第6部 《守護竜》と《神の子》編

【29】火竜ルベール

1. 砂漠と帆船

 眠りに就くと、僕はまたあいつになる。

 黒い髪の男の姿を手に入れたあいつは、黒い湖から這い出したあと、しばらく放浪生活を続けていた。


『かの竜が砂漠の果てに封印されている話、本当かどうか探りに行こうって話があって』


 飲み屋で耳にした言葉を頼りに、あいつは森に近い集落へと向かった。











 人間の住む都市部と竜の住む森はずっと分断されてきたはずだったのに、文明が進むにつれ、人間は少しずつ森を削り始めていた。

 そうして人間達はこっそりと、森の外側、砂漠へと足を踏み入れていたのだ。


『実はここ、三百年くらい前にかの竜を倒すため、救世主が拓いた道だって説があるんだ。それ以来、砂漠への抜け道として使われているんだよ』


 現地のガイドが言うには、救世主は金色の竜を従えて砂漠へ向かい、ドレグ・ルゴラを世界の果てに封印して行方不明になったらしい。

 その救世主の身体を乗っ取ったかの竜が目の前にいるとも知らずに、ガイドは親切に彼を案内した。


『ブームはもう百年以上前だったんだけど、今でも熱烈に砂漠への冒険心を募らせる者が多くてね。リアレイトでは新世界を求めてウミ・・とやらに大きな船を出して旅をするらしいが、この世界にウミ・・はない。砂漠をウミ・・に見立てて船を出し、世界の果てとやらに行こうじゃないかって連中が現れたんだ。それで全盛期は、かなりの数の船が造られた。ウミ・・に憧れて形は帆船だが、動力は主に魔法。実は砂漠には殆ど大きな風は吹かない。生温くてぬめっとしていて、何となく生臭いんだよ。それでも、船の甲板に立つと、その臭いが掻き消されるくらいに気持ちいい風を感じてね……。魅せられちゃうんだよ、砂漠って場所に』


 軽快に話すガイドの言葉に耳を傾け、あいつはにやっと口角を上げた。


『面白いな。船は未だ何隻が残っていたりは?』

『残ってるよ。……まぁ、せっかく造っても、時空嵐に巻き込まれて船出する前に壊れる船も多くて。だからこそ、この時代まで残っている船は運が良く、丈夫ってこと。もしかして気になるのか、兄さん』

『ああ。実に興味深い。本当に世界の果てまで行けるのなら、な』











      ・・・・・











 火竜ルベールの待つ杭は、レグルノーラの大地を東西に走る河川を二つ越えたところにあった。

 川が近く、背の低い木々が多いところだ。人間が切り倒したと思われる切り口の綺麗な切り株が、所々に見えている。

 青々と茂った葉を透かして、陽の光が差し込むところに、ぬっと現れる真っ黒な杭のシルエット。杭まで数百メートル離れたこの場所からでも、杭周辺に漂う独特の空気で吐き気がする。

 グリンとエンジ、シオンらに案内され、シバが先回りして場所を把握していたお陰もあって、転移魔法で直ぐに移動出来たわけだけど、話を聞くと昔河川の間には、キャンプと呼ばれた場所が存在したらしい。


 都市部から砂漠への抜け道があり、冒険者連中と商売をしていた人達がマーケットを築いていたところ。森を切り開き、結界を張って魔物や竜の侵入を防ぎ、ドレグ・ルゴラの襲撃で都市部を追われた人間達がひっそりと暮らしていた場所……という話を聞いた。

 凌がドレグ・ルゴラを倒し、同化したあとは不要になり、今は廃墟らしい。とは言っても、仮設の住居やテントばかりだったから、今は荒れ地状態で、井戸や水道設備の残骸が残るくらいらしいけど。

 丁度夢に出てきたから、変な感じ。

 どうも僕の中で再生されていく記憶は、現実にやたらとリンクしていて、……そういうこともあって、僕はよく混乱するんだろうと思う。


「いつにも増して表情が硬い。大丈夫か」


 シバが声を掛けてきて、僕はハハッと小さく笑った。


「大丈夫に見える? これからまたおかしくなるかもって思うと、震えが止まらないのに」

「……そうだな、すまん」

「それより、大所帯は困るんだけど。どういうつもりだよ」


 同行者として、ノエルとリサ、レンまでは理解出来る。グリンとエンジは、うっかり事情の知らない竜が巻き込まれたときの避難誘導役だろう。問題は……。


「私も不服だ。よりによってこんな危険な場所にアナベル様をお連れするなんて」


 塔の五傑の一人、長い黒髪の男ルーク。

 眼鏡の奥で緑色の目を光らせ、僕を睨んでいる。

 ヴィンセントと同じく、僕のことが嫌いだったヤツ。……そいつが何故か、アナベルと一緒にここにいる。


「ごごごごめんなさい……。私が、我が儘を言ったの。タイガが何をしているのか、見ないことには、タイガとのこと、誰にも何も話せないって」


 アナベルはいつもと違って、ドレス姿じゃなかった。

 スカートではあったけど、いつもより動きやすそうな格好で、髪もポニーテールだった。

 これはこれで凄く可愛くて、こういう状況じゃなかったらいっぱい褒めたのに、僕はあいにく、そういう心境じゃなかった。


「何しに来たんだよ。塔の魔女様が高みの見物かよ」


 汚い言葉しか出ない。

 最悪。


「ち、違うの。タイガの言う通り、私の……私の我が儘で」


 アナベルは震えていた。

 僕は、どんなに酷い顔で彼女を見たんだろう。


「アナベル様は、どうしても神の子をそばで見守りたいと強く仰られたのだ。貴様のような下衆が易々と近づいて良いお方ではない」


 ルークは凄んだけど、僕は鼻で笑った。


「うるさいな。あんたに僕とアナベルの何が分かるんだよ」

「大河、やめろ」

「黙れシバ」

「タイガ! シバに何てことを!」


 ノエルが横から口を出して来たけれど、気が立っていた僕は、思わずノエルを突き飛ばしていた。


「った! タイガ、てめぇッ!!」

「ノエル、何も言うな。大河がどれだけ苦しいのか、私達には分からないんだから」

「こういうときだけ保護者ぶるなよシバ。弱いヤツはさっさと消えろ」

「心にもないこと言うなっていつも言ってるだろ!! タイガ!!」


 僕の心はもう既にぐちゃぐちゃだった。

 こんなに気が立ってるのは、あいつの記憶のせいでもあるんだけど……、多分、アナベルが近くにいるからだ。彼女の魔力が強すぎて、甘ったるい臭いで頭がクラクラしてしまう。

 さっきから僕がアナベルの方を見る度にリサの杏色が曇るのもまた、癪に障った。

 僕は別に、アナベルに恋心を寄せてるつもりはないんだけど、どう説明したら良いのかサッパリ分からなくて、苛々してるんだと思う。


「鎮静剤は何本持ってきてる?」


 ルークがギロリとシバを睨んだ。


「……三本ある。出来るだけ、使わずに済ませたい」

「三本でどうにかなった試しはないけどね」


 僕はハハと嗤った。


「打ち過ぎたら副反応が強く出る。薬に頼らず、力を抑えろ、大河」

「言われなくても毎回抑えようとしてるよ」


 喋っているうちにまた吐き気がして、酸っぱいものが食道を上ってきた。ウッと口を両手で押さえて、どうにかゴクリと飲み直す。

 アナベルの前で吐くところは見せたくなかった。

 ……って言っても、結局無様な姿を晒すことにはなるんだろうけど。


「大丈夫か、大河」


 またシバが、保護者面して僕に声を掛けた。


「うっさい。さっさと行って、さっさと終わらそう」


 僕は腹と口を押さえながら、杭の方を睨んだ。






 *






 古代神教会の大聖堂――あの場所で四体の守護竜が人化していくのを見せつけられたとき、僕は未だ弱くて、無知で、中途半端だった。

 今もそうかも知れないけれど、あの時とは違うはずだと思っている。

 だから絶対に目の前に彼らが現れても、僕は恐怖なんか感じないはずだと――そう、思い込んでいた。

 黒い杭に寄り添うように鎮座していたルベールの石像は、大聖堂で見たときと同じだった。

 火竜の名そのままに、炎を吐く竜の像。

 そいつは僕の気配に気が付いて、周辺を一気に燃えるような赤で染めた。


「来たな、神の子よ」


 火竜ルベールは、ゆっくりと石像から半竜の姿へと変化へんげした。

 燃えるような赤い髪を逆立て、赤く鋭い目がギラリと光る。剥き出しの肩と腕にはびっしりと真っ赤な鱗。長い尾をくねらせ、じっとりと僕を観察している。

 杭の周辺は高い木々で覆われていた。

 木と木の間にはそれなりに間隔はあったものの、動き回るには邪魔になりそうだった。

 正直……、巨大化して戦ってばかりだった僕には完全に不利な場所だ。


「シバに聞いた。巨大化せずに、傷を付けて見せろって」


 僕はルベールの真ん前まで進み出て、彼を睨んだ。


「如何にも。貴様が巨大化せずとも力を発揮出来るのかどうか……私は試さなくてはならない」


 見た目は二十代くらいなのに、しゃべり方はおっさん臭い。


「始めようよ、ルベール」


 僕は丸腰でルベールの前に立った。

 背の高いルベールは、見下すようにギロリと僕を睨んでいた。

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