【30】風竜フラウ

1. 根拠を

 船室へと上がり、何も無い空間に倒れ込む。

 けど、次の瞬間にはもう、ベッドの上にいる。目が覚めてからずっと寝てた、地下室にあったベッドだ。

 ボフッと音がして、マットレスに身体が沈んだ。

 信じられないくらい具現化魔法の精度が上がってる。万能で、正確で、精密で。神のような力。

 皆が羨むような力だと思う。

 何も知らなかった時に使えていたなら、僕はさぞかし有頂天で傲慢な人間になっていただろうと思う。……まぁ、人間ではなかったんだけど。


「……疲れた」


 何もかも。

 どこにも逃げられない。

 こんな砂漠のど真ん中で、具現化魔法に頼りきりなんて。それこそ、僕の精神状態が崩壊したら、食べ物の生成にも影響が出るだろうに。


「あと四本」


 そう呟いたところまでは、どうにか覚えている。











      ・・・・・











『キース!』


 道端で呼び止められ、彼は心底驚いた。

 いつかのリアレイト人の少女だ。


『美幸……!』

『良かったぁ! 前に会ったところ、ウロウロしてれば会えるかなって思って。大正解! また会えて嬉しいです』


 彼女は距離を詰め、背伸びして顔を見上げてくる。

 

『私の方こそ会えて嬉しい。……少し、話そうか』

『はい、是非……!!』


 美幸はとても満足気に微笑んでいた。











 公園のベンチで話を聞く。

 背の高い木々が風に揺れ、心地良い。

 ドレグ・ルゴラが長い眠りについている間に、世界は分厚い雲に覆われてしまっていた。かつて見えていた太陽は、雲に遮られて姿を見せることはない。

 それを人間共はかの竜の仕業だと信じているらしい。

 どんよりとした空の下で、彼の心は普段より軽やかだった。


『キースと話してから、ちょっと気持ちが楽になったんです。ありがとうございました』

『私は特別なことなど何も』

『初めてなんです。私の話、笑わないで聞いてくれたの』


 ほんの些細な違いすら許さないらしいリアレイトの事情に、彼は少し同情していた。そして、自分にも同じように話せる相手がいたならと思う。


『リアレイトには久しく干渉していない。随分変わったのだろう?』

『キースがいつから行ってないかは分からないけど……、多分。でも、こっちの方が、文明進んでる気がします』


 美幸とは、難しい話はしなかった。

 互いの暮らしや、好きなもの、苦手なものの話。最近ハマっているもの、美味しかったもの。

 まるで幼い頃、正体を明かさずに人間の子どもの姿で幼竜達に紛れていた時のような感覚だった。

 そう、正体を知られれば、きっとこの時間は終わるのだと、彼は思う。

 干渉者でもなければ人間でもない。その姿さえ、かつての救世主から奪ったものだ。

 腹が減れば人間を狩る。

 そして荷物を漁り、金を奪う。奪った金で人間の振りをして生きているだなんて、この無垢な少女が知れば気が触れてしまうかも知れないのだ。


『何もしないうちに、また日が暮れてしまった』


 気がつくと街灯がつく頃になっていた。

 お詫びに何か奢ろうかと彼が言うと、美幸は首を横に振った。


『キースと話せただけで満足です。また会ってくれますか? 私、また同じ時間にこのベンチで待ってます』


 満ち足りたような美幸の笑顔に、彼も思わず微笑んでいた。











      ・・・・・











 良い気分で目が覚めたのは、いつ以来だろう。

 よだれを拭ってむっくり起きた。大抵目が覚めると半竜の姿になっているのに、鱗がちょっと浮き出るくらいであんまり竜化してなかったのにも驚いた。


「夢が影響してるのか」


 室内は真っ暗で、そう言えば照明も付けてないんだったと思い立ち、パッと上を向いた時にはもう、傘を付けた豆電球型の照明が天井からぶら下がっている。

 腕をさすって鱗を引っ込め、ゆっくりと立ち上がる。

 いつの間にか夜になっていたらしい。僕は照明を消して、夜の甲板に出た。

 ギィと扉を開けると直ぐに、マストの付近で航路の先を見つめるルベールの姿が目に入った。

 ルベールは直ぐに僕に気が付き、「起きたか」と聞いてきた。


「うん。結構寝てたみたいでビックリした」

「休める時に休んだ方がいい。貴様に与えられた平穏は一時いっときに過ぎないのだから」

「うん。そうだね。今だけかも」


 ルベールのそばまで行って、僕も一緒に真っ暗い砂漠を見つめた。星空の下、砂漠は色を濃くしていて、風もだいぶ冷たくなっていた。


「記憶の中で、美幸に会ってた。僕と年の変わらないくらいの、可愛い女の子だった」

「そうか」


 守護竜達が一体何を知っていて、どこまで僕の話を理解しているのかなんて知らなかったけど、その場にいるのがルベールだけだったから、僕は遠慮無しに夢で見たあいつの記憶の話をした。


「美幸は、あいつに恋してた。誰かに好かれるの、僕は怖くて堪らないのに、あいつは受け入れ始めてた」

「怖い? 何故」

「この上ないくらい相手を傷付けるって分かってるのに、好意を持たれるの、嫌なんだよ。リサも、アリアナも、薫子も、アナベルも……僕を、その辺の普通の人間と同じように見てた。こんなにヤバいヤツなのに。人間じゃないし、暴れるし、襲うし、一緒にいたら危険な目にしか遭わないのに、なんで僕に好意を寄せるのか、全然意味が分からない」


「相手が貴様を偏見なく見ている証拠では? 穿った目で見ていれば、好意は抱くまい」

「偏見なく見れるわけがない。僕は彼女らの前で何度も竜化してる。僕が特別だから興味があるんだと思う。放っておいたら何をするか分からないから、監視しているのかも知れない。……分からない。あいつらがおかしいのか、僕がおかしいのか」


 甲板にしゃがみ込み、膝を抱えて丸まる僕に、ルベールはフンと鼻を鳴らした。


「貴様がそうやって悩み、苦しむのは何故かを考えるべきではないか?」

「はぁ? どういう意味?」


 僕が見上げると、ルベールは僕を見下ろして、ニヤリと笑った。


「かの竜ドレグ・ルゴラは持たない感情を、貴様は持っている。破壊竜にはならないと誓うならば、何故そう誓えるのか、根拠を示せるようでなければならないのではないか?」

「こ、根拠って言われても……」

「それが分からなければ、貴様も破壊の道を進むことになるかも知れない。白い竜は決して破壊竜と同意ではないということを、貴様自身が証明しなければ」


 僕とあいつは別物だって証明。

 殆ど同じだけど、ここは違うっていう、絶対的な何か。


「証明しようとして、何度も躓いた。……難しかった。自分をコントロールするの、凄く難しくて。結局この有様なんだよね」


 ハハハと力なく笑うと、ルベールは呆れたようにため息をついた。


「次は風竜フラウの待つ杭へと向かう……で良いか」

「良いよ。また、条件がありそうだよね。杭を壊す前になんちゃら……」


 大聖堂で、僕を弱そうだと言い放ったのが、確かフラウ。

 砂漠の審判者って肩書きも、凄く気になる。


「フラウは、私より冷徹で残酷だ」

「……うん。そんな気がする。でも、負けてらんないから、頑張るよ。どうにか頑張って、僕が世界を救わなきゃ」


 船が砂を掻き分け進む音が、夜の静けさの中、一層大きく船体に響いている。

 振動が少ないのは、速度と砂の滑らかさの関係かも……なんて、どうでもいいことが頭を巡る。


「貴様ひとりで背負うものではないだろう。世界を構成する三つがそれぞれに背負えばよかろう?」


 さも当然のようにルベールは言うけれど。


「いや、僕が全部背負う。背負わなきゃ。僕が……全部整えるんだから」


 何かを手に入れるには、何かを失わなければならない――。

 代償の大きさに耐えきれず、誰かと苦しみを分かち合いたいなんて、傲慢だと思う。

 凌もきっとそう思ったからこそ、こんなことをしてるのかな……なんて。


「まあ、良い。フラウの待つ森へ向かうならば、このまま航路を東に取れ。この速度を保てば、数日中に到着するはずだ」

「……分かった。ありがとう、ルベール」


 それからしばらく、僕は甲板でルベールと星を見ていた。

 満天の星達は、行く末を見守るようにチラチラと瞬いていた。

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