9. 帰る場所があるなら

 僕の心を置き去りにして、時間は進む。頭の中がぐちゃぐちゃなまま、逃げられない地獄の中で僕は藻掻き続けた。

 無理やり自分を鼓舞して、通常の二倍近く飯を掻き込んで、全身がズタボロになるまで狩りを続けた。魔物という魔物をぶっ殺して、残数を確認して、動ける限り戦った。

 また気を失うのが怖かった。

 だけど躊躇してる場合じゃない。

 僕を避けようとする魔物を追いかけて首を落としたり、巨大砂蟲サンドワームをけしかけて、砂に隠れた砂蟲サンドワームの幼生を数十匹纏めて殺したりした。

 魔物を殺すのに抵抗がなくなると、効率的に殺すにはどうすればいいか無意識に考え出した。

 魔物の血を自分に塗りたくって誘き寄せるとか、襲われるギリギリまで動かずに我慢して、一気に魔法で吹き飛ばすとか。残酷な手段は幾らでも思いつく。


 そのうち殺すのが楽しくなってきて、狂ったように笑いながら魔物を殺しまくってる自分に気付いて――絶望した。

 数をこなさなきゃならない時に、竜になった僕と同じくらい巨大な砂蟲サンドワームを切り刻んだ。至近距離で魔法を放って弾き飛ばして、体液が雨みたいに降り注ぐのを全身で浴びて喜んだ。自分の皮膚がジュウジュウ焼けて行くのが気持ちいいとか……完全に終わってる。

 どうせ、高い治癒力で直ぐに元に戻るから、僕はどうなってもいい。

 こういう風に人間は壊れてくんだ……って、もう人間ですらないのに、そう、思った。






 *






「食い物も殺伐としてきている」


 ルベールに言われてハッとした。

 腹に詰めれば良いと思って、やたらと肉を具現化させてた。最初はそれでも、ちゃんとした肉料理だったのに、ここ何回かは、鳥とか兎とか、ハーブをまぶしてオーブンで丸焼きにしたようなものばかりがテーブルに並んでいた。


「心に……余裕はないようだな」


 今齧り付いてる肉は、そもそも何の肉なのか。具現化魔法で生成してるから、多分……大丈夫なんだと思うけど、この骨付き肉、牛か何か……だよね、なんて。判断能力は低下してる。倫理観も、普通じゃない。


「食ったらまた、狩りに行く。あと三日。残り三百四十八」

「効率が悪くなっている。寝た方がいい」

「――うっさいなぁっ!!!! 寝てたまるかよ!!!!」


 睡眠時間が再生される記憶の密度と関係してることには気が付いていた。長時間の睡眠は、僕の精神を壊してくる。だったら……仮眠をこまめに取って、熟睡を避けるしかない。

 そして眠らないためには……、自分に痛みを、与え続けるしかない。眠くなると手の甲にナイフを突き立てる。血がドクドク流れて、生きてることを感じて……、これで魔物を誘き寄せるんだから、一石二鳥だ。


「目が血走ってる。息遣いもだいぶ怪しい。休まなければ、また数日動けなくなるはずだ。そうしたら、意味がなかろう」

「ちゃんとやり切るよ。僕を誰だと思ってんの?」


 強がったけど、このままじゃはったりにしかならないことくらい、僕にだって分かっていた。






 *






 ブツ切りに見える記憶。

 あいつはどうやら、美幸が子どもを無事に産むまで、そっちには手を出さないって決めたらしくて。時折悲しそうに遠くを見ながら美幸の事を考えて……、耐えてた。

 愛してるって言葉は、本当なんだと思う……けど、自信はない。

 ただ、あいつの長い長い生涯の中で、あいつとまともに言葉を交わした人間はそうそう居なかったから。凄く……大事だったんだ。

 初代塔の魔女リサとの約束を遂行するために新たな白い髪の男が必要なのは間違いなくて、――けれどそれを実現させるのは、途方もなく難しい。

 解放されたいと願う気持ち、僕には分かるよ。

 分かるけど……、それで美幸に悲しい未来しか与えないのは違うと思う。

 この後、美幸は死ぬ。

 どうしてかは知らないけど、美桜を遺して美幸は死ぬんだ。

 それが分かってるから……、記憶はこれ以上、辿りたくなかった。






 *






 一度に大量に魔物を殺すため、一晩中狩りをした。

 最初は狂ってるって思ったけど、僕の血に釣られてやたらと魔物が寄ってくるのが嬉しかった。


「何? 僕のこと、人間だと思ってくれてんの?!」


 砂漠狼が群れで襲ってくると、ゾクゾクした。牙を立てて噛み付いてくるのを思いっ切り引き裂いて、肉を食い千切った。


「ほらァ!! 来いよ!! 全部ぶっ殺してやるからさァ!!!!」


 壊れていく自分を、僕はどこか遠く、高いところから見ている感覚だった。






 *






「また倒れたか。何度目だ」


 反省なんて簡単に出来るものでもなく、懲りずに体力を全部使い果たした。ルベールに回収され、ベッドに放り投げられた僕を、フラウは鼻で笑った。


「成長しないな。神の子とは名ばかりか」


 全身、誰のものか分からない血で汚れていて、鱗も羽もボロボロで、髪にもべっとり何かの汁がこびり付いている。僕の格好はみすぼらしいし、凄く汚い。

 ベッドが汚れるのは嫌だったけど、魔法でどうにかするから今は放置。また、身体が言うことを聞かなくなってた。


「ちゃんと……やってる。殺してる」


 そうは言いつつ、丸一日かけても八十程度しか殺せてないのは、多分体力が限界だからだ。

 もう、三日近くまともに寝てない。記憶の再生が怖くて、仮眠が限界。今寝たら、多分何日も起きられない。


「ここしばらく、貴様の様子を見ていて分かったことがある」


 意識が飛びそうになるのを我慢している僕に、フラウは高い位置から言った。


「貴様は自分が苦しむことを愉しんでいる」

「はぁ? んなわけ!!」

「傷付き苦しむことに悦びを感じ、世界のために犠牲になる自分を美化している。そんな輩が世界を救えるか? レグル様を倒せるか? 勘違いも甚だしい」

「うるせぇ!! フラウに僕の何が分かるんだよ!!!!」

「貴様は何のために戦う。何のために苦しむ。……それが、貴様とレグル様の決定的な差だ」


 布で隠れたフラウの口が、少し歪んでいるのが見える。

 僕を見下すような冷たい目と視線が合った。


「絶望している者は、誰ひとり救えない」


 僕は直ぐに目を伏せた。


「貴様の生き方に未来は見えない。自分自身を大切に出来ない者が他人を救おうなどと、傲慢にも程がある」

「……自分の居ない未来に何を望むんだよ」


 口からポロリと本音が出た。

 ルベールとフラウの呆れたようなため息が聞こえる。


「僕の未来なんか最初から存在しない。あと何日自分で居られるのか、そればかりが頭を巡ってる。夢とか希望とか、皆が普通に持ってるものを、僕は持つことさえ許されていない」

「神の子よ。貴様は何か勘違いしているのでは? 誰も貴様を責めてはおらぬ。ただ使命を全うしろと訴えているに過ぎん。その先に、貴様が何を望もうが自由ではないか」


 淡々と話すフラウの声が、やたらと僕の耳に響いて。

 身体が動くなら、胸ぐら掴んで頭突きを食らわせたいくらいだけど、そんな気力もなくて。


「あのさぁ……フラウ。勝手なこと……期待させるようなこと、言わないでよ」


 ベッドに横になったまま、動かせるのは口くらいで。


「期待なんて……するだけ無駄だって、分かってるんだ。何を願っても、叶いっこないんだから」


 目頭が熱くなって、僕は顔を肩に沈める。泣いているのを見られたくなくて、けどプルプル震えた手は、隠せてなかった。


「シバは貴様を信じていた」


 ルベールがボソッと零した言葉が、僕の脳を刺激した。


「無茶な戦い方しか出来ない貴様を遠目に涙を流していた。誰ひとり、貴様の死など望んでいない」

「な……んで、シバの話なんか。関係ないだろ」

「彼は何度もこの船に来ている」


 エッと声を出して、僕は思わず身体を起こした。ギシッと筋肉に痛みが走ってそのままベッドに逆戻りだったけど、そのくらい大袈裟に驚いた。


「じょ、冗談だろ?! こんな所までどうやって……!!」

「貴様の気配を辿って飛んできたと。シバは相当に、強い」


 普通の干渉者なら……来ない。シバは僕と同じくらいの時、砂漠の帆船を操って冒険していたらしいことは知っていた。

 けど、まさか。


「じゃ、じゃあ何……? 僕の無様なところも、狂ったように笑うところも、シバは見ちゃったわけ……?」

「ああ」

「マジかよ!! あはははは!! 何で見てんだよ!!」


 わざとらしく笑い転げて大袈裟に動くと、それだけで全身に痛みが走った。けど、そうでもしないとどうにかなりそうで。


「……心配してんじゃねぇよ!! 僕は、本当の息子じゃない。人間ですらないって何度も」


 乾いた笑いは直ぐに止まった。半分仰向けになってプルプルと肩を震わせて、僕はギリリと奥歯を噛んだ。

 ルベールもフラウも表情を崩さなかった。僕を見下ろして、目を細めるだけだった。


「いつから……? シバはいつから来てんの?」

「フラウと合流後、程なく」

「マジかよ。……最悪」

「随分といろんな話をした。リアレイトでは、多くの人間が貴様の無事を願っていると聞いた。神の子が救われるよう、祈っていると」


 久々に、ルベールとフラウの目をしっかり見た。

 彼らの見たシバの姿が僕の中に流れ込んでくる。

 悲しみに耐えるようなシバの横顔に、胸が締め付けられる。


「な、なんだよ、それ。僕のことなんか、忘れろってあれ程」


 白い鱗に覆われ、長い爪の生えた手で、僕は顔を覆った。


「忘れてよ。決意が……揺らぐじゃん…………」


 どいつもこいつも、勝手に僕を心配して。

 ひとりひとりの顔が浮かぶ。もう、二度と会っちゃダメだと言い聞かせてる皆の顔が。


「帰る場所があるなら、悲観すべきではないな。甘えず、使命を全うしろ」


 フラウの言葉に、僕は小さく頷いた。


「少し……寝る。ひとりにさせて」


 船室からルベールとフラウが居なくなると、僕は声を殺して泣いた。

 泣くだけ泣いて、水分という水分が身体から抜け切るくらい泣き続けて、……僕はまた、記憶の中に落ちていった。

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