5. 引き摺る

 船は進む。

 魔力さえ注いでおけば自動で進んでくれる。僕がどれだけ混乱していようと、眠っていようと、勝手に動くようにしておいた。

 真っ当な魔法使いや魔女なら、恐らく魔法陣を刻んで命令文を書き込んでおくんだろうけど、あいにく僕は全然真っ当じゃないから、魔法陣なんて描かない。必要なものに魔法を直接掛ける。必要なくなれば魔法を解くことにしている。

 だから森の中の監視小屋にあった水回りは今、機能していないはずだ。

 必要ない、戻らないと決めたから、蛇口から水が出る魔法は消し去った。

 僕の力は万能らしい。悲しいことに。

 魔法の使い方も分からなかった頃は、こんなことになるなんて夢にも思ってなかった。

 正直、あの頃が懐かしい。何も知らなくて、弱くて、苦しかったけど、今よりはマシだったと思う。


「まだグダグダと悩んでいるのか、くだらん」


 夕陽の沈む地平線を甲板の上から眺める僕を、ルベールは鼻で笑った。

 船縁に両肘を付き、腕の上に顎をトンと載せて、僕は深くため息をついた。


「ある程度移動したら直ぐに再開しないと、間に合わないのではないか?」

「分かってる。どうにかする」


 どうしたら良いのか分からないクセに、僕は分かりやすくうそぶいた。


「どうにか出来る状態とは思えなかった。その辺の魔物より、随分タチの悪い殺し方をしていた。食い方も汚い。普段の貴様とは別物だ」

「……知ってる」

「貴様の本性か」

「そう……かも。分からない」


 あれから何度もうがいをして、別の食べ物を口に入れて、必死に血生臭さを消そうとした。けど、なかなか血と獣の味と臭いが消えなくて、結局直前に食べたものと、未消化の肉をトイレに大量にぶちまけた。

 腹が減りすぎておかしくなって、そしたら僕は魔物だろうが何だろうが見境なく食うんだなと思うと、益々気持ち悪くなった。

 これで“神の子”だなんて笑わせる。

 やっぱり化け物じゃん。そう思うと、また自己否定感が強くなって、頭がグルグルしてしまう。


「どうにかして……コントロールしなくちゃって思ってるんだけど、どうにもならなくて。あと四本分、暗黒魔法を浴びる。その度に自分を抑えられなくなってくのは勘弁かな。理性が働かなくなると、敵と味方の区別が出来なくなるんだ。そうならないよう、頑張らなくちゃって、思ってはいるんだけど」

「自覚はあるのか」

「あるよ。意識が飛んでく感覚もある。……そうならないよう、戦闘に慣れろってことでしょ、千体殺せってのはさ。僕の弱いところだもんね。相手を傷付けることを怖がって、まともに戦えない。千体殺せば、ある程度慣れてくるだろって言いたいのかなってさ」


 地平線に沈んでいく太陽の光が、次第に弱くなっていく。

 反対側の空には星がちらつき始めた。


「心配してくれてありがとう。どうにか頑張る。少し休んだら、また魔物を倒しに行くよ」


 ルベールの方をチラリと振り向くと、何とも微妙そうな顔をされていた。

 僕はどうやら、随分酷い顔をしているらしかった。


「貴様は邪悪ではない。それだけは忘れるな」

「うん。ありがとう」


 気休めの言葉が、妙に心に染み込んだ。






 *






 北東に舵を取り、別の岩砂漠へ。

 一時間程船室で仮眠を取ってから、夜の狩りへと向かうことにした。

 正直、寝るのは怖かった。あの夢の続きを見ることが確定してるから。

 けれど、寝ないことには体力は回復しない。傷口は未だ塞がりきってないから、身体を捻るとズキズキ痛む。明日以降の狩りに差し支えるから、休息は絶対に取らないと。

 僕のことは、僕がどうにかする。

 記憶に負けるな。

 僕の記憶じゃない。あいつの記憶だ。

 何も恐れるな。

 たとえ生々しい記憶が蘇って僕の精神を蝕もうと、それは僕がやったことじゃない。

 だからどんなに僕が心の中で泣き叫ぼうが、美幸は助からないんだ。











      ・・・・・











 唇を重ね、肌を撫で合う。荒い息づかいが耳に響く。


『ねぇ……、これ、何ですか。身体が、身体が熱い』


 ベッドの上で、美幸を抱いている。

 彼女の吐息が、彼をどんどん興奮させていく。

 制服を乱した彼女を見下ろして、彼はにこりと優しく微笑んだ。


『怖がらなくていい。美幸はただ私の言う通りにしていれば良いんだよ』


 くたびれた部屋の一角、薄闇の中、彼は怖がる彼女の唇を自分の唇で塞いだ。絡み合う舌の感覚に、彼女は麻酔を打たれたように気持ちが良くなって、抵抗すら出来ずにいた。

 ギシギシとベッドが軋み、彼女は甘い声を漏らす。

 押し寄せる快感に、彼女の意識は何度も飛びかけた。


『大丈夫。君が一人にならないための儀式だから』


 意識が飛んでリアレイトに戻られては元も子もない。

 彼は確実に、彼女の中に注がねばならなかった。


『君と僕が繋がることで、君は孤独から解放される。大丈夫。君は幸せを手に入れるのだから』


 彼はニヤリと口角を上げた。

 大丈夫。上手くいく。

 会う度にこうやって行為を重ねれば、いずれ彼女は――……。











      ・・・・・











 汗だくで目を覚ました。

 時計を見ると、未だ三十分も経過してない。

 真っ暗い中、砂を掃くように進む音がやけに響いていて……、同時に、自分の下半身が異常に反応していることに気が付いて、絶望した。


「何おっきくなってんだよ、クソがッ!!」


 最悪だ。

 生々しいくらい鮮明に、美幸の唇や肌や、彼女の中の温度まで覚えてる。

 恐ろしいことをしてたのに、罪悪感より気持ちよさの方が勝ったんだと思うと吐き気がして、無意識に胸を掻きむしっていた。


「……んだよ!! 生殖行動だけは絶対にダメだって!! ダメなんだって……!!」


 ボタボタと涙がこぼれ落ちた。

 ベッドの上で身体を丸めて、そしたらやたらと大きくなったままの下半身が気になって。

 あんなのを見たら、興奮するに決まってる。まともな男子なら。

 けど。


「ダメなんだよ、僕は。そういうのに興味持っちゃ。誰のことも好きにならない、誰とも一緒にならない。僕の時代で全部終わらせるんだよ。誰かとそういうことをしたいとか、絶対に考えちゃダメだって……!!」


 記憶の中で美幸を犯したのは僕じゃないのに。

 分かっていてもあの感覚が忘れられなくて、やたらと下半身が疼いた。

 それがまた、しんどかった。






 *






「大丈夫か、気配が揺らいでるぞ」


 ルベールは敏感だった。

 フラウも僕を見て顔をしかめた。


「大丈夫。これからやる」


 深夜、真っ暗な甲板に出て深呼吸。

 この時間から狩りをするのは、要するに夜行性の魔物を狙うためだ。

 船を砂漠の真ん中に係留させ、錨を降ろした。ルベールとフラウは前日同様、甲板から僕の様子を見守るらしい。


「傷口が塞がってる。また血を流した方が魔物は集まりやすいが?」


 フラウはまた変な提案をしてきた。


「やめとくよ。確かに魔物は集まってきたけど、それじゃ僕が変になる。コントロールが利かないんじゃ意味がないでしょ。学習したよ」


 興奮しすぎた自分を落ち着かせるために自慰行為をした。

 最悪で、最低で、また自分が嫌になった。行き場のない怒りというか、絶望というか。そういうのも一緒に吐き出せたら良かったのに、残ったのは虚しさだけだった。


「自暴自棄になっては意味がない。何を引き摺っている」


 いつも以上に様子がおかしい僕に気が付いて、ルベールが僕の腕を掴んだ。


「何でもないよ。大丈夫。あと九百六十四体、九日間で殺しまくれば良いんだよね。……どうにかするよ」


 ルベールの手を振り払い、僕は白い半竜の姿になった。

 人間の姿じゃ防御力も弱いし、行動範囲も狭くなる。何より、筋力が全然違う。悔しいけど半竜の方が戦闘には向いてる。


「僕のことなんかどうでもいい。心が壊れようが、身体が壊れようが、現実は待ってくれないんだから」


 船縁に手を掛けて、そのまま一気に船の外へと飛び出した。

 砂地に降りて、夜の砂漠をしばらく歩く。魔物の気配はない。昨日はフラウに傷付けられて、血の臭いが魔物をおびき寄せたけれど、毎回それだと僕の精神が持たない。また暴れるだけ暴れて、大して数字が伸びないのはごめんだった。


「この辺で良いかな」


 船からある程度離れたところまでやって来てから、僕は右手に魔力を集中させた。

 凝縮した魔力を球状にして、空高く帆降り投げる。――と、闇の中、空中にとどまった光の球が、辺りを煌々と照らし始める。


「よし、出来た。あとは光に群がる魔物を……」


 神経を研ぎ澄まし、周囲を見渡す。

 静かな宵闇の中、砂を踏む音がどんどん近付いてくる。


「夜中なら、この方法で行けそうだな」


 あとは僕が、狂わずにちゃんと全部殺せるか。


「逃げるなよ、僕。絶対に逃げるな」


 必死に自分に言い聞かせ、僕はギュッと拳を握った。

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