3. 砂漠の試練

 漆黒の柱に、障壁のように立ちはだかるフラウの後ろ姿と、ショックで泣きそうな僕、そして静かに見守るルベールの姿が映っている。

 風の音がやけに耳に響いて、葉の擦れる音さえ痛々しく聞こえてきて、……息が、詰まりそうだった。


「こ、殺せ……? せせ、千体……? じょ、冗談でしょ。あああのさ、ゲームじゃないんだよ。リアルだよね。何もしてない魔物から命を奪えって言ってんの……?」


 首をブンブン横に振って一歩下がると、ルベールがそれに気付いてドンと背中を押してきた。

 何するんだよと振り向くと、ルベールは無表情にフラウの方を向けと目で訴えてくる。


「逃げるならば、杭には触れさせぬ。このまま大地が崩れるのを見届けるが良い」


 フラウは本気だ。

 絶対譲らないって、顔に書いてある。


「にに逃げるとか……!! まさか。逃げるわけないだろ。僕がやるしかないんだから、絶対に逃げない。逃げない……けど、こ、こ、ここ殺せって……言われても……」

「手を汚してきたのだろう? ならば躊躇いもあるまい」

「そ、それは……」


 言い淀んだ。

 無駄な殺生はしたくないって思ってたし、自分の力がそっちの方に使われるのは凄く嫌だった。

 船の改造とか、具現化魔法とか、そういうクリエイティブな方に向けたいのに、どうして、こう……求められるのは、そっちばっかなんだ……!!


「汚したと言いながら、貴様は大して汚れておらぬ。――化け物? 貴様のどこが化け物だ。怯えた竜の子が、寝言を言うな」

「こここ心を、何度も抉られた。いろんな人を傷付けて、怖がらせて、壊しまくった。神の子なんて名ばかりで、僕はいつ破壊竜になってしまうかも知れない、白い化け物で……!!」

「――だったら何の問題がある。この期に及んで魔物を倒すことに罪悪感があるのか? 魔物は世界に漂う負の感情によって生まれる。情けをかける対象ではない」

「だとしても……!!」


 だとしても、千体の魔物を十日間でなんて、気が狂ってるとしか思えない。

 フラウは僕をどうしたいんだ……?!


「人間を殺せと言われた方が楽か」

「ち、違っ!!」

「ならば迷うこともあるまい?」


 まさかそんな条件を出されるなんて。

 シバに眼鏡を奪えと脅された時も、ルベールに巨大化せずに戦えと言われた時もヤバいと思ったけど、十日間で千体は一番ヤバい。

 た、耐えられるのか……?

 そんなに殺しまくって、僕は正気でいられるのか……?


「出来ぬなら出来ぬで良い。去れ。そして二度と来るな」


 一かゼロか。

 最初から、どちらかしかない。……いや、選べるように見せかけて、その実、僕には選択肢はない。いつもそうだ。今も。


「や……、やるよ。やるけど、千体を十日間でってことは、僕がどの形態でどんな倒し方をしてもいいってことだよね? 巨大化しようが、強い魔法を放とうが……」

「構わん。好きにするがいい」


 フラウは、口元を隠した布の下でニヤリと笑った。


「ルベール、神の子に手を貸さぬよう」

「当然だ、フラウ。私も神の子の実力が見たい」

「実力も見ぬうちに懐柔されたのか」

「いや。あんな……己の力の限度も計れぬ戦い方ではレグル様は倒せん。見るに見かねたのだ」


 フラウとルベールの会話に、僕は反応出来なかった。

 汗がどっと出て、息が苦しくなった。

 僕だけが苦しめば良いならその方がいい、真っ黒になるまで手を汚さなきゃって誓って、なのに今更、殺せと言われて躊躇した。

 確かにこの状態であいつを殺しに行くなんて無理だ。僕はきっと、あいつの真ん前で立ち尽くして、何も出来ずに捻り潰される。


「神の子が間違いなく千体殺せるか、見届けなくてはな。我が輩も同行しようではないか」

「つ、付いてくるの?!」

「不都合か」

「い、いや。大丈夫……だけど……」


 唐突なフラウの言葉にたじろいでいると、ルベールがフンと鼻を鳴らした。


「あんなに大きな帆船を用意したのだ。フラウが増えても困るまい?」


 そこまで言われるともう、僕に返す言葉はなかった。






 *






「なかなかの船だ」


 帆船を見るなり、フラウは感嘆の声を漏らした。

 転移魔法で砂漠へと戻った僕らは、早速帆船に乗り込んでいた。船の装備をチラチラ確認したり触ったりしながら、フラウはご機嫌良さそうに目を細めている。


「魔物討伐の拠点にするには悪くない。船の上からゆっくり見学させて頂こう」


 船を出してから、フラウに一通り船内を案内する。

 砂を掻き分け船が砂漠を進んでいくのを見ると、フラウは益々感心して分かりやすくニヤニヤし始めた。


「魔力は申し分ない」

「そうであろう。ただ、神の子は優し過ぎるのだ」


 褒めているのか、いないのか。

 ルベールはフラウに微妙な言い方をした。


「優しさからか、弱さからか。単に卑怯であるならば見限るのみ。我が輩はルベールほど甘くない。同情も助けもしない」


 フラウの厳しい視線が、船縁に寄り掛かる僕に向けられた。

 ゴクリと唾を飲み込み、僕は恐る恐る、フラウのそばまで行った。


「同情なんか要らない。僕ひとりでやる」

「よかろう」


 震える声で啖呵を切って、そのままフラウを睨みつける。

 フラウは澄ました顔で僕を見下ろしていた。


「我が輩が神の子に課す試練は、実に単純だ。魔物千体を十日で殺す。これだけ。殺すと言うからには、半殺しは認めない。息の根を止めろ。損傷箇所を再生する魔物に関しては、完全なる消滅を条件とする。両腕を出せ」


 言われた通りに、僕は手のひらを上にして両腕を前に伸ばした。

 ……何故かフラウは、片方ずつ優しく腕を撫でてくる。

 何をしてるんだろう。

 首を傾げながら見ていると、突然腕に焼けるような痛みを感じた。


「うあっ……!! な、なんだこれ?!」


 僕は慌ててフラウから離れた。

 両腕の内側に、何かが焼き付けられている。


「す、数字?!」

 

 焼印のようにレグル文字で、左腕に“一,○○○”、右腕に“一○日”とある。


「カウントダウン……?」

「竜化しても消えないように刻んでおいた。それぞれの数字を確かめ、期限内に終わらせろ」

「い、今から?!」

「今からだ」


 唐突に始まりを告げられ、僕はどうにかしなければと、船上から周囲を必死に見回した。

 地平線の内側、どこもかしこも砂ばかりで、魔物なんてどこにもいない。ルベールは確か、岩砂漠の方には魔物が多いと言ってたけれど、船が動けるのは砂砂漠だけ。


「こ、この状態で千体倒すの?! 魔物を探すとこから?!」


 船縁から身を乗り出し、愕然としていると、不意に後ろから誰かが僕の腕を掴んだ。


「魔物は餌を求めて姿を現す。おびき寄せる必要がある」

「ふ、フラウ!」


 金色の目を光らせ、フラウはニヤリと笑った。

 船の下からブワッと風が吹いて、口元を隠していた布がはらりと揺れる。彼の顔が初めて全部見えた。

 嘴のように尖った口。長い舌がべろりと怪しく動く。


「餌は貴様自身だ」


 フラウの素顔に気を取られていた僕は、彼の動きに気づかなかった。

 彼の腕が、僕の右脇腹から突き出していた。

 ぼとぼとと血が零れ落ちて、甲板を赤く濡らす。

 何が……起きているのか、理解が追いつかない。衝撃的過ぎて、痛みを感じる余裕すらなかった。な、なんで急に。


「血の臭いに魔物は敏感だ。貴様の血で魔物を呼び寄せろ」


 フラウは言うなり、僕の腹から腕を引き抜いた。


「ぐああっ!!」


 ぶしゃぶしゃと血が大量に流れ出る。

 血の臭いが僕の鼻腔に届いて、白い竜の本能が疼き始めた。


「あ、あああっ!!」


 前のめりになる僕の視界に、真っ赤に染まったフラウの腕が見える。指先から滴っているのは、僕の血……。

 痛いから苦しいのか?

 久しぶりに人間の鮮血の臭いを嗅いだから興奮してるのか?

 息が荒くなる。意識が朦朧とする。


「なぁっ、何ッ……するんだよ……」


 傷口に意識を集中させて、回復魔法をかける。……けど、胴体を貫通した傷は思いの外大きくて、短時間では修復しそうにない。


「今傷を塞げば、魔物は来ない。血は流しておけ」

「正気かよ! ふっざけんなッ!!」


 ふらつく僕の身体を、フラウは突然ひょいと持ち上げた。

 何をする、と声を上げるまもなく、僕は宙に向かって高く放り投げられる。


「うわぁぁぁッ!!」


 ズサアッと砂が皮膚を擦る音。熱せられた砂が傷口に入り込み、僕は激痛に悶えた。

 帆船が、僕を置いて進んでいく。

 

「ま、マズい……!」


 慌てて起き上がって、帆船に向かって手を伸ばし、全力で船を止める……!!

 力を入れた途端、傷口が一気に開いて血が大量に流れ出た。血が砂に吸われ、足元を赤黒く染めていく。


「ゆ、油断した……!! あんな、あんなことするヤツだなんて思わなかった。――……っくしょおめぇえ!!」


 数百メートルかけて船がゆっくりとスピードを落として止まるまで、僕はずっと船の方にばかり意識を向けていた。

 完全に船が止まった頃にはもう、何リットルか分からないくらいの血が流れていて、正直僕は……死にかけだった。多分普通の人間ならとっくに死んでるって思いながら、まだ塞がりきれない傷口に手を当てる。


「ヤバい……。回復、しなきゃ……」


 回復にはエネルギーが必要で、効率良いのは人間の血肉で。物凄く良い臭いがしてるけど、これは僕の血だから、飲んでも全然意味ないって頭では分かりながらも、よだれが止まんなくて。

 意識が……、飛びそうだ。

 変に興奮してて、鱗がまた浮き上がってきてる。

 食い物、具現化しなきゃ。何か、食わないと。

 はぁはぁと肩で息をして、腹の痛みと空腹で訳がわかんなくて。


「回復……、傷……塞ぐのが先か。栄養、足りない。何か食いたい……」


 倒れそう。

 眠い。

 眠い訳ないのに眠いのは、血が足りなくて酸素が足りないからだ。

 砂漠の暑さが僕から水分を奪ってく。

 具現化……、水、飲まなきゃ。

 渇ききった喉の奥、竜になりかけた僕の口から炎が漏れ出てきた頃、ふいに何かの気配を感じた。


 ――グルルルル…………。


 獣だ。

 砂山の陰から、無数の獣が僕を狙っていた。

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