7. 眠りたくない

 精神が不安定になると、具現化魔法に支障をきたす。

 飲み物ぐらいはポンと出せたけど、固形物が美味く生成出来なくて、頑張ってもサラダとか豆腐止まり。カロリーが足りなさすぎて、頭が朦朧とした。

 元々石像だったルベールとフラウは、飯を食わなくても全然平気らしいけど、僕はそういうわけにはいかなくて、本当は無理にでも何か腹に突っ込まなければならなかった。

 けれどこういう精神状態の時に何か具現化しようとしても、まともなものは出てこない。

 味の薄い雑炊、サラダチキン。

 多少頑張って何かを出しても、味がしなかったり、腐りかけだったり。

 食べずに捨てたのも多いし、食ったところで吐き出して、胃の中が空っぽになるだけだった。


 空腹は神経を妙な方向に尖らせる。

 美幸の中に全部ぶちまけた感覚が下半身にこびり付いていて、嫌悪感で何度か局部をもぎ取ろうとした。自分の手に反応するそれは、未だ誰のことも穢していないのに。

 記憶と現実の境目が曖昧になって自分が酷く汚いものに思えた。

 どうにかして止めたかった。

 過去、二度と戻れない時間。

 絶対に覆らない事実なのに、僕はそれでも、彼女とあいつの仲をどうにか引き裂きたかった。






 *






「あと八百六十七体。一日百体平均なら間に合う」


 肩で息をして、ぼうっと遠くを見つめるだけの僕を、ルベールは訝しげに睨んだ。

 夜中の戦いで傷付いた身体は、朝までには治っている。回復魔法なんか使わなくても綺麗に治るのは、多分白い竜の力なんだと思う。


「その状態で狩りに行っても、無駄に暴れて終わるのが見えているが」

「まあ良いではないか、ルベール。神の子の好きにさせよ。期限内に終わらなければ世界の終わりが早まるだけなのだから」


 フラウは乾いた笑いで僕を貶した。

 確かに精神状態は最悪で、体調も悪い。腹も減ってる。

 夜中に魔物を狩ったところから幾らか移動したとはいえ、昼間に魔物を大量におびき寄せるのは容易じゃない。血の臭いが最適だって分かってても、この状態から血を流し過ぎるのは得策じゃないことも、前日の経験から立証済みだった。


「全回復を待ってたら、永遠に終わらないよ。じっとしてると余計なことを考える。寝るのも怖い。僕はまだ、僕のままでいたい」


 意識してないと人間の姿に戻れなくなってきてる。

 不安定な時は特に、半竜の姿の方が楽でいいって感じで。

 本当は……凄く嫌いなのに。竜の力が強くなりすぎて、制御し切れてない。

 甲板に吹き付ける生温い風を感じながら、僕はゆっくりと周囲を見渡した。

 遠くに岩場が見える。船からは少し離れるが、そこならば魔物がそれなりに潜んでいそうだ。


「淡々と、殺しまくれば良いんでしょ。もう、罪悪感はないよ。上手く仕留めるコツも掴んできたから、機械的に殺しまくれば数字は伸ばせると思う」


 僕は力なく笑って、羽を広げて甲板から飛び出した。






 *






 岩場には蟲系の魔物が大量にいる。

 大百足おおむかでや岩さそり、砂漠大蟻おおあり大砂蜘蛛おおすなぐも。巨大化し、外骨格が発達して鋼鉄並みの強度を持つ蟲たちは、それぞれに強烈な毒や鋭い牙、爪、針を持つ。

 当然、噛まれたり刺されたりしたら一撃で動きを止められてしまうから、着実に倒していくほかないわけだけど、これが結構大変で。

 一体の大きさはおよそ人間の半分にも満たない砂漠大蟻も、大群で押し寄せられると埒が明かなくなる。

 電流で痺れさせ、そこから炎で一気に焼き尽くそうとしても、頑丈な殻に守られていて、なかなか死までに至らない。脆くなったところを一気に剣で叩き割って、一体一体確実に仕留めていく。


 蟻塚を見つけて数を稼ごうとしたところまでは正解だったのに、まさかとんでもない数の蟻が潜んでいたとは思わなくて、全部倒すのに苦労した。

 一生懸命で、空腹とか記憶のこととか、考えずに済んだのは良かった。

 頭の中を全部空っぽにしたかった。

 腕がおかしくなるまで剣や鎌を振り回して、全てを焼き尽くす勢いで炎を吐き、魔法で一気に魔物を消し飛ばした。

 僕の中から溢れ出すありとあらゆる負の感情を、魔物という魔物に全部ぶちかまして、それでどうにか自分であり続けようとした。


 蠍のハサミでズタズタに裂かれても痛いとは思わなかった。

 百足の体液で鱗が爛れるのも、どうでも良かった。

 巨大な蜘蛛の巣に引っかかっても、毒さえ食らわなければ大丈夫だと思っていた。

 感情にならない声を出した。吠えまくって、終いには泣いていた。


 世界を救うとか救わないとか、神の子だとか化け物だとか破壊竜だとか。

 全てを背負ってしまったことを後悔しまくって、だけど逃げられないことなんだって何度も自分に言い聞かせて。

 綺麗な戦い方なんか出来ない。

 岩場を駆け巡り、見つけ次第見境なく魔物を殺しまくった。

 血を浴びた。

 言葉にならない叫びと喚きが砂漠に響いていた。

 どれくらい殺したのか、数字を確認する余裕なんてなかった。

 日が暮れ、精も根も尽き果ててぶっ倒れるまで戦い続けて、またルベールとフラウに回収される。


「一気に二百体を超えた。……が、飲まず食わず、休み無しでは身体が持たんぞ」


 正直、どうでも良かった。

 どのみち、千体殺し終えたら僕はまた杭を壊しに行く。

 そしたら暗黒魔法を浴びて、もっと苦しむわけで。


「いいよ。どうせ、僕は死なない」


 腕を上げる力もなくなった僕を、猫みたいに小脇に抱えて、ルベールは大きくため息をついていた。






 *






「一旦休め。様子がおかしすぎる」


 ベッドから降りる力もない僕を、ルベールはそう叱りつけた。

 日が落ちて暗い船内で、照明の光がやたらと眩しかった。頭をずらして、僕は暗い方を向いた。


「い……やだ。何か食べたら、また狩りに行く。夜に動いた方が、良い」


 全身がミシミシと軋むような音を立てているのが分かる。

 本当は喋るのも辛いけど無理矢理平気そうな顔をしているのは、ルベールとフラウに一瞬でバレた。


「折り返しまで、もう少しでしょ。さっさと……終わらせる」

「休め。自分で分からないのか。焦点が定まってない」

「うるさいな!! 大丈夫だよこれくらい!! 今、魔法で回復する。万全の体調で直ぐに狩りに向かえる!!」


 ルベールを怒鳴りつけ、僕は咄嗟に回復魔法を発動させた。

 傷はみるみる治った。……ように見えた。本当は治ってない。動けば傷口が開くくらいに、深く傷付いている。


「一気にやらなきゃ。まだ魔力は十分残ってる。動けるよ。はは」


 起き上がろうとして――姿勢が崩れた。前のめりになって、そのままベッドに突っ伏した。

 頭蓋骨が重くて持ち上がらない。全身の筋肉が力を失ってる。


「はァ……はァ……、クソッ。動けよ……、なんで動かないんだ……!!」


 意識が朦朧とする。目が……開かなくなる。


「限界だ。休め」

「嫌だ。休みたくない。僕はまだ……動ける」


 呼吸が辛い。

 意識が……離れていく。


「眠りたく……ない……」


 嫌だ。

 眠ったら、僕はまた――……。











      ・・・・・











 美幸が、姿を現さなくなった。

 厳密には、彼女はレグルノーラに干渉しているが、彼の前に姿を現さなくなってしまったようだ。


『美幸の気配は薄らと感じるのに。何故だ。私を愛していたわけではないのか』


 日がな一日、アパートで彼女を待った。

 彼女の好きなお茶や菓子も用意した。

 ある時は彼女と出会った路地へと足を向け、ある時は語り合ったベンチで終日彼女を待った。


『……おかしい。私の子を宿したならば、確実に生まれるよう、守ってやりたかったのに』


 彼の心にぽっかりと穴が開く。

 会いたいと願えば願う程、彼女と会えない時間が長く感じた。











『美幸を隠したのはお前か』


 彼女が姿を消してから数ヶ月、我慢の限界を迎えた彼は、塔の魔女ディアナの元へ赴いていた。

 白い塔の天辺、窓から全てを見渡せる部屋の一角。

 恐ろしいまでの殺気を放ち、彼はディアナに押し迫った。


『か、隠してなど』


 ディアナは目線を逸らす。

 彼はムッとして、ディアナの腕を鷲掴みにした。


『美幸は私のものだ。腹の子も、私のものだ。何故隠す』

『か、隠してなどいない。白い竜の子を宿した美幸は、命を狙われているのだ。私は彼女を保護して』

『保護は!! 私がする!! 彼女を返せ!! 今すぐだ!!』


 美幸が姿を消してから先、彼はまともに眠れていなかった。

 食事も喉を通らなかった。

 痩せ細り、ギラギラした目をディアナに向ける。


『出来……ない。お、お前には、教えられない……』


 ディアナは頑なに彼を拒んだ。

 思い詰めたような彼女の顔に、彼はギリギリと歯を鳴らす。


『……ならば、自分で捜し出すまでだ』


 沸々と湧き上がってくる怒りを呑み込んで、彼は塔をあとにした。

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