3. 水蛇

 僕の力を試すためなら、森を焼くのも厭わない。炎の守護者ルベールは無慈悲にじりじりと僕を追い詰めた。

 下草が焼け、背の低い木々が焼け、今は高くそびえる木々の葉にさえ引火している。

 当然、ルベールにも攻撃を加えなければならない。けど、直ぐにでも火を消さないと、取り返しの付かないことになりそうだった。

 ――水だ。

 大量の水が必要だ。

 火を消す。ルベールへの攻撃も兼ねて、なるべくピンポイントに素早く行き渡らせないと……!!


「か、覚悟……するよ。まだまだ非力かも知れないけど……、僕だって、やれるはずのことすらやらずに諦めたくない」


 ルベールの熱気で、僕の肌がジュワッと焼けた。完全な竜の姿でないときは、どうしても肌に柔らかい部分があって、そこは熱や攻撃に弱いらしい。

 痛いとか熱いとか、そんなことより酸欠で息苦しくて、ぼうっとして、全身使って呼吸するくらいには辛かった。


「神の子なんて呼ばれてるクセに……、力を使いこなせないのも好きじゃないんだ……」


 ジリジリと近づいてくるルベールを、僕はキッと睨み付けた。

 火の反対属性は水。大量の水。

 この炎を全部消し去るくらいの、圧倒的な水を思い描け。

 僕自身の属性は、多分ルベールに近い。火なのか闇なのか、その両方か。身体の底に滾る炎を思えば火属性が正解なのかも。

 けれど今は、火は必要ない。

 可能な限り身体を冷やして熱を打ち消すんだ。


「はぁぁぁぁぁ……っ!!!!」


 空気中の水分、そして近くの水辺から水分を吸い上げて凝縮させていく。

 炎の熱で、水はどんどん蒸発した。それでも構わず、僕は水を手の中に集め続けた。


「愚かな。その程度で火が消えるとでも?」


 ルベールは嗤う。

 彼の手の中で、極限まで高められた炎が眩い光を放ち始める。


「一か……八かだよ。圧倒的な量の水なら……、火は消えるんじゃないかって……!!」


 シールド魔法を完全に取っ払って、水の魔法に集中する。

 ルベールの魔法に熱されて、僕の作り出した硬球大の水球はグツグツと煮え滾った。


「フフッ。熱湯でも浴びせるつもりか?」


 諦めるな。

 この水の塊から、更に大量の水を作り出すんだ。


「――僕の……、手の中の水球よ!! 無限に湧き出す、水源になれぇええぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」


 ――ボコンッ!! ボコボコボコボコ…………。

 水球が、手で抱えきれない大きさにまで急激に膨れ上がった。


「なっ……?!」

「膨れろォッ!!!!」


 ――ボンッ!!

 水球は更に大きくなる。

 ルベールは慌てて魔法を放とうとしたが、その時には既に、水球がルベールを丸ごと呑み込んでいた。


「ウゴォッ!!」


 水球に閉じ込められたルベールは、攻撃の手を止め、内側から僕に何か怒鳴りつけている。けど、ボコボコと気泡が弾ける音と、水球自体がうねる音が邪魔して、何も聞こえてこなかった。


『小癪な……! 私をどうするつもりだ?!』


 耳からではなく、頭の中で彼の声を聞く。


「ごめん、ルベール。ちょっと悪いけど、火を消し終わるまでそこに居て」


 水球の中の彼に伝わったのかどうか。

 僕は、中から手を伸ばそうとするルベールを無理矢理水球の中心へと押しやった。

 延焼を食い止める。

 森全体に水を行き渡らせる。

 効率的に、瞬時に。

 そのために、イメージを巡らせろ。神の子なら、それくらい出来るはずだ……!!

 両足を踏ん張り、僕は両手を水球の中に突っ込んだ。


「――出ろ!! 水蛇ィ…………ッ!!!!」


 ザバアッと、水球から巨大で透明な蛇が上空へと真っ直ぐに飛び出していく。

 右手を高く掲げ、人差し指を立て、僕は水蛇へと指令を出した。


「行っけぇ――――ッ!!!!」


 ジャバァアッと、激しく水を撒き散らしながら、一抱えほどある水蛇が森の中を駆け巡る。火のついた枝を抜け、木々の間を走り抜け、どんどん火を消していく。


『何をしている? 貴様は今、私と戦って……』

「分かってるよ。分かってるよそんなこと。けど……、僕の意識のハッキリしている間は、せめて……犠牲は少なくしたいって思うんだ。凄く……甘っちょろいってことは分かってる。誰かを傷付けるとか、何かを壊すとか。そういうことに特化した力しか持ってないのに、馬鹿みたいだって分かってるけど。それでも……、ごめん。失ってから後悔するの、もう懲り懲りなんだよ。火を消す方、優先させて貰うから」


 水蛇は途中で頭を三つにも四つにも枝分かれさせて、森の中を縦横無尽に突き進んだ。

 存在しないはずの水蛇の視界が頭の中に再現されていたのか、身を寄せ合って小さな結界の中で縮こまるリサ達の姿や、水系の魔法を放ち続けるノエルやシバ、ルークの姿、回復の魔法と加護の魔法で彼らを守り続けるアナベルの姿だったり、竜の姿に戻って森の生き物達を避難誘導をするグリンとエンジの様子だったりが、僕の脳内に飛び込んできた。

 森の中を巡る透明な水蛇を見て驚き、立ち止まり、或いは安堵の声を上げている。

 普通の魔法使いや干渉者には絶対に錬成出来ないレベルの圧倒的な水を豪快に撒き散らしながら、水蛇はどんどん火を消した。

 僕はその間、全神経を水球と水蛇の制御に使う。

 水球の中でルベールが再び魔法を放とうと力を溜め始めるのを、僕は黙れと威嚇した。


「大人しくしてろって言っただろ。火を全部消した後で相手をしてやるからさぁ……!!」


 それから、どれだけかかっただろう。

 一斉に捲かれた水が木々を濡らし、地面に染み込み、熱を奪った。

 まるでスコールが襲ったみたいに、森の空気は冷たくなっていた。


「お、終わった……」


 辺りを見回し、どこにも火種がないくらいにびしょびしょなのを確認してから、僕はようやく魔法を解いた。

 バシャアアッと水球が弾け、ルベールが地面に叩きつけられる。


「うぐっ!!」


 真っ赤な身体が水溜まりに落ちると、盛大に煤の混じった泥水が撥ねた。

 僕の靴やズボンにも泥がかかって、茶色く汚れた。


「お待たせ。火は消したよ……」


 正直、立っているのもやっとで、集中力も切れそうだった。けれど、ここからが本番な訳で。


「ゲホッ、ゲホッ! か、神の子……、貴様ぁ……」


 ずぶ濡れのルベールが、ぬかるんだ地面に手を付き立ち上がった。

 全身泥だらけで、逆立てていた髪まで前に垂れている。


「この程度じゃ死なないでしょ。元々石像なんだし、息が出来なくて死ぬとか有り得ないよね……。さぁ……早く立てよ……。さっさと終わらせて、杭を壊すんだから……」


 はァはァと、喋る度に息が上がった。

 啖呵切ってる割に、僕の限界は近い。

 水を操る為に、体温を下げ過ぎたのかも知れない。

 脳みそに、血が回ってない。ぼうっとする。視界が霞む。


「な……何なんだこの水は……!! こんなに大量の真水を、貴様、一体どこから……!!」

「どこからって……、その辺の川の水と……、あとは……具現化魔法で……。って、そんなのどうだって良いだろ。早くしろよ……!! こっちは気が立ってるんだ……!!」


 意識が朦朧として、息が苦しくて、胸を掻き毟った爪が肌に食い込んで、ボタボタと血が垂れた。

 興奮してきた。

 破壊衝動が来る。

 ずっと我慢してたのに、半竜の姿で魔法を使い過ぎた。


「戦う気のないヤツを傷付けるような、卑怯な真似はしたくない……。戦うなら戦うで、さっさと闘志を見せろよ……」


 制御出来てきてたはずの、僕の凶暴な部分がまた表に出てきてる。

 心が、身体が、血を欲し始めてる。

 僕は地面に刺した剣を引き抜き、ルベールに刃を向けた。

 ビクッとルベールが身を引くのを見て、僕の苛々はピークに達した。


「ずぶ濡れで自慢の炎が出せねぇのかァ?! さっきまで偉そうにしてただろうがぁ!!」


 ルベールの鼻先に剣が当たって、つうと血が流れた。

 避けなかった。ルベールに、避ける気力は既になかった。

 パァンと、どこかで魔法が弾けたような音が響き、僕はハッと顔を上げた。

 ルベールを僕が傷付けたから、それで魔法が解けたのか、それまで気にも止めていなかった真っ黒な杭が、急に視界を遮った。


「見事に私を傷付けた。さぁ、杭を壊すがいい、神の子よ」


 ルベールの声は震えている。

 それが益々癪に障る。

 

「こんな……、こんな怯えた状態の守護竜を傷付けて、それで僕が納得する訳ないだろがあっ!! ふっざけんなァァァ!!」


 怒りが収まらず、僕は剣を思いっ切り地面に叩き落とした。

 バシャンと泥水が身長より高く撥ね、シャワーのように辺りに降り注いだ。

 棒立ちするルベールにズンと迫って、僕より幾分かデカいその顎を無理やり下から掴み上げた。

 うぐっとルベールが声を詰まらせるのを、僕はギリギリと睨み付けた。


「まだ……これからだろ!! 完膚なきまでに、これから叩き潰してやる予定だったのに……!!」


 意識と行動が極端に乖離する。

 冷静さがどこかに飛び始めた。

 抑えなきゃ、落ち着かなきゃと思えば思う程、僕の興奮は加速して、コントロールが効かなくなっていく。


「落ち着け、神の子よ……。これ以上怒りに溺れると、竜化が進む。私から手を離せ。貴様の実力は認めた。人間の姿に戻れ」


 ルベールの哀れむような目。

 心がざわざわする。

 な、何なんだこいつは。僕の邪魔をしてみたり、説き伏せてみたり。

 一体何のつもりで――……。


「うぐ……、ゔ、ゔゔゔゔゔ…………」


 突然、頭蓋骨が割れるような痛みがして、僕はルベールから思わず手を離した。

 両手で頭を抱える。

 身体と心が引き裂かれそうな、変な感覚。

 限界が近い。


「……クソッ。なんだ、これ」


 足元がふらついた。

 目の前が真っ白になった。

 力の使い過ぎか? あんなに大量の水を錬成したから……。


「ヤバいッ。無……理…………」


 そのまま僕は前のめりになって、ジャバァンと泥水の中に頭を突っ込んだ。

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