7. 我が儘

 影響力のある人の言葉は、強い力を持つ。

 言葉だけで相手の心をコントロールするような、強大な力。

 アナベルの前向きな言葉はきっと世界を明るくしたのだろうし、僕のことも随分綺麗な印象に変えてしまったんだろう。

 実際の僕は血生臭くて、陰険で、残酷だって言うのに。


「動画、観たよ。綺麗に映ってたね」


 僕はまた、塔の魔女の部屋を訪れている。

 アナベルは僕の言葉を聞いて顔を赤くし、あからさまに動揺した。


「へへ変じゃなかった? ひ人前で話すの、慣れてなくて」

「大丈夫だよ。きちんと伝わった。君が僕の存在を必死に正当化してくれたのも、聞いたよ」


 僕らはローテーブル越しに向かい合わせのソファに座った。この間、僕が具現化させたヤツ。やっぱり……僕と彼女の間には、このくらいの距離が欲しい。


「私に出来ること、これくらいしかないかなと思って。シャノンには怒られたけど、どうしてもってお願いした。神の子が……人類の敵なんて、絶対に嫌。タイガはこんなに優しくて、頑張り屋さんなんだもの。恐ろしい存在なんかじゃないと思うけど」


 アナベルはそう言って、静かにため息をついた。


「君は僕の本性を知らないから。人間の姿――してないんだよ、本当の僕は」


 僕の言葉に、彼女はピクリと反応した。


「毎朝、僕は人間だって、自分に言い聞かせてる。言い聞かせてるけど……、そうじゃない、やっぱり僕は白い竜で、人間とは違う生き物なんだって何度も打ちのめされて。僕の力は何のためにあるのかとか、どうして僕だけ苦しむんだとか、あいつが悪い、殺してやるとか――一日中葛藤して、朝目覚めたとき、また人間の姿をしていないって絶望するのを繰り返すんだ」

「鱗……見えてたよね、最初に会った日」

「興奮すると、竜化する。身体が本来の僕に戻ろうとするらしくて」

「み、見たい」


 今度は僕が、彼女の言葉に反応する。


「タイガの本性、……見たい」

「は……? 本気で言ってんの? 頭、おかしくなった?」


 僕は足と腕を組んで、彼女を笑った。


「興味本位で言うなよ。こっちは自我を保とうと必死で抑えてるんだ。本性曝け出して君を襲うようなことがあったらいけないと思って、普段の何倍も気を遣ってる。……なのに、『見たい』? ふざけるなよ」

「ふ、ふざけてない! 何も知らないのに、タイガのこと全部分かったつもりでいるのが嫌なの。きょ、巨大な白い竜なんだよね?」

「まぁ……そうだけど」


 彼女は元聖職者らしく真面目で……、ふざけてそんな恐ろしいことを言う人間じゃないのは、僕にも分かる。

 だからこそ、急に何を言い出すんだとカチンときたわけで。


「見て……どうすんだよ。前にも同じことを言った人がいた。僕は化け物なんだって言ったのに、その人は僕を否定しなかった。心理状態が……分からない。怖いものを見たいの? いつ襲われるかも知れない、食われるかも知れない恐怖と戦いたいの? 見世物じゃないんだよ。僕は人間でもない竜でもない化け物で、君は塔の魔女で。塔の上で笑っていれば良い君と、血だらけになって戦い続ける僕との間には、見えないくらい深い溝がある。それなのに君は、そんな簡単に『見たい』だなんて」

「簡単に言ってるわけじゃない!」


 アナベルが声を大きくした。


「簡単に……言えるわけ、ないでしょ。君が苦しむ本当の理由、まだ……見えてなくて。私に何が出来るか考えたいの。もっと何か……あるかも知れない。君の苦しみが分からないと、私は前に進めない。あの白い男の人がいつも泣きそうな顔をしていたのはどうしてだろうって、君がいつも苦しそうなのはどうしてだろうって……、私だってずっとずっと考えて……、考えて考えて……、みんなが避けて通る道を、私は避けずに通らなくちゃって思ったの」

「それって君の我が儘じゃないか」


 ウッと息を詰まらせ、目を見開くアナベルの、図星を突かれた顔。

 僕は口を引き攣らせて苦笑いした。


「我が儘だよね。僕の意思はそこにない。君に本性を曝け出して、僕に何のメリットがあるんだよ。さっきも言っただろ。化け物なんだよ。君のスピーチ、如何にも僕が聖人君子みたいで反吐が出た。僕は自分が救われたいからやってるだけで、そんな高尚な目的でやってるわけじゃないから。簡単に死ねるヤツは良いよ。苦しくても、辛くても、僕はやること全部終えるまで救われない仕様なんだ。君らみたいにぬくぬく生きてるわけじゃない。常に自分と戦ってる。この呪われた身体が、いつ知らない何かに乗っ取られやしないかって怖くて堪らないでいるのにさ。君みたいに輝かしい将来を約束された美少女に、真っ黒に汚れて狂っていく未来しか見えない僕の何が分かるんだよ。そんなに見たいならさ、見に来いよ。明日僕は火竜ルベールの守る杭を倒しに行く。そこでどれくらい悲惨な戦い方をしてるのか、僕がどれだけ恐ろしい化け物なのか、見せてやるよ。それともアレか、塔の魔女様は高みの見物か。塔からは自由に出られないから、見ることは出来ませんとでも言うんだろ。自分だけは安全な場所で、白い竜は常に危険な場所にいて。何年も何十年も何百年もずっとずっとずっと僕は否定と軽蔑と恐怖の対象だった。誰が僕を救えたんだ。どうすれば助かったんだ。分かんないから示された道を突き進んで、その道が地獄へと続いていくって分かってても、他に方法が見つからないとこまで来てるのに、何だよ『見たい』って。言えば見せて貰えると思ってたのかよ。それが塔の魔女の特権だとでも思ってんのか?! ふざけるな!!」


 喋るだけ喋って、ソファの肘置きに両手を付いて爪を立て、牙を剥き出しにしてアナベルを威嚇して。

 肩で息をして、自分が泣いていることに気が付くのが遅くなった。

 鱗が少し……出かかってる。

 アナベルが両手で顔を覆って、恐怖で涙を浮かべているのが見えた。


「……ごめん。またやった。後先考えず、悪い言葉を使った。怖がらせて……ごめん」


 項垂れ、膝に頭を付ける。そのまま両手で頭を抱えて……、角まで生えてるのに気が付いて、僕は角を隠すように、両腕で頭を覆った。


「人間じゃ……ないんです。お願い……、そっとしておいて。頑張るから、世界を救うために頑張るから……、どうか僕を……嫌いにならないでください……」

「違う、タイガ、私は別に」

「気持ち……悪くてごめん。もう、ずっと前から僕は、自分の心をコントロール出来てない……。明日また、杭を壊したらどうなるかも分からなくて。もっと……、君と話したいのに、口から出るのは酷い言葉ばっかりで。最悪。どうしてもっと冷静になれないんだ」


 子どもみたいに泣き言言ったり、叫んだり、脅したり。

 このままアナベルに嫌われたらどうするんだよ。


「私こそごめんなさい。タイガの気持ち、考えてなかった。我が儘だった」


 アナベルは僕の心を鎮めるように、静かに言った。


「本性を見せてなんて、もう言わない。代わりに……、タイガがして欲しいこと、あれば言ってみて。私に出来ることなら、何でもするから」


 心が死んでるタイミングでそういうことを言われるのって、実は結構辛いってこと、僕はあとになってから気が付いた。

 彼女は明るい未来を提示したはずなのに、僕の心は真っ黒で、希望の欠片も見えなくなってしまっている。

 だから本当は、これからもずっと話し相手になって欲しいって伝えるべきところだったのに、僕の口はそうは言わなかった。


「じゃあさ、アナベル。お願いだから、全部終わったら僕のこと――――…………」


 そのあとの言葉を聞いた彼女が、どれだけ絶望したか。

 そこまで考えられるようになるのは、もっともっと、時間が経ってからなのだと思う。

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