使えって……こと? 心に闇を宿した僕に、湖を清めろって言ってんのかよ……!!!!」


 背の高い針葉樹から落ちてくる影とその間から差し込む日の光が、エルーレの美しい顔を引き立てている。

 彼女は僕の頬に指で触れ、フフッと笑った。


「では、諦めるということね。この世界も、未来も、何もかも」

「だ、誰もそんなこと」

「では、おやりなさい。期限は特に設けませんわ。ただ……前の杭を壊した日から三十日を超えれば、これまで壊した杭も全て元に戻る。わたくしは湖で待ちます。あなたが湖を浄化することを、願ってやみませんわ」


 ――有り得ない。

 失意のまま、僕は一旦船へと戻ることにした。






 *






「エルーレは僕に、二つ、課題を与えてる。湖を浄化することと……湖に、辿り着くこと。そもそも、湖まで行かないとこの課題は解決しない。ハードルがどんどん高くなってる。巨大化を封じられるのもしんどかったし、魔物千体も辛かったけど、戦うとかじゃなくて、浄化とか。聖なる魔法なんて、どうやって使えば……」


 甲板の上、船首に繋がる段差に腰を下ろして、僕は大きくため息をついた。

 船縁にもたれかかり、フラウがニヤニヤしているのがまた、癪に障る。僕が困っているところを見るのが、彼は好きらしい。


「一人で出来ぬなら、頼れば良いではないか。シバは砂漠の帆船のおさだったと聞いた。彼に頼れば良い。砂漠の航行を手伝ってくれるのではないか?」

「ざけんな、フラウ!! なんでシバなんかに」

「浄化魔法は聖職者に協力を願えばどうか。大聖堂に出入りする彼らなら、浄化魔法は得意に違いない」

「ルベールもやめてよ。思いつきでそういうこと」


 ……確かに、一理あるとは思うけど。

 今更、どの面下げて会えば良いのか。

 膝を抱え、頭を埋める。しばらく人間の姿を忘れてたから、角も鱗もないのが変な感じ。


「嫌なら諦めるか? 時間はないぞ。迷って、それでどうにかなるのであれば良いがな」


 ルベールは僕のそばに屈み込み、僕の頭をポンポン叩いてからかった。うざったいと手を払うと、益々面白がってポンポン続けてくるあたり、本当にタチが悪い。


「諦めるわけないじゃん。でも……頼むの、嫌だな。会いたくないのに、会わないと先に進めないの、酷くない?」

「貴様は、誰にも合わせる顔がないくらい悪いことをしたのか?」

「……してない」

「ならば、迷うべきではないな」


 最悪だ。

 自分から離れておいて、そんなこと。


「躊躇……してる場合じゃ、ないか……」


 モヤモヤする心を落ち着けるように、僕は長い長いため息をついた。

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