2. 炎の守護者

 全身真っ赤な肌に、赤い鱗。はだけた胸元からは隆々とした胸筋が覗いている。尾を立て、背中の羽を大きく広げて、炎の守護者ルベールは僕を威嚇した。


「かなり気配が揺らいでいる。神の子よ、それでは私は倒せない」


 燃えるような赤を纏ったルベールに、僕は圧倒されていた。

 強がる僕を見透かす彼の表情が、心底怖い。

 吐き気が強くなって、震えも酷い。逃げ出せるようなら直ぐにでも逃げ出したかった。


「倒せるなんて思ってないよ。傷さえ付けられたら良いんだろ」


 僕は上着を脱いで、地面に放り投げた。

 ルベールに比べて一回りは小さい身体。体格差がエグい。勝てる見込みがなさ過ぎる。


「何故私がここで貴様を待っていたのか、どのくらい理解している?」


 ルベールは僕に決して敵意は見せなかった。

 まるで――与えられた使命を全うする兵士のように、そこに佇んでいた。


「ぼ、僕がちゃんと強くなってるのか、確認するのが目的なんでしょ? ……あいつを止められるのは僕だけだから。まともに力を使いこなせない状態であいつと対峙したら意味がないもんね。僕が……、“唯一の白い竜”になるんだから」

「ならば話は早い。巨大化せずに私に傷を付けて見せろ。条件を達成するまで、杭には近付けないよう、強力な魔法が掛けてある。武器を使おうが、魔法を使おうが構わない。傷の大きさも問わない」


 ルベールは、腕を大きく広げて爪を立てた。接近戦は不利だ。あんなのに引き裂かれたら、かなりダメージを食らいそうだ。

 勝てるのか、あんなのに。

 焦りが先行して、ルベールの言葉が殆ど頭に入ってこなかった。

 今までとは全く違う現場とあって、レンは二号を僕から随分離れた場所に配置した。

 リサ、ノエルと共に、太い木の陰に陣取って、タブレット越しに戦いの様子を確認するようだ。

 シバは一人、もう少し手前の木の陰にいる。

 グリンとエンジはだいぶ遠い所に陣取って、何もなければ良いと願っているようだった。


 アナベルは……、ルークと一緒に、リサ達とは反対側の大きな木の陰に隠れている。

 離れているのに、アナベルからは魔力がやたらと溢れ出て、僕の鼻腔を甘い香りがくすぐっていた。

 よだれを手で拭って大きく息をし、僕は必死に気分を落ち着かせた。

 なかなか……しんどい。

 こんな気持ちのまま戦うなんて。


「戦うのは嫌いか」


 ルベールは僕に鋭い眼光を向ける。


「好きなわけないじゃん。苦しくなるだけなのに」


 僕は言いながら、右手の中に巨大な剣を具現化させた。

 竜の鱗をぶった斬れるような、やたらとデカい剣。とにかく距離を取りたくて、刀身は長めにした。それに多分、細い剣ではルベールを傷付けるなんて無理だと思う。赤い鱗は凄く……硬そうに見えたから。


「……レグルは? あいつは今どうなってるの? 守護竜はあいつの今をどれくらい知ってるの? 僕のこと……、あいつは待ってくれてる……?」

「ああ。お待ちだ。神の子が辿り着くまで、レグル様は必死に耐えておられる」

「そうか。待ってくれてるんだ。じゃあ……、頑張んなくちゃね」


 剣の柄を握り締め、僕は何度か深呼吸した。

 立ち止まるな。

 ルベールをさっさと倒して、それからまた暗黒魔法を浴びて。フラウも、エルーレも、ニグ・ドラコも倒さなくちゃならない。

 杭はこれを含めてあと五本。

 まだ……終わらない。地獄は寧ろこれからかも知れない。

 こんなところで立ち止まってたら、先に進めなくなる。


「巨大化しなかったら良いんだよね……? 多少竜化するのは……アリ?」

「良いだろう」


 ルベールの口角が上がる。


「人間の姿のままでは無理だと悟ったか」

「悟った。……醜いのは嫌いなんだ。けど、それしかなさそうだから、我慢する。見られたくないのに見られるのも、頭がおかしくなってくのを止められないのも嫌だ。――嫌だけど、やるしかないからやるよ。僕にしか出来ないことだから。どうにか前を向く。そして少しでも早くあいつを……闇から解放させてあげないと」


 チラリと後ろに目をやると、祈るように木陰から見守るアナベルの姿が目に入った。

 我が儘で見に来たわけじゃないのは分かってる。けど、好き好んで化け物の姿なんて見るもんじゃないと思う。


「ちょっとだけ時間、ください」


 それから僕は、もう一度息を整えた。

 目を閉じ、半分竜になった自分の姿を思い出す。


「うぐぐぐぐ……」


 ズンッと筋肉が肥大化し、白い鱗で全身が覆われる。頭部に角がニョキニョキ生えて、肩や背中には無数の突起物。長く太い尾に、竜の羽。鋭い牙と爪、長い舌。そして――身体の中は、常に煮え滾っている。


「はァ……はァ……」


 目を開け、ビリビリに破れたTシャツを左手で剥ぎ取って、地面にブンと放り投げた。


「アレがタイガなの……?」


 アナベルの声が聞こえて、僕はうっと顔を歪めた。

 ルベールの後ろ、そびえ立つ黒い杭の表面に、白い半竜の姿が映って見える。

 また少し、前より化け物染みてる気がする。


「ほぅ……」


 ルベールはまたニヤリと笑う。

 グイッと柄を握り直し、僕はデカい剣をゆっくりと持ち上げた。


「これより大きくなったら、巨大化判定されると思うから、この姿でどうにかやってみるよ」

「フフ。楽しみだ。では、こちらから行くぞ」

「――え?」


 彼のセリフを理解するよりも早く、ルベールは僕の懐に入り込んでいた。


「早」


 屈み込み、僕の顎に掌底を当ててこようとするのをすんでの所で躱す。ふらついたが、反動を付けて思い切り剣を振り上げる!


「うりゃあッ!!」


 宙返り、攻撃を躱される。僕の振り回した剣の先が太い木の幹に当たり、ガサガサと大きく葉が揺れた。


「チッ!!」


 めり込んだ剣を思い切り引き抜いて、ルベールの位置を確認する。

 図体の割にかなりすばしっこい。飛びかかりながら、僕は何度も剣を振るった。けどその度にルベールは軽々と身を躱し、木々の間をすり抜け、時には木の幹や枝を上手く使って僕の攻撃から逃れていく。


「クソ、待て!!」

「ただ剣を振り回すだけでは、私に傷など付けられないぞ」

「うっせえ!!」


 埒が明かない。

 いつぞやの雷斗を思い出し、僕は雷魔法を剣に纏わせ必死に振るい続けた。剣の波動と共に雷撃がルベールを襲う。それすら、素早い動きでするすると躱される。

 叩き斬るつもりで奮った剣はルベールではなく、周囲の木々にぶち当たった。枝が折れ、幹が折れ、ミシミシと巨大な音と共に太い木が倒れていく。

 ズシンズシンと、森の中に倒木の音が次々に響き渡り、リサかアナベルと思われる悲鳴が何度も聞こえた。シバとノエル、ルークと思われる怒号が何度も耳に響いた。

 気が付くと、あちこち倒れた木々が折り重なって、酷い有様になっている。

 何度斬りつけても躱され苛々してくると、益々動きが粗くなった。攻撃は当たるどころか、森を破壊していく一方で、ただルベールの嘲笑が響くばかり。


「やる気はあるのか。真面目にやれ、神の子よ」


 ルベールはそう言いながら僕から少し距離を取った。

 動きが止まったところを見計らい、僕はルベールを叩き斬るつもりで剣を構え直し、走り出した。


「うるせぇ!! 今度こそ……ッ!!!!」


 ――途端にルベールの激しい魔法攻撃。空中に展開した魔法陣から、無数の火の玉が僕目掛けて打ち込まれる。咄嗟に剣で払い落としたが、間に合わなかった。


「うあっ!!」


 高温の火の玉が次から次へと向かってくる。僕は足を止め、慌ててシールドの魔法を展開した。

 剣を持ってる余裕はなかった。地面に剣をぶっ刺して、両手で必死に攻撃を防ぐ。ルベールの火の魔法は次の段階へ。火の玉から、炎そのものへと変わっていく。


「ク……ッ、ヤバい……! 火が……!!」


 次第に空気が乾燥し、パチパチと何かが燃える音と臭いが立ち込める。煙が充満し、視界が悪くなる。

 周囲を見回す。

 シールド魔法で弾かれた炎が木々を熱し、あちこちで発火しているのが見えた。次々に火が燃え移り、いつの間にか広範囲に燃え広がってしまっている。

 火に囲まれたシバ達は、必死に水系の魔法を使い、消火し始めているようだ。が、火の勢いが凄い。消えるより燃え広がる方が早くなってきた。


「タイガ!! 大丈夫か?!」


 こんな状態なのに、シバは心配そうに声をかけてくる。


「こっちは大丈夫!! 僕のことはいいから!! 逃げて……!!」


 転移魔法でも使ってさっさと逃げて欲しかった。

 リサは大丈夫なのか、アナベルは。グリンとエンジは上手く竜や動物達を誘導出来たのか。

 気が散る。

 足枷が大き過ぎる。

 こんな状態でこんな強いヤツと戦うなんて無理だ……!!


「他者を気遣うとは余裕だな、神の子よ」


 いつの間にか、ルベールが眼前に迫っていた。

 火竜ルベールの周囲には、凄まじい熱風が渦巻いている。近づくことすら危険だと直感する。

 シールド魔法を重ねがけして距離を取ろうとしても、ルベールはそれすら破ってズンズンと僕に向かって歩いてくる。


「傷をひとつ付けるだけで良いのだぞ? 本気になれ、神の子よ。完膚なきまでに私を叩きのめすつもりで襲って来なければ、森が無くなるぞ……?」


 ルベールの言う通りだ。

 僕は、本気になれてない。

 戦うのが嫌で、逃げたくて、だけど仕方ないから戦ってる。

 剣を振り回すのも、こんな姿になって戦うのも、そういう気持ちは一応ありますってパフォーマンスで、頭の中ではずっと、ここから逃げ出すことばかり考えてる。

 これじゃ、ルベールの思うつぼだ。

 僕のせいだ。

 僕がしゃんとしないから、被害が拡大する。

 そうだよ、真面目にやれよ。

 何度も何度も、同じことを繰り返すな……!!!!


「このままでは、うっかり貴様を焼き殺してしまう。覚悟を決めろ。それとも神の子とはその程度の存在なのか?」


 ルベールは、グイッと腕を伸ばし、僕に手のひらを向けた。


「被害を気にして魔法も放てぬか。弱いな。レグル様は失望するだろう。残念だ」


 炎の魔法が、ルベールの手の中に凝縮されていく。


「――ッ!!!!」


 これ以上魔法を放たれたら、本気で森が消える。

 真っ赤な炎に照らされたルベールは、如何にもつまらなさそうに、僕を見下していた。

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