6. 八本目

 森の中に聳え立つ杭の真ん前に、僕はいた。

 炎の守護者ルベールに付き添われ、半分死んだような顔をする白い髪の少年が、真っ黒い杭の表面に映っていた。


「あのような別れ方で良かったのか」


 ルベールは言ったけれど、僕は「うん」と小さく答えた。


「丁度、人間達に気を遣うのも疲れてきたところだったんだ。離れられてホッとした。助かった。ありがとう」


 気の抜けたような声で言うと、ルベールはハハと軽く笑った。


「レグル様と同じだ。本音と違うところでばかり、話をする」

「あはは。似るよね。全然……、一緒に過ごした記憶もないのに。凌もそうだけど……、僕ってドレグ・ルゴラにも似てるんでしょ?」


 かの竜の名前を出すと、ルベールは渋い顔をして、「ああ」と言った。


「似てて当然だよね。血は争えないし、記憶も……、いっぱい見たし。僕、あいつのこと、実はあんまり嫌いじゃないんだよ。化け物だし、理不尽だし、暴力的で……、人類の敵なのに。僕と同じ過ぎて、凄く……親近感があって。色々とやらかしては来たけれど、僕はあいつが全部悪いとは思わなかった。それって、自分の罪を軽くしようとしてるからかな? 無意識にあいつの罪を肯定することで、僕自身の破壊行為を正当化したいからかな?」


 僕がそう吐露すると、ルベールは杭の表面に映る僕を見て、長くため息をついた。


「神の子は一連の出来事が、破壊竜ドレグ・ルゴラの継承行為だと、気付いているのか」

「少なくとも……そうでしょ。あいつは僕に、唯一の白い竜の役目を引き継ぎたい。そのために、こんなまどろっこしいことをしてる。けれど僕は、破壊竜にはならないよ。……なりたくない。誰かを傷付ける度に、僕は自分の存在を呪ったし、消えたくて、死にたくて、逃げ出したくて堪らなくなった。けど……、逃げたら、ダメだから。唯一の白い竜たる存在は、僕が最後でなくちゃならない。僕が全部背負って、明るい未来を導かなくちゃね」

「そうやってまた、自分の心に嘘をつくのか」


 ルベールの言葉に、胸がズキッと傷んだ。


「嘘じゃないよ。僕はそのために生まれたんだから。――杭、壊すよ。けど壊したらきっとまた僕は変になる。これ以上森を焼くようなことはしたくない。暗黒魔法発動後、どこか……、誰の迷惑にもならないような場所に連れてってくれるとありがたいんだけど。出来る?」


 僕も、杭に映るルベールの目を見た。

 ルベールは困ったような顔をして、こくりと頷いた。


「この世界で、白い竜が暴れても大丈夫な場所は、森の外にしかない。砂漠でも良いならば、転移魔法で連れて行こう」

「砂漠……? 良いね。そこなら、僕が火を吐こうが魔法をぶっ放そうが、大丈夫……なんだよね?」

「絶対とは言えないが、概ねは」

「概ねか。それでもいいよ。お願いね」


 杭に映るルベールに合図して、僕はそのままゆっくりと歩を進めた。

 通算八本目の杭。

 これが終われば全体の三分の二の杭を壊したことになる。……それはつまり、僕が更にドレグ・ルゴラの後継に相応しくなっていくってわけで。


「あれ。何度やっても怖いのかな」


 右手が有り得ないくらい小刻みに震えているのに気が付いて、僕は左手で右手首を掴んだ。


「大丈夫だよ。ルベールが僕を止めるから。怖くない怖くない……」


 自分に必死に言い聞かせて、僕はそっと、杭に手を伸ばした。

 冷たい杭の表面に触れる。

 今にも泣き出しそうな顔が、杭の表面に映ってる。

 これが、最後に見た自分の顔……なんてことになりませんように。

 魔力を注ぐと、直ぐに杭に亀裂が入った。

 僕は両手を広げ、天を仰いだ。


「――来いよ、暗黒魔法!! 絶対に、僕は僕のままで最後まで生きてやる……!!」


 砕けた杭の欠片が、僕の小さな身体目掛けて降り注いだ。

 巨大な杭を形成していた竜石が、僕の中に一つ残らず吸い込まれて、溶けていく。

 やがて身体が赤黒く光り始めると、僕の心臓は有り得ないくらい大きな音で鳴り響いた。


「ルベール!! 早く!!」

「任せろ」


 頼もしい声と共に、魔法陣が発動した――……。






 *






 ――生温い風。

 纏わり付くような暑さ。

 一面の砂砂漠。

 僕は両足で踏ん張りながら、身体を丸め、必死に自我を繋ぎ止めていた。

 息苦しいのは、生臭くて気持ち悪い風のせいだろうか。それとも、僕の中で暴れ回ろうとする力を、抑え込んでいるからだろうか。

 汗がドッと噴き出して、鼻の頭や顎を伝い、ボトボトと落ちていく。

 僕はハァハァと肩で息をして、垂れていくよだれを腕で拭った。


「大丈夫……。未だ僕だ。耐えろ、耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ…………!!!!」


 三六〇度全部が砂山で、辺りには砂以外に見えるものはなくて、そこに僕と、ルベールだけが立っている。

 地平線の先にも何も見えない。砂漠のど真ん中。

 生物の気配すらしないこの場所なら、僕がどうなっても。


「あああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!」


 思った途端強烈な吐き気が襲って、身体の内側で何かが蠢き始めた。


「嫌だァッ!! 竜にはなりたくない!!!! お願いだから僕を、僕のままでいさせてよ!!!!」


 雲一つない空の下で、僕は力の限り叫んだ。

 叫んだけれど、意思に反して身体は急激に大きくなった。

 全身が鱗で覆われ、たくさん角やトゲが生えて、骨格が変わり、どんどん、どんどんどんどん竜の姿へと変わっていく。


「クソッ。抑えろっ!! 抑え込め!! クソがあああああッ!!!!」


 巨大化は止められなかった。

 制御しようとすればする程、身体は言うことを聞かなくなった。

 視界に入ってくる僕の全てが、白い竜のそれに変わっていく。

 頭が朦朧として、自分の声が人間のそれから竜の咆哮へと変わっていくのにも絶望して、ああ、また僕の身体の中心は煮え滾る炎で満たされてしまったんだと、口から漏れる炎に愕然とした。

 一緒に飛んできたルベールは、神妙な面持ちで僕の様子を伺っていた。助けを……求めたいところだけど、先ずは僕自身で何とかしなくちゃ。

 意識が奪われる。

 ダメだ。

 しっかりしろ、僕――――…………。











      ・・・・・











 街の中を彷徨いていると、ふと見慣れない格好をした少女が目に入った。

 頭頂部で結わえられた赤茶けた長い髪は、彼女が辺りを見回す度に左右に揺れた。

 紺色のジャケットと、チェック柄のスカート。胸元に小さなリボン。街で流行のファッションとはほど遠く、どこかから迷い込んできたのだと即座に分かる。


『リアレイト人か』


 レグルノーラとリアレイトには、それぞれ干渉者と呼ばれる者が存在する。

 干渉者は自分の住む世界から別の世界へ干渉する能力を持ち――魔法を使う。主に、具現化魔法。自分の思い描いたものを形にする魔法だ。

 レグルノーラの能力者が使う魔法と、干渉者が使う魔法は根本的に仕組みが違うらしいことも、聞いたことがあった。

 能力者は自分の魔力によって魔法を展開するのに対し、干渉者はその想像力と集中力の強さで魔法を操るらしい。何もないところから何かを作り出したり、姿を変えたるすることも出来ると――確か、ニールがそんなことを言っていたのを、何となく覚えている。


 普段は気にも留めないのに、妙にその少女が気になって、彼は無意識に彼女を追った。

 両腕を擦りながらあちこちキョロキョロと見回して、時にビクッと身体を揺らし、街行く人にぶつかりながら歩いて行く彼女は、とても危なっかしく見えた。

 干渉には全く慣れていないようだ。

 急に能力が発現して、驚いているのだろうか。


『私も、確かニールと初めて干渉したときは……』


 見たことのない建物に、自分とは違う格好をした人間。同じようで、全く違う世界。

 加えて彼は、竜になりかけてニールに笑われたのだ。ユンは竜になりたかったのかと。干渉者の中にはなりたい姿に変化へんげすることの出来る者がいる。それと勘違いをされて、事なきを得たことを思い出し、彼はクスリと笑った。

 少女のことを目で追っていると、不意に彼女が複数人の男に囲まれているのに気が付いた。彼女は怯えている。何か、言い掛かりを付けられているようだ。

 彼は歩を早め、彼女のそばまで近付いていく。


『おい、何をしている』


 彼は男達に声を掛けた。


『何だお前』

『彼女は嫌がっている。去れ』


 通りには大勢の人間がいたというのに、彼女に気付いたのは彼だけだった。


『去れと言われて去るヤツがあるか』

『お前こそ何だ。邪魔するなよ』


 男の一人が彼を突き飛ばそうと腕を伸ばしてきた。が、彼はびくともせず、男の腕を捻り上げた。


『うわぁっ! な、何だこいつ、細いクセに!!』

『私は弱くない。去れ』

『生意気なッ!!』


 男達は一斉に彼に飛びかかったが、数撃でバタバタと倒された。普通の人間なら相手にすらならないことを彼は知っていて、相当手加減した結果だった。


『な、何だこいつ。逃げろ……!!』


 慌てて逃げ出す男達を尻目に、彼はふぅと息を吐いた。

 突然現れ、表情一つ変えずに男達を薙ぎ倒した彼に、少女は深々と頭を下げた。


『あああありがとうございます!! だだだ誰も、助けてくれなくて。どどどうしたらいいのか、凄く、不安で、怖くて。ああああなたみたいな強い方に、助けて頂いて、本当に……、本当に本当にうう、嬉しくて』


 顔を上げた彼女は涙を浮かべていた。

 目がキラキラと輝いて、だけどガタガタと恐怖で震えていて。……見て、いられなかった。


『少し落ち着いた方がいい。その辺で良かったら、何か奢るよ。甘い飲み物は好き?』


 彼は何の気なしに、彼女を誘った。

 すると彼女は、今まで彼が受け取ったことのないくらい満面の笑みを返してきたのだった。


『甘いの大好きです!! ありがとうございます!!』


 あまりにも大きく元気な声で返されて、彼は思わずプッと吹き出していた。


『じゃあ行こうか、迷子のお嬢さん』

『はい!』

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