9. 全部終わったら

 出来上がったばかりだと言うのに、船内は既に蒸し風呂だった。

 甲板から続く扉を開けると、そこに少し広めの部屋が一つ。甲板下は二層構造で、最下層は荷物を置いておくところと食料庫、その上の階には小さな船室が二つと厨房、食堂になりそうな広めの部屋が一つ。

 参考にしたのが大きめの帆船だったからか、一軒家よりも幾分か大きな船が出来てしまった。やり過ぎた。


「冷房付けたい。水魔法で冷やせばどうにかなるかな。ルベールは涼しいの大丈夫?」


 必要以上にデカい船内全部が蒸し暑いなんて最悪でしかない。

 僕は流れる汗を袖で拭いながら、何度もルベールに目配せした。


「……寒すぎなければ、良いが」

「火竜だもんね……」


 あまりにも辛そうに僕が言うので、ルベールはさっさと折れた。

 遠慮無しに水魔法と風魔法を組み合わせて船内の空気を循環させ、思い切り全部冷房仕様にさせて貰う。お陰で冷たい風がフワッと肌に当たって気持ちいい。


「ふぁあ!! 生き返ったぁ!」


 ペットボトルの水をまた具現化させて一気飲み。僕は元気になったけれど、ルベールは腕を擦りながら、さっさと甲板へ出ていってしまった。

 汗が引くまで少し休んでから、僕は再び甲板に出た。


「さて、あとはこいつをどう動かすかだけど」


 舵輪の前に立ち唸っていると、ルベールがニヤニヤして寄ってくる。


「舵輪は舵を操るためのものであって、動力とは無関係だ」

「……そうなの?」

「帆船は、帆で風を受けて進む」

「けど、微風しか吹いてないじゃん。しかも、砂が重くて前にも後ろにも動かない」

「だからこそ魔力を使って動かすのだ。まずは帆を広げよ」

「……う、うん」


 ルベールに言われるがまま、ロープを引っ張って全部の帆を広げる。すると、微風を孕んで少しだけ帆が膨らんだ。


「砂漠では櫂は使えない。推進力は魔力のみ。船全体に魔法をかけ、帆と梶はあくまで舵を操るためのものであると位置づけた方が良い」

「ふぅん……」

「難しいことはさておき、やってみればいい」

「なるほど。全然分かんないけど、船を魔力で自走させろってことだよね。舵輪を起点にして、船全体を魔法で動かしてみる」


 木製の舵輪を両手でしっかり掴み、意識を集中させる。この船全部に魔法を行き渡らせるようイメージしていく。スクリューや櫂の代わりに、魔法の力で進めるように。

 頭の中に、砂漠を進む船の姿を思い浮かべる。船は少しの風でも進む。微風を捉えて自動で舵を取れるようにしないと。

 ギュッと両手に力を入れて一気に魔法を行き渡らせると、ぼんやりと船全体が光を帯びていった。

 それから船体がズンッと揺れて、ギギギと軋むような音を出して船が動き始めた。


「出来た……!!」


 帆船は徐々にスピードを早め、砂を掻き分け走り始める。

 延々と続く砂山がまるで海原みたいに見えてきて、僕の胸はどんどん高なった。


「動いてる! 動いてるよ、ルベール!!」


 舵輪から手を離し、僕は船首に向かって走った。船室の真上、一段高い船首の船縁に立つと、生温い空気が左右に割れて、心地よい風に変わってゆく。


「やはり神の子の力は素晴らしい。レグル様が期待するだけある」


 はしゃぐ僕のあとを追って、ルベールも船首へとやって来ていた。

 真っ赤な髪が靡き、竜の羽で風を受けて気持ち良さそうにしている。


「へ、へぇ。あいつ、僕に期待なんかしてるんだ」


 レグルの名前がふいに聞こえて、僕はプイッと顔を逸らした。


「神の子がご自分を超えるのを楽しみになさっている。地獄を終わらせるのは、貴様に違いないとお考えのようだ」

「……うん。終わらせるよ、僕が全部」


 流れていく景色はどこまでも青と黄土色で、終わりのない地獄に似ていると僕は思った。


「ドレグ・ルゴラを倒して僕が唯一の白い竜になる。そして、ドレグ・ルゴラの称号を継承する。……けど、凌は助ける。凌は救世主だから、儀式に必要なんだ。塔の魔女は用意した。あとは僕と凌がそれぞれ役割を果たせば良い。そしたら、全部終わる。何もかも」

「その後は、どうするつもりだ」


 風に混じって聞こえたルベールのセリフが、僕の心を刺してくる。


「全部終わったら……、どうかな。そこから先のことは、分からないよ」

「恒久の安寧が待っていると、レグル様はお考えのようだが」

「あいつには何か見えてるんだね。羨ましい」

「貴様はまだ若い。全てが終わって解放されたら、やりたいことくらいあるだろう」


 親しげに話し掛けてくるルベールに、僕はどう返すべきかしばらく考えた。

 考えて……出た言葉は、


「そんなの、ないよ」


 つっけんどんで、全てを諦めたような言葉で。


「やりたいことなんてない。全部、捨てたんだ。もう、何も残ってない。普通の暮らしも、家族も、住んでいた世界も、守ってくれた人達も、人間であることすら捨てちゃったし。……捨てたんじゃないな。全部、奪われた。今は自由に夢を見る権利すら奪われてる。寝てる間に見る夢は全部あいつの記憶だしね」


 ルベールは黙って僕の話を聞いていた。


「なんて言うか……、ここまで追い詰められると、しんどいを通り越して“無”だなって」

「“無”?」

「僕の意思や自由はそこには無い。それでも、諦めるな夢を見ろ、希望を持ち続けろってのはさ、すんごい無責任だよね」


 僕はそう言って静かに笑い、帆船の行く先をぼんやりと見つめていた。






 *






 魔力を大量に消費すれば、腹が減る。

 空っぽの厨房に立ち、まずは魔法で蛇口を捻れば水が出る仕様に変えた。流しから出た下水は、適度に濾過して船体で循環させて使うことにする。

 トイレもシャワーもないことに気付き、大急ぎで改築作業。空き部屋の一つをトイレとシャワールームに変えて、ホッと一息つくと、また腹がぐうと鳴った。

 今度こそはと厨房に行って、だけど僕はそもそも料理が出来なかったんだと思い立ち、手ぶらで食堂に戻った。


せわしないな」


 食卓で待っていたルベールは、ハハと笑った。


「うん。思ったより何にもないのと、厨房に立っても意味が無いのに気付くのが遅れたんだ。具現化すればいいんだった」

「魔法の精度も随分上がっているように見える」

「そうなんだよ。破壊力だけがアップしてたら泣いてたかも。なんかこう……、思い浮かべるだけで大抵何とかなるみたいでさ」

「それは素晴らしい」

「……で、お腹空いちゃって。僕、結構食うんだけど、ルベールは?」

「私は石像だ。飯など食わん」

「いや、食うでしょ。リサは竜石で出来てたけど、飯は食ってたよ。ルベールも一緒に食べてよ」


 ルベールの前の席に座り、了解を得る前にスッと手を差し出す。――と、その手の先にキンキンに冷やされたグラスに注がれたドリンクがひとつ現れる。


「コーラだよ。飲もう?」


 ニコッと笑って手を引っ込めると、手元にはもうひとつグラスが現れている。

 ルベールはギョッとして、僕とグラスを見比べた。


「要らんと言ったが」

「ホントは酒の方がいいんだろうけど、昼間のうちはソフトドリンクね」


 魔法陣も予備動作もなく具現化出来てしまっていることに気持ち悪さを感じつつ、今度はカレーを皿ごと具現化させている。こっちはしっかり温かいし、スパイスの良い香りがする。

 ヤバい。本当に、考えただけで。


「はい。これルベールの分。スプーンも置いとくね。僕のはこれじゃ足りないから……、超特盛で!」


 いつか街で見かけた大食いチャレンジメニュー。ご飯だけで一升くらいあって、トッピングに唐揚げとトンカツとキャベツが堆く積んであったヤツ。

 大量の福神漬けも一緒にパッと出てきて、また僕の方がびっくりする。


「く、食えるのか」

「……た、多分。分かんないけど、魔力を消費したあとは尋常じゃないくらい腹が減るんだよね。空腹で頭がおかしくなるって分かってからは、とにかく大量に食べないとって思ってさ」


 とは言ったものの、結構なものを出してしまった。僕はゴクリと唾を飲んで、スプーンを手に取った。


「い、いただきます」


 オードブルを思わせるようなデカい皿にてんこ盛りされたカレーの、隅っこからひと掬い。パクッと口に入れると、しっかり煮込まれたカレーの旨みが口いっぱいに広がった。

 ちょっと辛めで、中学の頃はまだ食べれなかった味。今なら全然いける。


「美味い。やっぱ暑い時はカレーだ」


 頷きながら食べていると、ルベールが困ったような顔をしているのが目に入った。


「ルベールも食べなよ。ちゃんと具現化出来てる。マジ美味い」

「あ、ああ……」


 見よう見まねでスプーンを持ち、恐る恐る運んだ一口を、ルベールは目をつむってゆっくりと味わっている。しばらく噛んで、ゴクリと飲み込むと、


「悪くない」

「でしょ?! コーラも飲んでみてね」

「うむ」


 今度は結露の付いたグラスを手にして、コーラをひと飲み。


「な、なんだ。口の中がチクチクする」

「炭酸が弾けてるんだよ。サッパリして美味しいよ」


 僕がゴクゴクと一気に流し込むのを見て、ルベールはそういう飲み物なのかと、またコーラに口を付けた。


「なるほど。悪くない」

「良かった。お代わり欲しかったら言ってね。また出すよ」


 山盛りどころではないカレーを、僕はパクパク食い進め、コーラも何杯かガブガブ飲んだ。

 唐揚げは子どもの拳より大きくて、齧り付くと肉汁がジュワッと溢れた。トンカツはサクサクで、カレーを絡めながら一気に頬張った。

 ペースを崩さずに食い続け、どんどん山を崩していると、先に食べ終わったルベールがじっと僕を見つめているのに気がついた。


「お代わりする?」

「いや。出来れば別のものを」


 今度はフライドチキンを山盛りにして、フライドポテトと一緒に差し出した。

 骨付きの部分もあったのに、ルベールはバリバリと骨ごと食ってご満悦だった。

 コーラも何杯かお代わりしていた。


「人間の食い物もなかなかだな」

「でしょ? なのにさ、僕ったら究極に腹が減ると、人間の肉が食いたくなるんだよね。……最悪。絶対、こっちの方が美味いのに」

「白い竜の血の影響か」

「うん」


 殆ど空になった皿を見つめ、ハンカチで口元を拭ってから、僕はふぅと息をついた。


「……僕はもう、まともじゃない。元の暮らしには戻れない」


 食うだけ食って、そしたらもう眠気が来て。


「昼寝してくる。ルベールも適当に休んでて」


 流しに皿を山積みにしたまま、僕は船室へと向かっていった。

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