8. 禁忌を犯した、その先
祈るような気持ちで、彼は美幸を捜し歩いた。
人間の気配は弱い。美幸は干渉者としては力のない部類だった。捜すのは容易ではなかった。
『私ひとりでは限界がある』
彼は
『会いたい。美幸。私は、お前を失いたくない』
それは確かに、心からの叫びだった。
『五人衆が怒り狂って、塔の魔女に反旗を翻したらしい』
『今の塔の魔女は、塔の中枢と仲が悪いからな』
『竜の子を孕んだ干渉者が居るって噂だ。五人衆の怒りも理解出来る』
『禁忌を犯した少女は断罪すべきでは』
人間共の様々な噂を耳にした。
塔には強い干渉者や能力者が集う。五人衆はその頂点に立つ、能力者集団だと聞く。
ディアナは、その最高権力者でありながら、周囲から孤立しているのだそうだ。
前例を良しとせず、改革を進めたいディアナは、塔にとって明らかなる異端だった。
『塔は揉めている。それまで見向きもしなかった少女が原因で』
癪に障った。
彼女の苦しみを知りもしなかったクセに。
『彼女は真の安寧を齎すための、一翼を担うのだ。何も知らぬ人間風情が。禁忌など……知ったことか』
土塊の一匹が、妙な噂を聞きつける。
竜の子を宿した少女を、金色の竜が守っているのだという話。
『金色の……?』
『塔の魔女が
――
幼竜の頃、森で聞いたのだ。
自分は絶対にそうならないだろうが、そういう道を選ぶ竜も存在するらしい。
『金色竜――つまり、
待ちに待った救世主は、金色竜に誑かされ、一切彼の言葉に耳を貸さなかった。
希望は打ち砕かれ、彼はまた長い孤独を過ごすこととなった。その、元凶。
『また、私の邪魔をするのか』
彼は激しい憎悪を滾らせた。
出来るならば早急に、排除したかった。
『許せぬ。絶対に。……しかし、迂闊に手も出せぬ。ディアナめ、やってくれたな……!!』
――ダンッと、思い切り壁に手を付き、怯えるディアナの顔を俯瞰する。
塔の魔女の部屋。壁際まで追い込まれ、ディアナはガタガタと震えていた。
『何故美幸に金色竜を宛がった』
凄むとディアナは苦しそうに『私の意図ではない』と言葉を吐き出した。
『わ、私達塔の魔女は……、ニグ・ドラコの森の奥深くの洞穴に棲む竜から、それぞれの干渉者に相応しい卵をひとつずつ寄越される。それを美幸に渡したに過ぎない。どんな竜の卵なのか、私は知らなかった……!! 選んだのはその竜で、決して私では……!!』
『ニグ・ドラコの森……?』
『そ、そうだ。洞穴の奥、竜石に囲まれた宮殿に彼女は棲んでいる。何かの罪を犯した戒めに、彼女は洞穴に閉じ込められ、卵の番をしているのだ』
『彼女? 雌竜か』
『ふ、普段私と会う時、彼女は半分人間になったような姿で』
ニグ・ドラコの森、人間の姿に化ける竜……。あの森には魔法エネルギーが濃く満ちている。
幼少期を過ごした森を思い出し、彼は目を細めた。
『……なるほど。竜共は私を嫌う。人間も竜も、私と美幸の仲を引き裂こうと必死なのだな』
『ち、違う!! そうではない!! 皆、恐れているだけだ。禁忌を犯した、その先に一体何が待ち受けているのか……!!』
『詭弁だ。そうやって己の偏見を正当化しているだけでは? 私は純粋に美幸を愛した。それが罪だと? 初めて強く、結ばれたいと願っただけなのに』
『……願った、だけ?』
ディアナは恐る恐る、彼の目を見る。
『ならば何故、笑っている。――こ、口実を探していたのか!! 世界を壊す口実を』
ニタリ、と彼は嗤う。
『次なる白い竜は、私が用意した。救世主も、私が用意してやる。世界を本気で壊せば良い。そうすれば、救世主は自ずと現れる。私を、倒すために……!!』
『だ、ダメだ!! お前はそのために美幸を』
『救世主は本気で私を殺すだろう。さすれば美幸の産む子が、次なる白い竜となる。オスならば、白い髪の男として儀式に向かえる。メスならば、それに子を産ませればいい』
ディアナは目を見開いた。
信じられないというふうに、全てに絶望した顔をして。
『塔の魔女だけが、世界に存在を約束されている。ディアナ、語り継げ。三つが奇跡的に揃う瞬間を絶対に逃すなと。私も同様に、この記憶を引き継ごう。白い髪の男として儀式に向かう白い竜に。この地獄を、終わらせるために――……』
・・・・・
「――ンアアッ!!」
喉の奥から変な声が出て、目が覚めた。
仄暗い船室。ベッドの上。頭が痛い。身体がギシギシする。
横向きのまま伸ばした手を見ると、やっぱり白い半竜のまま。
最初から張り付いていたみたいな鱗。無意識にやったのか、所々不規則に肉ごと剥がれ落ちて血だらけだった。
引っ掻き傷で、両腕の数字が見えない。痛いはずなのに、僕の痛覚はどこかに消えていた。
「ヤバい。寝過ぎた」
どうにか起き上がり、甲板に出た。
日の出前なのか、日没後なのか。
僕が意識を失っている間も帆船は砂漠を進んでいて、見渡す限り平坦な砂漠の真ん中では、方角さえ分からなかった。
「休めたか」
船首の方からルベールの声がした。
「うん。まぁ」
両腕の傷を見られたくなくて、僕は急いで回復魔法を掛けた。
「始終うなされていた。なるほど、人間共が神の子を閉じ込めておきたくなるわけだ」
船首から甲板へ続く階段を降りながら、ルベールは僕を小馬鹿にした。
「船が壊れてなくて安心した。もっと暴れてると思ってた」
「魔力が暴走して、何度か冷や冷やしたがな。どうにかふたりがかりで抑え込んだ。人間と暮らせない、という理由はこれか」
「……無意識に暴走するの、どうやって止めたら良いのか分かんなくて。厄介だよね」
力なく笑って、息を吐く。
ルベールの反応を見るに、相当ヤバかったのは間違いなさそうだった。
「少しずつ酷くなっているように見えるが」
「実際そうだと思うよ。これが“神の子”だなんて、誰も想像してなかったよね。何より……僕が一番、信じらんない。中身は本当に、ただの化け物なんだもん」
「――これ以上、自分の存在を卑下するな」
甲板まで降りてくるなり、ルベールは僕の肩に手を置き、ギュッと指を食い込ませた。
僕は目線を下に向けたまま、ギリギリと歯を鳴らした。
「何度も言う。貴様は邪悪ではない。力と記憶に惑わされるな」
「無理だよ、それは」
「邪悪ならば、何故見知らぬ誰かのために泣くのだ。貴様はうなされながら、ずっと誰かの名を呼んでいた。そこまで思い詰めて自らを犠牲にし、身体も心も擦り切れるまで戦い続けるのは何故だ」
ルベールの言葉に、胸がギュッとする。
ブンブンと頭を横に振り、僕はルベールを突っぱねた。
「ぼ、僕が戦うのは、それしか選択肢がないからだ!! 何もかもぶち壊すしか能のない禍々しい力で出来ることなんて限られてる。……全部壊して、あいつを殺して、僕はあいつの目論見通り、唯一の白い竜として……、儀式に必要な白い髪の男として世界を救う。そうしたら、僕の役目は終わるんだ。早く……終わらせたいんだよ、全部……!!」
言い放ったそばから、どんどん涙が溢れてくる。
それをルベールはじっと見ている。
まるで僕の本心を覗き込むように。
「あいつは……終わりを望んでる。僕も同じだ……。何もかも終わらせて楽になりたいだけなんだ。そのために犠牲になるのは僕だけで良い。僕が泣くのは、僕以外の誰かが犠牲になるのが許せないからだ」
知らず知らずに零れた涙を腕で拭く。
チラリと、腕の数字が目に入った。
左腕に“六百六十四”。右腕には……。
「えっ……! 残り六日……? 嘘、だろ……?」
眠りから覚めて直ぐ見た腕はボロボロで、数字が判別出来なかった。
魔法で治してようやく見えるようになったそれに、僕は驚きを隠せない。
「ぼ、僕の記憶じゃ、確か二日目の夕方で……。あ、あれ? 仮眠のつもりで」
「丸二日、死んだように眠っていた。時折魔力を暴走させながらな」
「う、嘘でしょルベール!! どうして起こしてくれなかったんだよ……!!」
「死んだように眠っていたと言った。諦めろ。時間は戻らない」
言葉を失った。
どうりで妙に長い夢を……。
「休んでいた分、一日平均百体以上倒さねばならなった。グダグダと悩んでいる場合ではないと思うがな。そうは思わんか、神の子よ」
冷たく言い放つルベールに、僕は言い返す言葉が見つからなかった。
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