4. 誰にも救えないならば

 砂漠特有の魔物は、森に棲むそれより大きく獰猛らしい。滅多に現れない獲物に異常に執着し、一度標的になると逃れることは難しいと聞いた。

 目視で確認出来るだけでも十体以上、狼やハイエナに似た魔物が、息を荒くして砂山を越えてくる。


「くっそ……」


 ぐるぐると喉を鳴らして近付いくてる魔物達を、僕はギロッと睨み付けた。

 痛みで激しく脈を打つ患部。

 回復魔法が間に合わず、血だまりになっていく足元。

 朦朧とする意識。

 腹が減って、止まらないよだれ。


「ちっくしょおっ!! やられて、たまるかあッ!!」


 竜化しかない。

 僕に残された道は、巨大化してあいつら全部焼き尽くすくらいしか。


「――だぁあああああああああああああっ!!!!」


 ダメだ。

 意識が途切れそうだ。

 血が足りなくて、思考回路がめちゃくちゃなのに竜になったら危険じゃないのか。

 僕は僕でいられるのか。

 身体の組織を竜のそれに変えながら、だけどどこかで迷いがあって。


 血に飢えた竜は、見境なく魔物を殺しまくる。

 むんずと伸ばした手で魔物を鷲掴みにして、そいつをグシャッと握り潰す感触に吐き気がした。

 次から次へと襲ってくる魔物達を、竜になった僕は捕らえて、潰して、噛み砕いた。


火を吐き、殺した魔物を食いまくった。

 咆哮し、血を垂れ流し、手当たり次第殺しまくった。

 嫌だ……。

 なんでこんな殺し方しか出来ないんだ。

 身体も脳ミソも有り得ないくらいに興奮してて、だけどどこかでこうやって自分の行為を俯瞰している僕が居て。

 所詮僕は白い竜か。

 理性を保て。

 呑まれるな。

 本能に支配されたら、僕は第二のかの竜に――……。











      ・・・・・











『また、酷いことを言われたのか』


 目の下にくっきりとクマをつくって現れた美幸の頭を、彼は優しく撫でていた。


『可哀想に。君に非があるわけではないというのに』


 公園のベンチにピッタリとくっついて座り、彼女の身体を抱き寄せる。

 彼女は彼に身を委ね、ボロボロと大粒の涙を流している。


『干渉は、やめなさいって。気持ち悪いって言われてしまって』


 どうやら家族に干渉を目撃されたらしい。干渉中は眠っているような、起きているような、無防備な抜け殻と化してしまう。戻った後もレグルノーラの余韻に浸ってしまい、ぼうっとしてしまうことを指摘されたのだそうだ。

 そしてうっかり魔法を使った。リアレイトで。

 それがまた、非難に拍車を掛けた。


『本当の自分を曝け出すことが出来ないって、凄く辛い。私の居場所なんて、どこにもないのかも』

『私は、君のことを理解しているつもりだが』


 彼が言うと、美幸は頬を赤らめて彼の胸に顔を埋めた。


『キースが、同じ世界の人間なら良かったのに。そしたら、一緒になれるのに』


 心神耗弱状態の彼女は、彼にだけ心を許していた。


『……“特別な力”って、“気持ち悪い”ものなんでしょうか』


 美幸は彼を見上げて言った。


『どうして?』


 彼が低い声で言う。


『私にとっての当たり前が、みんなにとっては全然当たり前じゃない。こうやってレグルノーラに飛んで、キースとお話ししていることさえ気持ち悪いって兄は言うんです。兄にはこの世界のことは分からないのに。二つの世界が繋がっていることも、行き来することのできる人間がいることも、何も信じてくれない。……病気、だと。私は病気だと思われてる』


 美幸が肩を震わすと、彼はそのままギュッと彼女を抱きしめた。


『君は病気なんかじゃない。とても繊細な、優しい子。だからこそもう一つの世界の存在に気付くことができた。素晴らしいことだと思う。君の兄は勘違いしている。責めてはいけない。皆、自分と違うものを認めたくないだけなのだ。君の不安は全部私が受け止めよう。大丈夫、安心しなさい』











『こんな狭いところで、人間達はひしめき合って生きている』


 雑踏の中立ち止まり、彼は空を仰いだ。

 天高く伸びるビルが視界を塞ぎ、その先に分厚い雲の広がる空が見える。

 ビルの合間を飛ぶ翼竜は、市民部隊のものだろう。いつぞやに襲撃されたのを思い出す。あれから、有事に備えて警備を続けているらしい。


『四角い建物の中で誰かと暮らす。必要なものを似たような価値のものと取り替える。食べ物が欲しければ、同等の価値の貨幣を払う。身なりも肌の色もてんでバラバラなのに、大きな争いごともない。人間の姿に化ければ、私でさえ溶け込める。人間とは……実に不可思議な生き物だ』


 大勢の中に紛れ込んだ彼を、翼竜は見つけることすら出来ないらしい。そう思うと何とも愚かしく、ついつい翼竜の影を追ってしまう。


『不可思議で、愚かだ。人間の殆どは、私の力を感じ取れない。何もわからないのだ。私が“かの竜”などと呼ばれて恐れられていることも、私が恐ろしい感情を持って道を歩いていることも、彼らは何も知らない』


 視線を落とすと、小路から見知った少女が現れた。美幸だ。


『一人の少女が苦しんでいることさえ、世界の誰も、知ろうとしないのだ』


 無邪気に手を振り駆け寄ってくる彼女に、彼は特別な感情を抱いてはいたが……、同時に、使えるのではないかとさえ思い始めていた。


『美幸には居場所がない。どこにも行く先がない。しかも私を慕っている。……なるほど。面白いことを考えた。頭の片隅に引っかかっていたアレを試してみる、またとない機会が訪れたようだ』


 彼は歩を早め、ズンズンと彼女の方へと向かっていった。











『悪いね、散らかってて』

『いいえ。そんなことないです』


 狭いアパートメントに彼女を案内する。

 キース名義で借りている、中古物件。当然、家賃は全て人間を殺して奪った金で払っている。

 人間としての生活を営むには拠点が必要で、いわば仕方なく借りている物件だった。

 寝て起きるだけの部屋には、殆ど生活感がない。


『日が短くなってきたし、寒くなってきた。屋根のあるところで話した方が良いのではないかと思ってね』


 レグルノーラには季節がない。若干日の長さが変わる程度で、温度変化も微々たるもの。要するに、彼女を引き込むための、方便だった。


『ありがとうございます。お部屋にお招き頂けるなんて。嬉しい』


 何の警戒心もない美幸が、少し不憫になった。

 ……不憫だなんて。とりあえずそう思っていただけかも知れないが。


『誰にも聞かれたくない話、もっとあるだろう。それに私も、君との仲を誰にも邪魔されたくない』


 美幸をソファに座らせて、彼も隣に座る。

 恥ずかしそうにはにかむ彼女にグッと近付き、彼はゆっくりと美幸の唇を奪った。


『――!!』


 美幸は驚いて彼を押し返した。


『私が嫌いか』

『ち、違います。おお、驚いて、しまって』

『私はずっと、君とこうしたかった』


 真っ赤になった彼女の頬を撫で、彼はもう一度唇を重ねた。

 ゆっくりと、少しずつ味を確かめるように。

 ……そう、人間の男女はそうやって、愛を確かめ合うらしい。何百年となく人間の姿で生きてきて、知らないわけがない。

 彼女の柔らかな唇を舌でこじ開けると、美幸は蕩けるように力を抜いて、彼に身を委ねた。絡みつく舌と舌。

 為す術もなく、彼女は彼に身体を――……。











      ・・・・・











 喉の奥からゲボッと吐き出したのは、何かの魔物の毛皮の一部。茶色くトゲトゲしたものが喉を遡って、あとは未消化の肉か血の塊が一緒に口から吐き出された。


「グアアッ!! ゲホッ、ゲホッ!!」


 吐瀉物を必死に手元の砂で覆い被して、酸っぱい臭いを消そうとした。けど、生温い空気もあって、なかなか臭いが消えなくて、せっかく盛った砂の上に、僕はまた盛大に胃の中身を戻していた。


「クッソ!! また、食ってた。生肉は食うなってあれほど……!!」


 砂地に座り込んで、自分の吐いたものをどうにか砂に隠して、僕はワンワン泣いていた。

 口の中が生臭くて、気持ち悪くて。

 朦朧とする意識を必死に保ちながら、僕はペットボトルの水を何本か具現化させて、グビグビ飲んでは吐き出した。


「ハァ……、ハァ……。何、やってんだよ。何やってんだよ、僕は……!!」


 血は殆ど止まったけど、傷口は完全には塞がってないらしい。身体を捩る度にズキズキと患部が痛んだ。

 半竜姿のまま、僕は頭を抱え、蹲った。――と、両腕の内側に刻まれた数字に愕然とする。


「ご、五時間も経ってるのに、たった三十六? あんなに暴れたのに?! じょ、冗談……!!」

「無駄な動きが多過ぎるからだ」


 と、前方からフラウの声。

 咄嗟に顔を上げると、ルベールとふたり、船から降りてきて僕を冷たい目で見下ろしていた。


「なるほど、竜化すれば確かに強い。が、冷静さと自我を失う。だから無駄な動きが増す。手負いの状態で多くの魔物が逃げ出していたことに、貴様は一切気付いていなかった。確実に仕留めなければ、数字は減らない」


 腕の数字に目を落とし、そういう事かと少し納得した。

 確かに僕の意識は飛んでて、どうやって殺したのか殆ど覚えてない。


「竜化は構わん。冷静さを失うな。貴様の意思で一体一体しっかり仕留めろ」

「腹突き破っておいてよく言うよ!! お陰で意識は飛ぶし、頭はおかしくなるし……。アレでどうやって冷静さを保てるんだよ!!」


 尾を振り上げ羽を広げて、僕は全身で怒りを表した。けどフラウはそんな僕を鼻で笑った。


「レグル様が黙って殺されるのを待っていると思うか? 必ず貴様を試すはずだ。躊躇なく、全力で。貴様の回復も情緒も無視して。――甘えるな」

「寧ろ、弱るのを待って一気に攻撃を仕掛てくるだろう」


 ルベールも痺れを切らして言葉を漏らした。


「誰にも救えないならば、壊してしまうしかないと、レグル様はお考えなのだ。真面目にやれ」


 ……誰にも救えないならば。


 頭を抱えた。

 そうだ。

 しくじったら、ダメなんだ。

 二度目はない。


「船を出せ。貴様が暴れたせいで、界隈から魔物の気配が消えた」

「……はい」


 言い返せなかった。

 言い返す資格は僕にはなかった。

 竜化を解いて船に戻った。

 砂山のあちこちに肉片や骨が散らばっているのが、傍目に見えた。焦げてたり、千切れてたり。血の色で、砂が広範囲にわたって黒ずんでいた。

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