8. 戻らない

 砂漠の風は残酷な程に湿っていて、リアレイトのそれとは全然違っていた。ただ、照りつけるような太陽と、一面の砂山だけは、向こうと一緒だった。

 じっとりと暑くて、息苦しい。生き物が生きていくには過酷な場所。

 黄土色の砂と、雲一つない空。

 遮るものがない分、太陽の光が矢のように肌に刺さってくる。

 少し歩くと汗が滲んで、息が苦しくなった。

 具現化させたペットボトルの水を一気飲みして、空のボトルをグシャッと潰す。そのまま一気に握り潰すと、ボトルは跡形もなく消えてしまった。


「人間の姿のままでは、砂漠では持たないぞ」

「……そうやって、ルベールは暗に竜化を促してるんだよね? 引っかからないよ」


 僕はあてもなく砂漠を歩いていた。

 砂にブーツが沈んで、それをまた持ち上げて、また沈んで。歩きづらいことこの上ないけれど、それでも僕はズンズン進んだ。

 そんな僕の後ろから、ルベールが涼し気な顔でついてくる。


「しばらく砂漠を彷徨うつもりか」

「どう……しようかな。力の使い方が分からなくなったり、混乱したりして、森でも都市部でも暴れまくったし……。そう考えたら、まだ砂漠の方がマシかなって」

「水も食料も、手に入らない。ここで狩りを行うのも難しいと思うが」

「狩りはしないよ。さっきみたいに、飲みたいもの、食べたいものを具現化させて食うことにする。具現化魔法は得意なんだ。ルベールにも何かあげるね」

「そういう問題ではないと思うが」

「良いんだよ、そういう問題で。大抵のものは具現化魔法でどうにかなると思うし。問題は……移動がちょっと大変かな」


 砂は歩くだけでも体力をゴッソリ削ってくる。

 

「何か……移動手段が欲しいな。運転の仕方は分からないけど、車とか。あ、車はダメだね。車輪が沈む」

「砂漠と言えば船だ」


 と、ルベール。


「船は沈まない。魔法の力で動かせば、風も要らない」

「――あ! 砂漠の帆船って、そういう……」


 少し前にあいつの記憶で見た。砂漠を巡る帆船。

 そして、砂漠の帆船と言えば……。


「シバも、帆船に乗ってた。砂漠に船なんて変だと思ってたけど、案外理に適ってたのか」

「砂漠の帆船は、魔力の強さで速さが変わる。シバに帆船が扱えたのは、魔力が大きかったからだ」

「そう言えばシバ、常時干渉の特性持ちなんだっけ……。あれ、普通の干渉者レベルの魔力じゃ難しいんだよね。少なくとも僕には無理だな。集中力が続かない。そういう意味ではシバも化け物なんだよな……」

「レグル様も、シバには一目置いていた」

「普通の人間にしてはね、凄い力だもん。……けど、今は全然たいしたことないって思ってる。強くなりすぎて、感覚が変になっちゃった。嫌だな、こういうの。気持ち悪い」


 力の使い方が上手くて、ちゃんと二つの世界での生活を両立させてるシバに、僕は適わない。どんなに強くなっても、自分の意思に反する使い方しか出来ないなら、何の意味もない。

 心はずっと白い竜の力を拒み続けてるのに、義務的に何度も暗黒魔法を浴びて、ただただ強くなり続ける。ドーピングしてるみたいな、無理矢理狂わされるみたいな……。

 でもまぁ、折り返しは過ぎた。

 あと四本で終わると思えば、どうにか。


「船……つくるか……」


 僕は言いながら、ゆっくりと立ち止まった。


「暑すぎてしんどいし、日陰、欲しいし。魔法を動力にして動かせる仕様にすれば良いんだよね。……あいつの記憶でちょっと見た。シバが乗ってた船より全然小さくて良いから、僕とルベールと、二人くらいが余裕で寝れるくらいの船室がある船なら……つくろうと思えばつくれるんじゃないか。僕の……、力なら。どう思う?」


 ルベールの方を見ると、彼はその答えに辿り着くのを待っていたとばかりにニヤニヤしていた。


「良いのではないか。本来白い竜は破壊竜などではない。ものを創り出す力――具現化魔法に長けている。船でも何でも、思い描く通りにつくれるはず」

「破壊と再生……。やっぱり、白い竜って、元々レグルノーラを創った神の化身か何かじゃないの? その辺、レグルは知ってるんだよね。ルベールも」

「さぁ、どうだろう。記憶を更に辿っていけば、いずれ答えは知れると思うが」

「……辿りたくないから答え聞いてんだけど。意地悪だな」


 ルベールは少し笑っていた。

 仏頂面で変に厳しいヤツだと思ってたけど、正直、他の人間達と居る時より何となく落ち着く気がする。

 変な遠慮が要らないって言うか、レグルが命を与えたってことは、あいつのしもべみたいなものだろうし、色々と……事情も知ってるみたいだし。

 アナベルとも話が通じて嬉しかったけど、立場が違い過ぎて気を遣ってばかりだった。他の人間達は僕を怖がったり警戒してたりで、本音なんて全然出せなかった。……出すつもりもなかったんだけど。

 もし心を開いて本音を全部吐露したら、誰も協力してくれなくなる。最後の最後にしくじって、また世界はめちゃくちゃになるのだと思う。

 それだけは嫌だから。


「じゃあ……、やってみようかな。ルベール、ちょっと時間ちょうだい」


 僕はそう言ってからゆっくりと深呼吸して、目を閉じた。

 あんまり大きなものは具現化させたことないんだけど、多分出来る。多分じゃないな、絶対。

 形を……とにかくしっかりと思い描く必要がある。大きさ、形状、内装、凡その図面、材質、重量……。記憶の中でガイドの男に案内され、船内まで見た事を思い出せ。

 両手を握り、精神統一。

 目の前に、僕の脳内にある帆船を具現化させる……!!


「出でよ!!」


 両手を付きだし、魔力を放出する――!!

 パキッと小さな音が砂地に響く。それから何かが魔法反応と共にメキメキと音を立てながら大きくなっていくのを感じ、僕は慌てて目を開けた。


「うわっ、凄っ!!」


 船だ。

 船底から立ち上がるように船が具現化されていく。

 足がガクンと崩れた。何だこの力。僕は、どれだけの力を秘めてたんだ。


「自分で驚くな」


 ルベールは僕を馬鹿にした。


「お、驚くよ! ヤバッ!!」


 やがて魔法反応が消え、音が収まってから、僕は恐る恐る船へと近付いた。

 記憶の中で見た帆船よりはだいぶ小さめにしたけど、それでも結構な大きさだ。帆もしっかり付いてる。

 グルッと船の周囲を回って、船首から船尾まで、船の側面を確認。太いロープで組まれた梯子が想像通りに垂れていて、僕はゴクリと唾を飲み込んだ。


「乗ってみるか」

「うん」


 ルベールと二人、梯子を上る。

 凄い。ちゃんと梯子だ。上れる。

 甲板も結構広い。多分二人どころじゃなくて、何人も乗り込めそうな感じ。


「き、気持ち悪いくらいちゃんと“船”だ。す……凄過ぎないか。神の子の力って、こんなにヤバいの?」


 甲板に立つ真新しいマストを見上げながら、僕は明らかに変なことを言った。


「こんなものではない。町を創り、無機質な物体に命を吹き込むことも出来るはず。しもべを量産すれば、神の子の手となり足となり働くであろう」

「マジか。そういや、ドレグ・ルゴラは土塊つちくれしもべに変えてたんだっけ……。誰も、味方になってくれなかったから」


 青々とした空に真っ白な帆がよく映えて、目が眩みそうになる。

 船縁から外を眺めると、心なしか少し遠くまで地平線が見渡せるような気がする。


「――でも、僕には必要ないかな。味方とか、仲間とか、必要以上に増えるのは良くない」

「味方でも仲間でもなく、従順なしもべであっても?」

「要らないよ。生み出した命に責任取るのは大変だから。それに、味方にするなら守護竜達の方がいいかな。僕に力の使い方を……ってことは、最初からあいつはそのつもりで石像に命を吹き込んだんだろうし。これ以上の味方はないでしょ」


 ハハと僕は小さく笑った。

 ルベールは僕の隣に立ち、船縁に片腕を引っかけてふぅんと鼻で笑った。


「シバ達のところにはもう戻らないつもりか」

「戻らない。……戻れないよ。これ以上化け物になったら、もっと制御出来なくなるでしょ。人間と一緒に暮らすとか、端から無理な話だったんだよ。無理して……誰かを傷付けたり怖がらせたり、大切な物を奪って、益々怖がらせて。そういうの、良くない。だからレグルも、自分の身を封じて僕を待ってる。僕が、殺しに行くのを」


 何度も絶望して、光が見えたと思ったら突き放されて。

 苦しんで苦しんで、破壊竜に身をやつしたあいつと同じにはなりたくない。

 たとえ僕に流れる血が、その可能性を多く孕んでるとしても。


「早く、助けに行かなくちゃね。破壊衝動我慢するの、結構しんどいんだよ。僕よりあいつの方がずっと力が大きいから、抑え込むためには竜石による封印くらいしか方法がなかったわけじゃん? 無尽蔵なあいつの力を吸い取りきれなくなったら、この大地ごと砕けて世界は粉々になっちゃうかも知れないわけでしょ? 五年の期限は、もしかしたらそういうのも加味して設定されてたのかなって今更思うんだけど、どうなの?」


 ルベールは目を合わせなかった。


「レグル様がご自身の力を抑え込める期限であり、この世界の竜石が全て砕け散るまでの期限。――そう考えて間違いない。流石、神の子はしっかりと状況を把握している」

「褒めても何も出ないよ。じゃあやっぱり、杭一本につき三十日なんて待ってられないじゃん。次から次へと杭を壊して、さっさとあいつンところに行かなくちゃ」

「急げば貴様の身体は持たない」

「別に構わないよ。僕は、僕以外の誰かが苦しみ続ける方が、嫌なんだ」

「……また、本心とは違うことを言ったな」

「うるさい。黙れよ」


 砂漠の真ん中、僕の言葉に返してくるのはルベールだけで、何を言えばどう返ってくるのか何となく分かっていながら、わざとらしく嘘をつく。

 誰かが反応してくれる、それだけでもだいぶ救われるってことを、僕は痛い程感じていた。

 長い長い時の中で、ドレグ・ルゴラは孤独と戦い続けた。

 そして今も――恐らくは竜石に囲まれた空間で、じっと僕を待っている。


「船室の方も行ってみようかな。休めるとことか、上手くつくれてたら良いけど」

「同意だな。せめて日陰に行くべきだ」


 これ以上暗い話はしたくなくて、僕はわざと話を逸らした。

 ルベールもそれ以上言及しなかった。

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