7. 美幸とキース

 喫茶店に入り、ソーダとケーキを頼む。自分のはブラックのコーヒー。

 彼女は何度も頭を下げて、けれど美味しそうにケーキを頬張った。


『こ、この辺り、来るの、初めてで。ビルは高いし、人はいっぱいだしで、まま迷ってたら、囲まれて』


 フォークを持つ手がガタガタと震えて、ケーキ皿を細かく鳴らしている。


『干渉には慣れてないのか』

『カンショー? 干渉って、言うんだ。実は私、自分がどうやってここに来てるのか……、よく、分かってなくて。異世界……ですよね、ここ』

『この世界、レグルノーラは、君の住んでいるリアレイトとは全く違うところにある。君は干渉者で、レグルノーラに干渉してきている状態だな』


『異世界なのに、言葉、通じてる。へへへ変なのは私? 何か、ここ混乱、しちゃって』

『干渉者には、言葉の壁はないらしい。私もリアレイトに飛んだとき、それに気付いて驚いた。相手は自分と全く違う言語を話しているはずなのに、耳に届くときには自分の普段使っている言語に変換されて聞こえてくる。逆に、自分では自分の世界の言葉を話しているつもりなのに、相手に届くときには相手の言語に翻訳されて届くらしい。だから、私達は意思疎通が出来ている。不思議なことに』

『す、凄い。自動翻訳機?』

『面白いことを言うね』

『おおお面白い、ですか。そそそんなこと、言われたこと、なかった……のに』


 時折ソーダを飲みながら、彼女は少しずつ、話をしてくれた。

 表情も幾分か明るくなってきたようだし、手の震えも減ってきている。

 相当怖い思いをしたんだろう。何事もなかったから良かったものの、下衆げすな男達に囲まれ、何をされるか気が気でなかったに違いない。


『私……、皆とは違うから、いつも虐められてて。異世界に来たのも、現実から逃れたかったからかな……なんて』

『違う? どこが?』

『髪、少し色が明るいでしょ? 染めてるのかって。遺伝なのに』

『その程度で?』

『向こうでは皆、あなたみたいに綺麗な黒髪の人が多くて。私、目立つんです。元々この色なのに、黒くしなさいって学校の先生にまで言われてしまって。……凄く、困る。生まれた時からの写真でどうにか弁明したけど、そこまでしても信じて貰えなくて……』


 黒髪、のところで彼はピクリと反応した。

 覚えがあり過ぎて、胸が痛くなる。


『私も真っ黒な髪で生まれたかったな。……でも、皆に合わせて染めるのも何か変……ですよね? まるで私が私じゃなくなるみたいで……』

『分かるよ。君の気持ちは痛いほど分かる』

『分かる? 変なの。この世界であなたは極端に目立ったりしないでしょ?』

『分かるさ。私も……、同じ理由で悩んで、姿を変えたんだ。元の姿では生きるのが難しくて』


 彼は静かに笑った。

 少女はキョトンとして、ケーキを食べる手を止めた。


『私と……同じ?』

『同じだ。私の髪は、生まれつき真っ白だった。目も赤く、気持ち悪いと何度も罵られた。……変異種らしい』

『あ、アルビノですよね?! 聞いた事、あります。動物にも見られるけど、人間にも……稀に色素の薄い人がいるって。で、でも今は全然……』

『魔法で姿を変えたのだ。私の本当の姿はもう、捨ててしまった』


 少女は驚いて、両手で口元を覆った。

 そして、目を潤ませた。


『辛かった……ですよね。やっぱり、そうでもしないと、生きれなかったんだ……』


 彼女はそう言って、高い位置で結った長い髪を手に取り、悲しそうに見つめている。


『染めなきゃ……ダメかな。髪の毛』

『染めない方がいい。綺麗な色だ。君に似合う』


 彼は彼女を励ますつもりだった。

 彼女が頬を赤らめたのは、想定外で。


『あ、あなたは……後悔、してます? 魔法で姿を変えたこと』

『凄く、後悔してる。元に戻せなくなると分かっていたら……あんなことはしなかった』


 白い髪の男が必要だったとディアナに聞かされ、絶望したばかりだった。苦労して手に入れた人間救世主の皮を今更脱ぐことも出来ず、……そもそも、脱げるのかどうかも分からず、頭を抱えているところなのだ。


『見た目で判断されるとは、どこの世界でも人間のやることは一緒だな』

『……ですね』


 彼と少女は、静かに笑い合った。

 そしてしばらくの間歓談した。


 塔の魔女ディアナとの絶望的な出会いですさんでいた心が、柔らかく解されていく感覚。

 彼にとって彼女は、それまで出会ってきた誰とも違った。

 とても……、心安らぐ存在だった。











 会計を終えて喫茶店の外へ出ると、もう夕暮れ時だった。

 少女は両手をそっと差し出して、彼の右手を柔らかく握った。


『今日はありがとうございました。私、迷子になったの一度じゃなくて。私の変な話にも付き合ってくださって、美味しいものまで頂いちゃって。なんてお礼を言ったら良いのか』


 少しはにかんだような顔で、彼女は上目遣いに彼を見ていた。


『礼など。私の方こそ、久しぶりにまともな会話をした。人付き合いが苦手でね。普段は一人なので、良い刺激になった』

『ほほ本当ですか?! 嬉しい。素敵な人とお近づきになれて良かった。こ、これも縁ですし、もしよかったら、またここに来たとき、相手をしてくださいますか?』

『ああ。構わないよ』


 薄暗くなった街の中、ネオンの光が柔らかく彼女の顔を照らしている。

 彼女は彼から手を離すと、顔を真っ赤にして、両手を自分の胸に当てた。


『名前、教えていただけますか』

『名前?』


 彼女に言われて、彼はビクッと身体を揺らした。

 身体が急にほてり始める。


『私、美幸です。芳野美幸。あなたのお名前は?』


 彼女のキラキラとした目が、彼を追い込んでいく。

 何と……答えればいい?

 名前? この個体の名称……? 個人を区別するための記号?

 目を泳がす。どうにかそれらしきことを答えねばならないのに、どうしたら良いのか分からなくなる。

 名前などなくても困らない生活をしていた。人間共は勝手に名前を付け、勝手な呼び名で自分を呼ぶ。それでずっと過ごしてきたのに。


『キ……、キース。私のことはキースと』


 救世主だったこの個体の名は、確かキース。

 彼女の求めているものは、それに違いない。

 他に名乗りようもなく、適当に出した名前を、彼女は何度も口の中で唱え、嬉しそうに微笑んでいる。


『キース。ありがとう。また』


 嬉しそうに声を弾ませ、彼女は軽快な足取りで街へと消えていった。


『嘘を……たくさん、ついてしまった』


 彼女の消えた方をぼんやりと見つめながら、彼はぼそりと呟いた。


『私はキースなどではないし、人間でもない。なのに……また会う約束までしてしまった。な、なんてことだ……』


 けれど決して、嫌な気持ちではなくて。

 胸の中が温かい。

 こんな気持ちは、リサに会うため塔へ通ったとき以来。いや、それよりずっと……。











      ・・・・・











「――ハァッ、ハァッ、ハァッ」


 頭を地面すれすれまで押し下げて、僕はどうにか踏ん張って立っていた。

 身体は殆ど完全な竜だったが、最後の最後まで巨大化していたわけじゃなくて、どうにか踏みとどまっていた感じ。

 口から炎が漏れ出ているところから考えると、多少は暴れたのかも知れない。

 けれど全くと言って良いくらい、何も記憶がない。杭を壊して、欠片が僕に刺さって、悶え、竜化したところまでは覚えているんだけど、それから今までどれくらいの時間が経ったのか、僕が何をしていたのか、全く。


「ようやく落ち着いたか」


 長い首を上げると、真っ赤な鱗の竜が見えた。僕よりも幾分か小さい。……違うな。僕が大き過ぎるんだ。


「ルベール……、僕は……」


 赤い竜は尾をいきり立たせ、臨戦態勢だった。

 焼け焦げて美味そうな臭いを放つ何かがあちこちに落ちている。……ってことは、やはり、僕が焼いたのだろうか。


「砂漠に飛んで正解だった。何度目かの魔法攻撃でどうにか止まった」

「魔法……? そ、そうなんだ……。何も、覚えてない」


 攻撃を受けた割に、傷一つない。

 一体、何がどうなって。


「身体が力を受け入れるまで、拒絶反応を起こして暴れてしまうのかも知れない。この時間を短く、軽くしていかなければ」

「……だね」


 僕が身体を縮めて元に戻っていくのを確認してから、ルベールも半竜へと戻っていく。

 人間の姿で息を整える僕のそばまでやってくると、ルベールは無言で僕をジロジロと観察してきた。


「な、何。もう落ち着いたよ。今のところは……だけど」


 ルベールの鋭い視線にたじろいでいると、


「あくまでも人間の姿を優先するか」


 と、睨まれる。


「だ、ダメかな」

「ダメではないが、レグル様は半竜のお姿で現れるはずだ。人間の姿では不利だ」

「僕もあいつに対抗して、半竜でいろってこと?」

「無理に人間の姿に戻る必要はないはずだが」

「無理してるわけじゃないよ。僕は、あくまで芝山大河で。……竜には、なりたくない」

「なりたくなくても、貴様の本来の姿は既にレグル様と同じ半竜だった」

「――それが嫌なんだよ!!」


 僕は声を荒げ、ギュッと拳を強く握った。


「血は争えないし、化け物である事実も変わらない、変えようがない。自分で自分をどうにも出来ないクソッタレで、弱くて、惨めで、何もかも壊すことしか出来ない無能野郎で。……死ぬことも逃げることも許されなくて。でも、せめて……、僕は自分が芝山大河だってこと、忘れたくないんだよ。人間なんだって思いたい。僕が僕であることを忘れたら、多分僕はあいつと同じになってしまうから。少なくとも普通の子どもとして育ててくれたシバとか母さんとか、自分を犠牲にして世界を守ろうとしてるあいつとか……、こんな僕を偏見なく守ってくれた教会の人達やビビワークス、ジークエクスプレスの人達とか……、僕のせいで塔の魔女になってしまったアナベルや、動画にコメントくれた皆とか、こんなに頼りなくて情けなくてどうしようもない僕を応援してくれる人達に、顔向け出来なくなるのは嫌なんだ。だからこのまま……、人間の姿に戻れる間は、どうか僕を人間として扱って欲しい。勿論神の子の運命は受け入れるし、杭は壊す。ドレグ・ルゴラの称号もいずれきちんと継承する。約束する。だからどうか……お願い、します…………」


 深く深く、僕はルベールに頭を下げた。


「分かった。なるべく、神の子の意志を尊重しよう」

「すみません。ありがとうございます……」


 八本分の暗黒魔法を全部吸い込んで、もう絶対に後戻り出来ないところまで来てしまった。

 記憶の再生とそれによる混乱で、情緒不安定な僕が、ちゃんと自分の意思で最後まで頑張れるのかどうか。

 決意というか、覚悟というか。

 僕の、せめての矜恃として、この姿のままで居させて欲しい。

 そういうつもりで僕は、ルベールに懇願したんだ。

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