2. 無慈悲

 船はしばらくの間、平穏な航行を続けた。

 砂漠には殆ど障害物がない。何かの乾涸びた死骸や、砂の下に棲む魔物の通った穴の跡がポツポツと点在するくらい。

 森に近付くにつれて砂砂漠から岩砂漠へと変わっていくらしい。そうしたら岩場やら多肉植物やらが増えてくるのだと、ルベールに聞いた。

 どこに飛ばされたのかも分からないけれど、言われた通りに航路を東に取ってひたすらに船を走らせる。

 生き物が生息するには過酷な砂漠にも、適した生き物というのが存在するらしく、砂蟲サンドワームと呼ばれる巨大なミミズが大蛇のようにうねって砂に潜ったり、或いは出てきたりするのを何度も目撃した。


砂蟲サンドワームに捕まれば、この船は粉々だ」


 ルベールはそう僕を脅したが、


「壊される前に僕が竜化して倒せばいいんじゃない?」


 ……なんて、竜になんかなりたくもないのに、僕はふざけてそう返した。

 他にも砂漠には魔物が何種類か存在するようだけれど、砂砂漠を好んで生息地にする魔物は少ないようだ。大抵は岩砂漠、多少の緑と隠れる場所のあるところに生息している。

 遠くで上がる砂煙を横目に、船は更に進んだ。






 *






 代わり映えのない景色が続いた。

 僕はその間、何をするでもなく船内をウロウロして、足りない設備を確認しては具現化魔法で改装したり、ルベールにちょっかいを出してレグルノーラやあいつのことを聞いたりした。

 そして何度も眠り、記憶の中で何度も美幸に会った。

 あいつはずっと、美幸の前でキースという架空の人間を演じ続けていた。

 自分のことじゃないのに、罪悪感が酷くて堪らなくて、起きがけに何度か吐いた。


「何故貴様が苦しむのか、理解出来ない」


 げえげぇとトイレで吐きまくる僕に、ルベールは呆れたような声を掛けてくる。


「うるさい。僕には、今の僕には……、きっついんだよ……」


 誰も傷付けたくなくて、必死に悪者を演じて、誰にも愛されちゃダメだ、化け物なんだからって自分を押し込める僕と、全部隠して美幸との関係を維持しようとするあいつを、否が応でも比べてしまう。

 美幸が傷付く。

 このあと絶対に傷付くって分かってて、それでも記憶を見続けなくちゃいけなくて。


「お願いだ、美幸……!! これ以上あいつに近付くな。好きにならないで……!!」


 絶対に届かない思いを水洗トイレの水たまりにぶつける。

 嗚咽しても、便器を叩いても、結局は何も変わらないわけで。

 それがまた辛くて、僕は一人でずっとトイレに閉じこもっていた。






 *






 魔物との接近を回避して丸三日、ようやくフラウの待つ森が地平線の先に見えてくる。

 徐々に砂砂漠から岩砂漠へと様相を変えていく景色の中、ルベールの指示に従って徐々に船のスピードを緩めていく。


「地面が硬くなると、船が進めなくなる。そこから先は竜化して飛んだらどうだ」


 ルベールは無神経だった。

 僕はムッと顔を顰めて拒否しようとしたが、あの暑さを思い出し、「わ、分かった……」と渋々了承した。

 半竜――つまりは竜人の姿になればいいのだとルベールは簡単に言うけれど、僕はそれすら嫌なのに。


「竜化したくないのは、己の存在を呪ってか」

「好き好んで、こんなふうに生まれた訳じゃないからね……」


 軽く力を入れて、左腕だけ竜化して見せる。真っ白な鱗、長く尖った爪。腕の裏側と手のひらには鱗はないが、骨みたいに白くて、生気がない。

 身体の外側に向けて鱗がトゲ状に変形するようになったのは、何本目の杭を壊したあとだったかな。


「気持ち悪いじゃん、こんなの」

「……そうだろうか」

「ルベールには分かんないでしょ。竜なんだし」

「さっぱり分からぬな。貴様の思い過ごしではないのか」

「思い過ごしな訳ないじゃん。訴える相手、間違えた」


 力を抜いて、人間の腕に戻す。

 この切り替えも、やたらとスムーズになってる気がする。精神的に落ち着いてる時は、自在に姿を操れるようになってる。……あいつと同じだ。


「森の中も一気に抜けて、フラウの待つ杭まで飛んでいきたい。気配はなるべく消しながら飛ぶ。森の中にいるのは短時間にしないと」

「何故」

「白い竜が侵入したって聞いたら、竜や動物達は怖がるでしょ。だから、出来る限り接触は控えたいんだ。それに、一度行けば転移魔法で飛んで行けるようになるんだから、杭まで行ったらフラウに条件確認して、直ぐに解決出来ないようなら、また船に飛んで来るようにすれば良いかなって」


 甲板の上、地平線に目をやりため息をつく僕を、ルベールは鼻で笑った。


「くだらんな。もっと堂々とすれば良いだろう。貴様は神の子なのだから」

「堂々と……なんて出来ないよ。文字通りの神の子ならともかくさ、中身は破壊竜と同等なんだもん。それくらい、自覚してる」


 フンとまた、ルベールは鼻を鳴らした。


「貴様の力は、禍々しいものではないと言ったはずだ。それが分かるまで、レグル様は倒せんぞ」


 ……禍々しくないなら、何で破壊衝動が襲って来るんだよ。

 僕は全く納得出来ず、ただただ、森の方を無言で見つめ続けた。






 *






 岩砂漠に入り岩盤の硬いところに来ると、ルベールの言う通り船では進めなくなった。錨を下ろし帆をたたんで、ここからは予定通り竜化して飛んで行く。

 なるべく人間に近い形で竜化すると、「普段からその姿で良いのでは」とルベールはまた僕の神経を逆撫でた。

 白い髪の間から角が覗き、鱗が全身に浮き上がっている。真っ白な羽と尾が目に入ると、益々気が滅入った。


「行こう、ルベール」


 炎天下、僕とルベールは甲板から直接、宙へと身体を投げ出した。

 魔力を乗せて、僕らは鳥のように空を飛んだ。

 あいつの記憶を見てたから、僕は直ぐに飛ぶことが出来た。不安より飛ばなくちゃって気持ちだけが先行して、あとは息をするようにビュンビュン飛んだ。

 甲板で感じる風より、自分で飛んだ時の方がずっと風が気持ちよかったのだけは幸いした。

 まるで自分が風そのものになったみたいに、景色を後ろに残して飛んでいく。

 このまま風に溶けてしまえるなら良いのに。

 そしたら、きっと苦しみも悲しみも感じずにいられるのに、あいにくそんなこと、絶対にあり得ない。

 僕は必死に気配を殺して、ルベールと並行して飛び続けた。

 そうしているうちに、辺りの岩はどんどん大きくなり、植物が増え、草丈が伸び……、景色は次第に森へと変わってゆく。

 鳥や小動物の存在を感じつつ、僕らは木々の間を抜け、更に進んだ。


「見えたぞ、杭だ」


 僕より僅かに前を飛ぶルベールの合図で、杭の位置を確認する。黒光りする黒い物体が、木々の間にぬっと立っている。

 ゾワッと身震いがして、スピードが少し落ちた。けど直ぐに体勢を立て直しててルベールを追いかける。

 一気に森を抜け――……眼前に漆黒の杭が見えたところで、僕は地面に降りてさっさと竜化を解いた。

 ルベールの時と同じように、杭の前に石像が置いてある。僕とルベールが近付いていくと、石像は僕の気配に気付いたかのように、クチナシのような鮮やかな黄色の鱗をした半竜へと姿を変えた。


「神の子か」


 フラウは短く刈り上げた金髪に、鋭い金色の目をした壮年の男の姿で現れた。

 以前大聖堂で見た時に印象的だった口元を覆う布はそのままに、生成りの服を着て、中東の旅人のような格好をしている。肌は黄色っぽく爬虫類染みていて、かなり高圧的に見えた。


「杭を……壊しに来た。ルベールの時と同じように、条件があるんだよね?」


 強そうだ。

 気を抜いたらやられるかも知れないと、僕は拳を握ってフラウを睨み付けた。


「ルベールを手懐けたか。面白い。我が輩も存分に楽しませて頂こう」


 フラウの目は笑ってなかった。

 顎をクイッと上げて、僕のことを見下すようにして仁王立ちしている。


「大聖堂で見た時よりは随分マシな顔だ。レグル様を本気で倒すつもりなら、それなりに手は汚してきたのだろうな」


 金色の目が陽射しに照らされ、ギラギラと光を放っている。

 威圧的な態度にゴクリと唾を飲み込むのを、ルベールは僕の少し後ろで静かに見守っているようだ。


「じ、自分で自分が嫌いになるくらいには、色々と……やったと思う」

「色々と……?」

「色々、だよ。た、たくさん殺したし、食ったし。あ……ばれまくって、い、い、居場所が……なくなって。も、もう人間とは一緒に、暮らせないって……いうか。ぼ、僕は、ばばば化け物、だから」


 視線を一切外さず、僕の言葉の一つ一つを確かめようとするフラウに、僕はたとえようのない恐怖を感じていた。

 ――“砂漠の審判者”。

 そう呼ばれるに相応しい風格というか、本当は僕が何をしてきたのか全部知っていて、その上でわざと僕に答えを求めているような。


「足りぬ」

「――ハァ?」

「その程度の経験でレグル様を倒せると思っているのか、神の子よ。それではレグル様どころか、我が輩を傷付けることすら難しい」


 フラウは低い声で淡々と僕の心を刺してきた。

 圧倒されて、僕はギュッと唇を結び、両手を強く握り締めた。


「レグル様の前では、貴様はゴミクズ以下だ。神の子よ、貴様は何を恐れている。相手は神に等しき力を持つお方。貴様はその劣化版に過ぎないことを自覚せよ。本気でドレグ・ルゴラの称号を継承するのならば、もっと冷酷に、残酷にならなければならない」


 彼の言うことは至極真っ当で、正に、僕がぶち当たってる課題で。


「……で、何をすれば良いの」


 バクバクする心臓を必死に抑えながら、僕は呼吸を整え、フラウに聞いた。

 フラウはやっぱり視線も、その姿勢すら一切変えずに、淡々と言い放った。


「砂漠の魔物を千体殺せ。期限は十日後。時間延長は一切認めない」

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