6. 就任挨拶

 ドレグ・ルゴラと自分を同一視するのは良くない。

 分かっているけど、共通点が多すぎて、僕は彼を僕の一部だと認識していた。


「タイガが破壊竜にならないようにするためには……、会話を続ける必要があるってこと?」


 アナベルが首を傾げ、僕に尋ねてくる。

 僕は「多分」と小さく頷いた。


「石柱を壊して暗黒魔法を浴びると、自我が……吹っ飛ぶんだ。そこから自分を取り戻すのに、毎回苦労してて。これから、八本目の杭を壊しに行くんだけど……、多分また、僕は自分を見失う。正気で居続けるためにも、僕が自分を見失わないよう、希望が――欲しくて。例えば、君とまた、話が出来るとか、君とまた、会えるとか」

「そんなことでいいなら全然! 喜んでお話しするわ!!」


 表情を明るくしたアナベルが、僕の席の方にグンと身体を近付けてくる。

 僕はウワッと仰け反って、そのまま椅子から立ち上がった。


「ち、近付かないで!! ごめん!!」

「あっ! ごめんなさい。距離、必要なんだよね」


 アナベルとの距離が近くなると、僕の心臓はバクバクと激しく鳴った。

 脂汗がじっとりと肌を濡れ、僕は腕で思いきり汗を拭き取った。


「ほ、本当にごめん。君が……、僕に興味を持つのは嬉しい。だけど、お願いだから僕に好意を抱くのだけはやめて欲しい。僕は君を失いたくない。君は塔の魔女で、僕は白い竜だ。初代のリサみたいに君が僕を好いてしまったら、また一からやり直しなんだよ。頼む。本当に……、お願い」


 しょんぼりしたアナベルの顔が見えて、僕は本当に申し訳なくて。


「分かった。話し相手に、……なれば良いんだよね。リサみたいに」

「そう。僕と、他愛のない話をして欲しい。僕が、僕であり続けるために」

「次に、柱を壊しに行くのはいつ?」

「決めてない。けど、早いうちに。――記憶の中でドレグ・ルゴラが復活したから、急がないと」

「急がないと……どうなるの?」


 アナベルは椅子に座ったまま、下から僕の顔を覗き込んだ。


「あいつの意識に呑まれて、また僕は僕でなくなる。気を抜くと人間を襲いたくなるし、人間の姿も保てなくなる。そしたらここにも出入り出来なくなるから……、どうにか、耐えたいけど」

「タイガはドレグ・ルゴラとは違うんでしょ? 記憶に……負けないで。もっと、お話ししたいから」

「……うん。ありがとう」


 彼女の、ほんの些細な言葉しか希望に出来ないなんて。

 僕はもう……、終わってる。











      ・・・・・











 塔の魔女の噂を聞く。


『また塔の魔女絡みの暴動か』

『新しい塔の魔女様は、塔がお嫌いだそうだからなぁ』

『歴代の魔女の中でも最強なんだろ?』

『最強でも、塔との関係は最悪らしい』


 私の知らない間に、塔の魔女という存在は、世界を統べる権力を持ったようだ。

 塔と呼ばれる組織がその下にあり、塔の魔女を中心とした政治体制が築かれていた。

 新しい塔の魔女は塔のやり方が気に食わないらしく、上層部と激しくやり合っているとか何とか。

 何百年となく人間の社会を見ているが、権力を持つ人間と、その周辺が揉めるのはよくあること。力の有る無し、金の有る無しが全てを分ける。それが人間社会というものだ。


『面白そうではあるな……』


 興味が湧く。会いに行かねばと思う。

 約束を覚えているかも……、確かめに行かなければ。











      ・・・・・











 二日後に、火竜ルベールの待つ杭へ向かうことが決まる。

 それまでの間、必死に精神を平静に保つ。


「殺伐とした顔をするな。目つきが死んできてる」


 ノエルに怒られた。


「無理だよ。またおかしくなるのが分かってて、まともでいろなんて」

「今どんな顔してるか、自分で見たか? 死刑宣告を受けた囚人みたいな顔だぞ。アナベルにそんな顔、見せられる?」


 ノエルはわざとらしくそんな残酷な言葉を掛けてきた。


「見せられない。アナベルと会うときは、シャキッとするよ」

「会うときだけじゃなくて、普段からシャキッとしろよ」

「無理だよ。……吐き気がする。気持ち悪い。死にたくなってきた」

「簡単に死ぬって言うな」

「ノエルが代わりに戦ってよ。召喚魔法で、僕の姿に似せた幻獣を生成したらいいじゃん」

「一瞬でバレるようなことさせるなよ。第一、そんなの作れないから」


 くだらないやりとりを続けて、どうにか意識を繋いだ。

 弱音を吐かないと、頭がおかしくなりそうだった。






 *






 どんなに日中頑張っても、朝になれば半竜に戻っていて、その姿が日に日にあいつに似ていくのが、苦しくて、切なくて。

 どうして神とやらは唯一に拘るのか、その答えが知りたくて。

 ――だけどきっと、最後までそれは分からないのかも知れない。

 僕は、いつまで僕のままなんだろう。

 お願いだから、最後まで、僕のままでいさせてください。

 そのためには何でもします。

 お願いです、どうか。






 *






「タイガ、動画観て」


 レンはそう言って、僕にタブレットを渡してきた。

 訓練にも身が入らず、焦りで情緒がおかしくなりつつあった僕は、渋々それを受け取って、こくんと頷いた。

 監視小屋から少し離れた木陰で、背中を幹に預け、両足を地面に放り出して座っていた僕は、動画を見るために少しだけ足を立ててタブレットを膝の上に置いた。


「塔の魔女アナベルの就任挨拶。彼女、初めて公の場に出たんだよ」


 そうかと頷きながら、動画を再生する。

 塔の広報だというシャノンの挨拶、それからしばらくして画面が切り替わり、アナベルが映し出された。

 清楚な立ち姿、柔らかい笑顔。いつも以上に可愛くメイクして、髪も綺麗に結っている。


「可愛いよね。タイガはこういうのがタイプなのか」


 レンは冷やかしのつもりで言ったんだろうけど、僕は笑えなかった。

 細かなフリルが印象的な白いドレスローブは、アナベルの性格を表しているようで、凄く似合っている。


『レグルノーラに生きる全ての方に、初めましてのご挨拶をさせてください。私が新しい塔の魔女アナベルです。ディアナ様やローラ様の意志を継ぎ、この世界のみなさんが幸せに暮らせるように、私の力を使わせて頂けること、とても嬉しく存じます』


 ぎこちないけれど、誠実な挨拶。

 アナベルは一生懸命で、とても……清廉だ。


『混乱の最中にこうして塔の魔女を拝命したのは、きっと私にしか出来ないことがあるからだと、身が引き締まる思いです。私は未熟で、世の中のことを、あまり知りません。だけれど、平和のために祈り、奔走し続けることが使命なのだと信じて、私に出来ることを精一杯頑張りたいと思っています』


 画面映えする美少女に、きっと世界中の人が心奪われたに違いない。

 僕のが中継された時みたいに、街頭ビジョンにでかでかと彼女の顔が映ったりしたのだろうか。そしたらきっと、あまりの可愛さにたくさんの人が彼女に恋をしたんだろうな……なんて、どうでもいいことを考えながら、僕は画面をぼうっと見ていた。


『――けれど平和というものは、とても儚くて、脆くて、一人の祈りだけでは為し得ないものだと思うんです』


 彼女は少しだけとーんを落とし、表情を変えた。

 柔らかさに厳しさを混ぜ込み、真剣な眼差しで画面のこちら側を見つめている。


『私が塔の天辺で祈り続ける一方で、祈りではなくて、行動で平和を取り戻そうとしている人がいるのを、皆さんもどうか忘れないでください。彼は私に、祈り続けてと懇願しました』


 僕はハッとして身体を起こし、タブレットに齧り付いた。


「な……、何だよこれ。何言ってんだよ、アナベル……」

「びっくりした?」


 顔を上げると、レンがニヤニヤして僕を見ていた。


『神の子タイガは、未だ闘い続けています。皆さんも……ご覧になったでしょう? あの動画のあとも、彼は人知れず、内なる闇と闘い続けているんです』


「彼女、タイガのこと喋ってる。二人でどんな話をしてたか知らないけど、改めて神の子の存在意義を訴えてくれてるの、凄く効果があると思うよ。……君を、否定しにくくする効果が」


『まだ……、森の中には暗黒魔法で満たされた石柱が残っているそうです。かの竜を完全に倒し、真の平和を取り戻そうとする彼を、どうか皆さんも、応援し続けて欲しい。彼は未だ白い竜の血と戦っていて、時折、暴走してしまうと聞きます。彼は魔物じゃない、化け物じゃない。神の子です。平和のために自らを犠牲にしようとする彼を、どうか見守ってください』


 アナベルは……、僕があのとき喋ったことをなぞって話してくれたらしい。

 世界を構成する三つとか、唯一の白い竜とか、そういうこと抜きに、とにかくあの恐ろしいドレグ・ルゴラを倒すために、より強くならなくちゃいけないって線で話を進めていた。


「余計なこと……してくれたよね」


 僕は口元を緩ませた。


「余計? 酷い言い方」

「余計だろ。これじゃ僕が……、正義の味方みたいだ。違う。僕は残酷で、残忍で、卑劣で、冷徹な白い竜なんだって言ったのに……」


 頭の上の方で、さやさやと葉の揺れる音がする。

 小鳥のさえずりとか、虫の鳴き声とか、そういう雑音に混じって、アナベルの澄んだ声が、タブレットのスピーカーから聞こえてくる。


『白い竜の姿を見ても、怖がらないであげて欲しい。彼が世界を救うところを、私と共に祈り続けて欲しい。これが、塔の魔女になった私からのお願い。約束して。誰一人、彼を否定しないって』


「あ~あ。タイガ、これでも君は、自分を化け物だって卑下し続けるつもり? 彼女は君を、救世主だと思ってるみたいだよ」


 僕はそのままギュッと、タブレットを抱き締めた。


「違う。僕は救世主じゃないんだって……」


 ともすれば自己否定を続けて自ら地獄へと堕ちていこうとする僕を、彼女は救おうとしている。

 それが何ともむず痒くて、僕はそのまま、しばらく膝を抱えて蹲っていた。

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