10. 嘘じゃないって証拠

 美幸の姿を見なくなってから、どれくらい経っただろう。

 人間の子は母の腹に宿ってから十月十日で生まれてくるのだと聞いたことがあった。とすれば、もう時期新たな白い竜が生まれる頃だろうか。

 オスか、メスか。

 いずれにせよ、悲惨な運命を突き進むことになる。

 オスならば、今度こそ約束が果たせる。我が子を唯一の白い竜――新たなドレグ・ルゴラにして、私は消える。

 メスならば子を産める歳まで育て、白い竜を産ませるまで。

 オスが生まれるまで美幸が何度も私の子を産んでくれるなら良いが……恐らく、そんなことはないだろう。生まれた子が竜だと知れば、美幸は私を恨み、憎むはずだ。愛する者すら絶望に追い込む私は、やはり……呪われた存在なのだ。











 何度か、リアレイトへ行く。

 干渉は久方ぶりだったが、身体が覚えていた。

 だだっ広い世界の中で、美幸の居場所を突き止めるのは至難の業だ。知らぬうちにリアレイトの勢力図も変わっている。……人種、名前のパターンから国を特定し、しばし彷徨う。

 レグルノーラでも、変わらず土塊つちくれの半竜人に美幸を捜させているが、未だ手掛かりはない。どうにかして、美幸の子どもを――私の血を引く白い竜の誕生を確認しなければならないのに。











 どれだけ時間を要したか分からない。

 とても上品な家の、可愛らしい部屋にひとりで居る彼女の元へ、私はようやく辿り着いた。

 必死に居場所を探り当てた私を、美幸はギュッと抱き寄せた。


『会いたかった……!!』


 唇を重ねると、大きく膨らんだ美幸のお腹がつっかえた。彼女の腹の中で何かが蠢き、トンと私の腹を蹴った。


『あ、動いた。パパが会いに来てくれたの、嬉しいみたい』


 妊娠した人間のメスを見たのは初めてではないが、新鮮な気がした。この中に私の血を引く命が宿っているのだと思うと、気持ちが高揚し頬が緩んだ。


『会いたくて会いたくて溜まらなかったのに、みんなキースを変なふうに言うの。確かに……いけないことをした。でも私、キースと一つになれて嬉しかった。この子のことも大事にしたい。本当は……レグルノーラで一緒に過ごしたい』


 彼女は未だ、私のことを信じている。残酷な運命の渦に引きずり込み、その人生を蝕まれているとも知らずに。


『私も同じ気持ちだ。……しかし、“向こう”では金色の竜と共に過ごしていると噂に聞いた。私が……美幸に接触しないよう、警戒しているのだと。だがどうしても会いたくて、こうして久方ぶりにリアレイトに干渉した。この広い世界で君を見つけられたこと、とても感慨深く思う』

『私も嬉しい。まさかリアレイトにまで会いに来てくれるなんて。私は幸せ者です……!』


 それから少し、彼女の近況を聞く。

 一介の干渉者に過ぎない美幸の妊娠がこれだけ大きな騒ぎになったのは、どうやら塔が原因らしい。

 妊娠発覚と同時期に美幸の身体には異変が現れた。干渉中に具合を悪くした彼女は、倒れ、病院へと運ばれる。住む世界の違う者同士が結ばれてはならないのだという話を、彼女はそこで初めて耳にする。病院から塔へ通報があり、塔から塔の魔女へと話が繋がる。詳しい聞き取りの結果、相手が私だと知った時、ディアナは真っ青な顔をしていたという。

 白い竜と契った少女の話は瞬く間に広まり、彼女は追われる身になった。


『“深紅”もキースのことが嫌いみたい。白い……から?』


 彼女は金色竜を“深紅”と呼んだ。私を嫌う竜と、彼女は契約を結んだらしい。死ぬまで続く契約を。


『私は、嫌われ者だ。すまない……君に嫌われたくなくて、正体を隠した。私は白い竜だ。レグルノーラで唯一の、誰にも愛されない白い竜なのだ。私が愛してしまったことで、君を深く傷付けた。それなのに私は、未だ君に会いたくて』

『――私は、あなたのこと愛してる。あなたのことも、この子のことも』


 膨らんだお腹をさすりながら、美幸はゆっくりと視線を上げる。


『“美桜”って、名前。どう思う?』

『ミ、オ……?』

『赤ちゃんの性別、女の子だって聞いたの! “美幸”の“美”の字と、“桜”。桜は、この国で愛されている木の名前。皆に愛される子どもに育って欲しい。そう願って付けたの。キースはどう思う?』


 少し遠慮がちな美幸に、私はそうだなと呟いた。


『良いと思う。無事、生まれてくることを願う』


 ――メス、か。

 ならば、約束は先延ばしだ。










      ・・・・・











 涙を親指の腹で拭って、震えた肩を抱き寄せて。

 幸せが直ぐそばに見えてたのに、罪悪感が凄くて――辛い。いや、幸せじゃない。幸せなもんか。

 自分の目的を果たすために、誰かを貶めて、苦しめて、それで成り立つ幸せなんて張りぼてでしかない。

 いたいけな少女を誑かして、犯して、孕ませて。未だ美幸は信じてた。どちらの世界でも居場所を追われて追い詰められていたはずなのに、あいつと会った途端に、彼女はそんな苦しみを微塵も感じさせないくらいに嬉しそうな笑みを。


「最低だ」


 こういうとき美幸の立場になれれば良いのに、僕はどうしてもあいつの目線で物事を捉えてしまう。そういう所含めて……最低だ。

 僕はもう、まともじゃない。

 まともじゃない僕を、どうして誰も、見捨てようとしないの。






 *






 残り時間は、四十八時間を切っている。残り二百九十五。

 ぐっすり……とまではいかなかったが、それなりに休んで頭は冴えている。


「この調子で間に合うのか? 神の子よ」


 甲板に出るなり、フラウに鼻で笑われる。


「間に合わせるよ、当然だろ」

「随分と自信たっぷりだな」


 とルベール。


「出来るとか出来ないとか、そういう問題じゃない。やるよ」


 船首の向こうに目を向けると、壮大な岩砂漠。徐々に速度を緩めて進んでいく船の縁をなぞりながら、僕は少しずつ白い竜に姿を変えた。


「迷って……あいつみたいに、大事な人を悲しませるだけの存在にはなりたくない。前に、ルベールに聞かれたよね? 『破壊竜にはならないと誓うならば、何故そう誓えるのか、根拠を示せ』って。あれ、ずっと考えてた」

「答えは出たか」

「いや。出たわけじゃないけど、何となくは」


 半竜の状態から更に竜へと近付いてきたくらいのところで、僕は足を止め、ルベールとフラウの方を見た。ふたりは澄ましたような顔で僕を見て次の言葉を待っていた。竜の羽が生温い風を受けて膨らむのを、角度を調整して避けて、それからふぅと息を吐いて、自分に言い聞かせるように僕は言葉を紡ぐ。


「あいつは、自分だけが救われれば良いと思ってる。自分だけが苦しくて、自分だけが可哀想だって。……そんな訳ない。みんなそれぞれに色んなものを抱えてる。“神の子”なんて呼ばれるようになって、色んな人や竜に出会って、どうしたら……救われたんだろうかって考えることが凄く多くて。こんな苦しい思い、誰にもさせちゃダメなんだ。僕は……、全部救いたい。幸せになって貰いたいと思う。そのためなら、何でもするよ。こんな化け物に救われても迷惑かも知れないけどさ。この気持ちが嘘じゃないって証拠に――残りの杭を、全部壊す」


 震えた声で絞り出すように言うと、ルベールもフラウも目を細くした。


「行ってくる」


 船縁に足を掛けて思いっ切り蹴飛ばして、僕は大きく羽を広げた。巨大な白い竜へと変化した僕は、そのまま岩砂漠へ向かって飛んでいった。






 *






 炎を吐いて魔物を岩陰から炙り出し、一体一体捕らえて確実に殺す。

 興奮して自我を失っていなければ、竜の姿が一番強い。中途半端に痛めつけて数字を稼げなかったことを反省して、捕らえた魔物を一体ずつ噛み砕いて飲み込んだ。僕の腹の中は炉のように常に炎が滾っている。美味いとか不味いとか、そんなの知らない。

 迷うな。

 僕が迷えば、躊躇えば、全てお終いなんだ。

 綺麗事を並べて、化け物だって事実から逃げたくて、だから白い竜にはなりたくなくて。けどそんなふうに逃げれば逃げる程、現実は非情に僕の心を抉っていく。

 神様は残酷だ。

 どうして誰かを救いたいと思う者が苦しむよう、世界を設計しているんだろう。

 僕が本当に神の力を持って世界をどうにか出来るなら、こんなふうには作らない。


「絶対に、やり遂げてやる……!!!!」


 自分を鼓舞して、涙なんかどこかに吹き飛ばして、叫んで、炎を吐き、魔神の如く魔物を次々殺していく。

 巨大な尾を振り回して岩山を砕き、灼熱の炎で魔物を巣ごと丸焼きにし、鉤爪で魔物を切り裂き、串刺しにする。口に放った魔物を鋭い歯で噛み砕き、魔物の血と体液の混じったよだれを口から垂れ流し、群れを見つければ魔法で爆撃を仕掛けて一網打尽にして。

 身も心も竜にして、とにかく必死に戦い続けて――……最終日、残りあと二時間とちょっとのところで、カウンターがゼロになる。

 結局最後の一日は徹夜して、仮眠すら取らないで……また、ぶっ倒れた。


「何故そういう戦い方しか出来ぬのだ、貴様は」


 ルベールは半竜の姿にまで縮んだ僕のそばに屈み込み、呆れたような声を出した。


「うるせぇ……」


 岩砂漠の土の上、僕はまともに一人で起き上がれないくらい、限界まで体力を使い果たしていた。傷だらけで痛々しい僕を、ルベールはひょいとつまみ上げ、肩に担いだ。


「流石は神の子、と言ったところか。なぁ、フラウ」

「無駄な動きが随分多かったようだが、合格は合格だ。褒めてやろう」

「……やったね」


 終わったと思ったら疲れがどっと出て、僕は再び、深い眠りに落ちていった。

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